ばうわうわう
銀色の狼が吼える。
それは死滅した日本大守にほんおおかみの成れの果て、やけに夜輝く毛が、ウォンと空に鳴いた。
それに世界も同類も答えることはない。
「さて、お仕事は終了である」
――――狼はすでに滅んだ生き物なのだから
たかが銃弾と呼ばれるこの世界。
だがやはり銃弾が人間の体を食い破ればやはりそれは致命傷だ。
力場兵器を操る者の強さが際立つこの世界。銃弾だからといって甘く見るものが多いが、やはり銃弾は恐ろしい。
そして彼女の今の状況は、死を意味する銃弾の壁。過去の個人戦略兵器とまで呼ばれることになった力場兵器とは違うが、それでも銃はまだ人を殺せる代物だ。冷徹なまでに人間を殺すためにくみ上げられた殺人の代物であることに変わりはない。
一撃でも当たればそれだけで致命傷になる。
銃は口径さえ広げるだけで、貫くから吹飛ばすに変わる。軽くよけることのできる代物でもないというのに、夜景に走る少女は、その身体能力だけで体を食い破る野犬のような牙を、ひとつの風景にしか彩らずに走り抜ける。
第二世代の特徴であるオッドアイのような濃い黒と薄い黒のたぶんは一種の色素の欠乏症なのであろうが、少女のその目はその奥に金色を隠しているように見えた。
銀の髪を大河の様に後ろに走らせ、口からは八重歯を鋭く生やした黒衣の少女。跳ねる呼吸が、軽いジャズでも歌っているように聞こえる。
彼女に向けて凶器を向ける集団を、経済特区治安軍 十字軍 と言う。王国の中でも特筆的に高い戦闘力を持ち、騎士団長ワラキア公は力場兵器 ナンバー12 内圧縮力場 を操る存在である。
「うむ、これが報酬であるか。我はとてもむかついているぞ」
少女はひとつの仕事を終わらせた。経済とっくに入り込む武装集団の皆殺し。それだけの内容だったが、依頼人が払うと用意したのは銃弾だけであった。
納得いかない理不尽だと憤る。周りから見れば牙を生やし喜ぶ狼の様にも見えただろう。
少女の目には喜びが彩られていた。
それは理不尽に群れる狩の戯れのようなもの。楽しいのだ、追いかけられると言うことが、たかが銃弾など戯れ合いの小道具に過ぎない。
銃は恐ろしいが、彼女にとっては遊び道具の一つなのだろう。
当たり前のように彼女はその銃弾を避け続ける。追われると言うよりも戯れ、確かに彼女は銃と言う弾丸と共にごったな曲を歌っていた。
結局精鋭の揃えられた治安軍は彼女を殺す事などできなかった。
***
その姿に彼は見惚れていた。
開発の進んだアイユーブで道に迷い自分の庭であった都市はいつの間にか彼の知らない場所へ変貌していたのだ。
三年、長いようで短いその時間の間の変貌。自分の知っているところを探すように彼は、うろうろと歩いた。
ようはただの迷子である。
昔の匂いを感じた彼は、アイユーブでも余り変わらない所に足を向けた。かつての観光名所である、美観地区、主観になるがそれほど綺麗な場所ではない。三日いたら確実に飽きるような場所だ。
まだ全盛期の頃のあとを色濃く残す、元観光名所、現状ではただの廃墟である。経済的価値も余りなくなったその場所に人が足を向ける事はない。
ぼったくりのような鯉の餌が腐ったままありえない様な値段で売られている。彼はそれを蹴り飛ばし鯉のいたであろう池に蹴りこんだ。そんなふうに故郷を回っていたとき、銃声の音が響いた。瞬時に逃げ出す準備をする勇者、それでいいのか勇者。
彼は、足を止めてしまう。一瞬だがまばゆい光。
目もくらむような一瞬の光の中に狼がいた、白銀の狼を彼はここで見た。銃の発光、月の光、その二つが彼女に実像を与える。逃げるどころか隠れる事さえ彼は出来なくなった。
彼のような第一世代とは違い、体にまで変容をきたす第二世代、だがそのなかにあって彼の見た狼の少女は別格であったのだ。銃と戯れる、どこまで言っても銃は人殺しの道具で、そのために積み上げられてきた殺戮の歴史がある。少女はそんな代物と戯れていた、自分にあたるはずが無いと思っているわけでもないのだろうが、まるでそこが舞台になる歌劇場。
吸血毒婦バードリと呼ばれる少女を男が見た初めてのときである。彼女はそのとき誰にも見せない、満面の笑みをつくりはしゃぎ回ったいた、彼女が持っている武器なんてワイヤーに組みつけられたナイフ一本、それが少女の牙、狼とたとえられた白銀が持つ唯一の牙なのである。
一つの劇を作る小道具がすらりと抜かれる、刃渡りしにして二十センチその辺の市販で売られているサバイバルナイフと見た目は変わりはなかった。だがそれだけですえた匂いのするこの場所が、何か別に代物に変わったように思える。少女は体が屈める様にして構える、その間も銃弾は変わらず打たれているというのに少女にかすり傷さえ追わせようとしない。
息を呑んだ、彼は少女のその姿に息を呑んだ。呼吸さえ忘れそうになるその怖気のするような構え、観客に挨拶するように少女は頭を下げる。
銃弾は彼女の体よりも先に脆くなっていた足場が崩れる。
進化種第二世代、第一世代のように幅広い能力を持つものは少ないが体の単純スペックを桁違いに増大はねあげている。まるで体もその変種に慣れるように、体の一部が欠損したように色素が薄くなっているのだ。第一世代の人間臨海突破系リミットオーバーと呼ばれる存在には劣る程度の身体スペックしか持っていないが、安定性と言う部分であれば間違い無く第二世代のほうが優れている。
何しろ扱いをしくじって死ぬ事がない。だがその二世代と言う能力を抜いてもそこにあった光景は鮮烈であった。
それは力場兵器ではないはずだ、たった一つの牙が銃弾ごと人体を貫きその衝撃で人間が吹き飛ぶ。どんな人間だ、第一世代の化け物でもそんなことで気やしないのだ、そしてその弾丸のような一振りにか追いつく銀の影。ナイフについていたワイヤーを引っ張りスピードを緩めて掴んだのは間違いないだろうがそれでも早すぎる。
「冗談だろ」
空気の摩擦で相当の熱を持っているはずのナイフをるがると掴む辺りに粉塵を撒き散らし名が少女は己のみをその中に隠した。その中に一陣の風が吹き抜ける、ワイヤー掴んでまわすだけの動作だがその速度が問題だ、人間の首をはねる程度では微塵の揺らぎもしないようにワイヤーはピンと張ったまま渦を書く。
うおおおおおぉぉぉぉぉおおっぉおっぉん
それは狼の遠吠え、回転が止まり武器を順手に持つと少女はまた駆け出した。それは多分彼女の武器から振り下ろされる風斬りの音、振動がうんと唸って犬の吼えたような声が響きわたる。
ぼんやりと彼はそれを見ていた。今まで見たどの戦いよりも、野性的で、古代的な戦い。
「洒落にならんこれは」
桁違いすぎるのだ、
大戦時彼は、自分のたてになる肉の壁を探して優秀な人材を集めていた経歴がある。その彼が知らないということ自体異常。
「
彼をかばい剣王に切り殺された、彼の守護者の一人の名前をこぼす。
見ることしかできない、力場兵器を使えば彼が敗北するなんてことほとんどありえないがそれでも、存在の質から彼女は圧倒的だった。
孤高にして極大、圧倒的な存在量。
孤独の癖にしやがって、誰も彼もをひきつける竜巻のような渦。適切な言葉が一瞬浮かばない、ただ自然に跪くだろう。
彼はただ、ただ、見惚れた。
***
獣の嗅覚、だんだんと度を超していく。
遊び始めた狼では足りない、血塗れとまで呼ばれる彼女の字。人の味を覚えた獣は、簡単には止まらない。
鼻をひくつかせ新たな獲物を探す。腐肉とアルコールを合わせたにおいが彼女の鼻腔を貫く。どれだけ血に染まったかわからない、人の腐ったにおい、極上の人間の屑だ。
可憐な少女を思わせる表情から表れ出る狂気の側面。
気の触れた白痴 狂った鮮血女王エリザベート・バートリ
こんな屑の匂いを嗅いだ事はない。極上すぎる獲物が近くにいる。
一瞬、首がぐるんと一回転したように見えた。普通では嗅ぎきれない、常識外の嗅覚ではない嗅覚が獲物を見つけた。
ワイヤーを回収するモーターの音が響いて。途中でそれはやむ、多少垂れたように見える中途半端に回収されたナイフ。彼女はそれを高速で回転させながら射出のトリガーを弾く。見た目だけならただ投げているようにしか思えない動作でナイフは吹き飛んでいく。
これはレールガンの一種である。ただし今の技術では作ることのできない。力場補強といわれる、運動ベクトルの固定を決定する砲身を備えた代物ではあるが。これは元々、転換期以前の次世代歩兵の所有武器のひとつである。
最も扱いにくさでまともに使われることのないまま廃棄された試作品ではあるが、力場兵器ほどの使い勝手のいい代物でも威力があるわけでもないが、狼の少女はそれを完全に使いこなす。
だが威力は、彼が視認済みである。
音速でぶち抜く狼の牙、人間の身体能力でかわせる様な代物ではない。
からんとナイフが力なく落ちたのはそれはから一秒たりとも経っていない。
危機回避能力には中々に定評がある勇者は、その狂気を一瞬たりとも逃すことなく武器を起動させる。
「あ、あれ?」
しかも当人さえ気付くことなくだ。
すでにワイヤーは回収され彼の懐に少女が現れる。彼女のその獣の嗅覚は強者と弱者を瞬時に分ける、その中で彼は彼女に極上の獲物とされた。
弾かれる事はすでに彼女の想定内だ。彼の力場兵器は世界最強と呼んでも間違いではない、弾くではなく吸収に近い障壁が彼女の攻撃を阻む。
「ワラキア公であるか?」
だが内圧縮とは似ても似つかない兵器の質。
「いや、十九のマイスターの内の一人であるのは確定ではあるが、これほどの人間のごみを見たのはわれとて始めてであるぞ」
「全くうれしくないほめ言葉だ。しかしいきなり俺を襲うってどういう」
「聴く耳持たんぞ人間の塵、ただ足りんだけよ我が死を食い漁ることがなぁ」
彼は動揺しかしていない。それでも彼女の攻撃を阻んでいるのは、ただの武器のポテンシャルのおかげだ。
そして何より、目の前で見る獣はより鮮烈だった。殺すことは彼の力ではきっと容易い、だが負けるのは自分だと確定できる。
武者震いにも似た震えが走る。
その牙の銀が、その銀狼の眼が、毛が、そして狂気に歪むその苛烈な表情が彼に攻撃をさせない。
「話を頼むから聞いてくれ。少しだけ話したいことがある」
「断る。我が狩りを楽しむのに、獲物の言葉を聴く必要はあるまい」
バッドランドのビリー、ロボ-コランポーの王様、一瞬そんな陳腐な言葉を髣髴させる。それは彼にあまりに失礼だ、彼らは獣の王だが、彼女は違う、命がけの勝負を求める野獣と変わらない。
だがその姿に彼は見惚れていた。狂った勇者のゆがみはこんなところでさえ見える。
それから何度も彼女を説得するが一向に無意味。傷をつけないように細心の注意を払いながら、拘束力場を起動させた。
「ぬ? 多重力場兵器だと、そんなものこの世には……!!」
一瞬の思考が彼女に正解を与えた。閃く様な中野に見える可憐な笑顔、こんなところで見せてもいい物ではないが、ここでしか見ることの出来ない表情。
「そうか!! 勇者か!!
すぐに正解を引き出すと、拘束された少女にあまり彼が見せることのないまっすぐな視線を向ける。彼女は気おされた様に視線をはずした。
「話を聞いてもらうために失礼。今から言うことを聞いてください、そのあとならなんとデモしてくれてかまいません」
彼は彼女の姿に本当に見惚れたのだ。
絶対に勝てない一人を彼は見つけてしまった。当たり前のように、土下座を慣行、あまりに熟練されたその姿に少女は呆れた。勇者という存在から予想できる代物ではないからだ。
ただ、彼はためていた感情を特に思考せずに吐き散らかす。
「結婚してください」
「え? はぁ? はぁああ?」
多分その言葉は間違っている。
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