世界の終わりの日

神崎赤珊瑚

第1話 わが親愛なる友人に

「駄目よ。簡単にはシなせはしないわ。

 キミ達は、人類は、ボクが救う。

 キミ達は、先がみえないまま、大変苦しみながら、それでも、ブザマに生き延びてもらうわ」

 猛炎の熱に赤く焦げる校舎で。

 私に銀色の手を差し伸べてくれたあの子は。

 そう言いながら、私を救ってくれた。



 世界の終わりが、今年の十二月三十一日に決まったようだ。

 誰が決めたのか、どういうノリなのか、随分とキリのよい話だ。

 世界の終わりに見える線が引かれ、ほとんどの人間がそれを信じて受け入れたのに、世の中はほとんど変わらなかった。

 それなりに多くの人が無気力になったり、それなりに多くの人が好きなことに没頭したが、それなりに多くの人がこれまでと同じ生活を選び、世の中は、同じように動いていた。

 様々な社会インフラも、多少の不便はあっても、なんとなく運営は継続され、致命的な破綻は起きていなかった。

 学生も同じで、私の高校でも、多くの生徒が登校してきているし、一部音楽室や美術室などに籠もって一心不乱に作品を仕上げているような子も居たが、殆どは教室で授業に出ていたし、先生もなんとなく教鞭をとっていた。


 私は、東周あずまあまねという、少し変わった名前以外は、残念ながら特筆することのない、普通の高校生(女子)だ。

 特筆することがないから、というわけではないが、私もどちらかというと組で、普通に登校して普通に授業を受けている、生活はほとんど変わらなかった組だった。

 破滅が現れるのには、なんの予兆もなかった。

 いや、もっとも、受け入れてしまったあとなのかも知れなかったが。


 すべてが壊れてゆく。ぐにゃりと歪むように、壊れてゆく。


 教室の壁が巨大な何者かに壊される――大音響、雪崩れるように崩れ降る瓦礫、それに飲み込まれる幾人かの生徒、覗き込まれる巨大な、禍々しい目――心の弱いものだと、そのまま正気をなくしてしまうような、恐ろしい瞳が覗き込んでくる。


「なんなのこれは! 何が――何が起こってるの!」

 私は叫ぶ。正気を保つために、とっさに叫ばずには居られなかった。

 私の声に、数人が我に返る。

 およそ、授業中の全員が我を無くしてしまっていたのだ。教室の前の方に居たもの――教師を筆頭とした数人は瓦礫に埋まり、おそらくは死んでいるだろうに、誰も声を挙げず、瞳に魅入られ、自分の正気と戦っていたのだ。

 だれかが恐怖を叫ぶ。

 ふらふらと後ずさり、なすすべもなく床に座り込んでしまう。

 表層の意識を運良く取り返せたとて、意味がある行動が取れるとは限らない。

「逃げるよ!」

 私は、特定の誰かにではなく、叫ぶと教室を飛び出した。

 同調して付いてこようとした同級生が居たかは確認しなかった。する余裕もなかった。

 教室の扉を抜け飛び出した瞬間、背後に直前まで存在していた教室が、無に満たされ消えたのがわかった。

 もう、あの教室に居たものは自分以外生きてはおるまい。

 そのまま廊下を走り出す。

 心は、絶望に襲われていた。

 なんなのだろう、あれは。

 校舎を教室ごと抉り消せるモノが、廊下など消し飛ばすことなどわけもない。こころなんとか逃げ延びたとしても、逃げるしか道はなく、為す術がない。そもそも、この場から逃げおおせるのだろうか。


 ふと、女の子の声が聞こえた。


「脳を三十二基搭載しているということは、残念ながら、三十二の自我を搭載していることを意味しないわ」

 廊下のすぐ先で、銀色の女の子が、私が今、絶対に見ないことにしている、あの『破滅』がおそらく存在する方向を向いて、佇んでいる。

 その子は少女のフォルムを持ったロボットのように見える。銀を基調とした、なめらかな挙措を実現する部品で組合わされ、明らかに人間とは一線を画しているが、人間の外形の人間らしさの部分も内包していた。

 全身をみると、優しい印象の女性型アンドロイドガイノイドであった。

 私は、足を止め、誰何する。

「あなたは? 生徒では、ないよね」

 答えはない。代わりに、また、天に向かって歌うようなフレーズが返ってくる。

「生体部品を使っているかは秘密なのよ。一番の乙女の秘密」

 不意に、すいと視線を向けてくる。

 機械製の面からは表情を読み取れない。意味合いとしては、視線をこちらに向けてきた、ということだろうか。

「あら。

 見えるのね。ボクが。

 聞こえるのね。ボクが。

 それはとても良かったわ。無調整で調律の合う子がいるってのは、とても良いことだわ。

 キミは、ボクを感じるのかしらね」

「こんなところで何を?」

「キミは、名前をなんと言うのかしら。一応聞いてあげる」

「……アマネ」

「うん、いい名前ね。ボクの好む可愛らしくて時折憎い小動物の名前にも少し似ているわ。

 ボクがここで何をしているのか、という質問ハナシなのだけれども、ただ単に、『あの厄災を閉じよう』としているだけだわ」



 後で聞いた話。

「理解が及ぶかは知らないけど、一応は教えてあげる。

 今は、の丹念な準備によって、この星この人類に関わる何もかもが最悪の状態になっているのよ。

 何事も、悪い方に転ぶようになっているの。

 失敗することで致命的なことを引き起こす事象が、確率を超えて極めて容易に失敗の方向に向かうの。

 例えば、経験も知識もない子供お遊びで、極めて不完全な降霊術こっくりさんを試みても、大抵何も起こらず、極ごく稀に下級霊を降ろしてしまう程度ですむわ。でも、今のように星辰が極限までに狂って正しい状況だと、かなりの高確率で、子供の遊びに邪神の切れ端くらい降りて来てしまうの。

 今回の邪神の端末だって、誰かの遊び半分で喚んでしまったものよ。

 ほんとシャレにならないわ。

 お手軽に致命的フェイタルファンブルが起こるよ。

 キミも試してみる?」



「閉じる、って」

「文字通り、閉じるのよ。

 いま、この地球ほしは致命的な百八の厄災が準備されているわ。どの一つをとっても、滅亡へのルートを持っている大変厄介なものよ。

 それを、ボクが、一つ一つ閉じていくのよ」

と戦えるの? 除去できるの」

「ボクは、これでも神造兵器なのよ。

 だから、ああいう邪神の端末てきな、神性のちからを誤って使う偽神系の敵とは相性が非常に良いのよ。これは、モッツァレッラチーズとトマトのように、完璧な相性よ。

 見てなさい。完全に一方的に、零封で勝ってみせるわ」

 パーツの合いは完璧で、キシミ一つ立たずになめらかに、彼女は動く。

 大きく広げたツインテールに当たる部分が、直線で構成された翼を想起させる。

 切り立った廊下の端から飛び上がると、そのままふわり、と空を浮き滑ってゆく。

 敵と彼女が対向してからは、勝敗は一瞬だった。

 光の交錯が一瞬だけ見えたと思えば、全てが赤く燃え始めた。


 後で聞いたところ、多数の脳とその三倍の口を内蔵した邪神の端末は、同時に術式を九十六まで展開できるそうなのだが、そのすべてを対向術式で無効化して焼いた、ということらしかった。私にはよくわからない。


 あれだけ生徒に正気を失わせて、恐怖の対象であった、彼女が言うところの邪神の端末は、消えない炎に包まれる巨大な肉の塊と貸していた。こうなってしまえば、怖くも、恐ろしくもない。

 そこで、ふと、気がついた。

 私も、もう助からない。

 自分のいる場所にも、逃げ場なく炎が迫ってくる。

 呼吸する空気が、熱い。時間経過とともに、熱さを増している。

 炎だけではない。建屋の倒壊もひどくなってきていた。いつ、床が抜け落ちるかも知れない。

 まあいいか。と一瞬思った。

 みんな一緒に消えるならまあいいかと思える。

 誰かが消えたまま。誰かだけ残されたまま、何事もなかったように時間だけが進んでいくのは、きっととても恐ろしい。

 今回のこれで、クラスメートの多くは命を落としたことだろう。それが、一人増えたくらいで――、


「駄目よ。簡単にはシなせはしないわ。

 キミ達人類は、ボクが救う。

 キミ達は、先がみえないまま、苦しみながら、それでも、ブザマに生き延びてもらうわ」


 思い出したように、当たり前に、銀色の少女は私の前に現れ――、


「ボクは神造兵器『残響エコー』という。

 これから、年末までよろしくおねがいするわ」

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