第1話 波乱の出発
ベスキュレー公爵夫妻が乗る馬車は、まっすぐに南へと進んでいく。
ヴァンゼール王国があるベルディーリア大陸の南には、ロナティア王国が位置している。
あたたかな気候で緑が多く、海にも面しており、資源豊かな王国だ。
もうすぐ春になる今の季節は、新緑と芽吹き始めた花でいっぱいだろう。
芸術が売りのヴァンゼール王国には資源といった資源はなく、生活に必要な資源のほとんどをこのロナティア王国から輸入している。
そして、ヴァンゼール王国は芸術品や建築様式、音楽などを輸出しているのだ。
長年の友好国であるロナティア王国へ、ベスキュレー公爵夫妻が向かう理由はただひとつ、新婚旅行のため——のはずである。
「……アルフレッド様?」
「…………」
愛しい妻の声にも、どんよりと沈む心では返事ができなかった。
隣に座るシエラが、アルフレッドの手をそっと握る。包帯越しにも、そのぬくもりは愛しくて、あたたかかった。
整備されている街道ではあるが、馬車は少し揺れている。
バランスを崩しては危ないだろう。アルフレッドは、シエラの手をぎゅっと握り返す。
透明人間ではなくなった今も、アルフレッドは包帯を巻いている。
長年の癖なのか、包帯姿の方が落ち着くのだ。
シエラは包帯姿も素顔も、どちらも好きだと言ってくれる。それが嬉しくてたまらない。
「ご気分でも悪いのですか? 遠出が難しければ、リーベルトへ帰りますか?」
シエラの大きな虹色の双眸が、不安そうにアルフレッドを見つめる。
「いや、それは駄目だ……っ!」
アルフレッドは反射的に叫ぶ。
せっかくのシエラとの新婚旅行。中止になどするものか。
しかし、素直にシエラとの蜜月だけを楽しむ余裕は今のアルフレッドにはなかった。
(くそ、まんまとあの方の掌の上で踊らされているな……)
ザイラックの笑みを思い出し、アルフレッドはシエラとは反対の拳を握った。
*
国王ザイラックは、社交界に復帰したアルフレッドにそれはもう無茶な仕事を押し付けてくれた。
しかし、これは今まで引きこもっていた分のツケでもある。
アルフレッドが社交界に出ずに自由に引きこもっていられたのはザイラックのおかげなのだ。
影で色々と密偵のような仕事はさせられていたが。
それに何より、シエラと結婚できたのはザイラックのおかげだ。
だから、ザイラックには強く出られない。
そうしてアルフレッドは愛しい妻とのすれ違い生活にも耐えて、国王のために頑張って働いたのだ。
その先に、妻との甘い蜜月があると信じて。
「すげぇな、本当にあれ全部終わらせたのか。よし、じゃあ褒美に一週間の休みをやる。新婚旅行にでも行って、シエラを楽しませてやれ」
にかっとザイラックが笑った。
「ありがとうございます」
ようやく、多忙の日々から解放される、とアルフレッドは肩の力を抜いた。
そして、一礼して国王の前から下がろうとした時。
「俺からもう一つ、サプライズプレゼントがあるんだが」
「結構です。それでは、妻が待っていますので」
「おいおい、国王の俺が褒美をやるって言ってるんだ。ありがたく受け取れよ」
ザイラックの表情を見て、これは聞かない方が良いやつだ、と分かった。
本音は今すぐ拒否して帰りたい。かわいい妻を抱きしめたい。
しかし、恩ある国王に逆らえるはずもない。
アルフレッドが観念して頷くと、ザイラックは白い封筒を出してきた。
「開けてみろ」
封筒を受け取り、中を空ける。そこには、招待状があった。
それも、ロナティア王国王城で開催される舞踏会の。
「……これは?」
「ロナティア王国の舞踏会の招待状だが」
「それは分かります。何故、私に?」
「どうせ引きこもりのお前のことだから、新婚旅行はヴァンゼール王国内ですませるつもりだっただろ? たまには国から出て、新鮮な空気でも吸ってこい」
「…………」
単なる優しさから、ザイラックが言うはずがない。
何か裏があるはずだ。
「シエラは音楽旅行で国内はすべて回ってるし、海外にも行ったことがある。お前では考え付かないだろうと思って言ってるんだ。それに、シエラはロナティア王国に行ってみたいと言っていた。もちろん、行くよな?」
「行きます」
反射的に口が動いていた。
シエラの望みはなんでも叶えてあげたい。
小さなことでも、無理だと思うようなことでも。
だから、ザイラックにどんな思惑があったとしても、アルフレッドには断れない。
それを、分かっていたのだろう。
ザイラックは今日一番の笑みを浮かべた。
「……それで、ロナティア王国で何をすれば良いのですか」
「話が早いな」
「もう慣れました」
「ふっさすがは俺のお気に入りのおも……部下だな」
絶対に『玩具』と言おうとした。
アルフレッドの眉間にしわが寄る。
早く帰ってシエラを抱きしめたい。
「ロナティア王国とはこれからも友好関係を続けていきたいと思っている。だがな、ちと問題が起きてしまってな……」
ザイラックからの密命は、新婚旅行のついでに、というにはかなり面倒なものだった。
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