八畳間の異世界
じんむ
ep1-1
早朝とも朝方ともつかない曖昧な時間。冬が近づきつつあるせいか、頬を撫でる風はどことなく冷たい。こういう日は乾燥しているからマスクでも付けておいても良かったかもしれない。
風が一吹きすると、色あせた葉が目の前を舞い横切っていった。その光景に寒々しいものを感じながら歩いていると、やがて商店街へとやって来た。しかし道を行く人はほとんどいない。いても杖をついたおじいさんくらいなもので、街というには少し閑散とし過ぎていた。
ここを通るのはもう数知れないが、相変わらずシャッターロードと呼ばれるに相応しい貫禄だ。
まぁ朝方という理由もあるんだと思うけど。
マチカド商店街と冠せられている錆びたゲートを通り抜け、しばらく商店街を歩く。
僕はその中の、準備中と立ち札がかけられた【食事処ヤマウチ】の前で止まると、のれんをくぐった。
仕込みをしている最中らしく、ダシの香りがあたりに漂う。
「あら、また来てくれたんのね明久君」
「何度もごめんなさい晴子さん」
「何言ってるの、むしろ有り難いわよ? なんならいつでも同居してくれていいんだから」
「晴子さんこそ何言ってるんですか……」
つい苦い笑みがこみ上げてきつつも、店の二階にある住居スペースへと向かう。
人を拒むかのように狭く急な階段をのぼれば、やがて目的の場所へとたどり着いた。
目の前の扉には可愛らしいフォントで『とうか』と書かれたプレートがぶら下がっている。
取っ手に手をかけ押し込むと――
――扉の向こうには岩肌で覆われた荒野が広がっていた。
「あ、遅いですよ明久先輩!」
冬華はぷんすか言うと、雪の結晶で留められた髪の毛をぴょこぴょこさせながら駆け寄ってきた。
「ごめん、ちょっと寝坊して……」
「もう、しっかりしてください!」
ポコンと一つ胸板に拳を当てられる。
「まぁいいです。それよりそろそろ来ますよ」
冬華がいきなり身を翻した。連動して肩まである髪の毛が宙を舞うと、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
その刹那、心臓が跳ねた。
胃の腑に響く咆哮と共に、身の丈十倍はありそうな二足歩行の巨竜が大地を揺らす。
「行きますよ先輩!」
「了解」
ここは剣と魔法のファンタジーの異世界。ここでの僕の職業はモンスターを倒す英雄だ。
僕は虚空から大剣を顕現。踏み込むと、胴体の数倍はある太い脚を一閃。体勢を崩させようと放った一撃だったが、浅かった。即座に後方へ跳ねると、轟音。見れば、元居た場所が竜の尾によって砕かれていた。あと少し遅れていたらと思うと恐ろしい。
ぎろりと竜の凶悪な眼がこちらを捉える。一応敵と認識されるほどには損傷を与える事ができたらしい。
さて次の手はどうしようかなと思案していると、不意に竜の横に人影が躍り出る。
「私も忘れないでください! セクシーショット!」
冬華だった。指でピストルを形作ると、紫色の光線が竜の頭へと襲い掛かった。たいそうな名前だが侮ることなかれ。光が到達した刹那、竜の頭部からは砂塵がさく裂。巨体がふらりと揺れた。そのまま倒れこむかと思われたが、竜は踏みとどまる。
殺意の方向が冬華に向いたのが分かった。竜が頭を持ち上げると、頬まで裂けた竜の口に炎が湛えられる。恐らく狙いは冬華。僕は即座に疾走すると、冬華の前で制止する。
「ブレードガード!」
大剣を突き立てると、目の前には半透明の壁が顕現。瞬間、大量の炎が目の前を覆いつくすが、壁によって僕たちには到達しない。とりあえず防ぐことができて良かった。
「今この瞬間はかっこよかったですよ先輩!」
限定的なんですね……。まぁ当然か。
しばらく持続していた炎の嵐だったが、竜も体力が持たなかったらしく、やがて途切れた。
「反撃です! 先輩は私の後ろに!」
そう言われて後ろへ控えると、冬華が嬉しそうに言い放つ。
「私の必殺、投げキッスです!」
冬華が竜に向かって腕を解き放つ。同時に紫色の塊が竜に衝突した。瞬間、竜の動きがぴたりと止まる。投げキッスは傷を負った対象の動きを封じる。
「今です!」
冬華が叫ぶので、僕は地面を目いっぱい踏み込む。飛翔すると、大剣を仰がせ竜の脳天へと叩き込んだ。
断末魔が響き渡ると、巨体はついに倒れ伏した。
「やりましたね!」
着地すると、冬華がぱたぱたと駆け寄ってきた。
「冬華のおかげだよ。流石呪術師」
ここでの冬華の職業は呪術師だった。モンスターに対して何か特殊な効果、例えば動けなくなるだとか、とにかく呪いに関する技を多く習得できる。
「もう、先輩ったら正直者なんですから!」
言いながら、冬華むふふと笑うのでこちらもつられて口元がゆるむのが分かる。
「でも、私は呪術師じゃなくて美少女術師です! そこは間違えないでください!」
「あはは、そうだったね……」
むくれながら放たれる冬華の言葉に半笑いがこみ上げてくる。彼女曰く、呪術師は可愛くないとの事で、美少女術師と名前を改めている。本来技名も禍々しいものばかりのはずだが、投げキッスだとかセクシービームに変えたりしてデコレーションしているのだ。
「それじゃあ竜も倒したし、僕は学校に行くけど冬華も一緒に……」
「行きません」
即答だった。
いつもの事だけど、こう毎回ばっさり言われると傷つくな……。
「……そっか。それじゃあ、僕は先に行くね」
「はい、また後で落ち合いましょう」
笑顔で手を振る冬華に手を振り返すと、僕はこの世界をあとにした。
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