第三節 君がいるから

「は、ははは。はーっはっはっはっは! これは神罰である! 主の戒め、神の鞭、小官を通じて出る怒りの日の具現と心得よ!」


 高らかに、キャスパ・ラミデスは哄笑する。

 全身はズタボロ、手足に纏う炎鎧装具ですらいまにも消えそうな火勢ではあったが。

 なによりも眼前の光景が、珪素騎士の精神を充足させた。


 灼熱地獄。


 もとより溶鉱炉だった場所は、いまや太陽表面と言い換えてもよいほどに灼熱し沸騰、融解を進めている。

 この状況下で生存できる生物など、いかに弩級構造体といえども存在しない。


 例外は、炎の糸の繭で守られた巫女だけ。


「巫女殿にはいまだ遂げてはいない役目があられる。ならば小官もまた、全霊を尽くすのみ。小官の最大火力は絶賛更新中だが、なれども油断はしない。いる。いるはずだ。


 そうだろうと、最強の炎は疑うことすらなく──即ち狂信だった──融け落ちた空間に目を這わせる。

 血眼にして、目をさらにして。

 探して、探して。


「ああ、神よ! 小官は見敵の僥倖を感謝します!」


 そして、見つけ出す。

 炎の渦中から歩み出る──私を。

 私の腕に抱かれた、魔女の姿を。


「裏切り者の厄災の魔女め! 今度はどんな入れ知恵を──なにを売り飛ばして生き残ったか! ああしかし、随分と懐具合に余裕がないと見受けられる。何たる痛快な光景か、小官も愉悦を禁じ得ない。ご融資はいかが? いまなら火あぶりもおつけできますが?」

「うっさいわね……もう対価なんて残ってないわよ。あたしは、守られただけ」


 弱々しく紡がれる、彼女の言葉は正しかった。

 薔薇黒焔が直撃する寸前、私はフェンリルの安全装置をもう一段階解除し、残存功子をすべて防御皮膜に費やした──ただそれだけのことなのだ。

 さきほど、キャスがやって見せたことの猿まねである。


 だが、付け焼き刃の代償は大きく。

 ゆえに、まもなく私の功子は尽きる。

 この躯体は炎熱に燃え尽きるか。

 あるいは、カミツキ・システムが示すままに暴走するしかない。


 一方でキャスの功子は、この瞬間にも回復を見せている。

 それでなお、私は彼奴に勝利する必要があった。

 なぜなら──


『……さっき説明した通りよ。キャスがなぜ、最強の珪素騎士と呼ばれるのか。なぜ無尽蔵の功子容量を誇るのか。それはキリク、。円卓の残り香で唯一、キリクのエクステンドパーツと適合したのが、キャスパ・ラミデスなの』


 たねが割れれば簡単なこと。

 多元功子捻出機関フォース・アブソーバー聖天牡牛グガランナ〟。


 世界をひとつのフラスコと仮定して、功子をその中の水とする。

 意志という熱によって水は蒸発し、雲となり、やがて冷えて水滴に戻る。

 この一連のすべてを、閉じた環の中で擬似的に再現することで、ほぼ無尽蔵の功子を取り出す真性第二種永久機関。

 それこそが、グガランナ。


 このグガランナによって供給される功子を、防御と攻撃にそれぞれを割り振ることで、彼奴は最強の名をほしいままにしてきたのだ。


 防御にすべて費やせば、貫通できる鉾はなく。

 攻撃にすべて費やせば、防げる盾も存在しない。


 ならば、対抗策は一つしかない。


『そう──取り戻すのよ、あなたのちからを。聖天牡牛を奪い取るしかない。廻坐乱主の下に辿り着くためにも、キャスを倒すのは絶対に必要なことなの』


 暴走状態の私が、彼奴を捕食すること。

 それがたったひとつのさえないやり方だ。


『けれどもちろん、次に暴走したとき、あなたが止まれる保証はない。それこそカミツキ・システムに呑み込まれるまま、この世界すべてを喰らい尽くすかも知れない。それでも、やる?』


 彼女は不安げな顔でそう言ったが、結論など繰り返すように一つキリなのだった。


「大丈夫だ」

『なにがよ』

「貴様がいる」

『……!』


 焔に炙られ、息も絶え絶えのヴィーチェが、さらに息を呑む。

 私の横顔が、よほどおかしかったのだろう。

 彼女は言葉を失って、


『でも……あたしは魔女なのよ? あいつが言うように……本当にあなたを裏切ってしまうかも知れない』

「であるとして、それがなんの不安材料になる? 君を疑う理由になる?」


 そうだ、それは変わらない結論なのだ。

 これまでずっと、私を支えてくれた彼女がいる。

 ヴィーチェがあとに控えてくれると知っているから、どんな無茶だって私はやってこられた。


 出逢いはそれこそ最悪だったし、いまでも恨みを忘れたわけではない。

 彼女は自らを魔女だと嘯き、誰もが裏切り者だと彼女を罵った。

 だとしても、私は──


「私は、君を信じる。ヴィーチェ、君がいてくれる限り──私は何だってできる! この信頼は疑義に勝り、ゆえにこそ君と交わした約束を守ることに、いささかの躊躇も不足もない!」


 だから!


『……ええ!』


 彼女の細い腕が、そっと私の首へと添えられた。

 姫君の抱擁のように繊細で、死神のように優しい両手が。


 私の首を、ゆっくりと締め上げる。


『あたしも、信じるわ。あなたを』

「その信用に応えよう。いまこそ君に、報いよう」

『キリク……』

「やれ、やってしまえ、ヴィーチェ・ル・フェイ……! 貴様のその手で、犯した過ちの決着をつけるのだッ! 私を──使い潰せ!」

『──ッ! 絶対に戻ってきなさいよ、この大馬鹿者!』


 そして。

 甘美なる痛みが。

 私の喉を、押しつぶした。


 ゴギリ──と。


『功子の零地点突破を確認──叛作用暴食器官起動──限定領域完全解除──神憑式カミツキ・システム・最活性──貪食を、開始します』


 マフラーが、大顎となって私を呑み込み。

 繭を裂いて闇黒の悪鬼が産声を上げる。 


 黄金の瞳が。

 いま──真紅に、塗りつぶされた。

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