第9話 開拓惑星の嵐が残したもの
台風一過のさわやかな晴天。気分は暗く、名古屋さんからの応答がないのが気になるが、仕事はやっておかねばならない。
あれだけ茶色く濁っていた川の水も澄んできて、川の水位も下がってきた。川の流れが変わって、川の中州の位置や形が変わっている。堤防近くの流れを浚渫することで、取水と排水の効率を改善するとともに、堤防を強化することを予定に入れておく。数kmに及ぶ長さで工事をする必要があるので、結構大掛かりになりそうである。新しい開拓地の作業の優先度を変えて、治水工事を優先にしても、冬の半ばまでかかりそうだ。とりあえず、流木の回収と、建材に流用可能なものの分別と加工を指示しておく。川の様子からある程度予想はできていたが、海岸にも流木の山ができていた。どうも潮の満ち引き以上に海岸の幅が広がって、海が遠くなっているように見える。こちらについても、流木の回収と、建材に流用可能なものの分別と加工を指示しておく。AIの見積もりによれば、近所だけでも2週間ほどかかりそうだが、道なんてものがない山まで行って伐採することを考えれば、効率が良い。
水田は多少水に浸かったが、水さえ抜けてしまえば、予定どおりに収穫できそうだ。
畑については、片付けが終わっていなかった棚が壊れて悲惨な状態になっているが、どうせ解体して整地する予定だったのであきらめる。
果樹区画の木の枝が多少傷んでいるものがある。剪定を予定に入れておく。収穫期を迎えた林檎が半数以上落果してしまっているのが悔やまれる。もっとも、残った分だけでも一人では食べきれる量ではないので、一部の加工用のものを除けば肥料になる運命ではあった。腐敗して悲惨な状況になる前に対処しておきたい。
やることの多さにうんざりしながら、焼き林檎とアップリティーで軽い夕食にする。
母船と通信できる時刻になって、メールを確認する。やはり、名古屋さんからのメールはない。衛星写真によると開拓地No.49-89-0002があった巨大な中洲がすべて水没して、別の場所に中洲ができているのが見える。もうメールをやり取りすることもないのかと悲しくなってくる。最初にもらった動画から一番かわいく見えるシーンを切り出してプリントして食堂の壁に飾った。その前に鉢植えで三本立てて育てた厚物の白い大輪の菊をその前に一鉢置いた。この菊は堤防にたまたま自生しているのを見つけて育てていたものだ。
流木の回収が終わって、米の収穫が終わるまでの2週間は、あっという間だった。ひたすら何も考えないようにして働いていた。次郎柿系の甘柿を収穫して、食堂の写真の前に供えておいた。あらためて名古屋さんからメールが来ることを楽しみにしていたのだなと自覚して寂しさを感じる。
治水工事のための測量を終えて、昼食のために宿舎の食堂に入ったら、何かがいる気配がする。何日も風呂に入っていないような饐えた臭いが漂い、時々水っぽい咀嚼音がする。漫画の影響で冗談で作って置いていた粉砕バットを掃除用具入れから取り出して、そっと近づいてみた。支給品の黒い合羽を羽織った何かがこちらに背を向けて柔らかくなった柿を貪っていた。
「誰だい?」
その人物はこちらに振り返ると、呆けた表情でしばらく固まっていた。声をかけようとしたら、長い髪を振り乱してタックルするように抱きつかれて床に押し倒された。
「……怖かった。……寂しかった……」
彼女は、泣きじゃくって、繰り返し繰り返しつぶやいていた。そっと、左手で背を抱いて、右手で頭をなでてやる。
部屋の中に夕日が差し込む頃になって、彼女はやっと落ち着いたようだった。とりあえず起こしてから、自室の浴室に彼女を押し込んで、体を洗って着替えてくるようにいう。倉庫から新しい服を出して風呂の外に着替えを置いて、声をかけると、泣き枯れた声で「……ありがとう……」と小さな返事があった。
新米で作ったリゾットを夕飯として用意した。彼女は風呂上がりの上気した顔をさらに赤くしながら、おかわりをした。とりあえず、体調に問題はなさそうである。
食事の後、後片付けをしながら彼女の事情を聞いてみた。ポツリポツリと語りだした。 台風の結果、再び堤防が破れて開拓地全体が水没し、気が付いたら宿舎の2階にいたのに膝下まで水没していたそうである。翌日になっても水が引かず、表を見たら見渡す限り水面で、ところどころに設備の屋根や背が高い部分が見えるという状態だったそうだ。その状態から、ボートを組み立てて、海岸に沿って海を移動して、2週間かかってやっとここについたということだ。前日に食料と水が尽きていたのもあって、食堂にあった柿を見て、我慢できずに食べてしまったとのことだ。
「一花さん、怖かったのはこっちもだよ。」と、笑いながら柿が置いてあったところを指さすと、「酷~い。ちゃんと足ついてるよ。生きていれば何とかなるって言ったのあなたじゃないか。」とぷんすかとほほを膨らませ立腹した後、私の後ろに移動してきて後ろから抱き着いてくる。
「もう一人は嫌。一緒に暮らそう。私と一緒にいて。」
「わかったから。わかったから。一緒にいてやる」といったら抱き着いたまま寝落ちてしまった。崩れ落ちそうになって慌てて背負って自室のベットに寝かせたら、目を覚ましたらしく、服を掴んで離さない。仕方なく、その晩はベットの横で彼女の顔を見て過ごすことになった。
いつの間にかベットの横で床に座ったまま寝てしまったようで、体の節々が痛い。食堂に行くと先に起きた一花さんが朝食の用意をしている。ふと食堂の壁を見ると、彼女の写真が外されて、代わりに先日のメールに添付されていた6人の子供の写真家掲げられている。花も玄関に移動したようだ。料理を食卓に並べると上気した顔でにっこり笑った。お辞儀をすると、ポニーテールにした髪が揺れる。
「あらためまして、名古屋一花です。もう一人は嫌です。責任取ってずっと私と一緒にいてください。」
開拓地に住民が一人増え、新たな日々が始まったようである。
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