はずれの真相。
如月凪月
第1話
「みてー! まんが家!」
雑多な駄菓子屋の中、俺は小学校低学年程の小さな女の子に話しかけられていた。
肩辺りまで伸ばされた髪を楽し気に揺らしながら、その小さな口を大きく開いて話しかけてくる活発なその子を横目にちらりと見やって、俺は「どうした?」とだけ返した。
そんな俺の無関心加減を気にしないまま、爛々と目を輝かせて「またあたった!」と、先程買ってやったアイスの棒を頭上へ掲げ、ひらひらと舞う。子供特有の無邪気さに思わず笑みがこぼれてしまった。
「よかったな」
ごしごしと無造作に頭を撫でて、俺は自身が置かれている境遇を思い出して俯いてしまう。
俺も、この子のように無邪気なままでいれたら、どれほど良かっただろうか。などと、あり得ない妄想に足を入れ込んでしまう。やがて水だったはずのそれは泥へと変貌し、俺を絡めとる。
このまま、埋没するかのように人生を終えるのかと思うと、溜息さえ出てしまう。それが悪い事だとは言わないし、言えないが。
冒頭、この小さな少女が言ったように、俺は漫画家だ。
いや、漫画家だったのだ。
小さな駄菓子屋を見る。田舎だからなのか、それとも店長が無精なのか、店内にはそれほどお菓子は置いていなかった。その為、俺は別に食べたくもないアイスを買っている。こんな体たらくで店が成り立つのか、と疑問に感じるが、もうここまでくると趣味なのだろうな、と勝手に結論付けて、俺は青色に輝く氷を頬張る。きーんとこめかみ辺りが痛くなるが、これもまた様式美だろう。
「まんが家はあたった?」
俺は頬張っていたそれを無理矢理喉に押し込み、存在意義を失った棒を咥内から取り出す。
「いや、はずれだ」
「まんが家、運悪かねえ」
何故か俺の不幸を一緒に嘆く少女に、「そう簡単にあたるもんじゃねえよ、普通はな」と返す。
「でもひなは毎回あたるぞ?」
「普通じゃねえんだよ」
「じゃあとくべつだな!」
「なんでそんなに嬉しそうなのかは知らねえが、まあ特別だな」
ちなみにひなとは、この少女の名前である。親戚というわけでもない、というかこの島に親戚などいないのだが、何故か懐かれてしまったようで、一日の大半をこの子供と過ごしている。
数年前まで、俺は漫画家だった。それで生計を立てていたし、少年誌で連載だってしていた。自他ともに認める漫画家だったのだ、俺は。
しかし、そんな夢の世界で生きていけたのはたった二年だけだった。これを長いと取るか短いと取るかは人それぞれだが、俺には短く感じた。あれ程頑張って掴み取ったはずの夢は、手のひらから砂のようにするすると零れ落ちてしまった。今となってはそれを拾う努力すら、していないように思う。
打ち切られたわけではなかった。すべて、俺が悪いのだ。
早い話、書けなくなった。先の話も靄に包まれていたし、得意だったはずの絵さえ、俺を睨んでいるような気がしてしまったのだ。俺は逃げたのだ、その世界から。なにを描いても納得いかない、上手くいかない、しかし俺は努力を放棄して、甘えた。甘言にこれ幸いと乗っかり、その上で胡坐をかいている。
「まんが家、落ち込んでるじゃろ。ひなのアイス半分やるけ、元気だしな」
唾液と日差しでどろどろに溶けてしまったアイスを俺に差し出し、笑うひな。
俺はひらひらと手を振り、その申し出を断った。
「そんな言わずに! ほら、食べたいじゃろ! 目がそう言ってるけ、あげる!」
「いらねえよ! 落ち込んでもない!」
ぐいぐいと迫りくるそれを躱しつつ、やっぱり俺は断りの文句をぶら下げる。
「ひなこれ以上食べたらお腹いたなるもん! だから食べて!」
「お前が食べたくないだけじゃねえか! そんな唾液塗れのアイスなんて食えるか! 駄菓子屋のばあちゃんにあげてこい!」
「ばーちゃんもまんが家にあげてこいゆうてたもん!」
人に責任を押し付けて、自分だけ逃げた駄菓子屋の店主に苛立つが、苛立っていてもしかたがない。
問題は、ここをどう切り抜けるか、である。
様々なパターンを脳内で繰り広げている時、腰あたりに嫌な、夏には似つかわしくない冷たさが俺を襲った。ゆっくりと振り返り、それを目視する。
そこには、にへら、と申し訳なさそうに笑っているひなと、ズボンにべったりとへばりついた、もはやアイスの形を成していないそれがあった。
「お前なあ……」
「だって、ひな悪うないよ? まんが家がもっと早く貰っとけば、こんなにはならんけえなぁ」
大きな瞳を右下に移動させて、人差し指同士をつんつんと突き合わせながら言い訳じみた主張を繰り返すひなを、上から見下ろす。
黙り込んでしまった俺を、申し訳なさそうに見ながら、ひなは口を開く。
「まんが家、怒っとう?」
瞳に涙をこれでもかという程貯め込み、うるうると俺を見る子供をどうして怒れようか。
怒ってねえよ、と示すように、俺はひなの頭をぐるぐると撫でる。破顔させ、にこにこと笑う少女を見て、怒りはどこかへと霧散してしまった。 俺が頭から手を放すと、待ってましたと言わんばかりにたたたと駆け出し、結構な距離の差が出来た地点で彼女はこちらを振り返り、大声で叫んだ。
「まんが家ー! よこちゃんとあそんでくるねー! またあしたねー!」
「……よこちゃんって誰だよ」
俺の知らない名前を大声で叫びながら、手を振ってくるひな。返答する形でこちらも手を振り返すと、ひなはそれを確認もせずに背を向けてしまった。
子供は難しいな、と思う。もしかすると、漫画以上に。
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