第二節 玄米の握り飯 ~今日が明日を作るなら~
憲兵隊は風紀を取り締まる。
しかし、その内部でも風聞──噂話は嗜まれていて、なかにはこんなものもあった。
曰く、一八〇を超える大男がいる。
曰く、生まれつき気功術を操れた達人で、三枚重ねた鉄板を素手でぶち抜くらしい。
曰く、近代兵器もあやかしも、真っ向から殴り飛ばす剛の者。
らしい、らしいと不確かな、そんな噂が戦時中、憲兵隊の内部では囁かれていた。
その噂のモデルが私であることも把握していた。
おそらく、だからこそこの特務に、私は選ばれたのだろう。
神州には
たとえ、現人神を名乗る何者かがそのうちの一柱であったとしても、自分ならば必ず事を成し遂げるだろうと、そう期待されたに違いない。
事実、私は心身ともに精強な軍人だ。
すくなくとも、なにもかもが空襲で燃え尽き、荒れ野と化した帝都を駆け抜けても、平常心を保てるぐらいには。
鼻の奥をくすぶる消し炭の臭いも、死臭も、哀しいことに、すっかり慣れてしまったぐらいには。
賊──
そこに向かう道中、私はいくつもの行き倒れを見た。
駆け寄って確かめても、ほとんどが死人だったが──
ひとりだけあどけない幼女が、かろうじて息をしていた。
乾いた瞳で私を見上げる幼女。
その瞳にハエが止まって、両手をこすりあげている。
着物から覗く腕は枯れ木よりもか細く、彼女の飢餓がいかに度し難いものかを教えてくれた。
躊躇いなく私は握り飯を取り出し、彼女へと手渡した。
幼女は驚いたようだったが、残る命を全焼させたがごとく手を伸ばし、私から握り飯を引ったくった。
ブーンと、ハエが飛び去っていく。
そうして幼女は、決死の形相で握り飯をむさぼり食らう。
「
食べるのに夢中な彼女には、聞こえていないだろうとは思いながら。
私はにっかり笑うのをやめられなかった。
ほんのわずかで不確かなものだが、私の
幼女が食べ終え、くったりと横になるのを見届けて、私はまた走り出す。
逆賊を誅すべしと心魂に刻み、走り、走って。
そうして、たどり着く。
それは、奇妙な豪邸であった。周囲が軒並み焼け落ちているというのに、その邸宅だけは無傷なのだった。
屋内に一歩踏み込むと、ひどい臭いが鼻をついた。
大陸で嫌というほど嗅いだ臭いだった。
死と毒の臭いだった。
奥へ進む間にも、屋敷の中にはたくさんの人間が倒れ伏しているのが見て取れる。
おそらくは、信者たち。
国家神道に、教祖などというものはない。にもかかわらず、私には彼らが、宗教家の狂信者にしか見えなかったのだ。
彼らもまた痩せ細っており、ろくに食事をしていないことが一目で解った。
よほど餓えているのか、なかには骨を割り砕き、中の髄液をしゃぶっているものさえいる。
……なんの骨であるか、それ以上考えなかった。
やがて、明らかに雰囲気の違う扉が、見えてきた。
「……神を名乗る不届き者には、あまりに心許ないが」
最後の装備、閣下より貸し与えられた一四年式拳銃をそっと抜き放ち、手動安全装置を外す。
そうして一呼吸。
気功術を持って丹田からちからをくみ取り、
噂は事実だ。
私には、並大抵の人間なら組み伏せられる力がある。だから、たとえ相手が詐欺師でも!
粉みじんになった扉をかいくぐり。
逆賊討つべしと、室内へ
「──は?」
次の瞬間、その場に崩れ落ちたていた。
左胸には穴が開いており、そこからドクドク、ドクドクと、何やら赤く熱いものがこぼれだしており。
「────」
もう、一言も発するいとまもなく。
私の意識は、暗転した。
そして──
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