ご近所は吸血鬼(ヴァンパイア)

平中なごん

Ⅰ 妄想の中の老人

 それは、僕がフットボールの練習からの帰りに近所の公園の前を通りかかった時のことだった……。


「おい、あれ見ろよ。あの爺さん、珍しく出歩いてるぜ」


 となりを歩く友人のジャックが、公園の方を顎で指し示しながら言った。


「ん? ああ、ほんとだ。確かに珍しいな」


 僕もそちらに顔を向けると、彼の示したものを確認して相槌を打つ。


 そこには、緑の芝生の上を横切ってこちらへと向ってくる、紙袋を抱えた一人の老人の姿があった。


 老人はかくしゃくとした足取りで歩きながらも、常に周囲を警戒するかのような鋭い眼つきで、きょろきょろと辺りを忙しなく見回している……まるで、借金取りに追いかけられでもしているかのように、そわそわといかにも挙動不審だ。


「爺さん、そんなに怖いんだったら出歩かなきゃいいのによう」


 ジャックがその姿に、茶色の眉を「へ」の字にして呆れた顔で呟く。


「まあ、あれだけいつも家に籠ってたら、たまには外に出たくもなるんじゃないの? それにほら、紙袋持ってるから、たぶん買い物に行ってたんだよ。さすがに一人暮らしで引き籠ったままじゃ、日々の生活もままならないだろうからね」


 僕は遠目に老人を見つめたまま、友人の言葉にそう答える。


 その老人の名はウラシマウ氏という。僕の家の近所に住んでいる偏屈な爺さんだ。


 話によると、なんでもポーランドからの移民とのことであるが、このロンドン郊外にある小さな町にやって来てから既に20年以上経つらしく、最早、“移民”という雰囲気はどこにも残っていない。


 よくよく見てみなければ、見た目や言葉遣いなどもネイティブな英国人と変わりないように思える。歳は確か今年で80近くになるとか言ってただろうか?


 ただ、この爺さん。一つだけ故郷にいる頃よりずっと変わっていないことがあった。


 それは……




吸血鬼ヴァンパイアは実在する”




 と頑なに信じていることだ。


 しかも、自分もそのヴァンパイアに狙われているのだと疑ってやまず、常にああして身の周りを警戒しているのだ。


 さらに困ったことには、どうやらそのヴァンパイアは僕ら近所に住む者達の中に混じっていて、いつもは普通の人間に擬態して暮らしているものと本気で考えているらしい……


 なんと迷惑な……。


 なぜ、ウラシマウ氏がそのように思うに至ったのかは不明だが、誰かが誤って彼にヴァンパイアだと認識されるような行動とか、仕草だとかをしたのだろうか?


 僕のような若僧はよく知らないが、ポーランドなどの東欧一帯はヴァンパイア伝承の色濃く残る地でもあるし、もしかしたら、「これこれこういうことをすると、そいつはヴァンパイアだ」というような、その是非を決める判断基準みたいな迷信があるのかもしれない。


 ただ、彼を観察した様子では、どうも「僕ら近隣住民の中にヴァンパイアが幾人か潜んでいる」というところまでは確信しているものの、それが誰と誰なのか? ということになると、そこまでの判別はつかないみたいだ。


 なので、基本、近所の者全員をまずはヴァンパイアだと疑ってかかり、疑心暗鬼の内に日々の生活を送っている。


 家族はというと、以前は奥さんと二人で暮らしていたがその奥さんも今はなく、子供もいなかったので、現在、淋しい一人暮らしだ。


 歳老いての一人暮らし……何かと不自由だろうから近所を頼ればいいものを、基本、僕ら全員ヴァンパイアなので、頼るどころか付き合いもほとんどない。


 挨拶をしても警戒の眼差しで睨まれるだけだし、何か届け物などで家に行けば、

「ついにわしを襲いに来たかっ!」と狂ったように叫び上げ、十字架を鼻先に押しつけて追い返す始末だ。


 玄関のドアにもニンニクやら唐辛子やらのヴァンパイアの弱点と信じられている物が大量に掛けられていて、必要最低限以外は家の外に出ることすらない。


 だから、ああして出歩いている姿を見ることは非常に珍しいのである……。


「あ、やべ、目が合っちまった。おい、ジョナサン! また十字架押しつけて怒鳴られる前に早く行こうぜ!」


 珍しいウラシマウ氏の姿に思わず見惚れていた僕を、ジャックが慌てた様子で急き立てる。


ああ、ちなみにジョナサンというのは僕の名前だ。ジョナサン・エドワーズという。


「あ、うん……」


 僕は相槌を打つと、こちらを鋭い眼光で睨む老人を斜に眺めながら、友人の後を追って、その場をいそいそと後にした――。




 さて、それから幾日か経ったある日のこと……。


 僕の家に、間違えてウラシマウ氏宛の郵便小包が届いていた。


 どうやら祖国ポーランドよりの荷物らしいが、僕の留守中、母さんがろくに宛名も見ずに受け取ってしまったようなのだ。


 どう見ても英国人らしからぬ宛名なのに間違えた郵便集配人ポストマン郵便集配人ポストマンだが、それを受け取った母さんも母さんだ。


 ……で。仕方なく、僕が彼の家へ届けることとなった。


 ウラシマウ氏の家は僕の家の裏手にある。一人暮らしの老人には相応しい、こじんまりとした小さな家だ。


 ま、父母妹と四人暮らしの僕の家も、それと似たか寄ったかの大きさなのだが……。


 僕は嫌々ながらに小包を抱えると、自宅の裏口から出て細い路地を渡り、ウラシマウ氏宅の門を潜る。


 幸いなことに、この家の門柱に扉は付いていないため、玄関までは無事に行くことができた。


 もしこれで扉でもあった日には、きっと頑丈な鍵を据え付けられて、何人たりとも玄関はおろか敷地にすら足を踏み込めなかったに違いない。


 この家はウラシマウ氏自身が建てたものではなく、移民して来た折に空き家だったものを買ったとのことだが、扉を付けなかった最初の住人に感謝である。


 それにウラシマウ氏も門扉の増設など考えないでよかった……ただ、これも建てられた当初からのものだとは思うが、敷地を囲う鉄柵の槍のように尖った先端が、如何にも侵入者を拒んでいるようでちょっと怖い……なんか、映画とかに出てくるヴァンパイアみたく、あれで心臓を一突きにされそうだ……。


 その槍のような鉄柵に囲まれた敷地内には、狭いながらもちょこっとした植え込みがあり、それなりに手入れがなされている。


 無論、彼が信用できない他人の庭師に手入れを頼むわけもなく、それは本人自らが行っているものであるが、その姿が時折、近隣住民達によって目撃されている……というか、それ以外に彼を目にすることは滅多にない。


 この前、僕らが彼を見かけたのは、まさに宝くじに当たるくらいの確率で稀なことであり、普段はひたすらに家の中へ閉じ籠っているのだ。


 そういえば、働いている様子はまるで見かけられないが、いったい何をして生計を立てているのだろうか?


 派手な暮らしをしているようにも見えないし、年齢からすると年金ペンションだけで生活しているのかもしれない。


 それとも、じつはかなりのお金持ちで、株やらなんやら投資を生業にしているとか?


 ちなみにまだ若い頃、ここまで引き籠りになる以前はどこかへちゃんと勤めていたそうであるが、その頃のことを僕は詳しく知らない。


 さて、門より玄関までは僅か1ヤードほど(約91センチ)しかないというのに、僕がこうしてつらつらと物想いに更けっている理由……それは、玄関のベルを鳴らすのが怖いからだ。


 あの爺さん、嘘や冗談や半信半疑ではなく、心底本気で僕らをヴァンパイアとして見ているから、何をされるかわかったもんじゃない。


 前にも言ったが、届け物などで訪れた人間は軒並みヒドイ目にあっているのだ。それは近所の人間ばかりでなく、郵便局や宅配業者の集配人に対しても例外ではない。


 あ! もしやそれで僕の家にわざと間違えて……


 僕はそこで、そんなポストマンへの疑惑に思い至った。


 ともかくそのような状態なので、本来なら家を尋ねるなど絶対に避けたいところなのである。


 だったら、このまま玄関先に荷物を置いて退散してしまえばいいようなものなのであるが、それも何か不用心だし、もし雨でも降れば濡れてしまいそうだし……


 と、僕もお人好しといおうか心配症といおうか、一応、人情というやつで、そうするのもなんだか心苦しい。


「ハァ……」


 そんなわけで、僕は深い溜息を吐くと、仕方なく玄関のベルを鳴らした。


 ブーッという機械的なベル音がドアの向こうで鳴ったのを確認した後、主人が出てくるのをしばらく待つ……。


 しかし、一向に出てくる気配はおろか、返事すらない。


 留守なのかな?


 と、僕は一瞬思った。


 しかし、今更言うまでもなく、ウラシマウ氏が外出するなど滅多にあることではない。ならば、まだ夕暮れにも早い時刻ではあるが眠ってででもいるのか?


 そう思いつつ、僕はドアのノブに手をかけて回した。


「あれ?」


 すると、カチャっと微かな音を立て、簡単にノブは回った。


 鍵はかかっていない。では、やっぱり眠り込んでいるのか? にしても、鍵かけてないのは不用心な気がするが……。


「すみませーん……ウラシマウさんいませんかあ~…」


 僕は不思議に思いつつ、そう声をかけてドアを静かに開けてみたのだったが……


 バシャッ…!


 ドアが開いた瞬間、僕の顔面に水のような液体が勢いよくぶっかけられた。


「うっぷ…!」


 僕は思わず目を瞑って、頓狂な声を上げてしまう。


「どうだ、ヴァンパイアめ! 教会で清めてもらった聖水はよく効くだろう!」


 一瞬、何が起きたのかわからず、その場で呆然と立ち尽くす僕の耳に、今度は老人の罵声がすぐ近くで響く。


 小包を抱えているので両手は塞がっていたが、頭を左右に激しく振って水を払い、なんとか目を開けて前方を覗うと、目の前には件のウラシマウ氏がものすごい形相で立ちはだかっている。


「どうだ! 参ったかヴァンパイア!」


 その恐ろしい形相の老人は、さらに失礼なことにも重ねて罵声を浴びせてくる。


 水が沁みる目をパチクリとさせ、しばし状況を把握できずにポカンとしていたが、時間が経つにつれ、ようやく僕の身にどのような災厄が降りかかったのかを理解し始めた。


 まだ、ぼんやりとフィルターのかかった瞳でウラシマウ氏を凝視すると、その手には香水か何かの容物のような、瀟洒なカッティングのガラス瓶が蓋を取った状態で握られている。


 この瓶と今の言動から鑑みるに、どうやら彼は僕が自ら入って来るのをドアの向こう側で待ち構えており、僕がまんまとドアを開けた瞬間、その絶好の不意打ちチャンスを逃すことなく、ガラス瓶に入っていた聖水とやらを僕にお見舞いしてきたらしい……。


 なるほど。確かに聖水はヴァンパイアの弱点とされているものの一つだ。


 だが、聖水といえどもただの水。そんなもので僕が参るわけがない。


 無論、火傷なども負ってはいない…ってか、逆に冷たい。


 いや、身体的ダメージは食らっていないものの、精神的な衝撃はそれなりに大きい。


 突然、顔に冷や水を浴びせかけられたりすれば、そりゃあ、もちろん気分が良いわけがない。


「な、何するんですか!? いきなり!」


 当然のことながら、頭に血の上った僕は荒げた声でウラシマウ氏に文句をつける。


 しかし、この偏屈な爺様は僕の言葉になどまるで聞く耳を持たない。


「おのれヴァンパイア! まだくたばらないかっ!? ならば、これでどうだっ!」


 今度はそう叫ぶや、玄関のドアにかけてあったニンニクと唐辛子の束を引き千切って、それを僕目がけて投げつけてきたのである!


「痛っ! ちょ、ちょっと、やめてくださいよ! ぼ、僕はただ、間違って届いた郵便を届けに…ああっ!」


 その懇願と弁解の声も老人の耳には届かない。僕はニンニクのぶつかる痛みとその悪魔のような剣幕に、とうとう小包をそこへ放り出して一目散に逃げ出した。


「痛っ!」


 走り去る僕の後頭部に、なおも投げつけてくるニンニクがぶつかる。


 全力投球されたニンニクの塊は当たるとけっこう痛いのだ。ニンニクがヴァンパイアに効くなど迷信に違いないが、そういう意味では確かにニンニクは効いた。


「フン! ヴァンパイアめ! ぜったい、わしは貴様らの餌食になんぞならんからなーっ!」


 逃げて行く僕の背後で、そんな老人の狂気に満ちた叫び声がオオカミの遠吠えのように響いていた……。

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