第26話 汚れた手を救う手に――
陽が沈み、夜も深まった頃に俺達は行動を始めた。
兵士達に気付かれない程度の距離の林の中に身を潜め、まずは情報収集としてザックスに透明化の魔法で潜入してもらう。
ただし、時間は限られている。
一見すると万能のように思われるザックスの魔法だが、実のところ長時間は使用できない。魔法を使用する際は魔力に指示を与えて放出することで行使する。
人間以外の他種族は足りない魔力は精霊の加護を受けることで補うことができるのだが、人間は精霊の加護を受けることができない。
それ故、足りなくなった魔力は生命力で補うしかできなくなるのだ。ザックスが自分の魔力量以上に透明になる為には、命を削る必要が出て来る。だからこそ、俺達に追いかけられていた時のザックスは透明化する際に小刻みに発動させていたのだ。
透明状態を維持できれば楽に潜入できるのだろうが、魔力量の問題として現れては消してを繰り返すことになり、単体で潜入するザックスは危険と隣り合わせになってくる。
当然、危険すぎるこの作戦に最初は反対した。
しかし、この作戦を提案したのは――ザックス当の本人だった。
――任せてくだせえ、逃げて、隠れることは昔から得意なんですよ。それに、これぐらい危険な目に合わねえと、今までの悪さには釣り合わねえんですわ。
痩せた胸板を叩いて言っていたザックスが敵の陣地に向かってから、体感としてはおよそ三十分は経過しているだろうか。
密着して身を潜めていたリアヌが欠伸をした。
「眠いか? 寝ていてもいいんだぞ」
「寝たら、置いていくでしょ……」
目元を擦り、瞼を落とすリアヌ。
彼女だって眠たくて目を閉じている訳ではない、魔眼を万全の状態で使用する為にリアヌなりに温存しているのだ。夜にずっと目を閉じているなら、欠伸の一つや二つしてもおかしいことではないだろう。
その時、草木を掻き分ける音が響いた。
すぐにリアヌを抱きかけると音のした方向を睨んだ。
「――はぁはぁ、すいやせん遅くなりやした……旦那……」
枝を折りながら葉っぱまみれになりつつ勢いよく倒れこんできたのはザックスだった。
警戒していた俺達はほっと胸を撫で下ろす。
「いや、無事に戻ってきて本当に良かった。休んでからでいいから、教えてくれ」
ぜぇはぁ、と荒い呼吸のまま休むことなくザックスは喋る。
「いえ……休んでいる暇はねえです……。確かに……あの陣地の中には……子供達が居ました……」
「やっぱりか! どんな様子だったんだ?」
「子供達が動けないように変な椅子に座らせられて……そして……おかしな物を……子供達に……子供が泣いているのに……誰も……止めようと……うぅ……」
よほど恐ろしいものを見てきたのか、ザックスは言葉の最後に泣き出してしまっていた。
普段は生意気なリアヌも。どう声を掛けて良いのか分からない様子だった。
一つはっきりしたのは、子供達が危険な目に合っているということ。
泣き崩れるザックスには申し訳ないが、敵の数や子供達の居場所を聞かなければいけなかった。
「確かに休んでいる暇はなさそうだな……。悪いがさっきの言葉は撤回する。敵の数や子供達の居場所を教えてくれ、答えられる限り全てだ」
「へい……! お教えします……!」
疲労しながらも詳細な配置を教えてくれたザックスを先程の林の中に休ませて、俺とリアヌはこそこそと兵士の陣地まで近づいていた。
今日は闇夜な上に互いに黒いローブを頭まで被っているので、敵が魔法の心得でもない限りは簡単には視認できないはずだ。
「魔眼、いけそうか?」
こくりとリアヌは頷く。
「私の魔眼で敵の位置を把握して、先生に伝えればいいのよね?」
リアヌの魔眼は感じて認識し伝える力だ。相手の心を読み取りテレパシーみたいなこともできるらしい。しかし、今はまだ未熟なリアヌには使いこなせる技量は持っていない。テレパシーを送ろうと思えば、大気中や人体から発せられる無数の魔力の流れに混乱して目的の相手に伝えることは困難なのだそうだ。
そんなリアヌを連絡役にするというのは本来なら無謀な作戦だが、俺には目印代わりの持て余した魔力がある。
手段として俺の体内の強力な魔力をアンテナ代わりにして、リアヌに敵の動きを逐一報告するように頼んでいる。少なくとも、リアヌやザックスをこれ以上危険な目に合わさなくて済むなら、作戦に集中できそうだ。
「よし、じゃあ行ってくる」
腰を浮かした俺の服の袖をリアヌが引いた。
「ちょっと待ちなさい、私にできることは敵の動きを教えるだけ……一人で突っ込むことになるけど、本当にいいの?」
不安そうなリアヌの眼差しに、子供の頃もこうやって袖を引いてくれた少女が居たことを思い出した。
あの時、少女にそうしたように汚れた手でリアヌの頭を撫でた。
「俺が強いのはリアヌが一番知ってるだろ。帰ってきて、必ず約束を果たす。……じゃ、指示よろしくな」
気苦労で心が押し潰されそうなリアヌをその場に残して、身を低くして兵士の陣地に静かに走り出した。
人の生き死に関してはリアヌが一番敏感になっているのだろう。命懸けで彼女を救った両親のことを考えれば、こんな危険な事に巻き込んでしまったことに非常に申し訳なく思う。
生きなければいけない、これ以上リアヌを不安にさせないように。
※
(――先生、見張りは二人。だけど、周囲に人影はいないわ)
(分かった)
リアヌの指示に警戒するが、力を発揮できると分かった以上は容赦はしない。
陣地に近づきながら、こちらに来る前にザックスから受け取った仮面を顔に装着する。
仮面はびっくりするぐらいシンプルなデザインをしていた。糸目状の目元に最低限の細い細い真っすぐとした口元、子供でももう少し考えて作りそうな簡単な作りの仮面。
だがしかし、この恐ろしく平坦な仮面は戦う己に抑制を促しているようにも思えた。ザックスは他にもっと良い物を買ってくれば良かったと嘆いていたが、戦いの場に赴く面としては自分には最適なようにも感じられた。
結局のところ感情一つで俺の力は善にも悪にも変わる。なので、この仮面は被る時にもう一人の自分が出て来るのだと思い込むことでブレーキ代わりにできるかもしれないと考えたのだ。
距離はまだあり、兵士達にはまだまだ気付かれることはないだろうが、この時点で俺にとっては既に射程範囲内となっていた。
右手の指先を地面に当てて、大地に染み込んだ水の流れをはっきりと認識する。
「水の精霊よ、我が願いを聞き給え。――第一に声を奪い、二に意識を刈り取り、三に動きを封印せよ」
手の平の先から魔法陣が出現すると、五本の指先から水面から背びれを出す鮫のように地面から十センチ程度伸びた水が兵士達の陣地へと向かって行く。
背びれの内の二本が兵士まで近づけば、バケツの水をひっくり返したような水が二人の兵士の顔にかかった。しかし、それは水ではなくスライム状の粘液性の高い液体に水が魔力によって変化していた。べっとりとスライム状態の液体が顔にまとわりつき、呼吸はもちろん互いに声を出せずに狼狽える兵士は助けを求めて陣地に向かおうとした。
だが、獲物を狙う鮫の背びれならぬ地面を突き進む水の背びれは、入り口から背中を向けた二人の兵士の足元まで近づくと、コンマの時間で大きく伸びていき、形はさらに大きく反りかえり鞭のように二人の兵士を頭部を強打すると顔を覆っていたスライム状の液体は霧散した。
(凄い……)
(まだ仕上げが残ってる)
まだ水の背びれは一つ残されている。
リアヌの声に応じるように同時に残された最後の一本が地面から飛び出し、意識を失い倒れこもうとする兵士の体をぐるんと一瞬すると、形を持たなかった魔力の水は二人を拘束するロープに変化した。
これまでに三秒も経過していない。
(あの背びれ、釣りをしている時に閃いたんだ。うまいもんだろ?)
おどけて言うが、驚嘆しながらリアヌが聞いた。
(人間でここまで魔法を使いこなせる人は多くないわ……。一体、孤児院来るまではどこで何をしていたの……?)
(さあな、記憶喪失なんで忘れちまったよ)
※
陣地の中には驚くぐらい簡単に潜入できた。
敵の数もまばらで多くの兵士は眠りこけているようだ。身を隠しながら、拘束した兵士に気付きそうな者達の活動を順番に昏倒させてさらに奥に進む。
監視をしていた兵士達をほぼ全て水の魔法で拘束したのをリアヌに確認すれば、ザックスの情報通りに目的のテントの一つに到着する。
(今、目的の場所まで来た。中はどんな感じだ?)
(うーん……それが、魔力がごちゃごちゃしていて……よく分からない……)
(……そうか。まあ、ここまで何事もなく来れただけでも良かった。中は……自分で確認してみることにするよ。リアヌは、そこで休んでいてくれ)
(うん、気を付けて)
顔の見えないリアヌに無言で頷けば、テントから零れるカーテンの隙間から中を覗き込む。
「――!」
危うく声が出そうになり、咄嗟に自分の口元に手を置いた。
テントの中には、三名の男達。二人は兵士、一人は裾に複雑な刺繍の入ったローブで頭を覆い仮面を被っていた。その仮面は見かけは能面の目を吊り上がらせて、口もを三日月型の凶悪な笑顔にした悪意を込めて作ったような不気味なデザインをしていた。
何より声を上げそうになった原因は、捕らわれていた子供達の姿だ。
探していたカルスとジェイクはもちろん、他にも数名の子供達が隅に集まっていた。声を出せなくする為なのか、魔力の流れを感じる球体を猿轡代わりに装着させられて、さらには皆が下着姿にされていた。
それだけでも異常な光景だが、テントの奥には金属のようなメタリックな椅子に座らせて拘束させられた子供が居て、頭には毒々しい紫色をした宝石が埋め込まれたリングが装着されており、加えてその頭上には一冊の本――おそらく魔導書が宙に浮いていた。
(大変だ。よく分からないが、おかしなことをさせられている。すぐに止めに入らないと)
(ちょっと待って、妙な魔力の流れがテントの中から――)
電話での通話中に電波が途切れたように、唐突にブツリとリアヌからのテレパシーが消えた。
(リアヌ……。おい! リアヌ!)
心の中で呼びかけるが、彼女からの返事は途絶えた。なおさら、大急ぎで帰る必要がありそうだ。
「――うわあああああぁぁぁぁぁん!!!」
テントの中から子供の泣き叫ぶ声が聞こえて、咄嗟に視線を移すと宙に浮いた魔導書が開かれて中から二本の触手が伸びていき先端の吸盤が椅子に拘束された少年の頭に触れた。
どうやら少年は吸盤の生理的嫌悪感に悲鳴を発したようだ。
「おい、ちゃんと口に止めておけ!」
地面に落ちた球体型の猿轡を一人の兵士が拾い上げて、汚れているのも気にせず少年の口に押し込んだ。テレビのリモコンのボリュームを下げるように、ピタリと辺りは静寂に包まれる。
叱責した兵士は黙らせるように少年を叩くと、声が出せない代わりに最大限の意思表示のようにして失禁をする。
慣れたことなのか表情を変えることなく兵士達は少年を見下ろすと、ローブの男が魔導書に向かって手をかざした。
ローブの男の手の先から形作られる魔法陣を目にした時、背筋を駆け上がるような寒気を覚えた。
リアヌに一度は止められていたが嫌な予感は止められず、すぐさま俺はテントの中に飛び込む。
「子供達を離せ――」
言ってテントに入ると同時に、少年と魔導書から強烈な閃光が放たれる。
思わず目を閉じてしまう俺の視界に入ったのは、驚いて振り返る二人の兵士と微動だにせず怪しげな魔法陣を詠唱するローブの男、それから助けを求めるように顔をぐしゃぐしゃに濡らした名前も知らぬ少年だった。
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