第12話
十二
私はゆっくりノートを閉じた。
「……これでお終い。それにしても、我ながらよくここまで頑張って書いたなぁ。まだまだ【夜科蛍】の小説には足元にも及ばないけどね……ふふっ」
私の書いた【この物語の続き】はこうだ。
***
夜宴の島はきっと……黒兎、島に訪れる客人達、そして五十嵐想の力で、本来の姿を取り戻していく。
そしてまた、誰かを島へと誘い……あの、恐ろしくも美しい宴が再び行われる事だろう。
きっと、賑やかで騒がしくて、皆が幸せそうに笑っている……そんな素敵な夜が、再びやってくる。
――これでいい。これで、良かったのだ。
白兎の事を想い、何日も泣き続けた。今も、思い出すだけで涙が込み上げてくる。
白兎は、幸せだったのかな? ……けれど、白兎の決意がなければ、夜宴の島は滅んでしまっていた。今なら白兎がとった行動は、本当に勇敢だったと思う。
彼は島の英雄なのだ。死してなおも輝き続け、皆の心の中で永遠に生き続けるだろう。
……あれから、黒兎は立ち直れただろうか? そう簡単には、哀しみも傷も癒えないと思う。
けれど、願わくば……あのいつものとびっきりの笑顔で、黒兎が笑えていますように。
仙人達に、ちゃんと挨拶も出来ないまま帰ってきてしまった事に対し、少しばかり悔いが残っている。よくよく考えてみたら私……兎狩りの時に助けてもらった事、きちんと全員にお礼を言えてない。……本当に、失礼極まりない話だ。
――そして、五十嵐想。
私をつまらない現実の世界から連れ出してくれた張本人。私の憧れの小説家【夜科蛍】。
彼は……本当に自由な人だった。とても素直な人だった。そして私が、今でも世界で一番大好きな人だ。
彼と私の道はすれ違ってしまい、二度と交わる事はないけれど……きっと、この気持ちは永遠に変わらないだろう。
……この世界には、私達の知らない世界がまだまだ沢山ある。その存在に気付く事もないまま、人は短い生涯を終えていく。その人生の中で、私は間違いなく幸せだった。
いつか私の中で、夜宴の島は想い出となり、風化していく事だろう。
夢のような出来事だった。だからこそ、いずれ……『あの出来事は本当に起きた事だったのか?』、『夢のような出来事などではなく、本当に夢だったのかもしれない』と……記憶の片隅に追いやられ、消え去っていくのかもしれない。
それでも、私はきっと……あの夜の事を忘れない。……絶対に忘れたりしないから。
サヤや店長夫妻から得た情報によると、帰還した後には……夜宴の島で起きた事や、重要な部分の記憶等は失われる筈だった。けれど……生憎、私は全てを覚えている。だからこそ、この物語を完成させる事が出来たのだ。
夜宴の島は幻想? と、疑う日がくれば……何度でもこの物語を読み直そう。ここには、真実だけが眠っているのだから。
――ありがとう、夜宴の島。ずっとずっと、私の心はあの地に囚われたままだけれど……それでも、この世界で生きていこうと思います。
闇の中に灯される明かりや、空に打ち上げられた色鮮やかな煙の線が、宴の合図。
陽気な声や音楽が、楽器の音や歌声が……耳を澄ませると、今でも聞こえてくる。
――さぁさ、今夜もおいでなさいませ。皆で十七の夜を存分に楽しみましょう。
奇妙な仮面を付けた者達が今夜も盛大に盛り上がりを見せる、この美しくも恐ろしい夜宴の島で――
***
「……ははっ! 小説の中の私は、随分前向きだなぁ。実際は、まだ立ち直れてなんかいないし……一人で戻ってきてしまった事を後悔している自分だって、確かに存在しているのに。……ソウくん、やっぱり私には【ハッピーエンド】は書けなかったよ。嘘でも書けない……虚しくなるだけだから」
私はゆっくりと空を見上げた。小さな三日月が、時折雲にその姿を隠されてしまうが……また、ひょっこりと顔を覗かせる。明日はきっと、雨だろう。
私は空から目を離し、膝に置かれたノートを見つめると、小さく呟いた。
「……ううん。これもハッピーエンドなのかもしれないね。二人が、選ぶべき道を選んだ事には違いないのだから。けどね、どうしてだろう……? 胸に穴が空いたみたいに、酷く苦しいんだ」
鈍い痛みを伝えてくる左胸を、ぐっと強く押さえつけてみたが、一向に痛みが治まる気配はなかった。
……夢の中で、私が私に『何故、島に残らなかったの』と責めたてる。
『どうして、彼と共に生きる道を選ばなかったのだ』、と。……『夜宴の島から離れてしまったのだ』、と。
「ほんと、嫌になる。あまりにも同じ夢ばかり見てしまうから、ずっと寝不足だよ。……けどね、眠るのが怖いの。どうしようもなく」
正解のない選択肢は、いつだって不安にさせるものだ。『本当に、これで良かったのだろうか?』と。
誰もその答えを知る事はないし、答える事は出来ない。そして、それは……誰かに教えてもらう事ではない。自分自身で決めなくてはいけない事なんだ。
あの時の私は帰りたかった。白兎の死が……私にはどうしても耐えられなかったの。
じゃあ、白兎が生きていてくれてたら……私は島に残ったのだろうか?
――答えはきっと、『NO』だ。
人として生まれた私に、人としての人生を全て捨て、生きていく事など……やはり出来そうもない。
臆病で弱虫で、後悔のない人生を歩む為の行動を取る事の出来ない私は……はたして、生きていると言えるのだろうか?
「私だけ……独りぼっちになっちゃったね」
私は鞄の中から、白兎に貰った夜宴の島の結晶を取り出した。
「店長のところにあった結晶には、二人の姿が現れたのに……こっちの結晶には誰も現れてくれない。ほんと、冷たいんだから」
私は一人、そんな事を呟きながら笑う。
……本音を言うとね、会いたいよ。会いたい。
今すぐ皆に会いたい。
私は自分の意思でこの世界に戻ってきた。全てを覚悟しての事だった。けれど……簡単には心が受け入れてくれないの。幸せ過ぎたから。悲し過ぎるから。
このまま、私は一人……この世界で生きていけるのだろうか?
大粒の涙が結晶を伝い……まるで、雨でも降りだしたかのように私の手を濡らしていく。
「ねぇ……お願いだから、誰か教えて……? 私は、間違えていたのかな?」
『相変わらず泣き虫だね、君は』
私は突然聞こえてきた声に驚き、即座に顔を上げた。
「嘘……でしょう?」
『……久しぶりだね、ミズホ。君とこうして、再び話せる日がくるなんて……思いもしなかったよ』
そこには、顔に白い兎面を付けた小さな少年の姿があった。
私は……夢でもみているのだろうか?
「シ、ロくん……? どうして……?」
視界に光が入り込んでくる。私の手の中にある結晶が、いつの間にかキラキラと光り輝いているのがわかった。そして白兎の身体も結晶と同じように、青く美しく煌めいていた。
……そうか、これは実体ではない。きっと、結晶に込められた【白兎の想い】から生まれたものだ。
いつになっても情けなく、ずっと泣き続けている私の為に現れてくれた……優しすぎる亡霊。
神様からの、プレゼントなのだ。
ポロポロと涙をこぼし、何も言えないでいると……白兎は、優しく穏やかな声で私に語りかけてきた。
『大丈夫だよ、ミズホ。泣かないで? 君の選択は間違っていない。君の世界はこちら側なんだ。だから、こっちの世界で生きていかなければならない。……まったく、僕が傍にいてあげられていたら、君をこんなに泣かせたりはしないのに。哀しいし、悔しいけど……きっと僕は、既に死んでいるだろうから……もう君に何もしてあげる事が出来ない。それがとても辛いよ』
白兎は……全て、わかっていたんだ。
私が、元の世界に戻る事。
彼が……あっちの世界に残る事。
そしてその時……自分が既に、この世に存在していないという事まで――
白兎が私に結晶をくれたのは……私と白兎が船に囚われている時だった。
白兎は……その時から自分の死を予感していたという事になる。ティターニアとゲーデの存在がそう思わせたのもあるかもしれないが……きっと、それ以前から……病状が進行していて、永くは生きれないと覚悟していたのだろう。
私は、ゆっくりと口を開いた。
「間違えて……いない? けど、私の選択で、もう二度と皆に逢えなくなったんだよ……? クロちゃんにも……ソウくんにも……!」
『……君は間違えていないよ。そして、ソウの選択もまた間違えてはいない。彼は人に理解されにくい特殊な思考の持ち主だから……こっちの世界では生き辛いだろう。もしもソウが君と共に、この世界に戻ってきていたとしたら……彼もまた、サヤと同じように……自ら命を絶っていたかもしれないしね』
「……うん、私もそう思うよ。彼が生きるには、この世界は狭すぎる。だから……一緒に帰ろうだなんて言えなかった。彼の邪魔をしたくなかった。彼の足枷には、なりたくなかったの」
そして彼自身も、私に夜宴の島で暮らそうとは言わなかった。
きっと彼も、こうする事が私達にとって一番良いのだと思った筈だ。彼が、私の生活を犠牲にしてまで夜宴の島に残ろうだなんて……言う筈がないものね。
『けど……ミズホはソウに逢いたい?』
白兎の質問に、私は何度も首を縦に振った。
「逢いたい……逢いたいよ……ソウくんに逢いたい……でも、彼の人生を私の感情なんかで振り回したくなかった、潰してしまいたくなかった……! だって、私と一緒に元の世界に帰って欲しいだなんて……私、自分の事しか考えてないよね。最低だよね……? けど、本当は彼と一緒にいたかった。離れたくなんてなかった。もし彼から、『一緒に夜宴の島に残ろう』と言われたとしても、きっと残れないくせに……虫が良すぎるよね、自分勝手だよね。何だかもう、疲れてきちゃったよ。私、本当にどうすれば良かったのかなぁ? ……はは、何言ってるんだろう。なんか、頭がこんがらがってきて……ごめん、わけわかんないよね。言いたい事がうまくまとまんない……本当にごめんなさ――」
小さな小さな影が、私に重なり映り込む。白兎は、ベンチに座っている私の身体を……優しく包み込むように、そっと抱きしめた。
「……シロくん」
『奇跡を――』
「えっ……?」
『奇跡を信じて、ミズホ』
「奇跡を……信じる……?」
『奇跡の神はとても寛大なんだ。だから、信じる者を決して裏切ったりはしない。それに、君は今まで数々の奇跡を起こしてきたよね? その奇跡が、どれだけ君や僕達……島を救ってきたことか。――大丈夫だよ。奇跡は必ず起きる。だって君は、奇跡の神の【お気に入り】なんだから」
白兎はクスクスと笑いながら私の身体から離れると、結晶を指さして言った。
『ミズホに良い事を教えてあげる。その結晶を使えば、ソウに逢えるかもしれないよ?』
「えっ……?」
『その結晶。それを君に渡した時……僕、言ったよね? 何かあったら、この結晶を握りしめ強く願うんだ。きっと奇跡が起こる、って』
「あ……っ」
『君はあの時、それを使わないって言ったけど……僕はね、ちゃんとミズホに使って欲しいんだよ。だって、それが……僕が君にしてあげられる【最後のプレゼント】なんだから。とは言っても、その石の力じゃ……きっと大した事は出来ない。けど――』
白兎は顔の面を額に移すと、愛らしい無邪気な笑顔を見せて言った。
『――【五十嵐想と再び出逢えますように】。それくらいなら、簡単に出来る筈だよ』
「シロくん……」
『さぁ、ミズホ。それを握りしめ、強く念じるんだ! 君の想いが強ければ強い程、その結晶は力を増していく。きっと、ソウにも逢えるよ!』
……ソウくんに、逢える?
でもそれって、即ち……
『ミズホ? ……どうかした?』
「……ううん。でも、もう少しだけ考えてみてもいいかな?」
『……うん、わかったよ。けど、なるべく早くね? 僕のこの身体は夜明けと共に消えてしまう。だから、せめて……ちゃんと見届けてから逝きたいんだ』
夜明け? ……もうすぐじゃないか。夜が明けてしまえば、今度こそ私は白兎と……本当のお別れをしなければならない。
そしたら白兎の魂は、どこにいってしまうのだろう?
白兎の存在は……その身体と共に、消えて無くなってしまうのだろうか?
そして、いつか皆……白兎の事を忘れてしまうのかな?
そう考えただけで、胸が苦しくて堪らなかった。
「……シロくんは、いつも私の幸せを願ってくれているんだね」
『君の幸せが、僕の幸せでもあるからね』
「ありがとう、シロくん……私ね、シロくんに出逢えて……本当に良かった!」
私は白兎を見て、にこりと笑った。そんな私を見た白兎も、同じように優しく笑い返す。
それだけで、私は充分幸せを感じられた。私の幸せが白兎の幸せだというのなら……きっと今、白兎自身も幸せを感じてくれている筈だ。
……けど、白兎はわかっていない。私だって、貴方が幸せだととても嬉しい。だから、貴方の幸せを……誰よりも願っているんだよ?
――忘れないでね?
「目を閉じて……強く願えばいいんだよね?」
『そう。そうすれば、必ず奇跡は起こる』
「……わかった。やってみる!」
私はゆっくり目を瞑ると、【あの日】の事を思い返していた。
あの日とは……私が白兎から、この夜宴の島の結晶を受け取った日の事だ。
一生、忘れる事のない……大切な思い出――
***
『これは僕がこの島で初めて作った結晶なんだ。きっと、君の力になると思う。あげるよ』
『これ、店長が持ってたものと同じだ……! ソウくんがレッドナイトムーンを飲んだ時、彼を救って砕け散ったものと同じだよね?』
『うん。これには微量だけど、魔力が込められてるからね。いざとなったら君を守ってくれるかもしれない。大した役には立たないと思うけど、ミズホに持っていてもらいたいんだよ。何かあったらこの結晶を握りしめ、強く願うんだ。きっと奇跡が起きるから』
『ミズホ?』
『……使わない。使ったらそれも粉々になっちゃうんでしょ? そんな大切な物、使えないし……使いたくない。シロくんが初めて作った、想い出深いものなんだから』
『……まったく、強情なんだから! じゃあせめて、御守り代りに持っていて。何があっても、僕はずっと君の傍にいる。これは、僕と君との絆の証だ。僕がきっとミズホを守ってみせるから』
***
――うん。決めた。
決めたよ、シロくん。
強く願えば……奇跡は起こるんだよね?
なら、願う。心の底から……何度も何度も強く願うよ。
だからどうか……私の願いを叶えて下さい。
私の願いは――
夜宴の島の結晶は、私の手から離れ、宙に浮く。そして、パリンと音を立てた。
『……あはは、やられちゃったなぁ』
白兎の身体は爪先から順に、黄金色の光に包まれていく。その光は、やがてキラキラ輝く星屑となり……空に向かって拡散されていった。
その美しさときたら、まるで夜空を流れる天の川のようだった。
白兎の小さな身体は、幾千の星屑に導かれるようにして空に浮かび上がる。少年は、半ば呆れたような声でこう言った。
『君は馬鹿だ。本当に大馬鹿ものだよ。……けど、実に君らしい』
「ふふっ、でしょ? シロくんがくれた【絆】の結晶なんだから……どうしてもシロくんの為に使いたかったの。それに、ソウくんに逢いたいだなんて願ってしまったら……彼を無理矢理この世界に戻してしまう事になるかもしれない。私、そんなの嫌だもの」
『だから、僕の【幸せ】を願ったと』
「うん! シロくんが次に生まれ変わった時は、きっと誰よりも幸せになれますように……ってね! それと、お互いに何度転生を繰り返したとしても……いつかまた、再び巡り逢えますようにって、強く強く願った。だから……いつか必ずまた逢える」
少年はお腹を抱えながら、ケラケラと大きな声を上げて笑った。その姿が、とても愛おしい。
『……きっと、きっと逢えるよ。僕が必ず、君を捜し出してみせるから』
「うん、待ってる! 私、ずっと……ずっと、待ってるからね!」
私は白兎の言葉に、とびっきりの笑顔で答えた。
『……あ、一つ言い忘れていたよ』
白兎は優しく私を見つめながら、そっと口を開く。
『君の奇跡は叶ったけれど……奇跡というものは、何も君一人だけが起こせるものじゃない。この世界には沢山の者達がいる……そして奇跡は、皆平等に起こすチャンスを与えられているんだ。だから、誰かの強い想いによって……もしかして君に、再び奇跡が起こるかもしれないね?』
少年はクスリと小さく笑うと、再び白い兎面を顔に被せて言った。
『――ミズホ、元気で』
「シロくんもね」
『ありがとう』
「私の方こそ……本当にありがとう!」
白兎は最後に大きく手を振ると……今度こそ、この世界から消えた。
涙はもう……出なかった。
東の空に、黎明の光が射し始め……夜の闇を追いやり、消し去っていく。
夜明けだ。空はもう青みがかっていて、新鮮な空気が鼻腔をくすぐる。――とても気持ちが良い。
夢のような……素敵な夜だった。
……けれど、そろそろ家に帰らなければ。私はノートを鞄にしまうと、ゆっくりベンチから腰を上げた。
私は公園の出口に向かって歩き始める。家に帰ったら、少し眠ろう。
この場所に来て、夜宴の島を思い出して……再びまた、白兎に逢う事が出来た。もうあの子は逝ってしまったし、彼や黒兎達にも……もう二度と逢う事はないだろう。寂しい事には変わりない。悲しい事にも変わりない。けれど、先程までの……本来なら起きる筈のない【奇跡】を目の当たりにして、ようやく少しだけ踏ん切りがついたみたいだ。
私も、そろそろ受け入れなくてはならない。立ち止まらず……前に進まなければいけないんだ。
――この世界で生きていくと決めたのだから。
そんな事を考えながら歩いていると、足元にあった大きめの石に気付かず、躓き、派手にすっ転んでしまった。
「いったぁ……」
恥ずかしすぎて、とにかく辺りを見渡してみたが……まだ早い時間というのもあり、周りには人っ子一人見当たらない。ホッと安堵の溜息を吐く。
「完全に目が覚めちゃったよ……恥ずかしい。早く帰ろう……」
私は立ち上がり、膝についた土を払うと……再び歩き始めた。
「――お姉さん、これ落としましたよ?」
突然背後から聞こえてきた声に、私を動かしている全てのものが活動を止める。……周りには、確かに誰もいなかった筈だ。
けれど私は……この声の主をよく知っている。
「ほら鞄、開いてるよ。転んだ拍子に飛び出してきたんだね。……これ、頑張って書いたんじゃないの? 誰にも読んでもらえないまま、こんな所に置き去りにされたら……【夜宴の島】も、さぞ無念な事だろうね」
まず最初に、心臓が急スピードで活動を再開し、ドクンドクンと大きな音を鳴らした。私は振り返る事も出来ないまま、辛うじて声の主に言葉をかける。
「どうして……?」
「さて、どうしてでしょう?」
その返答に多少の怒りを覚えた私は、急いで後ろに振り返る。全ての機能は完全に回復したようだ。
そこには……意地悪な顔をし、茶化すようにそう言った【彼】の姿があった。
「やぁ。元気だった?」
「……『元気だった?』じゃないでしょ? 真面目に答えてよ……どうしてソウくんがここにいるの……?」
私の小さく震えた声を耳にした彼は、眉をハの字にしながら、ゆっくりと答えた。
「……最初に言っておきたいのは、俺は【約束は必ず守る】って事。あの時、シロは俺に……クロとミズホの事を頼むと言った。それを聞いた俺は、クロを支える為……島に残る事を決めた。命を賭けてまで、夜宴の島を救ったシロの為にも……一刻も早く島を元通りにしたかったんだ。その為には、クロに立ち直ってもらわなきゃならない。そしたら、それが全部終わったら……俺は、俺を待ってくれている人の元に、最初から帰るつもりだった。それを敢えて口にしなかったのは、期待を持たせたくなかったからだ。いつこの世界に帰ってこられるかもわからないのに、『待ってろ』だなんて……そんな無責任な事、俺には言えなくてさ。それが結果的に、ミズホを苦しめてしまう事には気付いていたけれど……あの時は、どうすることも出来なかったんだ。ごめん。けど、俺が思っていたより……クロはずっと強かったよ。あいつはもう大丈夫だ。それに、あっちには俺なんかより頼りになる連中達がわんさかいる」
静かな公園内に、彼の声と私の鼻をすする音だけがこだまする。そんな私を見て、彼は困ったように笑った。
「次に……俺は絶対に嘘は吐かない。俺が口にした事は、何がなんでも絶対に果たす。――約束しただろう? 俺がミズホに、ハッピーエンドを教えてあげるって」
彼がそう言い終えたのと同時に、私はその胸に飛び込んだ。彼はそんな私を強く抱きしめると、私の頭に顎を乗せて言った。
「ただいま」
「お、かえり……!」
彼は私の両肩に手を置き、じっと私の顔を見つめると……ぷはっと、大きな声を出して笑った。
「すっごい顔」
「う、うるさいなぁ! なんでそんな事しか言えないのよ!」
普通なら【感動の再会】の筈なのに……至っていつも通りの彼の姿に、何だか拍子抜けしてしまった。……まぁ、彼に普通を求める事自体が、はなから間違いなのだ。そうして、いつものように彼のペースに持っていかれる。毎度の事ではないか。
「もうそんなに泣くなって。俺、ミズホの泣き顔には弱いんだよ」
私の頭を、『よしよし』と優しく撫でる彼の手。その感触がとても懐かしく、愛おしすぎて……私の涙腺はずっと緩みっぱなしだ。
「夢じゃ……ないんだよね……?」
「うん、夢じゃない。……夢であってたまるもんか。俺だって、ずっとミズホに会いたかったんだから」
そう言うと、彼は再び私を自分の胸の中に引き寄せた。
「……ねぇ、ミズホ。俺やっぱり、ミズホの事が好きだ」
彼の言葉は、毎回どこまでが本気なのかよくわからない。けれど……この時だけは信じられると思った。その証拠に彼の心臓は、今もずっと騒がしい音を鳴らし続けている。……それが、とても心地良い。
「ずっとずっと考えてた。魅力的な世界を前にしていても……四六時中、君の事を想ってた。あまりにボケ~っと毎日を過ごしていたものだから、クロに『気持ち悪りぃんだよ、さっさと帰れ! この馬鹿野郎が!』って……何度も後ろから蹴られた」
「何、それ……!」
私はポロポロと大粒の涙を流しながら、クスクス笑う。その顔を見て、彼は照れ臭そうにはにかんだ。
「あんなに恋い焦がれていた不思議な世界にいても、ミズホが傍にいてくれないと駄目な事に気付いた。いつの間にか俺は、夜宴の島よりも……【橘瑞歩】に恋い焦がれてしまっていたらしい。――まったく、恋とは不思議なものだ」
「……よくそんな事、恥ずかしげもなくペラペラと言えるよね。本当に凄いよ、ソウくんは」
「言わせてよ。今まで溜め込んでいた分、口にしないと気が済まない。それに、君はどうにも思い込みが激しい。ストレートに伝えないと、君には正しく伝わらなさそうだ」
彼はゴホンと咳払いをすると、真面目な顔をして言った。
「――俺は、橘瑞歩が大好きだ」
私は、強く彼の身体抱きしめると……溢れ出す涙を懸命に堪えながら口を開いた。
「わ……たしも……ソウくんの事が好きだよ。ずっと前から好きだった。大好きだった」
「ん、知ってる」
「……何それ、ほんっと自信過剰!」
「でも、本当の事でしょ?」
そう言って、悪戯が成功した後の子供のように笑う彼に、やはり私は勝てそうもない。……多分、一生。
――こうして、夜宴の島の物語は終わる。
それからの私達……そして、夜宴の島の皆がどうなったかは誰も知らない。ここから先は……私の書いた、この【夜宴の島の物語】を読んでくれた皆の想像にお任せしたいと思う。
しかし、私自身が思う事。……やはり、物語の終わりは嫌いだ。
どんな物語にもいつかは終わりが来る。わかってはいるのだけど……やはり悲しい。
――夜宴の島。それは人であらざる者達が、奇妙な面を被り集まる不思議な島。その美しさに、誰もが目を奪われる事であろう。……しかし、この世界にはまだまだ隠された秘密が沢山眠っている筈だ。それはきっと、恐ろしくもあり、切なくもある。宴に参加している者の数だけ、物語は存在しているのだ。
……きっと、これを読んでくれている皆の中にも。
とにかく、夜宴の島のお話はこれにてお終い。けれど、私達の物語はまだまだ終わらない。彼、五十嵐想が傍にいる限り……きっと新たな物語が芽を出す事だろう。
そしていつか、再び夜宴の島に招かれる事があれば……その時は、皆で最高の宴を楽しみたいと思う。
夜宴の島は、私にとって……
第二の故郷なのだから。
橘 瑞歩 …………【夜宴の島】
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