第六節 三千年の待望

 片目にだけ、黄金の輝きを取り戻した巫女殿が、やるせない微笑とともに告げる。

 オレを殺せと。


「バカも休み休み言え!」

「クレバーなお願いに、きまっているじゃあ、あーりませんか」


 意味がわからないと怒鳴りつけようとしたところで、糸の拘束を振り切った大蛇が割って入る。

 吹き飛ばされ、強引に体勢を整えれば、ニヤニヤと大蛇を操る廻坐の姿が。


「わしを無視するなど、さみしいぞ?」

「死ね」


 功子弾頭をあるだけばらまきつつ、再び巫女殿を見据えれば。

 彼女は、凄絶な笑みを浮かべていた。


 それは彼女の母親によく似た──

 だからこそ、ひとの浮かべてはならない表情ではなかった。


 私が幾度も送り出してきた若人たちと同じもの。

 お国のためにと、いまにも泣き叫びたいのを呑み込んで浮かべる、死出の微笑み。


「……何をするつもりだ」


 私にできるのは、そんな無価値な問いかけを投げることだけ。

 巫女殿は言う。


「いま、オレとパパは繋がっている。キリクのおかげで、一時的にだが自由を取り戻せた。だからオレは、キリクがパパへと届く道を作る!」

「そんなことをする必要はない! 私がすぐに助けてみせる!」

「無理だ、キリク」


 力無く、彼女はかぶりを振り。

 震える口角を持ち上げて、私を直視る。


「沼の街で、新型N-verコードを浴びた時点で、オレは汚染されていたんだ。それは今更どうにもならない。けれど、役目を果たすことはできる。旅人を、パパのところに連れて行くという役目は!」

「巫女殿!」

「ありったけの功子をオレにぶち込め。加減無し、後先なしの最終出力。その一撃を、オレは必ず、パパまで届けて見せようじゃ、あーりませんか」


 それに、と。

 彼女は続ける。


「オレは任された」


 廻坐乱主が、天へと手を掲げるのが見て取れた。

 来る。再び埒外の銀河衝突の一撃が。

 次は耐えられない、私は負ける。そうなれば、世界は──


「ママに託された! 婿殿を頼むと……! だって、美味しかったんだ! みんなで食べたご飯は、心の底から、パパを裏切ってもいいと思えるぐらい!」

「……!」

「なあ、キリク、オレは感じる。流体演算子の中に、オレを形作る、希望のひとかけらを。だから」


 だからやれと、彼女は言う。

 躊躇うなと彼女は言う。


「せめて」


 せめてと。


「大好きなキリクの手で、幕切れにしてくれないか?」

「────っおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 激咆げきほうし、私は跳ぶ。

 一瞬でも迷い、敗北を恐れた自分を殴り飛ばすように。


 キャスをも消し去った功子放出。

 襲いかかる大蛇の頭を片っ端から殴り潰し、砕き、踏みにじって。

 巫女殿の、グインまでの道を切り開く。


 だが、遠い。

 彼女までの距離が、あまりに遠い。

 廻坐が、両手を天空へと掲げた。

 流星雨が降り注ぐまで、あと一刹那──


「まったく、なまぬるいのう……。じゃが、わしは確信しておる。わしだけは、おぬしの天稟てんぴんを見抜いておったからな。そうじゃ、わしだけが見て、聞いて、知っておった。おぬしを知悉しておった! 故におぬしは、わしのものじゃ!」


 たわけた理屈に付き合ういとまはない。

 けれど、実問題として距離はいかんともしがたく。

 ゆえに、巫女殿が吠える。


功子転換メイドメイデン神咒神楽ホーリーグレイル!」

「む?」


 巫女殿を中心に光が広がり、同時に大蛇が動きを止めた。

 その巨体が、ガチガチと凍り付き。

 いま、最初で最後の好機が到来する。


「わしに刃向かったつもりか、グイネヴィア・ノウァ・ガラハド?」

「いいや、パパ。オレはな」


 巫女殿が、叫んだ。


「神をも凌駕する自分の乙女心に──従っただけだアアアアアア! やれぇええええ、オレの叛逆者ああああああああああああああ!!」

「ならば一興! ここで朽ち果てるか、グイネヴィア・ノウァ・ガラハドを殺して次に繋げるか──選んで折れよ、夢視る希戮よ!」


 私は。

 私は──!


「──さらばだ、グイン! 大切な、盟友!」

「……はは。そういうところが、婿殿は莫ァ迦なんじゃ、あーりませんか」


 ありったけの功子を束ねた右腕が。

 巫女殿の胸へと、叩き込まれて──


「うむ。では──三千年の待望を、成就するかのう」


§§


「ウォオオオオオオオオオオおおおおお!!!!」


 吠える。

 吠える。

 吠える!


 心臓に直結する功子リアクターを火のように燃やし。

 私は最大最強のフォース功流を神へと叩き込む。


 歯を見せて笑ったグインの亡骸が光に融け、その決意が八岐大蛇を貫通する。

 グイン、大蛇の胴体、尻尾を伝って血路が開き!

 いま、すべての功子が、破壊の奔流となって神へと逆流する……!


 だが。


「……たりぬ」


 神が、不満そうに呻く。

 彼奴の前には、濃緑色の汚泥のような障壁が生じており、功子の槍はそれを突破できないでいる。


「たりぬ、たりぬ、たりぬ! まったくたりぬ! 有木希戮! こんなものではちっともちょっとも、わしを脅かすにはまったく足りぬぞ!」

「おおおおおおおおおお!」

「わしの分御霊を殺しておいてその程度か? おぬしの渇望はなにか! おぬしが成し遂げたいこととはなにか! わからぬままふるう暴力如きで、わしと同じになれるなどと侮るではないわ!」


 おまえと同じなどになってたまるか。

 殺す、ここでおまえは必殺する!

 このような悲劇を、二度と繰り返さないために!


「ならば叫べ! 暴威を以て相手を屈服させよ! おぬしの渇望は──」


 私の渇望は。


「神の喉笛を、食いちぎることだぁあああああああああ!!!」


 赤備えが青く燃えて輝き、粒子へと変貌する。

 /殺す!


 両目から溢れ出すなにかさえも、功子へ変換。

 /殺す!


 爪先、指先、手首まで功子に置換して。

 /殺す!


 それでも足りない、まだ足りない。

 ならば腕など持って行け。肉も、血も、骨も!


「む、むぅうううっ」


 廻坐乱主が呻く。

 八岐大蛇を逆流する功子は、流体演算子へと届き、そのすべてを青の炎で焼き尽くす。

 さらに炎は燃え広がり、破竹の勢いで廻坐へと迫り。


 しかし、あと一歩。

 濃緑色の障壁を破るに至らない。


 渇望を燃やせ、あらゆるものを炉心にくべろ。

 この邪悪を、ここで焼却するために!


 ──神経を功子に変換する。

 炎が勢いを増す。


 ──経絡を功子に変換する。

 波濤は廻坐へと迫る。


 ──肉体の大部分も功子へと置換する。

 廻坐は。


「むぐううううう!」


 廻坐のこめかみに、一筋の汗が流れた。

 障壁に亀裂が生じ、受け止めきれなくなった功子の炎が、ついにその身体を焼いたのだ。


 燃えさかれ。

 もはや声帯も存在せず、それでも私は叫ぶ。


 もっと強く、もっと苛烈に燃えよ、神殺しの炎よ!

 足りないならくれてやる、及ばないなら掻き集めろ!

 あとなにが、私には残っている? なになら使える!?


 ああ、そうだ。

 まだあった。

 たった一つキリの、炎の塊が!


「命を、燃やせェエエええええええええええええええ!!!!」


 肉体は限界を迎え、魂はひとえに殺意を抱く。

 私はありったけを。

 感情を、記憶を、思い出を。


 この心の具現たる鎧すら功子の燃料へと変え、焼却する。


「ぐ、ぐぬおぉおおおおおおおお!? 見事、見事じゃ有木希戮! 汝は、至ったぞ……! 美事みごとぉおおおおおお!!」


 刹那、すべてが負位置の功子へと反転。

 轟音とともに、闇黒の功子の槍は、攻勢障壁を突破!

 ついに廻坐乱主を刺し貫き。

 消滅させ。

 そして、そして燃えカスわたしだったものは──


「美事じゃ! 魂の位階、確かに神に届いたと認む。神の定義たるわしが認める! ようやく、ああ漸く──」


 廻坐乱主が。


 無慈悲に、嗤った。


? これでやっと、おぬしを弩級構造体に取り込めるぞ!」


 怖気が走るような宣言とともに、そして私の意識は吸収された。

 神の繭──ドレッドノート・ストラクチャーに。


「命への執着! それこそがおぬしの最も気高く、魂の柱となる根幹であった! 何故おぬしの功子転換が、功子の祕奧が鎧の形成だったと思う? それはおぬしが、なによりも生きることに固執したからじゃ! そして、強固な鎧を手放したいま、おぬしの心は無防備同然! 心も肉も、わしの自由自在! 故に次に逢うときは、おぬしは紛れもなく!」


 わしの、伴侶となるのだと。

 最後に残った神が、嘲笑する。


「弩級構造体を真造躯体コクーンとして羽化イマーゴするとき、おぬしは神の伴侶として完成する」


 神となって、ふたりで何をしようかと廻坐乱主は優しく語りかける。


「飽食の限りを尽くすのもよい。耽美の限りを尽くすのもよい。戯れに世界を滅ぼし、禁忌に邁進する家族を眺めるのもよい。兎角、楽しみだ! わし以外が生み出す世界! 新世界の誕生! そうじゃ、さあ、神のみに許された権能を奮おう。ともに──国産みをしようではないか!」


 それは、絶望の宣言だった。

 終幕の始まりだった。


 奇跡は。

 奇跡は起こらなかった。

 なぜなら奇跡は。


「奇跡とは、神の所有物であるが故に! ははは、はははははは、はーはははははははははははははは!」


 光が潰え、哄笑が轟く。

 すべては闇に閉ざされて。

 そして、物語は、絶望の中に幕を閉じて──





「──バカ言うんじゃないわよ。これで終わるはずがないでしょ? だって物語は──ハッピーエンドじゃなきゃ!」


 いま、輝く。

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