022 ヘタレ・もじもじ・ニヤけてる
ボールをまっすぐトスアップし、振りかぶったラケットで力強く叩く。
乾いた打球音と、風を切る音。
向かいのコートのセンターラインに突き刺さったボールは、相手に触れられることなく奥のフェンスにぶつかった。
「おー」
「ノータッチエースじゃん」
「ナイスサーブ!」
望月絢音はタオルで汗を拭きながら、コート外からの声に手を挙げて応えた。
「じゃあ望月はちょっと休憩。次、中村ー!」
顧問の教師の指示で、絢音はコートから出た。
フェンスに寄りかかって息を整える。
すると、同時に休憩していた
「おつかれ、望月」
「なによ。珍しいわね」
絢音と都波は今年のクラスこそ同じだが、そこまで仲が良いわけではない。
理由はいろいろとあるが、遥とやけに親しい都波に、絢音の方が無意識に敵対心を持ってしまっている、というのが大きいかもしれなかった。
「お前、知ったらしいな、あのこと」
「……あぁ、あのこと」
あのこととはつまり、雪季のことだ。
美少女転入生水尾雪季が、遥の家に住んでいる。
そしてそれを、遥はひた隠しにしている。
無理もない。
無理もないが、どうしても不愉快だった。
「どうすんだよお前は。見てるだけか?」
「……なんのことよ」
「アタシを誤魔化せると思ってんのか? この不利な状況をどう挽回すんだって聞いてんだよ」
「ち、ちょっと! おっきな声で言わないでよ!」
都波はヘラヘラと嫌らしい笑みを浮かべた。
絢音は悟らざるを得ない。
都波は、絢音の気持ちに気付いている。
どうして、という気持ちと、やはり、という気持ちが半々だった。
なにせ、遥の親友の渉にもすぐに見破られたのだ。
そんなに分かりやすいのだろうか。
だとすれば、他の人間にもバレているのでは……。
「雪季は案外戦略家だからなー。立場まで有利となると、こりゃヘタレな幼馴染には勝ち目なしかもなー」
「……な、なによ。わざわざ嫌味でも言いに来たわけ?」
「いや? ただ、このままでいいのかなーっと思って」
「……よくないわよ」
「なんだ、意外と素直じゃん」
今までなら強がって、突っぱねていただろう。
しかし、現状はかなり危機的だ。
藁にもすがる思い、というのはこのことだった。
「同居って……どうすんのよそんなの……」
「さすがのアタシもビビったからなー。しかも惚れてるときたもんだ」
「それに雪季、可愛すぎるし……」
「だなー」
都波は気の抜けた返事を繰り返すだけだった。
何か策を授けてくれるわけではないらしい。
絢音はガクッと肩を落とした。
まあ、期待した自分も悪いが。
「ん? あ、遥」
突然の都波の言葉に、絢音はビクッと身体を跳ねさせて辺りを見渡した。
都波の指差す方を見ると、校舎側のフェンスの向こうで、遥が人懐っこい笑顔で手を振っている。
思わず顔が赤くなった。
都波に用かとも思ったが、どうやら自分の方が目当てらしい。
一体、何の用だろうか。とことこと駆け寄り、控えめに声をかける。
「は、遥。どうしたのよ」
「おう。部活お疲れ。悪いな、邪魔して」
「い、いいわよそんなの。今休憩だし」
邪魔どころかものすごく嬉しい。
先日の下校といい看病といい、最近は遥との距離が再び縮まりつつある気がしていた。
今は遥と会えるなら、話せるならなにが理由でも幸せだ。
「あ、ポニーテールじゃん」
「え、あ、うん。部活中はね」
「ふぅん。さすが絢音、似合うなぁ」
「……ありがと」
もっと冗談めかして返すべきなのに、思わず俯いてもじもじしてしまった。
不意打ちでこういうことを言うところが、遥の良いところでもあり、悪いところでもある。
ただ、今はとにかく幸福感でいっぱいだった。
「で、なんなのよ。わざわざ」
少し怒ったような口調になってしまったのに、遥はにこやかだった。
相変わらず、馬鹿みたいにお人好しで優しい。
そういうところが、絢音はどうしようもなく好きだった。
「傘、返してもらうの忘れてたからさ。暇だし、取りに来たんだ」
「え? あぁ、そういえば。でも、今は無いわよ。カバン、ロッカーだから」
「あっ、そうか。うっかりしてた。バカだな、俺」
あはは、と言って頭を掻く遥。
本当にバカだ。だがもはやバカなところすら愛しい。
絢音は心の中でため息をついた。
もしかすると、少し前よりも想いが強くなっているのかもしれない。
「き、今日は雪季は一緒じゃないの?」
「ああ。なんか職員室に呼ばれてるって言ってた。たぶん転入関係でいろいろあるんだと思う。待ってろって言われたから、その間に来たんだよ」
「ふぅん……また一緒に帰るの?」
「まあ、そうかな。なにせ、家一緒だし」
聞かなければよかった、と思った。
しかしどうしても確認したくなってしまう。
今日くらい別々に帰ればいいのに。そんなに仲良くしなくてもいいのに。
そんな嫌なことを考えてしまう自分が情けなくなった。
「でも無駄足だったなぁ。部活の邪魔しても悪いし、戻るよ」
「あっ、そ、そう……」
なんてもったいない。
しかし、これ以上引き止めるのもおかしな話だった。
「よっ、遥」
諦めて手を振りそうになったその時、都波が会話に混ざってきた。
いつものような気軽さで声をかけている。遥もにこやかに答えた。
「おお、都波。ちゃんとまじめにやってるか?」
「全然」
「おい」
「いいんだよ、気分が乗らない日はテキトーで」
「いつ気分が乗るんだよ」
「再来年かな」
「引退してるじゃねぇか」
実に自然なやりとりだった。
遥は都波と話す時、いつも楽しそうにしている。
絢音はますます自信が無くなるのを感じていた。
都波と遥の間には、恋愛めいたものが何一つ無いように見える。
しかし、自分よりもずっと、都波は遥と仲が良さそうだった。
見せつけられているようで心が痛い。
「ところでお前ら、なんか傘がどうって言ってたろ? アタシ今からロッカー行くけど、ついでに取ってきてやろうか?」
「え……いいの?」
「勝手にお前のカバン漁って良いなら、な」
「い、いいわよ。黒い折り畳み傘。外側のポケットに入ってると思う」
「おっけー」
「おお、サンキュー都波。じゃあ待ってるよ、俺」
「あいよー」
都波はそんなことを言って、さっさとコートを出て行ってしまった。
(もしかして、都波さん……)
自分が遥と話す時間を作ってくれたのだろうか。
そんなわけない、と思いながらも、絢音は都波に感謝しておくことにした。
「そういえば、風邪治ってよかったわね」
「ああ。いやいや、その節はお世話になりました、絢音さん」
「どういたしまして。まあ、私のせいでもあるしね」
「俺思うんだよなぁ。絶対、絢音の作ってくれたうどんのおかげだよ」
「ふふ、大袈裟ね。あんなものでいいなら、いつでも作るわよ」
「いやぁ、マジで頼みたいよ。もっと家が近ければなぁ」
「……そうね」
きっと、本当に家に招いてくれることはないんだろうな。
遥の言葉で、絢音はそう思ってしまった。
仕方ないことではあるが、やはり悲しい。
遥が一人暮らしを始める前は、二人は簡単に行き来できる距離に住んでいた。
今でもそこまで遠くはないが、決してご近所と言える距離ではない。
ますます雪季が恨めしい。
自分だって遥と二人で住めれば、もっと距離も縮まるはずなのに。
そうすれば、今よりももっと。
「ん? 絢音、なにニヤけてるんだ?」
「えっ? に、ニヤけてなんかないわよ!」
「でも今」
「ニヤけてないもん! 怒るわよ!」
「えぇ……」
遥の怯えた表情で、絢音は我に帰った。
ダメだ。遥の前だと少し暴走してしまう。
自分の悪い癖だ。
「遥ー、いくぞー」
「ん? うおっ」
気まずい空気を切り裂くように、折り畳み傘が飛んできた。
遥が不意を突かれながらも上手くキャッチする。
見ると、都波が駆け足で帰ってくるところだった。
どうやらあそこから投げたらしい。
「おー、ナイスキャッチ」
「あぶねぇな……」
「お前のだし、良いかなって」
「こら」
都波はヘラヘラ笑いながら、遥に気づかれないように絢音を見た。
口の動きだけで、アホ、と言っているのがわかる。
ますます気が滅入った。
「ありがとな二人とも。じゃ」
「んー」
「ま、またね!」
こちらに手を振りながら、遥は去って行った。
その姿が角を曲がって見えなくなったところで、絢音は大きなため息をついた。
「アホ」
「……分かってるわよ」
まだまだ、この恋路には困難が多そうだった。
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