第5話 みみっく
風が鳴いている。
夜の静寂の中、俺達は初めて冒険者らしい事をしていた。
「おい、助けに来たはいいが本当に倒せるのか……?」
「怖いこと言わないでよ……。私もモンスターを相手にするのは初めてなのよ」
目の前に佇むのは小型のゼリー状の最弱モンスターである。時折思い出したかのようにぴきぃと啼いており、それが一層不安を増長させる。
辺り一面暗闇で覆われているのだが、冒険者カードを作った時に特典でついてくる暗視スキルをエリスが使用してくれている為、対象を見失う事は無い。初めてエリスが役に立った瞬間だった。
ぴょんぴょんと跳ね回るその姿は一見愛らしささえ感じてしまうが、目の前のこいつはれっきとしたモンスターであり、そしてその行動は俺達に対する威嚇である。
つまり、俺とエリス、ひいては俺達の後ろで震えている少女を敵と認識している証左だ。
「スライムには流石に負けないだろ、負けないよな? よし行ってこいエリス」
「ちょっと待ってよ! さっきまでのかっこいいフィンはどこに消えたの!? 戻ってきて!」
「一時の気の迷いだ。俺は危ない事はしたくない。リスク回避は冒険者の基本だろ」
「最低! ちょっと! 押さないでよ! たすけてー! たすけてー! モンスターが二体いますー!!」
「おい! 俺をモンスターにカウントすんなよ! あと大きな声出すな! スライムが警戒してるだろ!」
抵抗するエリスの身体をぐぐぐっとスライムの方に押しながら、俺は少女に話しかける。
「大丈夫か?」
「……こわいです」
小さく震えながらそんな声を漏らす少女の頭にぽんと手を添えて、撫でる。
「大丈夫だ、助けてやる」
「……お兄さんたち、こわいです」
じとーっとした視線を向けられたのでそっぽを向いておく。
なんでだろう。こいつを助けにここまで降りてきたことを後悔してきたな。
そんな緊張感のない会話を緊張するべき場面で繰り広げていると、一向にかかってこない俺達に痺れを切らしたのか、スライムが間抜けな遠吠えと共にこちらへと向かってくる。
『ぴぃ』
そんな可愛い掛け声とともに放たれた可愛くない体当たりを直に食らってしまい、地面との距離が近くなる。
「おいおい聞いてねえぞ! スライムは最弱モンスターなんじゃなかったのかよ!」
誰に向けるでもないその大きな独り言を抱え、俺は次の攻撃を食らってしまわないように素早く身を起こす。
「なんだかこのスライムからは強烈な魔力を感じるわ! ささ、諦めて逃げちゃいましょうフィン! 私たちにこのステージは早すぎたのよ! きゃー!! 来ないで! たすけてー! たすけてフィン様ー!」
目標をエリスに変更したスライムが、先ほどの体当たりをぶつけようとエリスを追いかける。
「よしそこの少女! 今の内にあいつを囮にして逃げるぞ!」
「フィン! あんた覚えておきなさいよ! 殺すわ、絶対殺すからー!」
「……お兄さんたち、やっぱりこわいです」
未だスライムに追いかけられているエリスを尻目に、俺は少女の手を取る。
「あんた本当に逃げる気!? 嘘でしょ!? 嘘だよね!?」
「残念ながら本当だ! お前との冒険は楽しかったよ! また来世で会おうぜ!」
ひらひらと手を振って別れを済ませる。少々悲しい気もするがここがエリスの墓場だったというだけだ。死は受け入れるしかない。人はいつか死ぬのだ。仕方ない。だから仕方ない。俺は悪くない。
「ちょっと! 待ちなさい! ほらスライムさん、私なんかよりあのクズを殺した方が世の為になるわよ! さああっち行って!」
「おい! モンスターをけしかけんな! こっちには女の子も居るんだぞ! ちょっと待てこっち来るな! お前が来たらそのスライムまでついてくるだろうが!」
「死なば諸共よ!」
「落ち着け! 犠牲は少ないほうがいいだろ!」
「それは自分が犠牲になる奴が言って初めて納得できる台詞よ!」
女の子を抱え、スライムから――エリスから逃げることを選択する。勝てない。今の俺じゃあのスライムには勝てない。戦略的撤退! 逃げたわけではない!
そんな言い訳を心の中で繰り広げながら、村を駆け回る。幸い、スライムの足はそれほど速くないようで、どんどんと差は広がっている。既にミミックのことなどどうでもよくなっており、どうやってこの危機から脱却するかを考えるだけの脳となっていた。
「お前、逃げ足だけは早いのな」
はあはあと息を切らしながら、全力で逃げる俺に追随するエリスに話しかける。
「危機の時に力が強くなる闘争スキルと間違えて逃走スキルを取ったからね」
「こんな状況だからか、お前のそのバカエピソードを聞いて安心してしまう俺がいる」
「お兄さんたち本当にメイを助けに来たんですか……?」
数十分後。
危険で凶悪、悪魔でいて最弱のモンスターを振り切って、俺達は比較的安全で全体を見渡せる高台へと戻ってきていた。
「ふう。俺がいなければ全滅していたな……」
額にへばりつく嫌な汗を拭いながら呟く。
「あんたがいなければ私が追いかけられることもなかったし、この子も危険に晒されてなかった気がするんですけど」
「気のせいだ」
「……本当に気のせいでしょうか、メイは違うと思います」
「子供は黙ってなさい。そして俺に感謝し、報酬を支払いなさい」
懐から五百リル硬貨を取り出し、俺に差し出そうとする少女の手をエリスが掴み「あげなくていいわよ」と制する。俺だって本当に受け取ろうとはしてないからな!
「でも、あのスライム本当にスライムかしら。最弱とは思えない魔力量を感じたんだけど」
珍しく深刻な顔をしているエリス。
「魔力魔力うるせえよ。倒せなかった言い訳にしか聞こえないぞ」
「だって本当だもん! スライムがあんなに強いわけないじゃない!」
「俺達が絶望的に弱い可能性はないのか?」
「…………」
「黙るなよ」
図星だったのだろう。しかし、スライムを倒せない冒険者であるなど俺も認めたくはないため、それ以上の追及は慎んでおく。
カードを持っていなくてよかった。もしもカードの加護付きでスライム如きに引けを取ったのであれば、俺は立ち直れない程のトラウマを抱え生きていくことになっていたはずだ。スライムも倒せない冒険者など、腐敗した街、アイリスにもいないだろう。一般人万歳。冒険者じゃなくて良かった。
エリスは今回の出来事をカードに記し、レベルが上がらないかを確認している。数秒後、分かりやすく落ち込んでいたのでレベルの上昇はなかったのだろうと推測する。
当たり前だ、スライムから逃げただけでレベルが上がるのなら誰でもそうしている。甘く見るなよ、冒険者を。と冒険者ですらない俺は思った。
スライム騒動も落ち着いてきたところで、少女が口を開く。
「ありがとうございました、冒険者? のお兄さんがた。メイは助かりました」
「なんで冒険者が疑問形なのかは聞かないでおいてやるよ。寛大な慧眼のフィン様に感謝するんだな」
「はい、ありがとうございます。フィン様」
「お、おう。いいってことよ」
普段、エリスと殺伐とした会話を繰り広げているせいで、こうも素直に感謝されると気持ちが落ち着かない。ふらふらと感情が揺れているのがわかる。
「メイとか言ったかしら? 私にも感謝しなさいよ!」
「ええと……」
名前がわからないのか、その先を言いよどむメイに助け舟を出してやる。
「こいつの名前はクズだ。気軽にゴミと呼んでやってくれ」
「わかりました。クズ様、ありがとうございます」
「馬鹿なの!? そんなわけないでしょうが! 私はエリスよ! アイリス一の冒険者、エリス! よく覚えておきなさい!」
キッっとした目つきでこちらを睨むメイから、さささと離れる。怖い。軽い冗談に決まってるだろ。
……というかいつからアイリス一の冒険者になったんだ。
「すみません。エリス様も、有難うございました。助かりました」
「え、ええ。良いわよ」
エリスも純粋な好意を向けられるのに慣れていないのか、しどろもどろになっていた。これを機にまっとうな人間になってほしいものだ。
(ねえフィン。なんだか話しにくいんですけど。いい子過ぎて話しにくいんですけど)
涙目になりながら小声で俺に助けを求めてくる彼女を無視して、俺はメイを見る。
「おい、お前まだ子供だろ。こんな時間にこんな辺境でなにしてたんだ」
気になっていたことを聞く。そもそも、初めはこの少女がミミックではないかと疑っていたのだ。イレギュラーがあって成り行きで救助はしたが、それで少女の疑いが薄まるわけではない。可能性は僅かながら、この幼気な少女がミミックだということも、十二分にあり得る話である。
「人のプライベートを詮索するのは御法度ですよ、フィン様」
人差し指を自らの口元に持っていき、内緒です、と囁くメイ。
「ん……ああ、まあそうだわな。言えないこともあるよな」
俺にも思い当たる節がないわけではなかったので、これ以上詮索するのは止しておく。決して、その仕草の可愛さに毒されてしまったわけではない。
「はい。言えない事もあります。私はメイシール・ドルミナンテと申します。お兄さんがた、助けてくれて有難うございました。貴方方のお名前は絶対に忘れません。メイはそろそろ帰らねばなりませんので、これで失礼します。大したお礼も言えず申し訳ございません」
「いや、それは良いんだが、送らなくて大丈夫か? 道中、また襲われないとは限らないだろ」
乗り掛かった舟だ。最後まで責任をもってやる。
「いえ、大丈夫です。もう襲われることはありませんので」
「ん? どういうことだよ」
「では、失礼いたします! フィン様、ク……エリス様! お元気で!」
そんな俺の疑問をはね退け、逃げるように暗闇に溶けるメイをぼーっと見送りながら、エリスの怒りの声を聴いていた。
「ねえ今あの子クズって言いかけなかった? 言いかけたわよね? 殴っていいかしら」
「駄目に決まってんだろ」
メイを追いかけんと息巻くエリスを必死に食い止めながら、脳をフル回転させて思考する。
あの子はどこの子供だろうか。
俺達がこの村に来て日が経っていないということも勿論あるが、この村は小さい、村人全員と顔を合わせていてもおかしくはないはずである。しかし、俺はあのメイと名乗る少女に見覚えがない。マントなどというこの村では売っていないようなものを身に着けていたので、ここに住んでいる人間ではないのかもしれないが、それでもまだ疑問は残る。
なぜあの子は、こんな深夜にこの場所に居たのだろうか。
「なあエリス、あの子この村で見かけたか?」
「さあ、私は知らないけど。というか疲れたわ、もう遅いし帰って寝ましょう。ミミックももう今日は来ないでしょ。なんだかそんな気がするわ」
「……。ああ、そうだな」
根拠のないミミック論を聞き流しながら、星空の元、俺達は帰路についた。
全てを見ている星が、全てを知らない俺達を嘲笑しているような、そんな気がした。
○
「フィン。起きて」
まだ冴え切っていない頭が、そんなエリスの台詞を咀嚼する。しかし、寝ぼけているせいか上手くそれを飲み込むことができず、俺は二度寝をすると選択した。
ごろんと一度寝返りを打ち、藁の感触を楽しむ。この村に住んでいる住人はいつもこんな環境で寝ているのか、と少し同情したが、二度寝の気持ちよさは環境などを気にせずに、真っ直ぐに俺を撃ち抜く。二度寝を仕事にできないかな、などという怠惰な願望を抱えたまま、俺は眠りに――
「起きなさいって言ってるでしょうが!」
どん、とエリスの拳が俺の脳天を打つ。痛みで先ほどまで微睡の中にいた意識が強制的に浮き彫りになる。
「なにすんだよ。痛いだろ。やっていい事と悪い事を学びやがれ」
強制的に覚醒させられた俺は、エリスに恨み節をぶつけながら寝ぐせで散らかっている髪を手櫛で元に戻す。
「そんなこと言ってる場合じゃないんだってば」
「なんだよ。こんな起こし方しておいて重要でもないようなことを言いやがったら遠慮なく殺すからな。言っとくが本当だぞ」
殺しはしないが肋骨くらいは折ってやると決意した。
俺はエリスを見据える。後二言くらい罵倒を付け加えてやろうと思ったのだが、出かかった言葉が喉元を通過する事はなかった。
「この人です。間違いありません」
エリスの後ろに、見覚えのある黒いマントを羽織った赤髪の少女が存在していたからである。
確か、メイシール・ドルミナンテとか言ったか……。
眠たい目を擦ってよく状況を噛み締める。この場にいるのは俺、エリス、メイ、そして村長まで佇んでいた。
何かが起きているのは間違いない。
「間違いないって、どういうことだ?」
そんな俺の問いにアンサーを返すことはないまま、メイは高らかに告げる。
「この人、ミミックです」
つい先日村長に向け放った台詞が、そのままブーメランとなって俺達に突き刺さっていた。
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