夜宴の島 後編 【完結編】
夢空詩
第1話
一
パチリと目を開くと、その先に見える天井。
独特な模様が描かれた悪趣味な垂れ幕や、干からびた{蜥蜴}(とかげ)などが吊られているのが目に入る。
私は上半身を起こし、周囲を見渡した。
ここは魔女の隠れ家だ。良かった……無事に帰って来れたんだ。……しかし、魔女の姿が見えない。
ふと顔を首元に向けると、円球の中にはめ込まれてあった砂時計は、やはり粉々に砕け散ってしまっていた。
私はそのジャラジャラとしたものを首から外すと、祭壇の上にそっと置いた。
それにしても……魔女は一体、どこへ? また外に【偵察】にでも行っているのかな? ……鼠に化けて。
けど私がまだ眠っているというのに、ここに一人置いていくなんて酷くない? まぁでも、ずっと見守られてるのも何だか不気味だし……いっか。どうせすぐに戻ってくるだろう。
私は静かに祭壇から降りた。
「……狸のお爺さ~ん。ちゃんといますか~?」
あの術の効果は、一体いつになったら消えるのだろう? とにかく小さすぎて見つけられないし、言葉も話せないのだから、島までちゃんとついて来てくれてるのかさえわからない。
…………おる……じゃ……ひっひ…………
「――ん? 今、何か聞こえたような……?」
狸のお爺さん……? 私は周囲の音に耳を澄ませた。
……違う。確かに何か聞こえるけど、外の方からだ。よくよく聞いてみたら、何だか少し騒がしい。
外で、何かが起こっている……?
もしかして、黒兎が戻ってきたのだろうか? ――いいや、まだ安心するのは早い。赤兎の追っ手がここまでやってきたのかもしれない。油断は禁物だ。
……とにかく、慎重に。
私はまじないの描かれた扉を出来るだけ静かに開けると、洞穴をゆっくりと進んだ。
声は徐々に大きくなっていき、微かにだが、話している内容が聞き取れるようになってきた。
この声は……間違いない。魔女の、お婆さんの声だ。
私は入り口付近でしゃがみ込み、そっと外の様子を伺った。
「もうすぐじゃ。もうすぐあの人間の娘が目を覚ますぞい。ひっひっひ」
「……中に突入を。娘を連れ出し、ティターニア様の元へ。急げ!」
洞穴の周りには、昨夜からずっと私を捜していたのか、朝だというのに松明を掲げた悪魔の面の衆が大勢群がっていた。
「突入⁉ お主ら、儂の家を潰すつもりか⁉ それがこの密告者に対する、主らの礼儀とでも言うんかい? いいから大人しく黙って待っておれ! 心配せんでも娘はちゃあんと出てくるわい。……それより、その【ティターニア様】とやらにたんまり褒美を貰わないかんでのう。ちゃんと話を通しておるんじゃろなぁ?」
「ティターニア様はお前を配下にいれてもよいと仰っておられる。勿論金銀財宝も、お前が望む分だけ用意をしようとの事だ」
「ひっひっひ。それは中々の待遇じゃのう。……気に入った!」
――ちょっと待って、これはどういう事⁉ 密告者ですって⁉
あのお婆さん……まさか、また裏切ったの⁉
信用出来ないとは思っていたけれど、こんなに簡単に手のひらを返すだなんて……!
「儂の秘伝の眠り薬は……よく効くでのう。しかも目を覚ます時間に寸分の狂いもない。すぐに外に出て来るじゃろう。あやつには他に逃げ場なんぞないんじゃからな」
……秘伝の眠り薬? ――おかしい。砂時計の事は誰にも話していないの?
完全に裏切ったわけでは……ない?
――成る程。魔女はあくまで観覧者。どちらの味方にもつかないくせに……あわよくばどちらの甘い汁も啜ろうと考えている。
だから……私が砂時計の力を使い、助けを求めに行った事までは言わなかった。
それでもし上手くいけば……魔女は望み通りにあの人形を手にする事が出来るかもしれない。……私を餌にする事でね。
ようするに、早く人形を奪ってこい。……そういう事でしょう?
そして……万が一上手くいかなかった時の事を考え、敢えて私を売り、赤兎に忠誠を誓ったフリをして近付いておく。そのまま配下となり良い思いをする事も出来るだろうが……あの老婆の事だ。隙あらば、人形を奪って逃げようとするだろう。……ようは私に、時間を稼げという事だと思う。
実に用意周到だ。私達はまた、魔女の手のひらの上で転がされようとしている。
……いいわ。なら転がされてあげよう。
どちらにしたって、私が出来る事は……もう全てやり尽くしたもの。後は船に戻り、赤兎と直接対決しかない。それを魔女は……わかっているのだから。
私は立ち上がり、老婆や悪魔達の目の前に姿を現した。
「ほれほれ、きよったわい!」
「……お婆さん! また裏切ったのね⁉ 信じられない!」
「ほっほ。……長いものには巻かれろ、と言うじゃろうが? 簡単に何度も騙される方が悪いんじゃよ!」
「さいってー……」
私達が、演技にも近い小競り合いをしていると痺れを切らしたのか……悪魔面の一人が声を上げた。
「――娘! 私達と来い! ティターニア様からの命令だ! 抵抗する事は許さぬぞ!」
「……はいはい。わかりましたよ! 行けばいいんでしょ? 行けば! 大体、こんなに囲まれちゃってたら逃げられる筈もないでしょうが」
「よし、……娘を捕らえよ!」
悪魔面の一人が私の肩に手をかける。
すると、突然森の中から、ローブを身に纏った小さな人物が飛び出してきた。深緑色のローブは少し大きめで、地面に付くか付かないかギリギリのライン。顔は暗くてはっきりとは確認出来ていないが……唇は真一文字よりも、やや端が上がっているように見える。
悪魔達は、いきなり現れた来訪者に強い敵意を向けた。
「……貴様、誰だ⁉」
悪魔がそう尋ねると、少女は足で地面を思いっきり蹴りつけて言った。
「……あ~ら? 貴女達が遅いからわざわざ出向いてやったと言うのに……なぁに? その態度⁉ あたくし、許しませんでしてことよぉ?」
「――その声はティターニア様! し、失礼致しました!」
……ん? ティターニア? 何か、おかしくない?
「貴方……あたくしに対して随分無礼な態度をとりますのね。このあたくしが誰かご存知? あの死の神の加護を一身に受けた、愛の精霊ティターニアでございましてよぉ? 貴方なんてけちょんけちょんにしてしまいますですわぁ!」
「そ、それは……! 本当に申し訳ありませんでした! どうか、お許しを……!」
「はぁ~。……まぁ、いいでしてよ、ですわぁ。……つ〜か、あたくしこの娘と話が御座いましてよ? 貴方達は、先に魔女を連れて船に帰っておくとよろしいですわ。お~っほっほっほ! さっさと行かないと……八つ裂きのぐちゃぐちゃのミンチにしてやるでございますわよぉ! うふふ……ひゃはははは! うひゃ! うひひひ!」
少女は、まるで気が狂ったかのように笑い続ける。その凄まじく異様な光景に……悪魔達がたじろいでいるのがよくわかった。
そういう私はと言うと、あまりにも間抜けな茶番劇に、思わず目が点になっていた。
……どうやら、隣にいる魔女も気付いているらしい。魔女は俯きながら、必死に笑いを堪えていた。
「は……はっ! わかりました! 我々はすぐに退散しますので! それではティターニア様、先に失礼致します。……おい、お前っ! ついて来い!」
「ほっほっほ! まぁた面白い事になってきよったのう! ……では、儂は一足先に船へと案内してもらうとしよう。――娘よ、健闘を祈っておるでのう……ひっひっひ」
悪魔達はローブの少女に一礼すると、老婆を連れ、素早くその場から消え去った。
「…………危機一髪だったね、クロちゃん」
私がそう言うと、目の前にいた【偽】のティターニアはフードを外し、顔を上げた。
あの時、【本物】に無残にも切り落とされてしまった長い髪は、肩上辺りで綺麗に切り揃えられていた。
少女は相も変わらず、凛とした、美しくも強い表情を私に見せる。……と思いきや、大口を開け、目を思いっきり見開きながら私に言った。
「お、お前! 気付いてやがったのかよ⁉」
「……わからないわけないでしょ。あの変な日本語と下品な笑い方で。しかも途中、普段の口調で話してたところもあったし、バレないかヒヤヒヤしたよ……本当に」
「マジかよ……完璧な変装だと思ってたのに」
あれが、完璧……
「もしここに本物がいたら、クロちゃん殺されてたよ。……きっと」
「へっ! 見つかりゃあ、どっちにしたって殺されんだ。んなもん怖がってられるかっつの!」
黒兎はそう言うと、大きな岩の上にひょいっと登り、どかっと腰を下ろした。
「……しっかし、森も死んじまったな。空気は淀んじまってるし、生き物はみーんないなくなっちまった」
ぼんやりと空を見上げ、そう呟く黒兎に……怒りや悲しみの色など見えない。
黒兎は今、何を思っているのだろうか?
私は堪らない寂寥感に襲われながら、そんな事をふと考えていた。
「……ねぇ、クロちゃん。一体、今までどこに行ってたの?」
「あ〜……ちょっとな。まぁ、お前に言ってもわっかんね〜ところだよ! ……深く聞くなよ? 面倒くせぇんだから!」
相変わらず口調は荒っぽいものの、その顔には微かに、はにかんだような笑顔が見て取れる。
こんな事になっていると言うのに、黒兎の声はとても弾んでいて、今までにはない晴れ晴れとした雰囲気に包まれていた。
何か良い事でもあったのだろうか? ……とにかく、黒兎のこんな笑顔を見たのは久し振りだ。
もやもやと霧がかっていた心が次第に晴れ、気持ちが落ち着いていくのがわかった。
やはり、黒兎がこの場にいる事はとても心強く安心出来る。大袈裟かもしれないが、何だか全てが上手くいくような……そんな気がした。
「つ〜か、お前……白兎とソウと一緒に船に行った筈だろ? 何でこんなとこにいんだよ? しかもまた魔女に騙されたとか言ってなかったか? ……お前って、マジで救いようのない大馬鹿もんだよなぁ」
「い、色々あるの! 事情は後、後!」
私は一瞬、黒兎に……私が知り得た事情を話してみようかと思ったが、やめた。
黒兎に全てを打ち明けるのは、白兎を助けてからの方が良い。
【あの話】は、二人が揃っている時に話すのが一番だと思ったから……
私は黒兎に、『今は言えないけど……後でちゃんと伝えたい事がある』と告げた。
黒兎は『……んだよ、今言えよ! 気になんだろうが!』と言ってきたが、取り敢えずは納得してくれたようだった。
助けを求めに狸のお爺さんの古道に行った事と、そこに仙人もいた事。そして、狸が仙人の妖術によって……今、この島にいるかもしれないという事だけは、ちゃんと話しておいた。
黒兎は『へぇ! じゃあ、この辺に爺さんがいるかもしんねぇって事だよな⁉ そりゃ、心強いじゃん! おい、爺さん! ちゃんといてくれよな~?』と言うと、嬉しそうに笑った。
私は黒兎に『何か策はあるのか?』と問うが、黒兎ははっきり『ない』と答えた。
「これから……どうしようか」
「さぁな! ま、何とかなるだろうよ!」
「そんな、悠長な……!」
……とにかく、こうしていても埒があかないので取り敢えず私達は船に向かう事にした。
黒兎が先を歩き、私はその後をついていく。前を行く黒兎の背中は、とても小さく見えた。
私は黒兎の様子がおかしい事に、何となくだが気付いていた。いつも通りといえばそうなのだが、やはり何かが違った。
今日の黒兎はよく笑う。確かに先程まではその笑顔に元気付けられたし、安心出来た。
けれど今の私は、黒兎の笑顔の裏に隠された【覚悟】を見ているような気がしてならなかった。
――もしかしたら黒兎は、死ぬつもりなのかもしれない。
たとえ死んでしまったとしても、黒兎はきっと最後まで赤兎達と闘い、夜宴の島を守ろうとするだろう。
もしそうなれば……私に一体、何が出来る?
ただ見ているだけしか出来ないの……?
「……おいっ!」
「え……?」
黒兎は、お灸をすえるが如く高く飛び跳ね、私の頭に頭突きを食らわせた。
「いったぁ……!」
「へっ! ざまぁみやがれ!」
「いきなり何するのよ!」
「お前どうせまた、ど〜でもいい事をウジウジと考えてんだろうが。……ったく、本当に面倒くせぇ女だな。お前は色々考え過ぎなんだよ! ちったぁ、前向きに考えられねぇのかよ?」
「だって……」
「いいか? お前の考えは全部【誤解】だ! 【思い込み】だ! 【見当違い】なんだよ! ばぁか! あたしは死なねぇよ! あたしが死んだら、白兎が一人になっちまうだろうが」
「! クロちゃん……」
「狸の爺さんに、あいつの身体の事……聞いたかよ?」
「……うん、聞いたよ。だけど島から授かった力で、もうシロくんの病気は完全に治ったって……」
「……確かにな。一見、もうどこも悪いようには見えねぇ。けど、あたしは知ってんだよ。爺さんが念の為に置いていった薬を、あいつが最近隠れて飲んでいた事を。……ったく、バレてねぇとでも思ってんのかね? あの馬鹿野郎は」
「えっ……?」
「あいつの身体は治ったわけじゃねぇんだよ。きっと……永くは生きられない」
急に目の前が真っ暗になるとは……正にこういう事を言うのだろう。
――シロウサギハ、ナガクハイキラレナイ。
「……つってもよ、人間のお前よりかは遥かに永く生きるだろうけどな! だから、あんま心配すんなって! あいつはそう簡単に死んじまうようなタマじゃねぇよ。……ただ、赤兎があんなになっちまって、その上あたしまでいなくなっちまったら、あいつは正真正銘、独りぼっちになっちまう。……あいつは、あたしが最期を看取るって決めてんだよ。だからあのクソ女に、そう簡単に殺されるわけにはいかねぇんだ。あたしも、あいつもな。……とにかく! 今は白兎とソウを助け出す事だけを考えようぜ」
「……うん。わかった」
正直、【神】とされる者に【死】なんて言葉など、まるで縁がないものだと思い込んでいた。
そもそも、この夜宴の島に来るまで……神様なんて眉唾な存在を信じてさえいなかったのだ。
神様にだって……きっと寿命はある。神と人との子である双子達は、多分本物の神のそれよりもずっと短い筈だろう。
もしも神が死なないというならば、この世界は人より神の数の方が多くても、何ら不思議ではなくなってしまう。
しかし神とは、遥か古から崇められてきた特別な存在だ。そんなに沢山いるようなら、それは最早……唯一の神とは呼べないだろう。
生と死は、いつだって平等に与えられてきた。
生きている者は全て皆……いつかは死んでしまうのだ。それはきっと、神様だって同じ。
……駄目だ。頭が混乱してきた。黒兎も、白兎は人間である私より、ずっと永く生きると言ってくれたのだ。ならば、今は余計な事を考えるのはやめておこう。
「……クロちゃん、急ごう! 早くシロくんとソウくんを助け出さなきゃ!」
今後の事すらどうなるかわからないんだ。先の事ばかり考え、立ち止まってる時間はない。今は、二人を助け出す事に集中しよう。
そしてもう一度……全員揃って、あの楽しい宴の夜を過ごすんだ。
私は、そう強く胸に誓った。
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