最終章 誰かを愛することができるなら

第39話 邂逅

 どこか遠くで、いや、近くで? 悲鳴が聞こえた。


 「う……うぅ……」


 両手を地面に付いて顔を上げれば、そこは深い森の中だった。極彩色の木々は不気味に揺れ、鮮やかな景色と眩暈にここで何が起きているのか虚ろな感覚だが、ここが魔族の森だということは辛うじて分かった。

 ぼんやりと強烈な世界を眺めていると徐々に記憶を取り戻してきた。


 「そうだ……俺はあいつと戦って……あの後、どうなったんだ……」


 傷は癒えているし、若干の疲労はあるものの動けないことはない。あの戦いの後、村からこんな森まで吹き飛ばされたのか。いいや、それにしてはおかしい。森に飛ばされただけでは、あの男が俺を逃がす訳がない。

 体を起こしもみるが五体満足だし、特殊な毒を受けている様子もない。


 「一体、どういうことなんだ……ん?」


 悲鳴だ、そう気づくと同時に装着したままの仮面を確認し全身に魔力を流して走り出す。

 声を探すよりも魔力を探索するほうが早い。

 空気の中に漂う魔力の中、一際魔力が激しく動いている場所を発見する。目標を定め、邪魔な枝や幹を力任せに吹き飛ばして森を疾走する。

 嫌な予感に冷や汗を流しながら、ようやく目的地に到着した。そこには、思いもよらぬ人物が居た。


 「俺は……悪夢でも見ているのか……」


 そこでは、逃げ出していたはずの魔族の村人達が兵士達に取り囲まれて襲われていた。

 子供を庇って弓矢を受ける母親、村の者を守る為に血だらけになりながら戦う男達、混乱の中で親の姿が見えなくなり泣き叫ぶ子供。

 思考がまとまらない内に、勢いよく飛び出していた。


 「タスク! お主、無事だったのか!」


 兵士達と戦っていた者の中にはタニアも居たようで、混戦の中に飛び込んだ俺に声を掛けてきた。


 「俺にもよく分からないのですが……。そんなことよりも、今は敵を倒す方が先です!」


 センセイとの戦いに比べれば子供を相手にするような兵士達にを次々と無力化していく。

 まずは弓矢を構えた兵士に頭上から炎の球を降らし、戦えない者達に水の魔法で結界を張り、後は魔力で強化された身体能力で圧倒する。

 傷つき本気を出せないタニアだったが、それでも強い魔法を使える強力な戦力の手助けもあり、劣勢だった兵士達から逃げるどころか完全に無力化することまで成功した。


 「助かったぞ、タスクよ……」


 村人達に指示を出した後、疲れた様子で俺に声をかけるタニアは酷く疲労しており、このまま一人で生き残った村人を守るつもりでいたのだろう。


 「あいつら、まさか村人達の逃げ道に気付いて……」


 「というよりは偶然気付いたような……急な命令を受けた形で襲撃しているような感じだった。待ち構えているような様子もなかったからね」


 「とにかく、合流できた以上はこのまま協力します」


 気が抜けたのか、若返って二十代ぐらいに見えるタニアは年相応な笑顔を浮かべた。


 「助かるよ、このまま近隣の村に向かうつもりだったからね」


 頷けば、直後、全身が粟立つような感覚に襲われる。先程のセンセイとやらとはまた違う、この感覚は前にどこかで感じたことがある――。


 「――ぎゃぁ!」


 護衛をしていた男の一人が全身を焼かれながら宙に飛んだ。連鎖的に村人達の悲鳴が巻き起こる。ただ事ではない様子にぎょっとして、タニアと共に声のした方向に向かう。

 魔力の羽を生やしたタニアと共に全速力で騒ぎの方向へと向かった。


 「なっ……!?」


 騒ぎの中心に仮面を付けた少女が居た。その仮面は、あのセンセイと名乗った男が装着した物と同じだった。

 驚いたのはそれだけが理由ではない。何よりも、仮面で顔を隠した少女の背格好に見覚えがあった。その姿を間違えるはずがない、前の世界でもこの世界でも忘れることのなかった少女の姿。


 「――ヒメカなのか」


 頷くことも首を横に振ることもなく、答えるように左手で仮面を外した少女は紛れもなく――ヒメカだった。

 ヒメカは足元まですっぽり入るような長いローブに身を包んでおり、ローブの下からはこちらの世界に来てから作ったのかセーラー服の白を黒く染めたようなゴシックアンドロリータ風のファッションに身を包んでいた。


 やはり俺が居ることは知っていたのか、ヒメカは先程のセンセイと同じような無機質な眼差しでこちらを見つめていた。

 ヒメカの危険性を知っていた俺がまず考えたことは、ここに居る者達の誰一人として犠牲にしてはいけないと思った。


 「――みんな! 早くここから逃げろっ! タニアさんも、他の村の人達を連れて全力で逃げてくださいっ!!!」


 タニアは俺の力量を知っている。自分以上に魔法を扱える人間が血相を変えて逃げろと叫んでいるのだ、すぐさま行動に移ったタニアは仲間達に声を掛けてその場から逃げ出そうとする。


 「逃がさないよ」


 ヒメカは一切手を動かすこともなく、地面から黒い炎を走らせて殿をつとめようとした数名の男の足を焼いた。


 「やめろ! くっそ!」


 すかさず右手に炎の魔法陣を走らせ、男達を捕えて全身を焼き尽くそうとする炎を焼き切る。しかし、負傷した男達は自力で立ち上がることもできずに、痛みに脂汗を掻いて顔を歪めている。

 助けに入ろうとするタニアに、鋭い声で叫んだ。


 「脇目も振らず逃げてください! 助けられるなら、彼らは助けます! これ以上、犠牲を出す前に早くっ!」


 さすが村長という立場を任されているだけあって、今最善の選択をすぐに選び取ることができたようだ。

 タニアも応答することもなく、犠牲になった男達を呼ぶ家族を魔法を使ってでも強引に逃げ出させる。殿を担った俺は、沈黙するヒメカから目を離すこともできずに対峙し続けることしかできなかった。

 本来なら今すぐにでも村の男達の治療を行いたいところだが、ヒメカの前で下手に隙を作ってしまえば命取りになりかねない。


 その場には、苦痛に顔を歪める男達と俺とヒメカが残された。


 「まさか、お前が生きていたなんてな……」


 「それはこっちの台詞だよ、お兄ちゃん。まあ実際のところ、運が良かったから私は助かったんだけどね」


 「運?」


 似合わない発言に聞き返す俺にヒメカはローブの下から右腕を伸ばした。ヒメカほど強い魔力を持っているなら、俺以上の再生能力を持っていたっておかしくはない。今更、それがなんだというのだ。

 訝しく見ていた俺はその腕の正体に気付き、心臓を鷲掴みにされたような気分になる。


 「その腕て……」


 「そうだよ、これは――お兄ちゃんの右腕」


 咄嗟にヒメカの左腕の方に目をやれば、明らかに右腕と左腕で長さが違っていた。どう見ても十センチ以上は差異があるように思える。

 驚愕する俺に動じることなく、ヒメカはつらつらと説明を始めた。


 「あの後、瀕死の状態を受けた私は自分がもう長くは生きられないことに気付いた。お兄ちゃんから受けた傷では、どれだけ魔力を掻き集めようとしても再生が追いつかなかった。でも簡単に生きることを諦めることができなくて、強く願ったわ。もっと生きたい……と、ありったけの魔力を込めてがむしゃらに生き永らえようとした。そして、生きたいと強く願った私の魔力は、肉体を再生するよりも最短かつ最善に回復させる手段として……私を追いかけて消滅したお兄ちゃんの右腕を引き寄せた」


 思わず自分の右腕に触れる。この右腕は、この世界に来る時に形作られたものだ。まさか、本来の右腕はずっと元の世界と異世界の狭間をさまよっていたというのか。


 「深い海の底に沈んでいた私の目の前に、お兄ちゃんの右腕が現れた時は、さすがに私も動揺したわ。でも、私の右腕を喰らったお兄ちゃんを思い出して……私もお兄ちゃんの右腕を喰らったの。血肉を、そのまま、むしゃむしゃと」


 体とバランスの取れない右腕を一振りしたヒメカは、怪しく微笑んだ。


 「結果的にお兄ちゃんを喰らったことで、私の力はさらに強力なものになった。ただの炎じゃない、全てを喰らい全てを燃やし、世界を作り替える……黒の炎」


 断言したヒメカの右手が噴き上がるマグマのように発火した。しかし、それは俺の知っている炎とは違い、先程村人達を襲った漆黒の炎だった。黒々とした炎は、とても人間が生み出したとは思えないほど、見たことのない黒をさらに黒に染め上げたような色をしていた。

 おもむろにヒメカは右腕を振る。

 狙いは俺じゃない、はっとして右手を横たわる男達にかざして、水の魔法で結界を形成しようとする。


 「言ったでしょ、この炎は全てを喰らい燃やすって!」


 意思を持つかのように黒い炎は大きく揺らめくと、俺の張った水の結界ごと男達を噛み砕いた。


 「しまっ……! お前の相手は俺だろ! ――プロミネンスッ!」


 左の手に魔法陣を発生させて、ほぼ反射的に幾度となくヒメカに放った炎の魔法を放つ。しかし、ヒメカは避ける動作もすることなく最低限の防御魔法で受け止めた。それは、死なない程度にあえて攻撃を受けたように伺える。

 プロミネンスの破壊力を一番知っているはずのヒメカは魔法を受けたことで、炎で体を撫でられたように酷い火傷を負っていた。


 「……こんな炎なんてぬるいよ、お兄ちゃん」


 「やめろっ――!!!」


 言い放ったヒメカの黒い炎が一瞬にして男達を焼き尽くした。俺には、なす術もなくただそれを黙ってみていることしかできなかった。

 呆然としていた俺の視界に飛び込んできたのは、酷い火傷を負っていたはずのヒメカがみるみる内にその傷を癒していく、いや、癒していくどころか完治すると呼んでもいいほどに元通りの若々しい肌を取り戻していった。

 理由は明白だった。――ヒメカは村人達を喰らって傷を完治させたのだ。

 

 「私の生きたいという願いが命を喰らうことで肉体を再生させる力を与えた。それに、それだけじゃないよ? ほら、驚いてみてよ」


 うまく言葉には出せないが、何が黒い物が自分に向かって来るのを感じて、考える前に横転した。すると、自分の今立っていた大地が抉れて地面にぽっかりと穴を開けた。


 「ヒメカ……これはお前の攻撃か……」


 「うん、そうだよお兄ちゃん。でも、まさか避けられるとは思わなかったな……お兄ちゃんの片腕ぐらい貰うつもりでいたんだけど……。どうやら、私と同質の魔力を持っているお兄ちゃんには、私の”消滅”の魔法が感覚で感じ取れるみたいだね。……それとも、血の繋がりがあるからなのかも」


 少し調子が戻ってきたように、抑揚のない声で喋っていたヒメカが少し高めの声で言った。

 そうこうしない内に、ヒメカが狙いを定めるようにしてこちらを見た。直後、何が迫って来るような感覚に俺は大きく後退した。


 「――おしい」


 やはり、自分が今立っていた場所が見えない巨大なスコップで掘り返されるようにして抉れた。

 それだけではない、今度は気配なんてものではなく視認できる黒い炎が着地した場所に迫って来る。狙いをすましたような視覚の外からの攻撃に魔力の水の盾を作り防ごうとするが――。


 「さっきの見てなかったの、お兄ちゃん。な~んでも食べちゃうんだよ」


 目の前で水の盾をまるでスナック菓子でもかじるような気軽さで砕いた。


 「食べて……吸収しようとしているのか……!?」


 盾を作るための水の魔力の方向性を変えて、それをポンプのように放出する使い方に変化させる。盾を形成していた左手の魔法陣から勢いよく発射された水の勢いに押されて、何とか回避に成功する。宙に浮かんだ自分の肉体に魔力を流して、全身の身体能力を高めることで着地できた。


 ヒメカと俺の距離は彼女が小さく見えるほど離れたものの、これだけの魔法を使えるヒメカなら射程範囲内だし、ここで強化した肉体を全力で使って離れてもヒメカの標的が逃げた村人達に向かう可能性がある。

 ジルドルを喰らった俺だからこそ分かるが、ルキフィアロードを持つ者にとっては魔族というのは上質な餌になるのだ。

 逃げる訳にも真っ向勝負する訳にもいかない。そう考えた時、少し吹き出してしまう。

 初めてヒメカと戦った時は我を忘れて戦いを挑んだが、今は自分でもびっくりするぐらいに客観的にヒメカと向き合うことができている。

 これもこの仮面のお陰なのだろうかと、自分の顔を覆っている仮面を撫でた。


 「お兄ちゃん! やるねえ! 前よりもずっと魔力のコントロールが上手くなってるじゃん! まあでも、圧倒的な力の差があることを忘れないでよ! かくれんぼ大好きな弱虫お兄ちゃん!」


 物思いに耽る時間はないぞとばかりにヒメカは余裕のある歩みで大声を出した。悠然と歩行する姿は、対峙したセンセイとやらを思い出させた。

 周囲を見渡せば、森の中とはいえ魔族達が何度か行き来した形跡のある道だった。念じれば、木々のそこら中に村の魔族達の魔力の残滓が感じられた。


 よくよく記憶を思い出すことに専念する。

 偶然、先程の兵士達とは遭遇したとタニアは言っていた。そして、この幾度となく通っていただろうと思われる道、俺はこの場所に覚えがある。


 「そうか、ここは……この道は……!」


 兵士達やヒメカの本来の目的は村人達じゃない――。

 一か八か、活路は開けたかもしれない。しかし、この作戦を行動に移せば――俺は――。

 いいや、と首を横に振る。村人を助け、ヒメカを止める道はこれしかないのだ。悔しいが、破壊の力をあそこまで身に着けたヒメカと戦うには、分が悪すぎる。


 「ただ負けて後悔するよりも、勝負に勝つことを考えろ」


 脂汗を拭い、俺は背中を向ける。


 「――来い、ヒメカ! お前との決着をつけてやる!」

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