第7話「フィッシング・バトル」

 暗い水面みなもは、まるで底なしの闇だ。

 東京湾から見る街も、こころなしか遠く見える。それでも、猛疾尊タケハヤミコトにとって街明かりは平和そのものだ。今そこにある、守るべきもの。都市は文明の象徴であり、人々のいとなみがそこかしこに息づいている。

 守りたい……守らねばならない。

 だからこそ、目の前の海へ挑むのだ。


『こちら索敵班、ソナーに感あり!』

『目標は浦賀水道を通貨、海上自衛隊の護衛艦が追跡中!』

『現在、こちらへ向かって時速25ノットで進撃中!』


 尊はコクピットのハッチを閉じた。

 同時に、周囲の作業員たちが慌ただしく退避してゆく。ガスタービンの微動と共に、巨大な"羽々斬ハバキリ"が立ち上がった。全高20mの巨人は、酷く不格好なずんぐりした身体を海に向ける。

 隊長である十束流司トツカリュウジの声で、いよいよ海中へと3機のギガント・アーマーが進んだ。


『よーし、海ん中でもやるこた一緒だ。ルキア、前衛! 尊は援護! トドメは俺だ!』

『なーんか、毎度ながら調子いーんですけどー? ……ま、いっけどさ』


 尊は最後に、機体と母船を繋ぐケーブルを確認する。

 命綱がなければ、重くて動きの鈍い"羽々斬"では浮かんでこれない。尊たち3人にとっても、これは決死のミッションになるのだ。

 最終安全装置を解除し、静かにエントリー。

 真っ暗な海の中では、ライトを使っても視界は100mもなかった。


「ここからはソナーが拾う音が頼りか。確か、音響データを立体映像化するシステムが」


 サブシステムであるモニターに、周囲の地図が表示された。

 見れば、ルキア・ミナカタの二号機が前へと突出している。いつものフォーメーションだが、今日は奇妙な不安を感じた。

 尊ほどのベテランパイロットでも、水中での戦闘など数えるほどしかない。

 ルキアなんかは恐らく、シミュレーターでの訓練しか経験がないだろう。


「ルキア、ケーブルの長さに気をつけろ。行動範囲は母線を中心とした半径1km圏内だ」

『わかってるわよー、もぉ。……来たっ! エンゲージッ!』


 巨大な影が、二号機に接触した。

 報告より速く、鋭い動きだ。

 あっという間に、ルキアの周囲の映像が乱れる。ソナーが拾う音が乱れて、距離や座標を上手く表示できなくなっているのだ。

 だが、そこにいるというのはわかる。

 距離にして、約200m……ギガント・アーマーの武器ならば、射程内だ。


「まさか、ギガント・アーマーで銛撃もりうちをする羽目はめになるとはな……当たれっ!」


 プシュッ! と小さく空気が漏れる。

 尊の"羽々斬"三号機が構えた銃から、鋼鉄の銛が打ち出された。

 同時に、魚雷の射撃体勢を取る。

 その間も、泡立つ中でルキアが懸命に格闘戦を演じていた。

 流司は一歩さがって状況を見極めつつ、的確に指示を飛ばしてくる。


『ルキア、どうだ! やれそうか!』

『無理ー、投げ出したーい』

『そうもいかんだろ。無茶はしても無理はするなよ。ナイフの刃は通るか? 弾かれるようなら遠距離戦で仕留める。ケーブルにだけは気をつけて動けよ』

『りょーかい……っ!? ああもう、でかいのにすばしっこい!』


 流司が整理したデータが、尊にも送られてくる。

 回り込んでの援護射撃を試みつつ、尊は驚きの声を零した。


「全長120m……デカいな。魚雷の火力で沈められればいいが。ルキア!」

『わかってるわよ! 一つ言えるのは……絶対に上陸はされないってこと! それだけでもー、アタシらの勝ちみたいなもんじゃん?』

「違いない」


 モニターに映るシルエットは、強いていうなら巨大なサメだ。それも、あらゆるものを飲み込むリヴァイアサンの如き人喰鮫である。

 そう、御台場への上陸はなさそうだ。

 目撃例はまれだが、姿

 だが、油断は禁物だ。

 何故なぜなら、深界獣は進化する。この12年で驚くべき変貌を遂げたし、中には戦闘中に全く別の特性を持つ姿に進化した前例も少なくない。


「ルキア、一度離れろ。魚雷をお見舞いする!」

『ま、待って! 今、刃が通った! 目玉をえぐってやったわ! ――キャアアッ!』


 コクピット内に緊張が走る。

 母線からの報告も、緊迫感を増していた。

 すぐに流司の一号機が動き始めて、戦いの流れが変わったのを感じる。再び深界獣は、東京湾の最奥を目指して進み始めた。その周囲で、二号機が動かない。

 いや、動けないのだ。


『ケーブルをやられた? 一番から三番まで、断線! 四番だけじゃ、"羽々斬"の自重を引き上げられない!?』

『流司さん! バックアップを! 俺がルキアのケーブルを拾います!』

『おう、頼むわ! 後ろは見なくていいぞ……奴はお前らに近付けさせねえからよ』


 ここで手間取れば、対獣自衛隊たいじゅうじえいたいや在日米軍も動き出す。

 明日の朝刊は一面で、この戦いを報じるだろう。

 見出しは恐らく『深界獣の驚異、再び! 閃桜警備保障せんおうけいびほしょう、またしても決定打とならず!』だ。

 このままなら、そうだろう。

 そして、尊はこのままで終わるつもりはない。

 増設された全身のスクリューユニットを全開にして、海の中を進む。水圧がまとわりついて、普段にもまして"羽々斬"が重く感じた。


「……いたっ! ルキアの二号機!」


 濁ったヘドロの中へ、ゆっくりと二号機が落ちてゆく。

 その背で棚引く千切れたケーブルを、まずは片手で一本鷲掴わしづかみにした。"羽々斬"のマニュピレーターは、銃器を扱うための最低限の機構しか持たない。人差し指と親指、そして残りの指を束ねた三本指だ。

 ガクン! と二号機の沈降速度が弱まった。

 尊は銛撃ち機を手放し陶器、無片方の手でさらにケーブルを保持する。


『ちょっとアンタ! 銃が!』

「いい! 効果が薄い武器に執着する必要はない。それより」

『ッ! こっちに戻ってくる! ちょっと流司、なにやってんのよ!』


 流司はよくやっている、むしろよくやれるものだと尊は感心していた。今、狙いを定めず銛を乱射して、流司の一号機が注意を引いてくれてる。それは勇敢な行為で、彼らしい無謀なものではなかった。

 母線にケーブルを巻き取らせつつ、緩急をつけて前進と後退を繰り返している。

 だが、深界獣は手の内を見透かすように尊に迫った。


「……なあ、ルキア」

『なによー、こんな時に。……いいよ? アタシをほっぽってさ、浮上しなよ』

「いや、そういうんじゃない。ただ、

『やったことないしー。てか、今それ聞くこと?』


 迫る巨影を前に、尊は慎重に愛機を操作する。

 粘るように負荷が全身の関節にかかって、今の"羽々斬"はさながらなまりのような重さだ。普段から機動力に問題があるが、今は陸での運用が懐かしく思えてくる。

 ライトが照らす海水のヴェールから、巨大な顎門アギトが迫った。

 大きく口を開けた深海獣が、直前まで迫る。


「ルキア! 俺の三号機のケーブルがつかめるか!」

『なんとか!』

「お前の操縦は器用だからな。いいか、両手で握って離すなよ。お前は、だ」

『ウキ? なにそれ』

「俺がえさであり、……奴を一本釣りしてやるっ!」


 すぐにルキアの二号機を、持ち上げてやる。

 どうにか三号機の背から伸びるケーブルを、ルキアは掴んで上へと浮き上がった。

 それは、激しい衝撃に尊が揺り動かされるのと同時。

 三号機は完全に、人喰鮫ひとくいざめのような深界獣に食いつかれた。

 あっという間に、警報がコクピット内部へ鳴り響く。


『ちょ、ちょっと! 尊っ!』

「これでいい……"羽々斬"の頑丈さは知っている! ルキア、ケーブルの手応えを拾えるか?」

『なんとなくだけど、大丈夫みたい? ……あ、そゆことか』

「お前はそのまま、上にケーブルを巻き取らせてくれ。無理に力を込めればケーブルは切れる!」

『泳がせつつ、ちょっとずつね……オーライ、任されたっ!』


 それは、危険な賭けだった。

 すぐに一号機の流司が、上の母船へと叫び始めた。流石さすがはチームのリーダーだけあって、一瞬で尊の意図いとを読み取ったようだった。

 そして、徐々に巨大な牙と牙とが、三号機を飲み込むべく食い込んでくる。

 尊は無骨ぶこつな両手と両足を踏ん張らせて、奈落ならくのような喉奥のどおく丸呑まるのみされぬようあらがう。だが、パワーだけは一級品の"羽々斬"でも、深界獣の凶暴な食欲には勝てそうもない。


「深度、30m……せめて海面まで引っ張り出せれば、通常火器が使える。だが、これは――ッ!」


 頭部にあるコクピットのキャノピーに、ヒビが走った。

 あっという間に浸水し、海水がなだれ込んでくる。

 パイロットとして尊は、専用のスーツを着込んでヘッドギアを装着している。それは宇宙服のような完全密封式のものではなく、あくまで地上でギガント・アーマーを運用する最低限のプロテクターに過ぎない

 あっという間に、膝下ひざしたまでが水に浸かった。

 狭いコクピットをさらに狭くして、水圧が牙をく。


「くっ、間に合わないか? だが、ケーブルは生きてる……このまま引き上げれば」


 その瞬間だった。

 突然、ガクン! と機体が揺れた。

 まだ海面まで距離があるはずなのに、星空が頭上に広がる。

 そして尊は見た……満月を背に、腕組み浮かぶ巨大な乙女ラ・ピュセルの勇姿を。

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