ダーク・ブライト ~彼と魔王の物語~

罵論≪バロン≫

序幕. ある魔法使いの記憶

勇者の条件



「――勇者召喚は私の悲願。今さら言うまでも無いことだろう?」



 謳うような声だった。


 闇が吹き溜まったような黒の中、その声はさながら、ネットやら映画やらの中でしか見た事の無いオペラのようだった。ユラユラと揺れて、時折此方の視界を真っ白に塗り潰す電灯の光は、役者を照らすスポットライトか。


 ……あながち、間違いではないのかもしれない。俳優が自らの役にのめり込むように、“彼”は自らの狂気に酔っていた。不幸な男だったのだ。あまりにも優秀で、あまりにも前衛的で、あまりにも周囲からの理解が無さ過ぎた。善良な男だったし、善き父親でもあったとは思うが、それ故にその不幸は“彼”の精神を蝕んだ。“彼”の頭からは一つ一つ、良識という名のネジが外れていって、何時しか“彼”は外道に堕ちた。


「勇者は強くあらねばならぬ。何よりも、誰よりも」


 これは夢だ。或いは記憶だ。


 今、自分の目の前に広がっている光景は、過去に経験した記憶を、嘗ての自分の目を通して眺めているだけに過ぎない。


 嗚呼、そうでなければ“彼”のが聞こえる筈が無いのだ。闇の中、の下に照らされている手術台の上。歓声と呼ぶには些か醜悪に過ぎる絶叫が、さっきからずっと全ての音を塗り潰し続けているから。


「勇者の目は全てを見通す」


 ぬぷ、と目玉を圧迫しながら、眼窩に何かが侵入してくる。それは只でさえ圧迫していた目玉をしっかり挟むと、それをそのまま眼窩の外へ引き摺りだしてしまう。恐怖の声の中には痛みを訴えるそれが混じり、絶叫は狂乱の声へと上書きされた。それでも作業は決して止まらず、淡々と進んでいく。ぶち、と目玉の根元で何かが断ち切られる感覚がして、そして何も見えなくなった。


「勇者の心臓は恐れを知らぬ」


 実際は、こんなに連続して作業を行わなかった。なのにこうして直ぐに次の作業に移っているのは、夢故のご都合主義というヤツだろう。その証拠に、真っ黒になった視界が今はもう復活している。確かにが馴染むまではそんなに時間は掛からなかったが、それでも、丸々三日は必要だった。


 嗚呼、それにしても夢とは都合の良いものだ。胸を開かれ、肋骨を押し広げられる感覚のなんとおぞましいことか。どうしてこれで死なないんだと、頭の中の妙に冷静な部分でそんな事を考えていたと思う。余裕が無い筈なのにそんな事を考える事が出来たのは、きっと、思考が千々に千切れていたからだ。


「勇者の血は穢れを知らぬ」


 赤血球。白血球。


 医学部に進める程の頭を持っていなかった自分には、精々その程度の知識しか無い。だが、国が変われば信仰も変わるように、世界が変われば意味も変わってくる。此処では血は魂の触媒である。つまりあの時身体から全て抜き取られ、別のモノと混ぜ合わされて戻されたものは、自分の魂にも等しいものだった。あの時自分は、確かに肉の殻を捨てて液体になったのだ。


「勇者の肌は傷を知らぬ」


 尤も。


「勇者の骨は敗北を知らぬ」


 暫く経ってから戻された先は、既にその九割が自分の身体ではなくなっていたのだけれど。


「勇者の肉は敗北を知らぬ」


 戻されたのは見知らぬ素材で出来た人型で、嘗て自分を構成していた肉と骨は廃棄物宜しくバケツの中にぶち込まれていた。それをゴミと認める事が出来なくて、自分は自分のままで居られるのだという妄想に取り憑かれて、


 自分は、


 自分はそれを、


 喰った。


 嘔吐えずきながら、喰った。


 泣きながら、喰った。


 それでも自分は人間なのだと、両親から貰った“自分”はまだ自分の中にあるのだと、言葉にならない唸り声で泣き喚きながら、喰った。


 嗚呼、きっと。


 きっとそれが、後の悲劇の引き金だったのだ。


「……勇者の魂は──」


 バツン、と無機質な音を立てて、手術台スポットライトの光が消える。


 一寸先も見通せない闇の中、耳を澄ませると微かに聞こえてくるのは、シクシクと啜り泣く声だ。


「許してくれ。許してくれ。許してくれ。許してくれ……――」


 “彼”は善良な男だった。最後の最後で、正気に返った。


 きっと自らの狂気の産物に、向き合う事が出来なかったのだ。


「神よ」


 バツン、と再び無機質な音を立てて、スポットライトの光が闇を引き裂く。


 その光の中で、縄が軋む微かな音と共に、“彼”はぶらぶらと所在無く揺れていた。縄の掛かった異様に長い首に土気色の肌、口角からだらしなく垂れた涎の跡は陰惨の一言だったが、その時の自分は、“彼”から目を逸らす事が出来なかった。陰惨過ぎて目を離せなかったとか、腰が抜けてしまったとか、そんな当たり前の理由からじゃない。


 その時の自分は、もっと別の理由で、茫然としていた。



 ――


 ――



「本当に使えないよね、アイツ。いつもボーッとしててさ」


「皆が出来る事を、なんで当たり前に出来ないかな」



 声が聞こえる。


 嘲り、嗤い、聞こえよがしにヒソヒソと囁き交わす声が。



「言うことがズレてるんだよね。なんか、会話が噛み合わないって言うかさ」


「本当に気が利かない。何処に目ぇ付いてんのって感じ」


「使えないんだよな」


「一緒に仕事したくない」


「会話しててもつまらないのよね」


「まぁ、根は真面目なんだよ、きっと」


「キモい」


「どうでもいい」


「役立たず」


「「役立たず。役立たず」」


「「「役立たず。役立たず。役立たず」」」



 どうして上手く出来ないんだろう。


 他の人がやってるみたいに、どうして上手く行かないんだろう。


 ちゃんと考えは持っている。曲がりなりにも信念みたいなものだって在って、善かれと思って行動している。


 でもそれが、毎回決まって上手く嵌まらない。誰の役にも立てず、誰からも認めて貰えない。世界を越えても、人間じゃなくなっても、それは変わらなかった。


 ……嗚呼。



「「「「「「「「「「役立たず」」」」」」」」」」



 どうして俺は、こんなにも役立たずなんだろう。



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