第6話 探偵の考え

 ルーナ嬢はで、左手でくせっ毛をイジりながら、事件現場になった部屋の中を見回った。


「――Dueドゥエ(2カ所).おかしな場所があります」

「ふたつも?」

「――当てますか?」

「どうぞ、名探偵さん」


 アートリア嬢にムッとしたのか、ルーナ嬢の眉間のシワが深くなった。


 そして、一呼吸をおいて、


Unoウノ(ひとつ目)……」

 と、書き物机をさす。


 アートリア嬢が見たところ変わった様子はないように見える。

 右から順番に、ペン入れ、インク壺。正面に文鎮。


「スターリング。君は……」

「――右利きだ」

「おかしくないですか? 左利きの人の書き物机なのに、ペンが右側に置いてあります」

「ああ、たしかに……」

「この物書き机は右利き用に並んでますね」

「でも、ウォーカーは『ミス・アンダーソンは左利き』と証言したぞ」

「その辺は、彼女の証言だけですから……。

 Prossimoプロッシモ(次の)……」

 と、今度は部屋の中央におかれたテーブル。その上に置かれた灰皿を指さした。


 外国製の紙タバコの吸い殻が数本残っている。


「彼女はタバコを吸うようだな」

Signorinaスィニョリーナ(ミス)・アンダーソンが、Tabaccoタバッコ(タバコ)を吸ったかどうかは疑問です」

「どういう事だ?」


 アートリア嬢の質問に、ルーナ嬢は行動で示した。

 鼻を動かし、部屋のニオイをかいて見せた。釣られて同じ行動をしたが、アートリア嬢の鼻には大したニオイはかげなかった。


「部屋の中にタバッコの煙のニオイがしないです。それにFiammiferoフィアミッフェロ……マッチの燃えカスがありません」

「マッチを使わなくても、ライターで火をつけたのでは?」

「部屋にAccendisigaroアッチェンディシーガロ……ライターは、置いていないです。

 つまり、スィニョリーナ・アンダーソンが吸っていたものではない可能性があります」

「――という事は……」

「第三者のいる可能性があります」


 ※※※


「ミス・アンダーソンの司法解剖の結果が出た」


 ネルサン警部がアートリア嬢のいる退役軍人のクラブに現れたのは、あれから数日だってからの事だった。

 死亡原因はやはり左こめかみを撃たれていた事。死亡推定時刻は、夜の10時から12時の間。凶器はやはり彼女の握っていたピストルだが、指紋を拭き取り、握り直されている事が分かった。


 それよりも、目に入ったのは、彼女に関する身元や経歴などが書かれた項目だった。

 その中でも、アートリア嬢が気になったのは――


「――子供を産んだ事がある……」

「10代の頃に親の関係でインドにいたらしい。そこで私生児を産んだそうだ」

「そのときの子供は?」

「記録では、産まれてすぐに死亡したらしい」


 被害者が10代の頃だというと、10数年前の話になる。


「ところで、婚約者には会ったのかい?」


 アートリア嬢の問いに、ネルサン警部はため息をついた。


 そして、一呼吸置くと、


「君は会わない方がよかったと思うぞ」

「――なぜ?」

「きっと、君は殴っている」

「そんなにボクが、淑やかではないと思っているのか?」

「婚約者は議会議員のジョンソンだ。

 だが、婚約者が死んだ事を伝えた途端、新聞が嗅ぎつけていないかって騒いだ。

 婚約者の死んだ事より、スキャンダルの方が気にしているような男だ」

「それは……」

「殴るだろ?」

「――殴らないよ」


 アートリア嬢は笑っているが、警部は笑わなかった。


「で、その婚約者というのは……ハゲ頭の40代?」

「いや、あの子供が見たという男とは雰囲気が違う……だが、該当する男がいた。

 リチャードソンという男だ。乗っている車も目撃情報に一致する」

「ほう……その男とミス・アンダーソンの関係は?」

「両親のインド時代の知り合い。だが、このところ急に身辺に現れたようだ」

「――結婚が決まった彼女を脅していたか……私生児の事とか……」

「その可能性はある。婚約者が議会議員なんだ。しかもうわべを気にする男ときた。

 そんなところに結婚するとなると、若気の至りて子供を産んだ事を隠したくなるだろう」

「そんなものかね? 恋人なら、そんなところを気にするとは思えないが……」

「君はそういう事を経験した事がないからだろ?」


 そういわれて、アートリア嬢は気に障ったのかむくれている。


「ともかく、私は今から、リチャードソンと対峙してくる。

 君は……来ない方がいいだろう」

「なぜ?」

「殴るだろ?」

「――殴らないよ」

「暴力ですか? 名誉退役少尉さんは乱暴ですね」


 急に聞き慣れない声が聞こえてきた。

 ふたりが声のした方を振り向けば、茶色いくせっ毛の女性がいつものように不愉快そうな顔をして立っていた。


Buongiornoブゥオンジョールノ(こんにちは)!」

「ルーナ!? どうしてここに?」

Smettilaズメッティラ(やめて).気安くファーストネームで呼ばないでください。

 Ispettoreリスペットーレ(警部)・ネルサンが、こちらにいると、ロンドン警視庁スコットランドヤードで聞いたもので……」


 そういって、空いている席にルーナ嬢は座る。


「珍しいねぇ。仕事はどうした?」


 アートリア嬢の言葉を無視して、ルーナ嬢はネルサン警部に向かった。


「リスペットーレ・ネルサン。リチャードソンという人物が、この事件の重要人物だとは思いますが……もし、彼が犯人だと思われるのでしたら、それは違うと思います」

「まだ犯人とは決めていないが……どうしてそう思う?」

「脅しているのでしたら、彼女を殺さずにできるだけ……」

 といって、彼女は両手でタオルでも絞るような行動をとった。


「搾り取る?」

Grazieグラーツィエ(ありがとう)! スターリング。牛乳をとる……なるほど。

 Comunqueコムンクエ.……とにかく、脅しているのでしたら、彼女から絞れるだけ絞るでしょ? だとしたら、生きていてもらわないと、困るんじゃないですか?」

「――考えられる。だとすると、ますます犯人か分からなく……」

「リスペットーレ・ネルサン。今回の事件はそんなにComplessoコンプレッソ……複雑でしょうか? 単純な事件を複雑にしていませんか?」


 ルーナ嬢はハンドバッグから折りたたまれた紙を取り出すと、それを彼に渡した。


「スターリングと一緒に行ったときに見つけました」


 彼が開けてみると、それはタバコの吸い殻だった。

 あの事件現場の灰皿にあった外国製のタバコの吸い殻を包んであったのだ。

 経緯はアートリア嬢が説明した。


「ミス・アンダーソンが吸っていないと、ルーナは見ている。だけど、現場にあった。つまり第三者がいた可能性がある、と……」

「証拠品を勝手に持ち出したのか?」

「君達は気づかなかったんだろ?」


 アートリア嬢の言葉に、ネルサン警部は何もいわなかった。


 しかし、ルーナ嬢は左手でくせっ毛をイジりながら呟いた。


「後で考えたのですが、おふたり以外にもこの事件を複雑にしている人がいるみたいです」

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