第8話 特別な庭園

 ヴァンゼール王国の庭園は、さすが芸術の国と謳われるだけあって、生垣や咲き誇る花の美しさだけではなく、遊歩道や彫刻、噴水などのひとつひとつが素晴らしい。

 季節は春。花の盛りだ。

 青空の下、色とりどりの花が自分の美しさを競い合っていた。

 それでも主張が激しくならず、バランスよく配置されているのだから不思議だ。


「本当に美しいですね」


 クリストフの隣を歩きながら、イザベラは感嘆のため息をつく。


「気に入ってもらえて嬉しいよ。ここの庭師は女神の加護を受けた者でね、本来ならば存在しない色の花も美しく咲いているんだ」


 そう言って、クリストフがイザベラを案内した場所は、薔薇園だった。

 赤、ピンク、黄、白……色とりどりの薔薇が咲く中で、ある一点に目が釘付けになった。


「イザベラ王女にこれを見せたかったんだ」


 悪戯が成功したような笑みを浮かべ、クリストフはその薔薇に近づいた。


「青い、薔薇……?」


 自然界では見ることのない、真っ青な薔薇。

 そして、その奥には紫の薔薇も咲いている。

 絵の具で着色しているのかと疑い、そっと花弁に触れてみたが、柔らかく瑞々しい花弁があるだけだ。

 手には何の色も移らない。

 

「青や紫の薔薇は、前世を合わせてもきっと見たことはないだろう?」

「えぇ。驚きましたわ」


 クリストフの言葉に頷きながら、イザベラは前世のことを思い出していた。

 前世のベラは薔薇を媒体として魔法を使っていた。

 真っ赤に咲く薔薇は生命力に満ちていて美しく、魔力を込めるのにこれ以上の媒体はないと思っていた。

 他の魔女たちは枯れてしまう植物を媒体にするなんてと眉をひそめていたけれど、ベラにとっては違った。

 自分で薔薇を育てているうちに、魔力を込められる量も増え、手に馴染むようになった。

 しかし、魔女のベラでさえ、存在しない色の薔薇を育てようとは思いつかなかった。


(まるで魔法みたい……)

 

「まるで魔法のようだろう?」


 そう笑顔で問われ、イザベラはぎこちなく頷いた。

 一瞬、自分の心の中を読まれたのかと思った。


「不思議なことはもう一つあるんだ。この青い薔薇はこの薔薇園から持ち出してしまうと、赤い薔薇に戻ってしまうんだ。この場所でしか、神秘的な青い薔薇を見ることはできない」

「特別な薔薇なのですね。本当に、とてもきれい……」


 奇跡を体現する美しい薔薇に魅入ってしまい、イザベラは微笑を浮かべていた。

 女神の加護を受けた薔薇が咲く、特別な場所。

 しかしどうして、クリストフはこの場所にイザベラを案内してくれたのだろう。


「あの、殿下……なぜわたくしをここへ?」


 前世が魔女だという告白に何か関係しているのだろうか。

 個人的な話というのは、この特別な薔薇園のことなのだろうか。

 気になってしまい、イザベラは思わずその真意を問う。

 すると、クリストフは罰が悪そうに笑みを浮かべ、イザベラを見つめる。


「……あなたの心からの笑顔が見たかったから」


 真っ直ぐに告げられた言葉に、イザベラはなんと返せばいいのか分からず、顔をそらす。

 その眼差しに込められた熱に、気付きたくなかったから。

 罪人である自分が、受け取ってはいけないもののように感じた。


「クリストフ殿下、もう婚約者でもないわたくしに気を遣わなくてもいいのですよ」


 これ以上、クリストフと二人きりでいるのは耐えられない。

 イザベラは踵を返し、来た道を戻ろうと一歩踏み出す。


「違う! 気を遣っているわけではない。俺は、ただ……」


 クリストフがイザベラの腕を引き留めるように掴んだ。

 思わず振り返ると、クリストフのアメジストの瞳と目が合った。


「あなたのことが好きなんだ。婚約式で出会ったあの日から、ずっと」


 クリストフの真剣な告白に、ズキンと胸が痛んだ。

 聞きたくなかった。

 互いに恋愛感情などない政略結婚だと思っていたのに。

 優しい人だから、傷つけたくなかった。

 好きでもなんでもない我儘な王女に振り回されただけ。

 そうやって、イザベラを悪女に仕立ててくれたらどんなに気持ちが楽だったか。


「今の告白は、聞かなかったことにします」


 クリストフの人生にイザベラはいない方がいい。

 イザベラは笑顔の仮面を被り、一礼して逃げるようにその場を去った。

 クリストフの反応を見ることすら怖くてできなかった。

 心臓がバクバクとうるさい。

 周囲に人がいないことを確認して、回廊に座り込む。


「最悪だわ……」


 自分は前世が魔女であることを一方的に告白して、"呪われし森"に同行することを許してもらったのに、クリストフの告白はなかったことにした。

 胸が苦しくて、痛くて、涙が出てきた。


「だって、わたくしにはそんな資格ないわよね?」


 クリストフの想いを受け取る資格なんて。

 恋をして、幸せそうに笑っていたかつての友を思い出す。

 その幸せを奪った自分が、同じように恋をして幸せになれるはずがない――なってはいけない。


「……ごほっ」


 咳込む口元に手を当てると、赤い血が出ていた。

 内臓が焼けるように痛み、イザベラを現実に引き戻す。

 王子様に愛されるお姫様にはどうやってもなれないのだと。


(わたくしは悪い魔女だったけれど、今世こそは大切な人たちのために間違えない)


 口元の血を拭い、イザベラは立ち上がる。

 その赤い瞳にはもう迷いはなかった。

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