GoodBye
今も昔もこれからも 趣味は折り紙 切って作って楽しい工作
子供の頃の心を忘れず ずっと作るよ 遊ぶ道具を
私の家は貧乏で、よくする遊びといえばポストに投函されたチラシを使って折り紙を折ることだった。
球技をするにも道具を買ってもらえず、金銭面では学校に行くので精一杯。
毎日のご飯はどこで買ってきたのかもわからないほどの臭いがする古いお米。ただ、そんな生活も長い間続けていれば、だんだんと苦ではなくなっていく。
学校では、昼食として出された美味しいご飯を食べる。親に申し訳なくなり、泣きそうになきながら食べる。
服はブカブカで、ボロボロになった親のおさがり。
そんなこともあり、はじめはクラスの人たちだけから気持ち悪がられていたが、噂が広まるのは早く、すぐに同級生、上級生から気持ち悪がられた。周りの人間はすべて敵となり、まるで紙がシュレッダーにかけられる寸前かのような、死ぬ間際の学校生活を送っていた。
ついには唯一優しかった友達も去っていき、いつの間にか一人ぼっちになっていた。
「この人だけは絶対に裏切らない。最後まで友達でいてくれる」そう思っていたこともあり、もう誰も信じられなくなり、学校では閉鎖的になっていった。
そんな私を支えてくれたのは「紙」だった。プリントとして配られた紙。ノートの代わりにと先生から貰った紙。道端に無造作に落ちていた紙。家に帰れば大量に置いてある紙。
それら一枚一枚の紙が私を楽しませてくれた。
薄く鉛筆で文字を書き習字の練習、そしてその上から絵を描いて遊んだら、最後は折り紙として好きな形を作って時間を潰す。
字もうまくなり絵もうまくなり手先も器用になる。たった一枚の紙で三つも良いことがある。どんな遊びよりもただただ楽しかった。
純粋に、心の底から楽しめる唯一の遊びだったのかもしれない。
そんな家でしかやらなかった遊びも、ついには我慢できずに学校でもするようになっていった。朝早く登校し、休み時間は誰とも話さずに折り紙をして、次は何を折ろうかと楽しみになりすぎて、授業に集中できずに怒られる。他にも、わざと机を蹴られて邪魔をされたりもした。
そんな生活が続いた。
だが、その生活がうまくいくはずもなく。
ある日、授業態度が悪いと親を呼び出された。ただ、ほぼ全員の教師が親の身なりを見るや否や態度を改め、
「子供がおかしくなっても仕方がない家庭環境か」
と一言。こちらに聞こえるか聞こえないかの声でボソッと言う。
そこからは周りとアイコンタクトをして、何もなかったかのように振る舞われて面談は終わり。
身なりだけで判断されてしまう不平等な人生。
私は人間に対して『憎しみ』しか生まれなかった。
帰り道、親は泣きながら私に謝っていた。
「こんな家庭でごめんね。もっと良い父母の間に生まれればよかったね。本当にごめんね」っと。
いくら謝っても変わらないこの人生に謝られても無駄だ。意味がない。生まれたからには自分のやりたいことをやって楽しむのみ。
そして今は、折り紙という趣味を見つけて楽しんでいる。大切な時間というものを趣味に費やせている。
これ以上楽しい人生なんて他にあるのか。そう思った私は
「全然大丈夫だよ。今が一番楽しい。生きてて楽しいよ」
そう言うと、親はまた泣き出す。
「こんなにしっかりしているのに私たちのせいで…」
なぜそんなにも泣いているのか。私には理解できなかった。
親が学校に来てからというものの、誰も私を邪魔しなくなった。増えたのは陰口ぐらいか。
「あの子の親ってめっちゃ汚いらしいよ~」とか「近づくとなんか変な菌が移りそうだから止めとこ!」といった幼稚な陰口だった。幼稚すぎて何も感じなかった。
それから時間が経つと自然と席は隅に追いやられた。教室の隅にはまるで私の部屋のような、私一人だけの空間ができるようになっていった。それが嬉しいと同時に困ることもあった。
プリントが回ってこないのだ。
私の生きがいでもある紙が回ってこないということは、命に関わるほどの重大なことだった。
気持ち悪いと思われても動く。紙が回ってこないから席を立つ。
周りからは一瞬の悲鳴と好奇心。
「あいつが立ったぞ!ついに怒るのか!?」
そんな彼らの期待とは裏腹に、弱い足腰を動かし、手を伸ばしプリントを取りに行く。プリントをくれたら、
「ありがとう」
礼儀正しく。静かに席に座る。
私が登下校以外で、学校を歩く貴重な時間が過ぎた。
私のせいで教室内が静寂に包まれる。だがすぐに、何事もなかったかのように今までの雰囲気に戻る。その中には「意外と礼儀正しいんだな」といった私の話題も含まれている。
私は思う。早く忘れてくれ。私のことなんて忘れて早く一人にさせてくれと。
話題は続く。
「でも、あんな奴だぜ。礼儀正しくてもダメダメ」
確かにその通りだ。そんなことはとっくにわかっているから早く忘れてくれ。
そこで会話が途切れてやっと別の話へ移る。やっと終わった。
胸の鼓動が収まっていく。緊張か疲労か何なのかはわからないが、いつもより少しだけ早い鼓動は普段の鼓動へと戻っていく。
普段の生活へと戻っていく。
落ち着いたところで折り紙を折る。そして、途中で失敗しないように綺麗に切り取り線をつけていく。
自らの手で切って別れて二度と繋がらない。貧乏だから折り紙同士を繋ぐためのテープも買えない。だからずっと離れ離れ。
これから私を折り紙のような人生を送る。自然と頭に歌詞が浮かぶ。母から聞いた童謡に合わせて口を動かす。
『今も昔もこれからも 趣味は折り紙 切って作って楽しい工作
子供の心を忘れず ずっと作るよ 遊ぶ道具を
離れ離れになろうとも いつか繋げて くっついて
子のまま終わる人生か 大人になって 生を失う人生か』
心の中で歌を歌う。歌いながら目を瞑る。この歌のような人生をこれから送るのか。まだ折り紙がくっつくことはないと信じる。
一人の時間が欲しい。
そんなことを考えていると、今までの疲労が急速に頭の中へ流れ込み、全てが流れ込むと意識が遠のいていった。
起きると窓の外は暗い。開いた窓から入ってくる冷たい風が肌を刺激する。そして、体が震えて鳥肌が立つ。
もちろん、教室には私以外誰もいなかった。
誰にも起こされることなく、学校の中で夜を迎えていた。
味方でなければいけない先生にも起こされなかった。起こされていたのに気が付かなかっただけ、と言われればそうなってしまうが、周りの状況からみて私を起こす人がいるわけがない。
外を見ると灯りがついている場所は体育館と職員室のみ。窓の外からはボールが壁にぶつかる音と誰かの声が響いている。
このまま教室にいても仕方がないので、こっそりと教室を出る。堂々と廊下を歩いてもよかったのだが、先生に見つかると怒られてしまうだろう。最終的に私を起こさなかったのは先生だが、どんな理由があろうとも結局は理不尽に怒られる。
もう親も呼ばれることはなく迷惑をかけることはないだろうが、自分自身が面倒くさい。
怒られることに時間を費やすなら、私は家に一歩でも早く帰る。
外からはまだ、誰かの声が聞こえる。
こんな一人ぼっちになれないところなんて私は嫌だ。
夜。
学校の校門を出てから家に帰るまでの道のり。
街頭に群がる小さな虫たちは、光が消えるまでずっとそこで飛び続けている。その中には、周りに溶けこもうと努力をしている大きな蛾が一匹。ただひらすらにに頑張っている。
その蛾は今の環境に溶け込めるまで、飛ぶという無駄な行為を続けるのだろうか。
その行為に意味がないことに気づくには、あと何ヶ月かかるのだろう。
そのまま死ぬまで生きていくのだろうか。
いくら羽ばたいても仲間ができている者たちは振り向かないということに、いつ気がつくのだろう。
溶け込むよりも逃げ出して、一人で生きた方が楽しいことがわからないのか。
まだまだ未熟な蛾を横目に、街頭こそついているものの、薄暗い道を一人で真っ直ぐ歩く。
私が返ってこないことに、親は心配しているのか。誰も探しにこないということは、心配していないのかもしれない。
後者の方が嬉しいと素直に思う。
今、この状況で優しくされても嫌だ。本当は蛾になりたい。もう心はとっくに限界を超えている。優しくされるだけでつらい、泣きそうになる。
でも、もう戻れない。友達がいた頃には心が戻してくれない。
私の心には一人ぼっちの集合体が住んでいる。
家に着いたのは、学校を出てから三十分ほど経った頃だった。
玄関に着いた私は、違和感を覚えた。すぐにこの違和感の正体は判明する。電気がついていないのだ。寝るにしては早すぎる時間だ。
いつもとは違う空間に恐怖を覚えた。普段の生活から何かが欠けることがこんなにも恐ろしいことなのか。
家の中では何かが起きている、両親は無事なのか。家の中に入れば全てを知ることができる、足が動かなかった。
玄関の扉の前には底なしの沼があり、その沼にだんだんと埋まっていくような感触がした。地面からだんだんと奥底へ埋まっていく。動かない。恐怖で全身が震える。
もう、まともに立つこともできなくなり、地面に手がつく。そうなると手も沼にはまっていき、全身が動かなくなる。
初めて恐怖に押しつぶされそうになる。
ただ、このままではいけない。自分が死ぬ前にせめて親の死に様だけは確認しておかないと、死んでも死にきれない。お世話になったし感謝している。
そう思うと、一瞬だけ体が軽くなる。そのタイミングを逃さずに沼から全てを引き抜く。自分の手足、心の中にある恐怖までも、何もかも引き抜く。
沼から抜けた私は恐怖心なんてものは無くなり、心には穴が開いたような気分だった。いままで流れていた汗も止まる。
今なら踏み出せる。
ドアノブに手をかけ最初の一歩を力強く踏み出す。玄関を開けると、廊下が見える。もう何回とみてきた見慣れた風景。いつも通り
「ただいま」
と言い、靴を脱ぐ。そして、リビングへ向かう。
そこまではいつも通りの日常と変わりない。ただ、このリビングには何かがある。手に自然と汗が滲み出る。これから先は、見てはいけないものを見てしまう気がして緊張する。
ただ、行かないと進まない。そう決心しドアノブに手をかけ右に回し、ドアを引く。
完全にドアが開き最初に目にしたものは暗闇。音もないただの暗闇。
それはそうだ。電気が点いていないことすら忘れてしまうほど緊張していた。電気が点いていないリビングは不気味だった。いつもあるはずの机、椅子、何もかもがない。見えない。
幸い、スイッチは入ってすぐ左側にあり暗闇の中を探す必要がなかった。私はすぐにスイッチに手を伸ばし、明かりをつけた。
この部屋で何が起こっているのか理解できなかった。
最初に目に入ったのは、首を吊っている母とその下で眠る父だった。
母の周辺からは何とも言い難い臭いが漂い、その下にいる父が子供のようにうずくまっていた。父は眠っているのかと思ったが、私以外、誰も呼吸をする音が聞こえない。
母を揺らしてみてももちろん反応はない。
父を蹴ってみる。反応がない。二人とも死んでいる。
意味がわからなかった。なぜ死ぬ必要があったのか。
私を残して両親は天国へ行ってしまったのだ。唖然として立っていると、急に吐き気が全身に回ってきた。多分それは、この異常な物が発する臭いのせいだろう。
ただ今すぐにそれをどうすることもできない。
もう限界で私は父の体に、体の中の物を全て吐き出していた。
臭いが混ざり合いさらに強い異臭を発する。また吐きそうになるが、胃の中は空っぽで吐くものがない。気持ち悪さが残ったままだ。
顔を上げると、机に置いてある紙と封筒が目に入った。多分、遺書だ。
封筒は後回しにして、まずは紙を見てみる。そこには震えた字でこんな内容が書かれていた。
『愛するたった一人の子へ。
生きていてごめんなさい。
もっと早く死ぬべきでした。
子供を産んでしまってごめんなさい。
もっと早く殺すべきでした。
今はもう愛着がわいてしまい、簡単には殺せません。
なので、子供がいない今、私たちだけでも死なせてもらいます。
もう楽しみがない人生なんて耐えられません。
多分、この手紙を最初に読む人は、私たちの子供だと思います。
あなたもつらかったら死んでいいんだよ。
最初は怖いかもしれないけど安心して。
私たちがずっと待ってるよ。
いままでごめんなさい。
もし、一人になっても生きるという選択肢を選ぶなら、困らないようにお金は置いておきます。悪いお金ではないので安心して使ってください。
それを使って生きてください。
ダメな両親でごめんなさい。
母父』
死という逃げ道を選べた両親は、とても立派だと思う。
死は何よりも怖くて暗くて恐ろしい。そんな死を選んだ両親を私は自慢できる。尊敬している。
ただ、易々と両親についていくほど甘くはない。別に今の人生がつらいとも、つまらないとも思ってない。
こんなことを言うのは申し訳ないが、逆に両親がいなくなって清々している。
やっと一人ぼっちになれたのだ。いままでは表面上の一人ぼっち。これからは本当に一人ぼっち。
周りに誰も頼る人がいなくなり、これからどうやって生きていけばいいのか不安になる。この遺体をどう処理すればいいのか。処理できなかった場合は、この家を捨ててどこか別の場所で生活をしなければいけなくなってしまう。
何となく入っている物はわかっているのだが、手紙の横に置いてある封筒を手に取る。
その封筒はずっしりと重く、厚みもある。
封を開けて中を見ると、パンパンに詰まっている一万円札と小さな手紙が入っていた。
まずは、手紙から手をつける。
この手紙はしっかりとした字で書かれている。
『このお金は、あなたが今後生きていくために絶対に必要なお金です。
だから、しっかりと考えて使いなさい。
私たちがあなたに残せる最後の愛情です。
死体の処理に困るかと思いますが、この電話番号に電話してください。
0x0-9xx7-8x5x』
短くそう書いてあった。文は短いものの内容は濃い。この手紙一枚でほとんどの問題が片付いた。
今後の生活費、死体の処理までも。それに普段の生活からは信じられないほどの大金を手に入れてしまった。
怪しいお金ではないと書いてあったものの、一体どうやってこんな大金を。
ただ、あまり深くは詮索しないことにした。今私が思っている通りの方法で手に入れたのだろう。
というか、結局、両親に頼らないと生きていけない生活が始まる。
まだまだ一人ぼっちにはなれそうにない。
まずは死体の処理から始めることにした。始めると言っても、電話番号に電話するだけなのだが、多少の不安もあった。こんな電話一本で、簡単に死体の処理なんてできるのだろうか。
受話器を耳に当て、正確に一字ずつ番号を入力していく。そして、耳元で呼出音が響く。そして、すぐに男の声が聞こえた。
「要件は聞いている。いますぐそちらに向かう」
こちらは何も言わなかったが勝手に話だけが進み、電話が切れる。
両親がもともと話を通してくれていたのだろうか。
死体の処理を待つ間はドキドキした。隣にある死体がいきなり暴れだしたりしないか怖かった。死体を見る限りは手足はダランと垂れていて、動き出しそうにないのが逆に私の不安を煽る。
インターホンが鳴るまでの間、私は死体から目が離せなかった。目を離した途端にどこかへ行ってしまいそうだったから。遠いどこかへ旅立ってしまいそうだったから。
結局、一時間ほどその場に座り込んでいた。
その場から動けなかったのではない。動かなかったのだ。
どこかへ行ってしまいそうだったという理由もあるが、一番の理由は一秒でも多く、両親の顔、手、足、体を見ておきたかった。
死体が処理されてしまった後は、もう両親を見る機会は絶対にない。ただでさえもう、両親の声を忘れてしまった。
写真も残っていない。
周りから見たら最悪な家庭環境だったかもしれないが、私は楽しかった。
そんな楽しい人生を支えてくれた両親には感謝している。だから、忘れないようにと夢中になって両親を見ていた。
インターホンが鳴る。
両親と別れの時期が迫ってきている。少し残念だったが急いで玄関へと向かう。ドアを開けるとそこには、マスクをした背の高い男が立っていた。
その男は躊躇なく家の中に入り一言。
「死体の処理を任された。三十分ほどで終わる」
そして、懐中電灯をつけて死体があるリビングへと、何の迷いもなく歩いていった。
なぜこの男はそこにリビングがあることを知っているのだろうか。
私は不思議に思ったが「些細な事で、多分一回家に来たことがあるんだろう」そう解釈した。
男はリビングに入ると同時に、黒いポリ袋を広げ床に寝ている死体を袋の中にしまおうとする。たが、死後硬直が始まっているので中々うまく入らない。
どうするのだろうと思い見ていると、折り紙のように手を折って無理やり袋の中に詰め込んでいった。もちろん、素手では折れないため何か道具を使っていたような気がするが、影になってしまい道具自体は見えなかった。
私はその姿を見て興奮する。人間が折り紙になった。
そして次の瞬間、私の口から思いがけない言葉が発せられる。
「死体の処理、していいですか?」
それを聞いた男は驚いたような顔をしたが、すぐに首を縦に振りその場から離れた。私は見様見真似で黒いポリ袋を準備する。
もう片方の死体はロープで宙に吊られているため、椅子を持ってきてロープを解く準備をする。落ちないように気をつけながら、なおかつ死体を傷つけないように丁寧に解いていく。
宙に浮いているものは重力の影響で下に落ちることを忘れていた。
ロープがほどけた途端、目の前にある死体が落下していく。激しい音をたてて床と衝突する。
「…もうどうでもいいや」
小さな声で呟く。
椅子から降りて、乱雑に袋に詰め込もうとする。床に寝ていた死体とは違い、首を吊って死んでしまったため、足が袋から出てしまう。
はみ出している足を見て笑顔になる。それでよかった。足が邪魔なんだから折らなくちゃ。
死体の処理というより折り紙がしたくてたまらなかった。
素手で折ろうとしても、紙とは違い硬く折れる気配がしない。どうしようもなくなって、男の方を見るとゆっくり近づいてきて、普段曲がらない方向に足を曲げて折ろうとする。そして、思いっきり力を込めたように見えた次の瞬間、骨の折れる音がした。
「あれ?」
もっと道具を使うのかと思っていたのだが、拍子抜けしてしまった。
そこでやっと気づく。
家は貧乏でまともにご飯も食べれていなかった。なので、体は痩せ細り筋肉質の男なら簡単に折れてしまうのだろう。変な機械を買わなければよかったのに。
足が曲がった死体をまじまじと見てみると、不気味な光景だった。
足が曲がることのない方向に曲がっていて、背中に密着している。本当に折り紙のようだった。
それを見て満足した私は、ポリ袋に死体を詰め込む。
とりあえず、処理は終わった。
次は何をするのだろうと男の方を見ると、家の中の掃除をしていた。
私の吐いた嘔吐物、死体から床に垂れた吐瀉物。それらを何ら気にせずに無言で拭いていく。
その姿はもう何人もの死体を処理していて、慣れているように見えた。
この男は一体何者なのか。なぜ、死体処理という仕事を引き受けているのか。
たくさんの疑問が浮かぶ。
聞きたい事だらけだったが、聞いてはいけない雰囲気を醸し出していたし、疑問は疑問のまま心の奥底へと染み込んでそのまま消えた。
一通りの掃除が終わると男は立ち上がり
「帰る。また何かあったら電話しろ」
と言い残し、ポリ袋を三つ台車に乗せて、玄関から出ていこうとする。
あの中に両親が入っていると思うと、なんだか胸が苦しくなる。
苦しくなるのが普通の人間なのだろうと思い、ホッとした。
まだまだ私は人間だ。一人ぼっちの人間だ。
死体の処理をしてから約一ヶ月が経った。両親が残してくれたお金のおかげで、何不自由なく暮らせている。
最初は洗濯の仕方など困ったこともあったが、今では何事もスムーズに行えるようになった。
一番嬉しかったことは自分の趣味にお金を使えることだ。いままでチラシだったのが、折り紙を使うようになった。
服も今までの汚い服から綺麗な服を買った。
これで何も言われないと思っていたけれど、甘かった。
なぜかいじめはエスカレートしていく。
クラスで私をいじめていたアイツを筆頭にその取り巻き達から、今までは絶対になかった殴る蹴るといった暴行を受けるようになった。
容姿が綺麗なだけじゃダメなのか?
「生意気なんだよ」とか「死ね」といった心のいじめを受けながら、体もいじめられる。今までの倍いじめられていて、とてもつらかった。
何度も泣きそうになった。だけど、泣いたら終わりだと思い耐えた。何をされてもただ耐えていた。
だが、ある朝。何度も取れかけていた頭のネジがやっと外れた。
いじめられて、頭がおかしくなっていた。もうこんな人生終わりだと思い、胸ポケットにナイフを一本忍ばせる。
登校中は誰かにバレてしまわないかドキドキしていた。まるで恋をしているかのようだ。学校に近づくにつれて、胸の鼓動もだんだん早くなる。
うっすらと笑みも浮かべていたので、道ですれ違う人たちからも気持ち悪がられた。
何度も何度も胸ポケットに手を伸ばし、こいつらを殺してやろうかと思った。しかし、本来の目的とは全く関係のない人に迷惑をかけてしまうのはダメだと思い、行動には移さなかった。
学校に着き、トイレで用を足し終わり手を洗っている時だった。
後ろに気配を感じ振り返ると、笑顔で立っているアイツがいた。目が合うと同時に、私の顔に殴りかかり、左頬に強い衝撃が走る。
一瞬の出来事で何が起こったのかわからなかった。
痛いという感情だけが残留していた。
アイツは何事もなかったかのように
「おはよーう」
と言って、トイレから出ていこうとする。
このトイレは教室からは遠くに位置していて、わざわざこのトイレを利用する人はいない。多分、使ってるのは私ぐらいだろう。
っていうことは、アイツは私を殴るために校門からついてきたんだ。
ぶざけんなよ、クソ野郎。
もう我慢の限界だった。頭だけでなく全身のネジが外れる。
胸ポケットからナイフを取り出し、静かに接近する。
アイツが後ろを向いている今しかない。確実に殺すなら今。
今までの恨みを込めて、全力で突き刺す。
アイツは何が起こったかわからずに声が出ていなかった。さっきの私の同じ状況だ。私の気持ちをたっぷり味わえ。
すぐにナイフを抜いて、もう一度刺す。
左頬に刺す。右頬に刺す。もうどこでもいいからとりあえず刺す。
これまで溜まっていたストレスを解消してやろうと、これでもかってぐらい刺す。
そのうちにアイツはぐったりとして動かなくなった。幸い廊下には誰もおらず、今までの行為は見られていない。ここまでついてきてくれたおかげで助かった。
すぐにアイツを引きづり、トイレの中へと連れ込む。廊下には血がベットリとついていたが、掃除をしている暇なんてなかった。
いざ、人を殺してしまうと想像以上の恐怖心が襲ってきて頭が回らない。
トイレの個室に連れてきたはいいものの、どうすれば今の状況を解決できるのかが思いつかない。必死に頭を働かせようとして、頭を叩いてみたりしたが意味がなかった。
このままでは捕まってしまう。恐怖心が私を飲み込もうとする。何か現状を打開できる策を、何か。
頭の中に一つだけ策が浮かぶ。
死体の処理をしてくれたあの男に頼めば良い、というかそれしかない。男は死体の処理にも慣れていたし、電話さえしてしまえばなんとかなる気がした。
今まで動かなかった足が希望へ向かって走り出そうとする。
トイレに置いてある死体のことは無視をして、公衆電話のある校門へ走った。周りからは変な目で見られていたが、もともと変な目で見られていたこともあり、気にならなかった。それどころではなかった。
全力で走る。
校門に近づき目の前に公衆電話が見えてくると、いきなり体に疲労が押し寄せた。体が悲鳴を上げていた。
座ってばかりで運動もしてこなかったため、ここまで走れたのが奇跡だ。ただ、ここで休憩をするために座り込んでしまうと、一生立てなくなる気がした。もう少し走れば私は助かるんだ。
体の限界を超えてもまだ走る。
公衆電話の前に着いたときには、顔は歪んで体の穴という穴から汗が噴き出てきた。いままで運動をしてこなかった自分を少し恨んだ。
幸いなことに男の電話番号はすぐに思い出せて、電話をかけるのに時間はかからなかった。呼出音が鳴るとすぐに男の声が聞こえた。
「誰だ?」
この前の声とは違う。声を聴いた瞬間に鳥肌が立つ。
私と話したくないという感情や殺気に近い感情が声だけで伝わってくる。
負けそうになるも、ここで引き下がるわけにはいけない。今後の人生がかかっている。人を殺してしまった恐怖とこの男に対する恐怖で身体が震える。声も震える。
「ひ、ひとをころしてしまった。たすけて、たすけてほしい」
やっとの思いで声を出すと、電話越しにでも殺気が抜けるのがわかり、緊張感がなくなった。
「その声はこの前のやつか」
「たすけて、ふるえがとまらない」
「わかった。場所はどこだ?」
電話相手が私だとわかると、そこからはスムーズに事が進んだ。
学校名を言うと
「校門の前で待ってろ」
とだけ言い残し、電話は切れた。
五分も経たないうちに一台の車が校門の前に止まった。
ドアが開くと作業着を着た男が出てきた。はたから見ると学校の掃除をしにきた清掃員のようだった。こんなに朝早く清掃員がくるはずもないのだが。
男は私を確認すると小声で「場所まで案内しろ」と言う。
無言で頷き、殺人現場のトイレへと歩く。一歩一歩が怖かった。
もし誰かに見つかっていたらどうしよう。たくさんの不安が心から湧き出てくる。そんな不安も現場についてみると、すべて消えた。
廊下には血の跡がベットリとついていて騒がれた痕跡もなく、まだ誰にも発見されていないようだった。
右から三番目の個室を開けると血だらけのアイツが便器に座っていた。
男は現場につくと死体は放置して、すぐに掃除を始めた。することがない私はトイレの中でにただ立っていた。あの男がいるだけでさっきまでの恐怖が消え去る。なぜだがわからないけど安心できた。
落ち着きを取り戻した私は、何かすることがないかと探していると目の前にアイツの死体が入った。そうだ。やるしかない。
折り紙ならぬ折り人。
アイツの手を持ってみると、しっかりとしていて重い。だが、折れないことはないそう思えた。火事場の馬鹿力のような感じだろうか。普段よりも力が湧いてくる。
まずは、適当にアイツの指を山折り、谷折りを繰り返して折ってみる。場所によっては骨が折れる時に、高い音がなったり低い音が鳴ったりとピアノみたいで面白い。足の指も同じように折っていく。続いて、腕も折る。指よりもずっと折れにくく力を使う。さて、次は足でもと思ったがさすがに足は折れそうになかった。残念だ。
しかし、紙では絶対に味わえない感触だ。
紙はこんなにブヨブヨしていないし、冷たくも温かくもない。
癖になってしまいそうだ。
紙よりかは自由が利かないものの、人間を使って折り紙をしている自分にとても興奮する。
腕が普段曲がらない方向に曲がっている人間を見ると、素直に綺麗だと思う。芸術作品のように時間を忘れてみていられる。
「派手にやったな。袋の中に入れるから退いてくれ」
アイツの死体を見て何秒、いや何分経っただろうか。男から声をかけられて自分のしていたことの恐ろしさに気づく。
いつの間にか死体で遊んでいた。さっきまで怖がっていた死体で。
自分が怖くなり、男の言葉通り個室から出た。アイツの死体が袋の中に入っていく様子を瞬きをせずに見ていた。
五分ほどでアイツの体は見えなくなり、袋は歪な形に広がる。
両親が運ばれた時にも思ったのだが、あの死体はどう処理するのだろう。そんな疑問が頭に浮かぶ。
実際に見てみたい。そんな気持ちで心がいっぱいになる。
男は何も言わずに廊下へ出ていこうとする。ここまでしてもらってお礼を言わないとはさすがにマズイと思い、急いで男の背中を追いかける。
トイレから廊下へ出るとまるでそこは別世界のようだった。
さっきまで血が飛び散っていた廊下は何事もなかったかのように、綺麗に吹かれている。どこを見ても血が一滴もついていない。
「これなら絶対にバレない」そう確信をもって言えるほど、地味かつ細かな作業が私のいない間に行われていたに違いない。
「おい、俺はそろそろ行くぞ。今回は特別サービスだ。次からは金を貰う」
男はそう言ってポリ袋を持って立ち去ろうとする。
この男は次が無いことを知っている。
私が人を殺した恐怖で動けなくて、何とか助けを求めたことをわかっている。遠回しに「怖いならもうこんなことをするなよ」と言われているようで悔しかった。
ただ事実でしかなく何も言い返せなかった。
何か、この男を見返してやりたい。
またも自然と声が出る。
「どうやって死体の処理をするのか、見せていただけませんか?」
男は驚いた顔をして少し笑った。
「そんなに見たいか?いいだろう、ついてこい。ただお前、学校は大丈夫か?」
冗談を言い残して、歩いて行ってしまう。
今度は私が少し驚いた。冗談を言う男だとは思わなかったし、こんなに簡単に許可が貰えてしまうとも思っていなかった。急いで男を追う。
気持ちの準備ができていなく、好奇心と恐怖心が混じり合った気持ちで死体の処理を見ることになりそうだ。
車に乗り込む直前、チャイムが鳴る。もうこのチャイムともお別れかな。
学校で授業が始まった。
車に乗せられて十五分ほど経っただろうか。男の家の前についた。
こんな普通の一軒家で死体の処理なんてできるのかと思った。
だが、そんな感情も玄関へ入った途端に消え去る。
家の中は真っ暗で鼻を刺激する臭いがする。不気味な雰囲気が漂っている。
「こっちだ。ついてこい」
男の声に連れられて廊下の奥へと歩いてく。だんだんと臭いがキツくなる。
そして、男の足が止まって一言。
「準備はいいか?開けるぞ?」
私の返事を待たずに男はドアを開けようとする。
いったいこの先に何があるというのか。分厚いドアが開く。
一体何が起こったのかわからなかった。
廊下には私の口から出たであろう嘔吐物が広がり、汚れてる。
ドアから溢れ出す動物が腐敗したような強烈な臭いによって呼吸ができない。体が空気を吸うことすら拒んでいる。
「だから言っただろう。早く慣れろ。死体の処理を見たいって言ったのはお前の方だろ?」
そうだ。この男を見返したくて私はここまでついてきたんだ。
こんな臭いなんかで倒れていたら死体の処理なんて見れないしできない。
頭でそう考えると体がこの空気を吸う意味を理解して自然と呼吸ができるようになる。落ち着きを取り戻す。
ここでやっと声が出る。
「すみません。行きましょう」
「行くのはいいけどな、しっかり後から廊下拭いとけよ」
男はそういいながらも嘔吐物を気にする様子はなく、ドアの前に広がったものを踏み潰し、奥へ進んでいく。
男を追いかけるように、私は急いでドアに手をかけ入ろうとする。
今までは暗くてわからなかったが、どうやら下へと向かう階段になっていて地下室があるようだ。
足を踏み外さないようにゆっくりと階段を降りていく。
だんだんと匂いが強烈になっていくが気にはならない。
階段を降り終わるとドアがあり、男がまた言葉を発する。
「さあ、開けるぞ。今度こそ準備はいいな?」
「はい。大丈夫です」
私が声を発したことを確認すると、ドアノブに手をかけ扉を開ける。
自動的にライトが点き、部屋に入って見えたものは手術台だった。手術台といって正しいものなのかはわからないが、血がベットリとついていて黒ずみ、不気味な雰囲気を醸し出している。
壁にはサイズと違う鉈やノコギリ、ナイフがずらりと飾られていて、それらは手入れがしっかりとされているのか、どれも光沢があり美しい。
他にも冷凍庫や焼却炉といった死体処理に使われると思われる物が複数設置されている。
そんな部屋に圧巻され、その場から動けずにいると重い物が床に落ちた音がする。その音で意識がハッキリとし、その音がした方向を確認すると、そこには袋が落ちていた。歪な形をしている袋。中には何が詰められているのか私にはわかる。
さっきまで生きていた命がそこに入っているんだ。
私が殺した命がそこに入っているんだ。
「さあ、やるぞ。手伝え。っていうかお前がやれ」
私が殺した命を私が処理をする。
当たり前のことをやっているようでもう恐怖心なんてなかった。
どう処理をすればいいのかもわからないが、体が壁にかかっている鉈とノコギリを持ってきてしまう。手に持ってみると、見た目以上に重く、疑似的ではあるが命の重さを感じられる。
「さあ、やろう」そう心の中で呟いたものの、処理の仕方がわからない。
困り果てた顔で男の方を見ると、少し笑って言う。
「お前がやりたいようにやればいい。結局燃やすんだから」
この男は『死体で遊んでいい』。遠回しにそんなことを言っている。
なら、望み通りに遊んでやろう。
ノコギリは床に置き、両手で鉈を持つ。そして、力を込め肩関節近辺を狙い叩き切る。折り紙と違って切り取り線なんていらない。ただ切るだけ。
切断した腕の断面からは血が少しだけ流れる。もっと溢れ出るものかと思っていたのだが、期待外れだった。後処理は楽になるのでいいのだが、もっと驚くような衝撃が欲しい。
若干の不満を覚えながらも、手は止めずに残りの腕を切断する。
次は脚を切断するために付け根付近の股関節を狙い、叩き切る。腕の時はあまり気にしていなかったが、骨が叩き割れる良い音が部屋に響く。部屋にはもちろんあの男がいて、今この音を聞いているはずだ。
どんな感情でこの『遊び』を見ているのだろうか。
子供が新しい遊びを見つけて、喜んでいる姿を見て何も思うだろうか。
最後の足が切断される。両腕両脚共に切断されて、卵のようになった死体はなぜか愛おしい。
普段そこにある物がなく、人間という形ではなくなったアイツはどこかのマスコットキャラクターみたいで、今までいじめられてきたことがどうでもよくなるほど、可愛い。
理由ははっきりしないけれど、美しい。
この姿を見れただけで満足してしまった私は、鉈を手から離し床に落とす。その衝撃で金属音が部屋に鳴り響き、終了の合図を告げる。
「最初でここまでできれば十分だ。気持ち悪いならついてこい」
男が変なことを言い出した。何か勘違いをしているようだ。
気持ち悪いならついてこいだって?
この男は私が死体の処理に耐えられなくなって、鉈を落としたと勘違いしているみたいだ。完全に舐められている。
今まで下に見られていたということと、アイツにいじめられたストレスが完全に解消しきれていないということもあり、怒りはすぐ頂点に達する。
男はドアノブに手をかけ、ちょうど部屋を出ていくところだった。
今しかない、そう思うと体が動く。
床に落ちた鉈を拾い、男の元へと走り首を狙う。
足音がして振り返る男の顔は笑っていた。
まさか自分が殺されるとは思っていなかったであろう。
頭が床に落ちる音がする。首を切られてもなお笑っている顔は不気味だった。
それを見て笑っている自分も不気味だった。
頭取れた体は自然と前に倒れていき、大きな音をたてて床と接触する。
音が反響し鼓膜を振動させる。そして、部屋の中が静寂に包まれる。
ただ、すぐに笑い声がして静寂を無かったものにしてしまう。誰の笑い声かと思ったが、この部屋には私一人しかいない。知らないうちに笑い声が出てしまったようだ。自分だと自覚するとそこからはもう耐えられない。抑えようと努力をしても、笑い声が漏れてしまう。
殺してやった。あの男をやっと殺せた。
頭は階段のすぐ近くに、体は扉の前に倒れている。このままでは邪魔なので、地下室の奥へと運ぶ。体を動かすと地下室のドアが閉まる音がして、密閉された部屋には一人と二体が残る。
大きく深呼吸をして酸素を循環させ、脳を働かせる。
この死体はどうしてやろうか。何か面白い遊びはないか。
たった一つだけ思いつく。
「折り紙」
思わず言葉に出てしまう。折り人ではない。折り紙だ。私が楽しめる遊びはそれしかない。そう感じた。
自然とアイディアは頭の中に溢れて、手を動かしはじめる。
腕や脚を切り取るところまでは先ほどと同じ要領で進めていく。実際に触ってみてわかったことだが、見た目以上に筋肉質でしっかりとしている。アイツの死体とは違い、刃が通りにくくやりづらい。
外見的な違いは一目瞭然だが、内面的な違いは実際に触れてみないとわからない。人間を解剖する面白みが一つわかった気がして楽しくなった。
脱線しかけた回路を元に戻し、切断された腕や脚に目を向ける。
床には合計で八本もの腕脚が転がっている。その中にある細めの腕を手に取り、手術台の上に置く。そこには、男が用意したであろうメスやクーパーといった、手術で使用される道具が一式用意されている。
なぜ男がこんなものを持っていて、ここで何をしようとしていたのかはもう聞くことはできない。しかし事実として、ここに手術器具があり、私が使える状況にあるということには違いない。うまく扱えるかどうかは別として。
手の先から型の先まで直線状にメスを入れる。
初めて人間の体の中、奥底を目にする。綺麗で美しかった。
この腕一本だけでも何億、何兆といった細胞の集合体で完成していると思うと、生命の神秘を感じる。
解剖の楽しみがまた一つ増えていく。
メスを入れ、開いた腕の皮を丁寧に剥いでいく。
剥いでいくといっても剥ぎ方も何もわからないため、壁に掛けてあるナイフを使い適当に切る。順調かと思われたが、知らずのうちに緊張していたのか力の加減を誤ってしまい、途中で皮が切れる。
最初の一、二本はその繰り返しだった。
だんだんと慣れていき、丸々一枚とまではいかないものの、腕や脚の皮をうまく剥がせるようになっていく。
剥がした皮を正方形に切り抜くと、一枚の長い皮から数十枚の皮ができる。今まで色紙を買ってきた自分が馬鹿らしくなる。お金なんて出さなくても、紙なんていくらでも、歩いていればあることに気づいてしまった。
全て剥がし終わると、大小合わせて約五十枚ほどの皮が手術台に散らかっていた。その皮を一枚手に取り、何万回と折ってきた鶴を作る。
やはり折りづらい。
力を込めすぎて、途中で切れることがないように全神経を腕に集中させる。無理に引っ張りすぎると切れてしまうし、かといってほとんど引っ張らないと元に戻ってしまう。
微妙な力加減が必要な作業ばかりで疲労ばかりが蓄積されていく。
やっと一枚を折り終わり時間を確認すると三十分も経っていた。いつもは一分もかからずに折り終わるので、紙と皮ではここまで違うのかと驚いた。
まだまだ折らなければいけないので、面倒くさいという気持ちもないとは言えないが、最終的にどのくらい時間を短縮できるのかが楽しみもあり、早く折りたくて折りたくてたまらない。手が自然と皮へと伸びていく。
最初は三十分ほどかかっていた折り鶴が、残り五枚に差し掛かると十分ほどで折れるようになっていった。
最後の一枚が折り終わり、枚数を数えてみると全部で四九枚の折り鶴ができていた。
途中で何枚か失敗してしまったため、想像よりも少なくなってはしまったが、始めてだからという理由で割り切ることにした。
一息つくと急に眠気が私を襲う。もうすぐにでも寝れる状況ではあったが、鶴が痛まないように部屋にあった保管庫に入れる。
血がついた床に寝るのは良い気分ではなかったが、寝るところがそれぐらいしかないし、少しでも早く寝たかった。それほど疲れていた。
いろいろなことがありすぎて、頭の中でも整理できていなく何も考えられない。
目を瞑るとすぐに、意識は深い海の底へと沈んでいった。
これは夢だとハッキリわかる。
私は、都会の交差点で車に乗っていて信号待ちをしている。
夢だからなのか体がフワフワする。意識が朦朧とする。
目の前の信号が青に変わり、反射的に足をブレーキからアクセルに切り替える。
交差点に人がいるなんて考えずにただ進む。
悲鳴が聞こえた時にはもう遅かった。
次々と人を撥ねていく。スーツを着ている男性、二人で歩いているカップル、女の子と大学生ぐらいの男性。
赤信号で渡ってるこいつらが悪いんだ。ルールを守らないこいつらが悪いんだ。
自分にそう言い聞かせて前へ進む。
私は引かれたレールの上なんて走らない。
交差点だけではなく、ハンドルを回して歩道にいる人たちも轢いていく、
だんだんと人が死んでいく。
もうルールを守ってるとか守らないなんてどうでもよかった。
ただ人を殺したい。人を殺して何かしなければいけないことがある。そんな気がした。
一通り轢き終わると、車を止めて窓を開け後ろを振り返ってみる。すると、赤い血が道路一面に広がっていく光景を目にすることができた。
夢だからなのか直感でわかる。そこには百六人の負傷者と四九人の死亡者の血が流れている。
その血はだんだんと水位を増していき、車の窓から入り込んでくる。
車の中が血でいっぱいになり、息ができなくなる。
苦しくて苦しくて体が悲鳴を上げている。ただ幸せだった。
死にそうになり、もがいていると一筋の光が見える。
その光に手を伸ばして助けを求める。
目を開けると、天井から発せられる光が眩しい。
周りの空気はひやりとしていて肌寒い。目が慣れてきた頃を見計らって立ち上がり、自分の体を見る。
ズボンもシャツも皮膚も赤黒く染まっている。
こんなところで寝たことを今更後悔する。このまま外に出るわけにもいかないし、替えの服もない。洗って乾かすにしても、まずこの汚れは落ちないだろう。
悩み続けても仕方がないので、お風呂に入るために一階へ行くためにドアへと歩く。だが、歩き始めてすぐに何か重たいものを蹴ってしまう。
ああ、そうだ。こいつらの処理を忘れていた。
折り鶴を保管することだけを考えてしまい、切断した後の残り物は床に置きっぱなしにしてしまった。幸い、地下室ということもあり気温も低かったため、腐敗は進んでいない。
まだ使い道がないとは言えないので、冷凍庫に二体とも放り込んでおく。
あらためて思うが、この地下室は何のために作られたのだろうか。「殺した人を処理するため」の部屋なのは間違いないが、そのための設備が揃いすぎている。
あの男の謎は深まるばかりだ。
一階へ上がると、今度は何かを踏んでしまう。私の嘔吐物だ。蹴って廊下の隅へと移動させておく。この家の持ち主もいなくなったわけだし、もう住む人なんていないだろう。
よく見てみると、一階は想像以上に狭く、玄関から地下室へと続く階段は一直線に位置していて、その廊下の左右にドアが二つ設置されている。
一つ目のドアを開けると、お風呂に入るための部屋になっている。部屋が小さいため、三点ユニットバスになっていて必要以上のスペースはなく無駄がない。
二つ目のドアの奥にはベッドとタンスが置いてある。
お風呂に入って寝るだけの部屋しかなく、食事はほとんど外食で済ませていたのだろうか。
地下室の例という孤島の設置費用、維持費、食費を考えるとどれだけのお金があっても足りない気がするのだが、一体どこからそんなお金が出てくるのか。
不思議で頭がいっぱいになる。生殺しにして話だけ聞いた後に殺せばよかった。
そうは思ったものの、結局殺すなら魚と同じように暴れる前に殺して、鮮度の低下を抑えればいい。大事な皮膚も傷ついてしまうわけだし。それに、話なんて聞いても理解できずに終わるだけだ。
風呂に入るために服を脱ぎ鏡を見ると、まるで日焼けをした後のように肌の色が変化している。
シャワーを浴びて血と疲れを洗い流す。風呂栓を抜き忘れていて、赤く染まった血がゆっくりと上昇していく。
あの夢を思い出す。妙に現実感があり、まるで実際にその場にいたかのような雰囲気のする夢。
一体、自分の中で何がどうなっているのかわかないが、まずあんな場所にいたことは絶対にないし、現実ではないことは確かだ。
夢のことを考えすぎたせいで気持ち悪くなってしまい、急いで栓を抜き水面を低下させる。
置いてあるシャンプーとボディーソープを使い、こびりついた血を落とす。あの男も匂いには気を使っていたのかとても甘い香りがする。すぐに血の臭いが消え、甘ったるい香りが部屋中に広がる。香りが強すぎる気もするが、このぐらいでないと血の匂いが消えないのだろうか。
体を洗い流し終わり、棚に置いてあるタオルで全身を拭く。そしてやはり、着替えがないという難点が立ちはだかる。さすがに血で染まった服は着れないし、裸で外を出歩いたらもっとダメだ。
何か男が来ていた服で切れる物はないかと、隣の部屋に移動してタンスを開く。赤や黒の服が目立ち、血がついてもある程度は大丈夫な服が多いように思う。
ただ、どれも私にとってはブカブカでさすがに着れない。ここで諦めるわけにもいかず、タンスの奥を探す。すると、服が積み重なっている一番下に、三着ほど小さいサイズの服とズボンがあった。もう何年も着ていないのか折り目はしっかりとつき潰れてしまっている。
あるだけもありがたいので、あまり文句は言わずに早速着ることにした。
着てみて鏡の前で確認すると、少し大きいぐらいだが見た目的には問題ないだろう。下着に関してはまったく気にしていなかったが、なくても困ることはない。
やっと外に出る準備が整い、機能作った鶴を使う時がきた。
寝る前、手足を切る前から頭の中でやりたいことは整理されていてスムーズに体が動く。
地下室へと降り、保管してあった人間の皮膚でできた鶴を丁寧に箱の中に入れ、持ち運べる状態にしておく。
そして冷凍庫から男だけを取り出して、首から上を切断する。
凍ってしまっていて、切りづらかったが何とか切れた。胴体部分はしっかりと冷凍庫に戻しておく。
ポリ袋に生首と鶴の入った箱を入れて準備完了。
玄関を開けて道路へと出る。約一日ぶりの日差し手目が慣れない。正確な時間はわからないが午後三時ぐらいだろう。
ポリ袋を持っているため、ゴミ出しをしにきているように見えるだろうか。ゴミ出しにしてはだいぶ遅い時間ではあるが、怪しまれはしない、と思う。五分ほど彷徨い、ゴミ捨て場の倉庫を見つける。
周りに誰もいないことを確認してから、ドアを開けて中に入る。倉庫の中は蒸し暑く独特な匂いがする。
袋を開けようとするが、硬く縛りすぎてしまい中々開かない。やっと開いたかと思うと、倉庫内に地下室の匂いが充満する。
袋の中から生首を取り出し、床に置く。たった一つのものを置いただけなのに、倉庫内が異様な空気に包まれる。なんだか不気味だ。
次に箱を取り出し、鶴を床に置いていく。
一つ一つ丁寧に触れ、繊細な注意を払う。
さすがに床一面に、とまではいかなかったが人の皮が素材と思えば、十分すぎるほどの量が床に置かれる。念のために持ってきたライトを倉庫の端に設置して、開けた瞬間に生首が見えるように工夫する。
できた。完璧だ。私が頭の中で思い描いていた通りの作品が出来上がる。
うまくいきすぎて自然と笑いがこみ上げてくる。声が出ないように笑う。
自分が異常で、怪奇的な殺人を起こしていることに快楽を覚える。
あまり長居をしすぎるとリスクが高まってしまうため、袋を丸めて外に出る。
一瞬だけ、太陽の光が私の目を潰す。まるで神が罪を犯した者に罰を与えているかのような強い光だった。
ただ、目が見えなくなったのは人が瞬きをする時間と同じくらい短く、あまり気にはしなかった。
視界が回復し男の家へ戻ろうとすると、こちらの方を注視している女性に気が付いた。その女性は瞬きもせずにこちらを見ている。
ドアを開け、出てくる間に倉庫の中を見られてしまった可能性がある。私のしていたことがバレてしまったかと思うと、自然と鼓動が早まる。
ドアの方を見ていたであろう視線が私の視線と重なる。
目と目が合う。
その瞬間、私は女性に恋をした。その女性のすべてを知りたくなった。
それが吊り橋理論のせいなのか顔がタイプで一目惚れをしてしまったせいなのか、そんなことはどうでもよかった。
今まで味わったことのない好きという感情に心が支配される。
鼓動は早まる一方だが、なぜか胸は締め付けられて痛い。
自分の体の中で何が起こっているのかがわからない。
急にがん細胞が増殖を開始して、心臓を蝕んでいるかのようだ。
目が合ったまま動けないでいると女性は微笑み、去っていく。
笑顔を見たその時だけは恐怖だとか狼狽といった感情はなく、心は幸せに包まれて痛い。だが、幸せな感情はすぐどこかへ吹き飛び、だんだんと心臓に針が刺さっていく。
私が倉庫から何食わぬ顔で出てきて、中を見られたとすると誰がやったかなんて健闘がついてしまう。
そしてあの笑顔。
私を安心させるために繕った笑顔なんじゃないかと思う。
あの女性が誰かに話す前に殺さなければ。でなければ私が捕まってしまう。話が出てきて犯人の候補に挙がってしまったらその時点でアウトだ。反論の余地もないし、あとはその時を待つのみとなる。
それだけは何としても避けなければいけなかった。
女性のいた方へと走り始める。交差点になっていて、まがった方向しかわからないが追いかける。
交差点につき左を見ると、ちょうど家に入る直前の女性が見えた。瞬きをしていたら見逃すぐらいの出来事だったが、何とか家は確認できた。
すぐに男の家にも戻り、準備をする。
部屋に置いてあった大きなバッグに、ナイフや小型の鉈、ノコギリ等殺害に必要な道具を詰める。
私のことがもう警察に知られていないか心配で気が気でない。早く女性を殺したい。殺して安心したい。
たった二人殺してしまっただけで、こんなにも気軽に殺したいと思えてしまう自分が怖かった。
もう私には殺人鬼の目が生えかかっている直前だ。
バッグに一通りの物を詰め込み、玄関の前に立ちドアノブに手をかけようとした時だった。
インターホンが家中に鳴り響く。驚いて何もできずにいると次は、ドアを叩く音がする。
「すみませーん。誰かいますかー?」
なんの反応もせずにドアの前に立っていると、足音が聞こえて去っていく。
確実にいなくなったタイミングで音がしないように開き、先ほどの声の主を探しに行く。
家を出てすぐの横断歩道に青い服を着た男性が歩いていく姿が見えた。後ろ姿だけでもわかる。警察だ。
もう彼女が通報をしたのか。
ただその可能性は低いと感じる。まずは現場に行くだろうし、私がこの家に入るところは誰にも見られていない。だから、この家を短時間でピンポイントに当てることは不可能。
私が関与している中で考えられる可能性としては一つ。
アイツがこの辺の地域に住んでいて、学校で姿が見えないため親に連絡がいき、警察に通報というんがれだ。
警察はアイツをどこかで見なかったかという聞き込みをしているのだろう。私が関与していなければたくさんの可能性が考えられるが、私が関係ないことを考えても意味がない。
ただ、厄介なことになった。
急ぎたい気持ちではあるが、警察に見つかってバッグの中を見られるなんてことがあれば、私はすぐに捕まってしまう。
なので、慎重に行動を進める。見つからないかつ怪しまれないように動く。
そして、最短時間であの女性の家の前に到着する。
あの女性が家の中にいることは前提として、どうやっておびき出すか。同居者がいたらどうするか。たくさんの不安要素はあるが、まずは行動をしてみる。
インターホンを押し、しばらくすると女性の声が聞こえる。
「はーい、ちょっと待ってくださいね」
若そうな声。第一関門突破。足音が聞こえてドアが開く。
「どちら様でしょうかーってさっきのゴミ捨て場にいた!どうしたの?」
心臓が跳ね上がる。こんな近くに好きな人が立っている。
咄嗟に嘘が口から漏れる。
「お、落し物があったんで届けにきました。私も家がこっちの方向で、入っていくところが見えたんで。急にごめんなさい」
「あっ、そうなの?こっちこそわざわざごめんね。玄関で話すのもどうかと思うし、どうぞどうぞ上がって!」
警戒心が薄くて助かった。さすがに玄関前で殺すことはできないし、今渡せと言われたら嘘がばれてしまうところだった。断る理由もないので「ぜひぜひ」と家に上がらさせてもらう。
あの男の家とは違い、良い香りがする。
リビングに案内されて椅子に座る。家の中を見ている感じ、どうやら一人暮らしのようだ。他に誰かが生活している雰囲気がない。
「おまたせー」
と声が聞こえ、机の上にお茶が二つ並ぶ。そして、女性が目の前に座る。
「わざわざありがとうね。私、何落としたの?」
緊張してうまく口が回らなくなる。
「えーっと、た、確かポケットに…って、一回帰って着替えてきたんで元の服にいれっぱなしにしてきちゃいました…」
「あははードジっ子だね。まあいいや、暇な時にでも持ってきてよ!」
ここで賭けに出る。この女性なら賭けというよりも、ほぼ必然的に成功するであろう賭け。
「はい。わかりました。ごめんなさい!じゃあ、用事もないんでこれでお邪魔します」
「いやいや、もうちょっとゆっくりしていってよ!せっかくお茶も出したんだし、世間話でもさ」
ほら、やっぱり成功した。本当に警戒心がない女性だ。
見た目はしっかりとしているのに心は軽い。そのギャップにも恋をする。
この女性のすべてに恋をする。
「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「全然大丈夫だよ!いつも家で一人だから寂しくてさー。それにしても君、しっかりしてるよね。私とは全然違う。凄いよ」
「そんあことないですよ。私、両親がいないんでいろいろと知らないことが多いんですよね。だから、常識は知らなくても言葉遣いだけはと思って」
これは本当だ。残してくれたお金で参考書を買って、少し不自然なところもあるが最低限の敬語は使えるようになった。
「そっか…。変なこと言っちゃったね。ゴメンね。両親がいないってことは今、おばあちゃんとかおじいちゃんと一緒ってこと?」
「まあ、そんなところです。さっきの話を聞く限り、一人暮らしなんですね」
「そうだよ!親に無理言って一人暮らししてるんだよねー。やっぱ寂しいことは多いかな」
寂しいという言葉だけで、この女性には友達がたくさんいることがわかる。
私と対極にいる人間だ。
「あ、ごめん!トイレに行ってくるよ」
そう言って早歩きで女性はリビングを出ていく。
背後からドアを閉める音がする。チャンスは今しかない。
急いでバッグから鉈を取り出し、ドアを開けた時、死角になる位置に立つ。
胸がドキドキする。好きだから殺さないとかそんなことは言ってられない。この女性を殺さなければ、私が社会的に殺されてしまう。
立ち振る舞いを見るに、倉庫の中までは見ていなかったようだが、この事件を解決へと導く重要な参考人となってしまう。
「だから殺さないと」そんな気持ちだけが心から溢れ出る。
トイレにしては長い時間が過ぎ、足音もせずにゆっくりとドアが開く。
女性がリビングに入ってくる。私の目の前に背中がある。上を向けば首がある。
その首に向かって鉈を振り下ろす。血が溢れ床に広がる。
女性の手から何かが落ちて音がする。ナイフ、のように見えたが、刺そうとすると刃がしまわれるナイフのオモチャが床に落ちていた。
最後までこの女性は私を楽しませようと気を利かせてくれた。
その心意気でもっと好きになる。どうしようもなく好きになるが、もうどうしようもない。この世からいなくなってしまった。
首無しになった死体が倒れている。本当は処理をしなければいけないのだが、死体の処理なんてしても床についた血はもう取れないし、無駄な気がした。
この女性を殺したという証拠だけこの手に残しておきたくて、女性の象徴でもある胸と子宮を切り取り、袋に入れる。生首も拾っておく。
殺した証拠と言ったが、証拠というよりも私が唯一好きになった女性の顔を、胸を、子宮の形を覚えておきたくて切り取った。
ちょうど殺した位置が、窓から見えない位置で助かった。念のため電気を消し、玄関のドアを閉めて窓を使って外に出る。
少しでも時間稼ぎになればいいのだが。
体のいたるところに血がついていたし、今度こそ誰にも見られていないことを確認して、周りに注意しながら走って家へと帰る。
すぐに地下室へ行き、袋から切り取ったものを出して腐敗しないように冷凍庫で保管する。何に使うかは決めていないが、いつか使う時がくるだろう。
無地に問題は解決して、明日の朝には必ずあの折り鶴が誰かに発見される。それと同時に、女性も発見される。そしてすぐに噂は広まって、殺人鬼の名が知れ渡る。
すべてが順調に進みすぎて怖い。運が私に味方してくれている。今ならなんだってうまくいく気がした。
何か行動に移す前にまずはご飯だ。朝から何も食べていないし、お腹が空いて仕方がない。人肉でも食べようかと思ったが、今日ぐらいは豪勢な食事にしようと、外食で済ませることにした。
お風呂に入り気分を変えたところで、綺麗な服を取りに実家へ戻るために、もう暗闇に包まれて街頭と車のライトしかない外へ歩き出した。
歩き出そうとしたはずだった。
体が宙を舞い、無残にも道路へと叩きつけられる。
一筋の光が体の前で止まり、誰かが慌てた様子で近づいてくる。
もう何の音も聞こえない。
痛くてつらくてもうそれ以外の何も受け入れられない。
どうしてこうなってしまったのだろう。
男の家から出てすぐに横断歩道がある。そこには街頭もついていて夜でも安心して渡れるはずだった。
トラックが遠くからこちらへ向かって走っていたが、気づいてくれるという甘い考えが悪かった。
私はまだ中学生で、クラスの中でも一番背が低かった。
トラックからはちょうど死角になっていて、私の姿が見えなかったに違いない。
そして渡り切ろうとする間際、体に強い衝撃が走り空を飛んだ。
轢かれてもなお、意識はここに存在している。生きている。
そしてなぜこうなったのかも覚えている。
まだ死ねない。ただ痛い。
体からは大量の血が溢れ出て、だんだんと意識が朦朧としていく。
流れ出した値は元に戻らないし、止まってもくれない。
救急車の音がかろうじて聞こえ始めたその時。私の糸は切れた。
-------------another--------
僕が事件の担当になったのはつい最近で、事件の発端はゴミ捨て場の倉庫から、人皮で作られた鶴と生首が発見されたところから始まった。
通報が入り、現場についた僕は驚いた。
ライトに照らされた生首が置いてあるではないか。今時、こんなことが怒るのかと思った。
その周りには鶴が散りばめられている。最初は色紙で作られているのかと思ったのだが、触ってみるとその質感、色から人の皮膚であることが容易に想像できた。
すぐに本部に連絡をし、もうこれで僕の役目は終わりかと思われたが、数時間後に連絡が入り、僕がこの事件と担当になることを知った。
それからは忙しい日々が続き、犯人の本拠地であろう家を調べていった。
死体の状況から見て、現場から殺害された場所は近場であることがわかり、また殺害後、鶴を作るために生首を保存しておく必要があることが分かる。そこで、倉庫周辺の家を片っ端から調べ、怪しい家をピックアップしていった。
その中で特に怪しいと思われる家に重点をあてる。
一人暮らしにしては電気代がかかりすぎているし、数年前に大型の冷蔵庫や保管庫を購入・設置している。
調べていけばいくほどこの家が本拠地だという確証が出てくる。
なぜか、玄関のドアは開けっ放しになっていて、その隙間からは何かが腐った臭いがするという苦情も近隣住民から寄せられている。
その状況から見て殺人鬼はもう、家を捨てて逃走してしまった可能性も捨てきれな い。
だが、この家には何かがある気がして、無理を言って家宅捜索の許可を貰い、家を漁ることになった。
予想は大当たりだった。
最初は何もない家かと思ったが、奥へ進むと地下へ進む階段があり、腐敗の臭いが立ち込めてくる。
階段を降ると、地下室がありドアはなぜか開けられている。電気は明るく部屋を照らしていた。
床や壁は血で染められ、たくさんの機器が並んでいる。その機器を分担して調べていく。
保管庫からは人皮が、冷凍庫からは胴体や生首、胸、さらには子宮まで出てくる。さらに奥に手を伸ばし、袋を取り出すと人肉、眼球、細かな骨まで人間の全てが出てくる。
殺人鬼は一体、何に使用する目的で保存をしていたのか見当もつかない。
何かがあるとは思っていたものの、ここまでの物が出てくるとは想像していなく、驚きが隠せない。
警察官の何人かは耐えきれずに吐いてしまう者もいた。誰かが吐き出すとそれに連鎖されて、一人また一人と床や袋に嘔吐物を広げて、使い物にならない人が増えていく。
変死体を見慣れている人でも耐えられない独特の雰囲気と臭い。なぜか僕は驚くだけで、気持ち悪いとかそういった感情は沸いてこなかった。
だから、この事件の担当になったのかもしれない。
一人で黙々と作業を進めるうちにあることに気づく。
『殺人鬼は二人いる』
比較的状態が新しい物と古い物を比べてみると、切り方が全くといっていいほど違い、古い物は元々鑑賞で使用する目的だったのか、骨は無傷で丁寧に切り取られている。新しい物は切り方が雑で骨も砕かれ、歪な形になってしまっている。
最初は犯人の動機が変わり、鑑賞目的ではなくなったと思ったのだが、よく見れば見るほど違いは明白になっていて、殺人鬼は二人いるとわかる。
その決定的な違いは使用している道具だ。
前者は複数回にわけ、切り取られていて用具としてはそんなに大きくないナイフ等が使用されていると考えられる。一方、後者は縦方向に一回しか切り取られた跡が見られないため、鉈を振り下ろし切断したと推測できる。
古い物はすべてナイフで切り取られているが、なぜか比較的新しい物―多分ここ一週間前後で切り取られたもの―は、鉈で切断されているように見える。
今までめんどくさい方の小さなナイフで切り取っていたにも関わらず、いきなり鉈に変えるとは考えにくい。
私の推測なので確証はないが、直感がそう言い続けている。
結局、最後まで一人でやり通してしまい、周りの人からの意見を聞くことができなかった。
外へ出ると何人もの警察官が今にも吐きそうな顔をしていて、どんな教育を受けていたのか不思議に思った。
町を守るはずの警察官がこんなに貧弱で良いのだろうか。
バラバラ死体が保存されているとは知らされているはずもなく、気持ちの準備ができなかったので、仕方がないのかもしれないが。
警察署に戻り、書類の整理を始める。あの家で発見した物についてまとめていく。
何がどんな状況で置かれていたのか、僕の記憶だけが頼りなので、できるだけ正確にまとめていく。
そんな時にふと思い出してしまう。
あの家の前で轢かれたこの子の事を。
通報が入り僕が駆けつけた頃には、服は血で真っ赤に染まっていて意識不明の重体だった。
救急車はすぐに到着して病院へと運ばれたが、大丈夫だったのか。
そもそもなぜ、あの子は夜に一人で出歩いていたのかもわからない。
無駄なことを考えていると、集中力が途切れ、調書がうまく書けなくなる。
昔から一つのことに集中できない性格なのだ。
まだまだ時間もあるので気分転換にと、お見舞いと事情聴取を兼ねて病院へ向かうことにした。
事情聴取をするには少し早すぎる気もしたが、大丈夫だろう。
意識が回復してなかったら帰ってくれば良い話だ。
タクシーを使い、搬送された病院へ向かう。
名前はもちろんわかっているし、よほどの重体でなければ面会の許可が出るだろう。あとは病院内にある売店でお菓子屋ケーキを買っておけば、話もしやすくなる。
警察署から病院は比較的近い場所に位置しているが、やはり徒歩で行くよりかは車を使って楽をしてしまう。体を動かさない分、考え事もできるので。
悪い癖なのは理解しているが、現代人なので仕方がない気はする。
そんなことを考えているとすぐに病院に到着する。もちろん降りる時はお金を払い、領収書も貰う。
歩くより時間もかからないし、お金も減らない。得な事しかないのだ。
浮く予定のタクシー代でお菓子を買う。さすがにこれくらいは私費で払っておく。
僕はそんなにケチではない。
部屋番号を教えてもらい病室へと向かう。
もう目覚めているようで面会の許可もすんなり出た。
何を思ったのか病室まで僕は階段を使って上へと登っていく。素直にエレベーターを使えばいいものを。
静かな廊下に僕の足音だけが響き。まるで世界から何もかもが無くなってしまったかのようだ。
足音が止まると無音の世界になる。なんだか、それが心地良くてドアノブに手を掛けようとは思わなかった。
音がしてしまい、この世界を崩してしまうのが嫌だった。
ただそんな世界が永遠と続くわけもなく、突然目の前のドアが開く。
驚いて声が出てしまう。そこには看護師が立っていて、看護師は申し訳なさそうにこちらに一礼して、足早に去ってしまう。
悪いのはこちらで逆に謝りたい気分ではあったが、部屋の中を見るとベッドに座っている子供がジッとこちらを見ていた。
顔をどこかで見たことがある。多分、交通事故にあった子だ。
警戒心を解くために部屋に入り言葉を交わす。
「こんにちは、調子はどうだい?」
「誰」
いきなり反抗的な態度で話しにくい。
「お兄さんは警察の人でね。元気かなって思って」
「ふうん」
「お菓子買ってきたから、もしよかったら食べて」
それ以降、会話は無くなり静かになってしまう。
もちろんすんなり話してくれるとは思っていなかったのだが、ここまで口数が少ないとこちらとしても対応が難しくなってしまう。
何も行動できずに立ちすくんでいるとドアが開き、驚いた顔で看護師が入ってくる。
「ああ、すみません。僕はこういう者でして。様子を見にきました」
そう言って警察手帳を見せる。すると、看護師はすぐに微笑む。
「そうだったんですね。親御さんかと思ってビックリしました。この子、記憶喪失らしくてどうしようもないんですよね」
「記憶喪失…?」
「ええ、そのせいで全然しゃべれなくなっちゃって。困ってるんですよね」
「そうなんですね。そんなことが…。すみません、また出直してきます。力になれずに申し訳ないです」
そう言って病室から去る。素直に驚いた。
事故現場を見た時にはそこまで酷い事故ではなかったので、まさか記憶喪失になるほどとは思わなかった。また、お見舞いという気持ちもあったが、あの家の前で事故を起こしてしまったこの子なら事件について何か知っている。そんな気がしていたのだが、話を聞く手段がなくなってしまった。
帰りはタクシーを使わずに歩いて警察署に向かう。
ゆっくりと一つずつ状況を整理したかったからだ。いくら考えても答えが出ない。
一体、誰がこの事件の犯人なのか。あの家の主はどこへ行ってしまったのか。
そして、あの子は何を見たのか。
あの場所は見晴らしがよく、事件が起きにくい。あの子が興味本位で家の中に入り、何かを見て恐怖して、横断歩道に飛び出し轢かれた。
そう考えるのが当然だ。
あの子が何を見たのか。それが事件を解決するたった一本の糸のように感じられた。だが、もうあの子には頼れないし、事件の解決は当分先になる予感がした。
警察署に着きドアを開けた瞬間、こちらに走ってくる人がいた。顔を少しだけ見たことがある。多分、同じ事件を担当している人だ。
「鶴に囲まれていた生首の身元が判明しました。どうやら、あの家に住んでいた方だそうです。また、二週間ほど前に家近辺での目撃情報もあるため、殺されたのは最近かと思われます。鶴に関しては行方不明になっている中学生の子の皮膚と、先ほどの家に住んでいた人の皮膚が使われています」
「なんだって!…あ、すみません。ありがとうございます」
「また何かあり次第、報告します」
あの子に続き、またも驚きの事実が判明してしまった。
ただこれで分かったこともある。
あの家に保管してあった眼球や手足は殺された男の物だという事と、殺人鬼は二人いるという事だ。
男の物だとわかっても、もう死んでしまっているし意味がない。しかし、もう一つの情報は果実に良い方向へ進む。急いで調書を書き終え、会議でもしようかと思ったのだが、もう時刻が午後十時を過ぎていたため会議を明日に回し、長丁場になることに備えて寝ることにした。
---------another----------
深い眠りにつき長い夢を見る。
自分の犯した過ちを理解する。
自分の快楽のために殺した人間の声が聞こえる。
その声は頭の中まで語りかけてくる。
「どうして俺を刺したのか」
「どうして俺を切ったのか」
声だけで頭がいっぱいになって、もう何も考えられなくなる。
殺したのは自分で、非があることはわかっているのに耐えられない。
ゆっくりと頭の中を侵食していくのが怖い。
そして、自分の中で結論が出る。
全てを無くすことにした。
俺が目覚めた頃には、どこかのベッドに寝ていた。
もう声は聞こえなくなっていて、頭はスッキリとしている。
スッキリとしすぎていて、昨日までのことを何一つとして思い出せない。
思い出せるのは今、考えている時に使っている日本語だけ。
何も覚えていないが、一つだけわかる。
多分、これからも人を殺し続けて、そのたびに何も思い出せなくなって最後に殺される。これが俺の運命なのだと思う。
いつか、いつか、警察に捕まって刑務所に入り殺されない運命があることを望む。
ドアが開き女性が入ってくる。
「あ、おはよう。起きたんだね」
「 」
おはようと言ったつもりだったが、言葉が出ない。考えることはできても発することができない。
その様子を見て女性は小走りでどこかへ行ってしまう。
さあ、もうひと眠りしようか。ゆっくり眠ってすぐ起きて、そしたら動いていつか死のう。
--------another----------
起きてすぐにこの事件は解決しないことに気づく。なぜなら、もうこれ以上証拠が出てこないからだ。調べるところは全て調べたし、やれることはやった。
でも、第二の殺人鬼に繋がるような物が何一つ出てこない。
諦めてはいけないことぐらいわかっている。もちろんこれからも操作は続けていく。
ただ、無い物に手を伸ばし続けても意味がないのだ。
心の中では諦めて表面上だけは頑張ろう。残りの人生をかけて探して、見つからずにそのまま死んでいこう。
さて、これから意味のない会議が始まる。見出しなみを整えて家を出る。
太陽の光が眩しくて目が覚める。
目が覚めても考えは何一つ変わらなかった。
三年ごとに同じ手口の事件は続いた。毎回、解決しようとはするものの、第二の殺人鬼を見つけることはできずに迷宮入りしてしまう。
事件の担当者はほとんど諦めていた。諦めたとしても捜査を終えるわけにはいかない。僕は歩く。前に歩き続ける。
今日も捜査に出ようと立ち上がった時、ドアが開き、そこには一人の男性が立っていた。
「私を捕まえてくれ。俺が事件の犯人だ。もう殺されたくない。私は生きていたい」
そしてなぜか、事件は解決へと向かう。あの男がこの事件を起こしていたとは考えにくい。だが、事件は解決したのだ。解決と言っていいのかはわからないが、怪奇的な殺人がこの地域で起こることはなくなった。
僕が六十歳になり桜が散る間際だった。
自首をした男性はすぐに病気で死んだ。死因はわからない。急性なんちゃらだったか。思い出せない。
死ぬ直前、彼が最後に放った言葉がある。
「もっと早く自首をすれば長く生きられたのかな。でも、自首をするなんて思いつかなかったよ」
どんな意図でその言葉を発したのかは本人しかわからない。
ただ彼は笑ったまま死んでいった。
何があったのかは知らないが、彼の人生は幸せだったに違いない。
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