第16話 個展の開催2

 佐恵子は奥のテーブル席にいる朔郎さくろうが目にとまり、どう云うことと狭山を呼び止めた。

「佐恵子さん、あなたの見学中に彼が来ましてね……」

 きっと近くで待機している彼を呼び出したのね、と狭山の言わんとしたことをその誤魔化し笑いで佐恵子はすぐに理解して彼の席に座った。

「佐恵子さん本当に久し振りですね。どうしているかと北村も心配してましたよ」

 朔郎の横に座った狭山が先ほどとは打って変わって昔のように親しみを込めて言った。後の言葉は友美以外は見え見えで実に余分だが彼が言うと自然体で通った。

 佐恵子は狭山の言葉を受け流して改めて妹に朔郎を大学時代の友人として紹介した。

 友美は五人兄弟の末っ子で切れ長な眼は姉に似ていたが現代っ子で物事に余り拘りがなかった。

 営業担当の狭山は面白可笑しく会社や仕事場で世間話を振りまいた。彼は実にこの場の雰囲気を盛り上げていた。朔郎と佐恵子はそれに会わせて相槌を打ったりして話を繋ぐダケでよかった。北村はそれに合わせて駄洒落を連発した。狭山と佐恵子はその都度しらけるが免疫のない友美は笑い転げていた。

 佐恵子は妹に「笑っちゃダメ、この人、癖になるから」と自制を促すが、友美は「だって涙が出ほど可笑しい」と目頭を拭いていた。北村の駄洒落に飽きた佐恵子と狭山は二人だけで話した。そうなるともて余した朔郎と友美は今度は真剣に喋り出した。

 当事者同士には聴きたいことは山ほどあるが、部外者の居る手前では当たり差し障りのない話に尽きた。この前にも北村は佐恵子と会っていたが肝心な事は何も話していない。おそらく堅物なあいつはま同じ調子で繰り返すと思った。そこで狭山の演出でざっくばらんな雰囲気に持って行った。

 その雰囲気に乗って正幸まさゆきは相変わらずだと佐恵子が切り出した。すると朔郎の表情が硬くなった。まずいと佐恵子は直ぐに話題を変えた。

「さっきあなたの写真展を観たわよ、他にも感心して見ている人も居たわよ、おめでとう」

「ほ~お、それでどの作品が気に入りましたか」

 二ヶ月前に再会しているのにどうした北村、と間が空かないように狭山が代弁して話を繋いだ。

「下弦に冴える月かしら、あの頃のあなたならその前の作品に目を止めたけれど今はあの作品が素敵だと思えるようになったのはなぜなのかしら?」

「それだけ年季が入ったって云う事じゃないだろうか」

 やっと朔郎が真面まともに佐恵子に語り出した。

「まあ ! 年季だなんてもっとマシな言い方ないのかしら?」

 でもあなたらしいと佐恵子はしとやかに笑った。

 正幸の事は当たり障りのない様に避けながら二人は昔の様に話した。狭山と友美は完全に脇役になつた。

 狭山はこれで北村も次回は昔の様に佐恵子と本音で語ると確信した。


 喫茶店を出ると北村と狭山は個展の会場へ戻った。二人と別れた姉妹は通りを歩き出すと堰を切った様に友美が佐恵子に話し出した。

「ただの友達じゃないんでしょう、さっきの人、義兄さんの事をよく知っていたわよ。どういう人なの」

 高校まで熊本に居た妹は正幸と一緒に成る以前の事は知らない。そして佐恵子の事で二人の友情がどう変わったか微妙な所は知らなかった。

 あの時は正幸のお節介で一度崩れかけた仲を有美子が取り持ってその場はしのいだ。佐恵子も朔郎と心機一転で大阪に移り住んだ。一度ひびの入った心の亀裂も表面では順調に修復した。だが数ヶ月後にあるひと言で瓦解した。

「何を言われたの」

「二人で登山に行って帰ってから朔郎の様子が可怪おかしく成ったのよ、何度聞いても答えてくれないから正幸に聴いて驚いて家を飛び出したの」

 言った姉の顔は飛び出した理由を拒絶していた。

「また有美子さんところへ行ったの?」

「もう行けないから今度は正幸に確認したの」

 友美にはじれったかったが理由は凛と張った目許でやはり訊きそびれた。

「それで」

「その時に正幸は半年間の海外研修に決まったの。ひと月後にあたしも追っかけたの」

 肝心な途中が抜けているが友美も飛ばした。

「それが例の旅行だったの語学留学って言ったけど実際は姉ちゃんは恋の逃避行だったのか、それって赤ちゃんは」

「一緒に連れて行ったの、だから向こうでも大変だった」

 ーー人一倍に洞察力がけた姉には信じられない行動だった。それだけ気持ちが病んでいたのね。

「正幸さんは平気だったの」

「なぜなのか何にも言わないからやはりかおりが気になったのか、一緒になる気が無いと思っていたらプロポーズされて帰国してすぐ結婚したの」

「嘘だ、そんな気紛れ、そんな成り行きで姉ちゃんが結婚するはずがない。北村さんと言う人から逃避したかっただけじゃないの。姉ちゃんは昔あたしが小学校へ行く前だった時に男の人を連れて来たでしょう。その人が正幸さんだと判ったけどその時は実際は北村さんと一緒に暮らしてたんでしょう。その半月後にさっきの話だと正幸さんを追って外国まで行った。無茶苦茶な話じゃないのに、にわかに信じろってそれでも姉ちゃんは言うの」

 正幸が社会人として新しい人生を歩みだした。朔郎は大学を中退して正社員になった。これで二人は高校からの学生気質の自由な生活に終止符を打った。これから別々の道を進む、その仕上げに二人は最後の登山をした。そこで信じられない事を正幸から聞かされた。その時はもう頭の中が支離滅裂になり神経が濁流に呑み込まれて行った。

「二人が登山に行って帰ってからあの二人だけど、どっちを信じて良いか解らなくなったのよ」

「じゃどうして正幸さんを信じたの、実家に一緒に来てくれたから」

「あれは誘ったんじゃないのよ」

「でもお父さんは乗る気だったよ、これで佐恵子も片付くなあって言ってた」

 正幸の取りなしは、あれは朔郎の弁明には違いなかったが父はすっかり正幸に傾倒させて仕舞った。これでは進路を絶たれたのに等しいかった。それなのにあの人は相変わらず狭い視野で生きていた。最初はそれがあたしの望みだったけれどいつか打破してほしかた。

「待てないなんて。北村さんは理想の人じゃなかったの」

「現実は理想通りには……。まあそれより友美、あんたにはまだ無理ね。それより裕次君を大事にしなさい。気を揉ませちゃあダメよ待ってるんでしょう裕次君、早く行ったげなさい」

    

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