第51話 華流院怜奈という少女③
「ちーっす! どもっすー! うち、南條(なんじょう)晴香(はるか)って言いまーす! よろしくー! ちなみにうちのペンネーム『にゃんころ二世』って言いまーす! 実はうちラノベ作家だったりしまーす! 代表作は『一攫千金転生』! 今度アニメ化もするんでよろしくー!」
それは突然現れた現役なろう小説家の転校生。
彼女の転校によって華流院怜奈と矢川誠一との関係に変化が訪れる。
「やあやあ、誠一君。これうちの『一攫千金転生』の小説で今のところ八巻まで出てるんだよねー。あ、よかったらこれ誠一君にあげるよー。ちなみに全巻うちのサイン入りだからー! 別に感謝しなくてもいいよー!」
毎日『異世オレハーレム』を読んでいる誠一に晴香は己の小説である『一攫千金転生』を薦めようとする。
これにはさすがの華流院怜奈も心中穏やかではなかった。
一つには自分の作品を事細かく拝読している誠一の邪魔をして欲しくないこと。
もう一つは、自分の作品を読んでくれていることで、間接的に彼と繋がっている自分と彼との間を邪魔して欲しくないこと。
「待ちなさい。誠一君があなたの小説よりもその小説を読みたいって言ってるんだから好きにさせたらどう?」
「あ、ちょ!? き、君、なんだよー!?」
「私は華流院怜奈。あなたと同じクラスメイトよ。よろしく」
その日から、華流院怜奈と南條晴香との対立が始まる。
晴香は誠一に自分の作品を読ませようと躍起になる。
それに対し、誠一は大した興味を抱くことなく、時に晴香が強引な手に出ようとするが、それらは華流院怜奈の手によって阻止される。
そもそも、彼はずっと私の作品を見てくれていたのよ。
それなのに横から出てきたあなたに彼という読者を渡すわけがないでしょう!
言ってしまえばそれが本音であり、華流院怜奈が持つ独占欲という実に個人的感情である。
だが、この時の彼女は自覚なかった。
それほどの独占欲を誠一に抱いているということは、すでにそれは『特別』な感情であるのだと。
そうでなければ、次なる感情――『嫉妬』などは生まれない。
「一人の読者を得るために百人のファンを捨てる。いやー、昔の人は偉いセリフを残したよねー。……うちは見せたよ、『覚悟』を」
ある日、晴香は自らの作品の路線を大きく変更するという捨て身の行動に出る。
それは同じ小説家としても信じられない狂気の沙汰であり、この時の華流院怜奈も一人の作家として南條晴香に恐怖した。
「というわけでどうー? これならさすがの誠一君も気になるんじゃないー?」
だが、それでも華流院怜奈には確信があった。
(無駄よ。晴香さん。誠一君……ジャスティスヒーローは私の読者。いくらあなたがどんな手でこようと、彼が私(の作品)から他所に移るなんてことありえないわ)
「い、いやー、べ、別にー。確かにすごいことになってるけどさー。それだけでオレが読むかどうかは別でさー」
「あははー、それはそうだよねー」
(ほらね。言ったとおりでしょう)
そう言って心の中で鼻を鳴らし、読書を続けようとした瞬間であった。
「でさー、実はこの最新巻の一ページ目でいきなり主人公が死ぬんだよねー。で、ヒロインが魔王化して、世界を滅ぼしにかかるんだー」
「読むわ」
(はああああああああああああああ!!? ちょ、誠一君!? あなたなに言ってるの!? あなたが読むべきはそんな本じゃなく、私の本でしょう!? なに、浮気!? ねえ、浮気なの!!? どういうつもりよ、誠一君ーーーーー!!!)
この時、脳内で華流院怜奈がかつてないほど動揺し、また錯乱していたのを誰ひとり知らない。
華流院家の令嬢として、普段の振る舞いを完璧にこなす。
その教養がここで生きたと言われる。
だが、その日の夜は誠一を他の誰かに奪われたことへの嫉妬に顔を真っ赤にしてベッドで悶えたのは言うまでもない。
それから続く数日間――
(……今日もまた一攫千金転生を読んでる……。なんで? 私の異世オレハーレムはもう飽きたの……? あれだけ色々読み込んで感想も言ってくれたじゃない……。誠一君にとって所詮私の作品も一時のブームにすぎないの?)
隣で交わされる誠一と晴香との会話。
それに入れない自分。
晴香と話す際の時折、生き生きとした誠一の表情を見て、華流院怜奈は知らず胸を締め付けられるような想いに苦しんだ。
なぜなら、少し前にそこにいたのはほかならない自分であったのだから。
(……いいわよ、晴香さん。あなたがそういうつもりなら誠一君は私の力で取り戻す。次の最新刊で必ず誠一君を私の元に戻してみせるんだから……!!)
それは誰にも知られない宣戦布告。
華流院怜奈の中でのみ告げられた闘争。
そして、誠一という人物を彼女自身、それとは理解せずとも『特別』であると認めた瞬間でもあった。
それからしばらく、校了を終えて、いよいよ自らの最新刊が発売される日が近づくと華流院怜奈はいてもたってもいられず、誠一に声をかける。
「そういえば、もうすぐね。誠一君」
「へ? えっと、もうすぐというと何がでしょうか?」
「……修学旅行」
「あっ」
そのセリフに誠一は「そうだったねー」と頷くが、この時の華流院怜奈の本心は全く違っていた。
(って、違うでしょうおおおおおおお!! もうすぐって言ったらあなたの大好きな私の『異世オレハーレム』の最新刊の発売日でしょおおおおおおおお!! なんで!? なんでわからないの!? 忘れたの!? どうして!? あんなにたくさん読んでハマって感想までくれていのに! どうして忘れているの!? 最新刊! あなたのためだけに、あなたを取り戻すためだけに頑張って書いた最新刊なのよ!! なのになんでその存在を忘れているのよーー!!)
この時の華流院怜奈の内面は爆発寸前であった。
他人からはそうは見えないであろうが、度重なる誠一という存在を南條晴香に奪われたこと。
あれだけ毎日自分の作品を読んでいた誠一が全くそれを読まないどころか、口にも出さず、触れないこと。
それは彼女にとって予想外の精神的不安を与え、彼女自身、自分がここまで誠一のことを意識していたとは思わなかった。故に、
「修学旅行と言えば電車。電車といえば長時間の拘束。といえば、なにか必要なものがいると思わない?」
「え、ええ、まあ、そうですね。皆で遊べるトランプとか、ゲームとか。まあ、最近はスマホがあれば一人で時間潰すのもできますが」
「そうね。けれど昔ながらの一人で時間を潰すのに最適な娯楽品があるわよね」
「……まあ、ラノベとかですかね」
「そうね。移動中に時間を潰すのなら読書が一番。そして、私たち学生が最も身近に読書する本といえばラノベね。……誠一君は修学旅行中、読みたいラノベってある?」
「そうだね。まあ、とりあえず一攫千金転生の最新刊と――」
「あー! 誠一君やっぱりうちの一攫千金転生にハマってくれたんだねー! いやー、嬉しいよー! あの最新刊を執筆するにあたり色々なものを犠牲にした甲斐があったよー! そういえば、この間も勤太君とも熱弁してたよー! さすがは誠一君の考察! 色々とタメになったよー」
「いやいや、あなたの場合、あれは犠牲が大きすぎますから。そもそも構成を言わせてもらえば明らかに破綻してますから。つーか龍族の伏線あれどうするんですか? 主人公があんなことになったら、もう回収不可能でしょう? それこそ龍族が実は黒幕でしたーみたいな展開でもなければ……」
「あー!! それいいね! 誠一君のそれ採用ー!! いいよいいよー! うちの中からものすごいアイディアが膨らんでくるよー!!」
「いやいや! それやったらマジでクソ展開ですから! アンタどこまで自分の作品を陵辱すれば気が済むの!?」
(――なによ、なによなによなによー!! 誠一君のバカーーー!! もうすぐ私の異世オレハーレムの最新刊の発売日じゃない! なのに、まだ一攫千金転生なんて……!! 本気で、本気で誠一君は私の作品の発売日を忘れちゃったのー!?)
目の前で仲良さそうな誠一と晴香のやり取りを見て、華流院怜奈の理性は完全に吹き飛び。
彼女の中で生まれていた誠一に対する独占欲、そして嫉妬の感情はここに遂に爆発した。
「――っ、なによ! なによなによなによなによー! 誠一君! あなた、そんなに一攫千金転生が好きなの!? ちょっと晴香さんがぶっ飛んだ方向性にしたからって、それだけで彼女の方になびくの!? 新しい好みの小説を見つけたら、それまではまっていた小説の話題はすぐに打ち切る。あなたにとって異世オレハーレムって……その程度の存在だったの!?」
それは誠一やその他の人物にすればあまりに突然の事態だったかもしれない。
だが、華流院怜奈にとって、その怒りは怒るべくして起きたものであった。
「……いいわよ。そんなに一攫千金転生の話がしたいなら、どうぞ晴香さんと好きにすればいいわ! どうせ修学旅行にも一攫千金転生の最新刊を持っていくんでしょう!? あっちのガリ勉君や隣のクラスの亮君と、どうぞ好きに語ればいいじゃない!!」
カッとなり感情のまま、そう言い放つ。
その後、華流院怜奈は誠一と知らず距離を置くようになってしまった。
修学旅行での移動の際も、彼のことを気にしながらも華流院怜奈は自ら声をかけることができずにいた。
「あれ、誠一君が読んでるそれってロリ戦記?」
「ああ、少し前に最新刊が出てたんだけど、なかなか読む機会がなくってね。前から追ってたんだけどさ」
「へー、それいいよね。うちも好きだよー」
ロリ戦記って……誠一君、もっと他にも読むものがあるでしょう!?
つい最近、私の異世オレハーレムの最新刊が発売されたのよ! どうしてそれを読まないの! もしかして、本当に私のこと飽きちゃったの!?
何度となく、誠一の会話を盗み聞きしながら、華流院怜奈はそんなソワソワと落ち着かない時間を過ごしていた。
いっそのこと、誠一本人を捕まえて問い詰めようともした。けれども、
「いや、オレは別に異世オレハーレムが面白いとは一言も……」
「またまたー! そんなこと言ってー! という先輩と語りたい内容がいっぱいだったんっすよー! 特に最新刊の話題で――」
「ちょっとー! なんで異世オレハーレムの話題なんてするのー!? 誠一君がようやくうちの一攫千金転生を読んでくれたんだから、その話題してよー!」
「でもアタシ、それ読んでないから会話に入れないっす」
「なにをー!?」
食事処で和気あいあいと晴香含む様々な友人達と食事をし、談笑している誠一を見て、知らず華流院怜奈は踵を返していた。
ほんの少し前まで、彼の隣にいてあんなふうに語っていたのは自分だけだった。
けれども、今の彼には晴香や樹里、他にも様々な人が集まっていた。
一つの作品をディスり、それに乗っかる相手も自分だけではない。
それがどうしようもなく悔しく、仲間はずれにされたような感覚がいっそう華流院怜奈を誠一から遠ざける。
それでも勇気を振り絞って彼に声をかけようともした。だが、
「実はうちの正体は――!」
「オレとこっちの晴香さんが付き合っているということだ!」
誠一と話そうと彼を探していた時、通路の向こう側から聞こえたそのセリフ。
それを聞いた瞬間、華流院怜奈は自分でも信じられないほどショックを受けている自分に驚いた。
「…………………」
気づくと瞳の端から涙がこぼれている。
こんなの小学生の時に自分の小説に誹謗中傷の嵐をされて以来。いや、あれよりももっと深い傷が華流院怜奈の心を占めた。
どうして。だって、あんなのただの告白。
誠一君が、ジャスティスヒーローが誰を好きになろうとそんなのは彼の勝手。
ううん、もっと言えば彼がどんな作品を好きになろうとそれもまた彼の勝手。
いつだって読者は選ぶ側。好きな作品を読み、選び、そして感想を言えばいい。
自分の作品だけを見て欲しいなんて、そんなわがままを作者が言っていいはずがない。
けれども、
知らず、華流院怜奈は駆け出していた。
一人、誰にも知られないよう月明かりの下、華流院怜奈は自らの胸を抱きしめるように、胸の奥から己の本心を吐き出す。
「――それでも、私は――誠一君に、私の作品だけを見て、欲しい! 私だけを見てて欲しかったよ―――!!」
ようやく気づいた自分の本心を前に華流院怜奈は一筋の涙を流す。
そして、そんな彼女の咆哮を、ただ一人木陰から見守る影――生徒会長・綾小路清彦だけが聞いていた。
そうして、全ての事実を知った男が行動に移る。
華流院怜奈と矢川誠一。
本人達は気づいていないだろうが、二人はすでに出会う前から強い絆で結ばれていた。
片やそれを全く知らない者と、それを知っていてもなお自分の本心から目をそらす頑固者でプライドの高い少女。
修学旅行、京都三日目。
二人にとってはそれ以上の冷戦を経て、ここに“再会”はなった。
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