第20話:夢のレベル99

 目的地の『虹色のいただき』は、南の海のど真ん中にあった。


 何もない海上に嶮しい岩山が、ビンビンにそそり立っていた。

 その高さたるや、かなり遠くからでも確認できるほど。でも船で近づけたとしても、これを登るのはちょっと無理だろう。高いうえにほぼ垂直にそそり立たれては、とても登れたものじゃない。


 だからこんな岩山の頂上に到達しようと思ったら、あたしたちみたいに空から訪れるしかなかった。


「へぇ、なんだか天国みたいな場所ですね」


 思わずそんな感想をこぼすくらい、頂上の様子は長閑な雰囲気に包まれている。

 嶮しい岸壁とは違い、頂上部は緑豊かな開けた場所となっていて、色とりどりの小さな花々が穏やかな風にゆらゆら揺れていた。おまけに高地のくせに温かく、昼寝に最適な木陰を作り出す大木に、中央には小さな泉まである。


「うむ。悪くない」


 魔王様も眼前に広がる景色に目を細めた。

 ドラコちゃんに至ってはみんなを乗せての長旅に疲れたのだろう、幼女形態に戻って早くも草花の上ですやすやと眠っている。

 

 出来ればあたしもひと休みしたいところだけど……。


「で、こんな所に一体何の用があるんだ、魔王?」


 久々に口を開けた勇者様が、あたしのお昼寝タイムを許さなかった。

 周りの穏やかな雰囲気に反して、ひとりだけピリピリした空気を纏う勇者様は、厳しい目つきで魔王様を睨みつける。

 

 もっとも、そこはさすがに魔王様。

 勇者様の視線に別段怯むわけでも、対抗心剥き出しにするわけでもなく、ただ悠然と受け止めながら口を開く。


「決まっているであろう。お前を鍛えてやるためだ」

「なに!?」


 魔王様の口から、思ってもいなかった言葉が飛び出してきた。

 と、驚く暇もなく。

  

 ぴよーん!

 

 今度は近くの草むらからモンスターが飛び出してきた!

 

「うわっ! こんところにモンスター!? ……って、なんだあれ?」

「珍しいな。体が虹色に光るスライムなんて初めて見たぞ」


 そう、それは体全体が虹色というか、様々な色を発光させているスライムだった。

 スライムと言えば、おきまりは平原にいる緑色。あるいは火山付近に生息している赤や、海辺で大量発生する青が知られている。

 でも、虹色のスライムなんて勇者様の言う通り、見たことも聞いたこともない。


「まさに百聞は一見に如かず、だな。よし、あのスライムを倒して来るのだ、キィ」

「ええっー? でも、私、魔王様も知ってるようにSTRは全然ないんですよぅ。武器だってほら」


 あたしは愛用のはたきを腰から抜き、命令を下された魔王様に向かってぱたぱたと振ってみせる。

 うん、我ながらアホな光景だ。


「問題ない。ヤツはキィと似ていて回避能力がずば抜けているものの、攻撃力は無に等しい。おまけにHPも1だから、キィでも倒せよう」


 だから行ってこいと魔王様が目で合図する。

 確かに魔王様の言うことが正しいのならば、あたしでも倒せるだろう。

 でも、それでもあたしはおっかなびっくり、腰が引けた状態でスライムに近付いていく。


 ううっ、だって今まであたし、戦闘では完全に邪魔者扱いだったんだよ?

 魔王様と出会ってようやく戦闘に参加出来るようになったけど、それでもサポート役というか、ぶっちゃけ囮役というか。

 戦闘でメインを張れるキャラじゃないし、そもそもひとりでモンスターと対峙するなんてこれまで経験がないんですけどって……って。


 不意にスライムが突然あたしの方に振り向いた!

 どうしよう。心なしか殺気が感じられる……。


 長年身に染み付いてしまった癖から、思わず敵の攻撃に身構えた。


「こら、キィ。何をやっておる! 奴は逃げる気だぞ!」


 えー、そうかなぁ? あたしには攻撃する気満々に見えるんだけど。

 あ、でもよく見ればじりじりと下がっているような?

 でもでも、逃げると見せかけて実はこちらの攻撃がスカったところをすかさずカウンターするつもりかもしれない。


 あー、我ながら情けないぐらい思考のドツボにハマっちゃったよぅ。


 そうこうしているうちに、スライムはじりじりと距離を広げていった。

 やっぱり逃げる気なんだろうとは思うけれど、万が一のことが頭の中にこびりついて動けない。ええい、もうこうなったら今回は見逃して――。

 

「キィ、もしそいつを逃がしたら今日の晩ご飯は抜きだから覚悟するがよい」

「それはヤダ!」


 魔王様の言葉に体がびくんと反応した。

 怖い目に遭うのはイヤだ。でも、ひもじいのも同じくらいイヤだ!


 多分この瞬間、あたしの目がピカンを光ったんじゃないかと思う。

 何故なら、あたしが決意したのと同じタイミングで、危険を察知したスライムが脱兎の如く逃げ出そうとしたのだから。


 さて、こんな時にアレなんだけど、あたしの得物であるはたき、これの攻撃判定ってどこにあるか知ってるかな? 

 うん、棒の部分なんだ。先っちょに付いているふさふさはそりゃあ埃を取るのには向いているけれど、攻撃判定はない。つまりリーチがとても短い武器でなわけで、この時もあたしの攻撃範囲からスライムは見事に退避していた。


 だからあたしは咄嗟に振りかぶって。


「えーい」


 と気合一発、はたきを逆さまに持ち替えてスライムめがけて投げつけてやる。


 すこーん。


 はたきがスライムの核に当たって、おマヌケな音が辺りに響き渡った。

 

「まったく。はらはらさせおって……しかし、よく仕留めたな」


 へにょんと形を崩したスライムから素早くはたきを回収していると、魔王様が苦笑しながらもお褒めの言葉をかけて歩み寄ってきた。


「うー、いきなり心の準備もなく戦闘させられたんだから、苦戦するのも仕方ないじゃないですかっ!」


 ……でも、それでも褒めてくれたのは嬉しかった。


「仕留めたっていうか、ただヤケクソにハタキを投げただけだろーが」

 

 それに比べて勇者様ときたら……まぁ、その通りなんだけどさ。


「いや、普通の人間であればヤケクソなら言うまでもなく、本気で狙いすましてもなかなか倒せんぞ、こいつは」


 魔王様は勇者様に反論しながら、スライムをじっと見下ろす。

 するとほどなくしてスライムの体が地面にすぅっと吸い込まれるように消えていった。


「あ、消えちゃった。つくづく変なスライムだなぁ」


 普通、スライムは倒されてしばらくすると体が爆発し、あたりにネバネバな体液を撒き散らす。

 別に毒というわけではないけれど、変な臭いがするし、なによりテンションがだだ落ちする。だからスライムを倒したら素早く離れるのが、冒険者のお約束になっていた。


 かく言うあたしだって、はたきを回収したらすぐに避難した。

 途中でスライムに近付いていく魔王様とすれ違ったけれど、スライム爆弾ぐらいは知っているだろうと思って何も言わなかった。


 決してわざと教えなかったり、ドラコちゃんと戦った時に騙された恨みを今こそ晴らそうとか考えたわけじゃないよ? ホントダヨ。


「このスライムは特別であるからな。証拠にほれ、見るがよい」


 そして魔王様はあたしにぽーんと何かを放り投げた。

 逆光でよく見えないけど、黒光りするそれは多分、きっと。


「うわん」


 大事に受け取るあまり、思わずキャッチした瞬間に尻餅をつく。

 でも、その甲斐はあった。投げ渡されたのは紛れもなくあたしのステイタスカードだ!


「ちょっと魔王様ーっ、こんな大切なもの投げないでくださいよー! 壊れちゃったらどうするんですかっ!?」


 ホント、落とさなくて良かった。


「うむ、壊れてしまった時には余が責任を持ってマッパーを務めるから安心するがよい」


 笑顔でそんな事をのたまう魔王様……まださっきの地図騒動を引き摺っているなんて、案外、器がちっちゃいなぁ。

 なんだか魔王様のイメージがどんどん崩れていくよ。


「方向音痴な人のマッパーなんてヤですよー、ってそんなことより、あたしのステイタスカードとさっきのスライムが特別なことってどんなつながりがあるって言うんですか?」


 ステイタスカードの表面に軽く触れる。いつも通り、あたしのバカ面で笑っている顔が現れて……ってあれ?


「うそ? レベルアップしてる? しかもみっつも!」


 画面に大きく「レベルアップ」の文字と「Lv40→43」という数字が表示されていた。


 一体いつの間にレベルアップしたのだろう?

 最後にステイタスカードを操作したのは、ここに来るために地図を確認した時だ。その時はこんな表示はなかった。レベルアップの通達は画面いっぱいに表示されるから、見逃すなんてありえない。


 だったらやっぱりこれはさっきのスライムを倒した時のものってこと? でも、たった一匹倒しただけでこんな……。


「虹色スライム。南海の孤島・虹色の頂にのみ生息する。性格は臆病で、HPはわずかに1。攻撃力もない。しかし、逃げ足、回避率などはモンスターの中でも群を抜いており、倒すのは至難の技。それゆえに倒すことが出来た者には莫大な経験値が入り込み、冒険者にとってはなんとも美味しい激レアモンスターである」


 魔王様が究極魔導書に載っている虹色スライムの項目を読み上げた。


「なお、世界に生息するのは常に一匹だけであり、倒されると消滅する。が、通常のモンスターのように復活するのでご安心を。ちなみに復活するのは虹色の頂にある泉の畔と決まっており、ここで待ち構えれば短時間での連続レベルアップも夢ではない……だそうだ」


 魔王様がぱたんと魔導書を閉じた。


「連続レベルアップって……マジで?」


 思わず聞き返す勇者様の声がどこか震えている。

 でも、その気持ち、あたしもすっごく分かる! だって


「マジですよ、勇者様! 見て見て、さっきの戦いだけでほら!」


 すかさず勇者様に駆け寄って、レベルアップを表示するステイタスカードの画面を向けた。

 覗き込む勇者様が最初はポツリと「スゲェ」と呟いたものの、やがて顔中に収まりきれないほどの笑顔を爆発させて叫び始めた。


「すげぇ。スゲェ、スッゲェェェェェェェ!」

「スゴイすごいスゴイーーーーーーーーーーー!」


 あたしも負けじと大絶叫。ふたりして「すごい」を連発し、思わず手を繋いでその場で踊りだしちゃったりする。


「ってことはなにか、ここであのスライムをぼこってるだけで一気にレベル99マックスになるってことか?」

「そうですよー! 夢のレベル99ですよ! ステイタス上げまくりで、スキル入手し放題ですよ!」

「うっひゃー! ヤベェ、俺、伝説になっちまうかも」

「うわーーーーい! あたしも駄メイドから卒業ですよー」


 降って湧いたような美味しい話に、あたしたちの夢がどんどん膨らむ。

 レベル99になったらスーパーメイド人として莫大な富と名声を……って、そんな話をドラコちゃんの時もしたような。


「あー、落ち着け、お前たち。特にキィ、何を早とちりしておる」


 そしてあの時もそうだったように、今回も魔王様があたしに冷酷な事実を告げた。


「ここに来た目的をさっき言ったであろう。『お前を鍛えるためだ』と。勇者に向かって。誰も『お前たち』とは言っておらぬし、ましてやキィへの発言ではなかったではないか」


 ……なんですと?

 

「つまりキィ、おぬしは鍛えてはならぬ」

「そ、そんなぁ。なんであたしもレベルアップしちゃいけないんですかぁ?」

「誰もレベルアップするな、とは言っておらぬ。鍛えてはならぬ、と言っておるのだ」


 なにそれ、イミワカンナイ。


「つまりだな、レベルアップはしてもよい。しかし、能力アップの振り分けはやってはならぬ、と申しておるのだ」

「それじゃあ意味ないじゃん!」


 思わずその場で地団駄を踏む。レベルだけ上げておいて能力値を上げないなんて、なんなの、その縛りプレイ?


「何故ならばお前の回避能力はLUKとAGL、その他もろもろの能力の微妙なバランスによって成り立っておる。ヘタに弄ってしまえば、あの奇跡的な回避能力が消え失せる可能性があるのだ」

「それぐらいいいですよー。それよりもレベルアップの方が」

「ならぬ!」


 魔王様に一喝された。


「お前は自分に起きた奇跡の重要性を分かっておらぬ。いいか、よく聞くがよい。お前の回避能力はおそらく神すらも想定していなかった特殊なものだ。なんせこの余ですらお前に当てることは叶わなかったのだからな」


 なるほど。仰ることは分かった。

 でも、理解するのと納得するのは全くの別物だ。

 てか、今の状態が完全体ってあまりにも不憫過ぎないですかね、あたし?


「あっはっは、さすがは俺様。すべては緻密な計算に基づく育成の賜物だな。俺に感謝しろよ、キィ」


 しかも勇者様が偉そうに恩着せがましいことを言ってくるし。

 そんなの絶対ウソだ! テキトーにやったら、偶然こうなっただけに決まってる!


 それに「あらあらキィさん、せっかく経験値稼ぎの穴場を見つけたのに残念でしたわねーおほほほ」みたいな顔をするの、やめてくんないかなぁ。本気の殺意がこうメラメラと!


「さて、それはさておき、勇者にはこれを返しておこう」


 いまだ諦めがつかずにぶーたれるあたし。

 でも、魔王様が懐から取り出したものを見て、そんなのが吹っ飛ぶくらいに驚いた。

 それは勇者様も同じようで、


「……お前、何を考えてやがる?」

 

 いつもの能天気さはどこへやら、魔王様の意図を測りかねて素直に手を伸ばせないでいる。


「勇者よ、さっきはキィの育成を緻密な計算で行ったと申したな?」

 

 魔王様がくっくっくと笑いながら、差し出した黒光りするカードの表面を撫でた。

 無駄に格好付けた勇者様の姿、そしてレベル1の表記がカードに映し出される。


「ならば次は己を完璧に育てるのだ。我が野望のために、世界をもひれ伏す力を身に付けるがよい」


 ステイタスカード。冒険者のすべてを管理し、他人の手に渡ればその身を支配されたも同然の切り札。

 魔王様にとってはワガママな勇者様を手懐ける鎖であり、ゆえに勇者様は絶対に取り戻してやると意気込んでいたそれを、魔王様はあっさりと手離したのだった。

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