また行きたくなる喫茶店
Yumeno
第1話:その名はディアナさん
「あーっ! キミ、今日も来てくれたッスね~」
ドアにぶら下がったカウベルが鳴ると同時か、もしかしたらそれよりも早く、いつもの元気な声がボクを出迎えてくれた。
薄く開いたドアから流れ出てきた店内の冷たい空気が、さっきまで炎天下にさらされていた体にとても心地よい。
「ほらほら、そんなとこに突っ立ってないで。とっとと入るッス!」
さっと汗が引く感覚にしばし立ち尽くしていたボクだったが、ウエイトレス姿の彼女に促されて店内へと入る。時間が中途半端なせいか、中の人影はまばらだ。
というか、ボク以外はカウンターの奥に、常連のおじいさんがひとりだけだった。
「いつも来てくれてありがとうッス! それにしても、今日はめちゃくちゃ暑いッスね~」
席へと案内してくれる彼女の後姿と、カウンター席に座るおじいさんとの間で、ボクの視線がチラチラと揺れる。
このおじいさん、家が近所なのかわからないが、いつ来ても同じ場所に座っている。そして、いまだボクは、おじいさんが動いたところを見たことがなかった。
最初見たときは、本気で『よくできた置物なのかしら?』と思ったくらいだ。
まぁ、そのすぐ後にマスターがおじいさんの目の前に湯気の立ったコーヒーカップを置くのを見て、ちゃんと生きてるんだというのに納得はしたのだけれど……。
今日もカウンターには、まだ薄く湯気を立てるホットコーヒーが置かれている。
が、やはりおじいさんは微動だにしていない。
「はい、コチラへどうぞッス」
いつの間にか立ち止まっていた彼女の声に慌てて視線を戻し、ボクは案内されたボックス席にあたふたと腰を下ろした。
そんなボクの様子に「ニシシ」とイラズラ小僧みたいに笑う彼女に愛想笑いを返してふとカウンター席に目をやると、マスターがおじいさんのカップにコーヒーのお代わりを注いでいるところだった。
また見逃した! あのおじいさん、一体いつコーヒーを飲んでいるんだ!?
「で、今日は何にするッスか?」
ボクとおじいさんの見えざる攻防などに気付くはずもない彼女が、いつものように注文を尋ねてくる。
すっかりおじいさんに気を取られてしまっていたが、ボクがこの店に通っているのは、もちろんおじいさんとの戦いに勝利することが目的ではない。
「『いつもの』でいいッスかね?」
オーダー票を手にした彼女の『いつもの』という単語に、頬が熱を持つのを感じたボクはそれが彼女に気付かれる前にコクコクと頷いた。
「よろこんでッス! マスター、クリームソーダいっちょーッス!!」
まるでどこぞの居酒屋みたいに元気よくオーダーを通しながら、彼女がカウンターの向こうへと消えていく。
そんな彼女の後姿を見送ってから、息を止めていたことに気付いたボクは、ゆっくりと肺の中の空気を吐き出した。
それから、改めて周りを見渡してみる。
先週、フラッと立ち寄っただけの喫茶店。大きくも小さくもなく、ものすごくコーヒーが美味しいとか看板メニューがあるとかでもない。と、思う。第一、ボクはコーヒーが飲めない。
しかし、ボクは初めて来店した日から、今日まで毎日通い詰めていた。
理由は言うまでもなく、ボクを案内して注文を取ってくれた、さきほどのウエイトレスさんである。
制服の胸につけたネームプレートで、名前は確認済み。
「ディアナ」さん。カッコいい名前だけど、苗字なのか名前なのかもわからない。日本人離れした肌の色に赤い髪。いったいどこの国の人だろうか?
それに、身長はボクよりも低いくらいだが、なんというかまぁ、とにかくデカい。目のやり場に困るなぁとか思いつつ個人的には全然困っていなくて、どちらかというとガン見してしまいそうで困っていたりする。
そんなディアナさんの姿を思い浮かべてひとりドキドキしていると、当の本人が銀のお盆を片手にこちらへやってくるのが見えて、ボクは慌てて視線をテーブルに落とした。
「お待たせッス!」
ディアナさんの元気な声が頭の上から降ってきたと思うと、続いてテーブルの上にコースター、グラスが順番に置かれる。視線を落としたまま彼女が去るのを待っていたのだが、もうひとつグラスが置かれる音がして、ボクは顔を上げた。
「お邪魔するッスよ?」
目の前には、ボクが注文したクリームソーダ。その向こうに、もうひとつのクリームソーダ。さらにその向こうには、なぜか笑顔のディアナさんが座っていた。
驚きすぎて言葉が出ずに口をパクパクさせているボクを手招きして、ディアナさんがテーブルの上に身を乗り出す。つられてボクが身を乗り出すと、ボクの耳元に手を添え、
「……実は今日、めちゃくちゃヒマなんスよ。だから、マスターに一足早く休憩もらったんス」
そう小さく耳打ちして、ディアナさんは最後にもう一度、いつもの顔で「ニシシ」と笑った。
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