令和の時代に給湯室

深青藍

第1話 出社は始業時間の1時間から2時間前

 社会人になって早五年、大学時代の友人と久々にカフェでお茶をした。話に花が咲くものの、どうしても私には納得できないことがあった。

「どうしたの?真希子」

ぼさぼさの髪の毛、クマとシワが刻まれた顔、なけなしのメイク、明日切ろうと思って切れていない爪、よれよれのブラウス。そんな私に比べて、どうしてみんなは年相応の張りのあるつやつやとした顔をしてその綺麗に整った爪を整列させているのか。

「ううん、なんでもない。」

「大丈夫?ちゃんと休めてる?」

その休みを返上して、さっきまで私は会社にいました。

「うん、なんとか。」

「でさー、エスプレッソマシンきたのはいいけどおじさんおばさんには使い方がわからないの!結局私が沸かす係。」

くだらない話でげらげらと盛り上がっていた学生時代のように、私はうっすらと笑いながら一体何時になったらこのカフェを出ることができるんだろうと考えていた。

 ああ、早くおうちに帰りたい。


 家に帰ってお風呂を沸かして、適当な料理を作って食べたらお風呂、そして出たらお皿を洗って調子が良かったら動画を見て、疲れたらもう寝て、そして朝。

私が家で過ごすときは、だいたいこんなかんじ。

始業時間は九時だというのに、朝五時に起きて六時に身支度を終え、電車に乗って七時半に会社につく。もちろんタイムカードなんてものも、社員証なんてものもない。

常に開いている事務所の入り口を通って、荷物しか入らない小さなロッカーにいらないものを置いているものは今日の机に置いておく。そして次は机周りや廊下を掃除して、給湯室に籠る。

「おはようございます。」

挨拶をしても返さないくせに、挨拶をしないと怒る皆様おひとりおひとりに十パーセントの力を出して挨拶をする。素早くお湯を沸かして、お茶の葉とインスタントコーヒー、紅茶の葉をそれぞれのマグカップに準備する。お湯が沸いたら注いで、あつあつのそれらをお盆に乗せて各自に配る。

「真希子ちゃん、いつもありがとう。いただきます。」

「いえいえ。」

 唯一、挨拶をお礼を言ってくださるこの事務主任が私は大好きだ。

「鈴木さん、午後から会議があるから資料印刷いい?」

「わかりました。」

 そして厄介ごとはだいたい朝のこの時間に頼まれる。

「鈴木さんトイペどこー?」

「倉庫の一番下の段です。」

「あざーす。」

 そして何度も同じことを質問する奴もいる。

「今日のコーヒーまずくね?」

「誰だよいれたやつ。」

 私です。

 配給を終えて自分の机に戻るころには八時になっている。お偉いさん方も集まりはじめて、挨拶合戦がはじまる。九時から営業に出るチームは、少し早い朝礼やミーティングを行う。何度も言うが始業は朝の九時からだ。タイムカードなんてものもない。

私も昨日やり残した仕事をして、先ほど頼まれた会議資料の印刷にとりかかる。

「ラジオ体操はじめます。」 

八時半になったらどこからともなくラジオ体操の音楽が流れて、全員が手を止めていそいそとジャケットを脱ぐ。シャツのままラジオ体操を行って、終わったらいそいそと羽織って、社長席の向かいにある神棚に向かう。お参りをして、朝礼がはじまる。

「朝礼をはじめます、まずは昨日の実績報告です。」

メモも見ずに、代表社員が昨晩覚えたであろう売上報告を早口でぺらぺらと宣言する。終わったら拍手。その次は社訓、スローガンの読み上げ、会社の理念手帳の読み上げにそれに基づいた感動エピソードの発表、お偉いさんからのコメント。だいたい三十分はこの無駄な時間を過ごす。途中で電話が鳴っても誰も出ない。何度も言うが始業は九時からだからだ。と、言いたいところだがそこは夜間スタッフが電話を取って、何かあれば担当社員が電話を替わる。

「今日も一日、一丸となって目標達成しましょう。」

「達成します。」

 その言葉を合図に、社員たちは一斉に散らばる。私も自分の机に戻って、仕事にとりかかる。九時になった。


「おい、今日トイレ掃除したやつ誰だ!」

「はい、自分です。」

「まだ汚れが残ってるぞ、やり直し!」

「すみませんでした!」


 新人の子が今月何回目かになるやり直しをさせられている。これもよくある光景だ。


 そんな話をしたら、友人たちに笑われた。

「古っ、ドラマじゃないんだから。」

私もドラマだと思って過ごしています。 


 昭和、平成を経て令和へと生きる我が社は、どうやら昭和のまま時が止まっているらしい。

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