第5話「俺の家族、今の家族」

 夕暮れ時の東京は、太古の遺跡にも見えるし、東洋の不夜城バビロンにも見える。

 繰り返される深界獣しんかいじゅうの襲来と、その中から復興してゆく町並み。ここでは、破壊と再生とがしのぎを削るように繰り返されていた。

 だが、残念ながら破壊のスピードの方が早い。

 そして、再生も加速する中で世界を少しだけ歪にしていた。

 それでも、抗うことをやめてはいけない……猛疾尊タケハヤミコトはそう思う。


「よし、では華花ハナカ。また明日な」


 マンションの一室の前で、尊は少女に別れを告げる。

 宮園華花ミヤゾノハナカの部屋は、尊のお隣さんだ。護衛対象なのだから、当然といえば当然だが……これが正直、なんとなくお互いに落ち着かない。

 同い年の少年少女が、部屋こそ違えど同じマンションに住んでいるのだ。

 華花もそれを意識してるからか、毎日互いに部屋へ戻る時はぎこちない。それでも、いつもの満開の笑顔を咲かせてくれる。


「うんっ! みこっちゃん、きょうもありがとっ!」

「仕事だからな。気にすることじゃないさ」

「それでも、ありがとうだよ? ……今日の記者さん、ちょっと怖かったし」

「すぐにうちの法務部が動き出す。出版社に申し入れしておくから心配するな」


 尊の所属する閃桜警備保障せんおうけいびほしょうは、世界有数の警備会社である。というか、ほぼ民間軍事会社PMCである。世界に先駆けて、深界獣の襲来を予測し、ギガント・アーマーを用いた戦術を確立させたのだ。

 たかだか週刊誌の出版社程度、すぐに黙らせることは簡単だ。

 ただ、いささか心配もあって心が晴れない。

 今日の記者、狭間光一ハザマコウイチとかいう男を警戒しているのだ。ニヤけた顔をしているが、目だけは笑っていなかった。あれは、かなりの修羅場をくぐってきた人間の目つきである。ガラにもなく記者根性だけはありそうで、そういう人間には権力と圧力が通用しにくい。

 そう思っていると、突然尊の部屋のドアが、バーン! と開かれた。


「尊、おかえりさね! ほーら、母さんの胸に飛び込んでくるんだよっ!」


 しゅぼん! と華花の顔が真っ赤になった。

 逆に、またかとゲンナリする尊の顔が青くなる。

 そこには、


「ただいま、照奈テリナさん」

「んもー、他人行儀だねえ。アタシのことは母さんって呼びなって」

「いや、あんたは天原照奈アマハラテリナ。俺の上司で、元パイロットだ」

「……うわー、ノリわっる! なんだいなんだい、相変わらず面白くない子だねえ。っと、ハナハナもおかえり。どう? 今日もウチで飯を食ってくかい?」


 見るも痛々しい裸エプロン姿が、妙にイケメンな笑顔でウィンクする。

 華花もすぐに「えっ、いいんですかぁ!?」と食いついてきた。

 そう、天原照奈は尊の上司で、。直接華花を護衛するのは尊の仕事だが、家では照奈がバックアップを担当してくれているのだ。また、同じ女性として華花のメンタルを注意して見てくれる。

 ただ、ずっと彼女は尊の母親をやろうとしてくれてて……見事に空回り、滑ってる。

 そう、照奈は12年前、尊を助けてくれたパイロットだ。

 当時は最新鋭だった、36式"羽々斬ハバキリ"の三号機……尊の機体は、かつて照奈が乗っていたものである。


「じゃあ、わたし着替えてきますねっ! みこっちゃん、またあとで!」


 しゅたっ、と手を振り挨拶して、一度自分の部屋へと華花は戻っていった。

 その背を見送り、ドアが閉まるのを待って尊は照奈に目配せする。


「報告だ。今日、マスコミに接触された。週刊サロメとかいう雑誌の記者だ。名前は狭間光一。助手に酷くデカい大男を連れてる。多分、そっちは軍隊経験者だ」


 もらった名刺を渡すと、それを一瞥いちべつする照奈の顔が真剣味を帯びる。

 だが、個人的にはさっさと服を着てほしいと尊は溜息ためいきこぼした。

 そもそも、裸エプロンはお母さんというよりは、新妻にいづまのやることである。そして、実際にやってみるとドン引きしてしまうので、できれば漫画やアニメの中だけにしてほしい。


「すぐに本社に連絡しとくわ」

「頼む」

「よっし、お仕事はここまで! さ、ご飯にしましょ? 今日も腕を振るったんだから」

「ああ」


 尊は、家族というものが今はピンとこない。

 幼い頃は、父は仕事人間だったがかわいがってくれたし、いつも家には母がいた。その母が死んで、父はますます仕事にのめり込むようになった。

 そのことを思い出して、玄関でくつを脱ぎながら尊は白い背中へ呼びかける。

 照奈は今年で34歳(自己申告による)らしいが、みずみずしいヒップラインなどは目の毒、猛毒だ。そして、背中には大きな大きな傷跡がある。


「ん? どした、尊。ははーん、さてはアタシに……母に見惚みとれてたね!」

「あ、いや……すまない、それは絶対にない」

「チッ、裸エプロンじゃ駄目かあ。ま、いいさね」

「……あの男から、なにか連絡はなかったか?」


 尊の言葉に、照奈は振り向きまゆをひそめる。


「はぁ、アンタねえ……自分の父親を、あの男なんて呼ぶんじゃないよ」

「連絡は」

「ない! ……実は、諜報部でも追ってるんだけどねえ。ほんと、猛疾博士の行方はようとして知れないわ。生きてるってことは確かなんだけどさ」

「あの男は、殺しても死なない。ただ……深界獣に関する新たなデータがあればと思ったのだがな」

「……素直に言えばいいさね。父さんに会いたい、って」

「フッ、誰が」


 やれやれと照奈がかたすくめた。

 尊の父、猛疾荒雄タケハヤスサオは科学者だ。

 世間では、深界獣研究の第一人者と言われている。

 一言で言うと、マッドサイエンティストと呼ばれるたぐいの人間かもしれない。研究にのめり込むあまり、家族や世間は勿論もちろん、倫理や道徳をもないがしろにしている男である。

 尊が生まれたばかりの頃は、誰一人として荒雄のことを信じなかった。

 学会で笑い者になりながらも、荒雄は持論を洗練させ、立証し続けた。

 ――そして、現実に深界獣が現れたのだ。


「ああ、そうそう……尊?」


 キッチンへと歩きながら、照奈の声が鋭く尖る。

 リビングのテレビをつけながら、思わず尊は身を固くした。

 どうしても照奈には頭が上がらない。命の恩人である上に、ギガント・アーマーの操縦に関しては師匠も同然である。そして、手早く料理を温め始めた照奈は、鬼教官だった頃の顔をしていた。


「尊、今日の戦闘データを見たよ……ホントに、もう少し上手くやれないのかい?」

「そろそろ"羽々斬"では限界だ。アチコチにガタがきていて、想定されたスペックの七割程度しか力が出せないのだ」

「そこを努力と根性で補え、なんて言わないけどさ。今ある機材で戦ってくしかないでしょ。アタシの三号機なんだから、大事に乗って欲しいねえ」

「今は、俺の三号機だ。相変わらず脚部シリンダーの反応はにぶいし、エアコンはよく止まるし、オマケに光学兵装が装備できない。今の第七世代型の深界獣には――」


 閃桜警備保障の深界獣対策室しんかいじゅうたいさくしつも、色々と事情がある。

 まず、各国の軍が現在は、組織だった戦闘に手慣れてきた。閃桜が蓄積してきた、ギガント・アーマーの運用ノウハウのおかげである。社内でも、あとは対獣自衛隊たいじゅうじえいたいや各国の軍に任せるべきだという声があるのだ。

 つまり、尊のいる深界獣対策室は、今は斜陽しゃよう場末部署まどぎわなのだった。


「うちにも"草薙クサナギ"が配備されればいいのだがな」

「ないない、そりゃないさね。いいかい、尊。確かに"羽々斬"は旧式機さ。でも、いいところも沢山あるじゃないか」

「例えば?」

「……い、色々あるのさ! ほら、飯にするから手伝いな!」

「わかった」


 敷いて言えば、"羽々斬"の長所は、頑強な防御力だ。

 生産性と機動性を重視して、昨今のギガント・アーマーは小型で軽量な機種が多い。世代を重ねて進化してきた深界獣は、どんどん攻撃力の高い個体が出現するようになってきた。

 防御で耐えるより、回避でやりすごす。

 これが最近の戦術のセオリーになりつつあった。

 そんな中で、頑丈さがメリットになるとは、尊には思えなかった。

 だが、そんな思考が突然切り裂かれる。

 テレビから耳障りな警告音が発せられ、尊と照奈のスマートフォンも震え出す。


「チィ! 深界獣か! 今日はダブルヘッダーのようだな」

「行きな、尊! ハナハナはアタシに任せんだよ」

「わかった、頼む! あと、くれぐれも」

「わかってるよ。あのは見ててわかりやすいからねえ。変身のために一人になりたそうにしてたら、上手くやるさね」


 宮園華花には秘密がある。

 閃桜警備保障の一部の人間にとっては、公然の秘密だ。

 彼女こそが、謎の戦乙女いくさおとめラピュセーラーの正体なのである。

 何故なぜ、彼女が戦う力を持っているのか?

 どうして、地球を守るヒーローが女子高生なのか?

 それも今は真相究明が待たれるが、なにせ華花の秘密は守られなければならない。本人が秘密を守れてると思ってる、そういう思い込みを守ってやるのが尊たちの使命なのだ。

 テレビでは、ニュースキャスターが淡々と原稿を読み上げていた。


『深界獣警報が発令されました。場所は仙台、秋田、そして東京です。市民の皆さんは声を掛け合って、所定の避難所への移動をお願いします。どうか、命を守る行動を心がけてください』


 常態化した危機が、人の神経を麻痺させる。すでにもう、迫りくる深界獣の驚異は日常の一部だ。天気予報のコーナーで、ある程度の深界獣の出現予測ができるようになって、ますます当たり前な雰囲気が世界中に蔓延まんえんしている。

 尊たちの暮らしはあっという間に、深界獣に侵食され、平和を奪われていたのだった。

 だからこそ、戦う……尊は、そのまま夕闇に沈む外へと飛び出したのだった。

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