第16話 風邪ひき

 月曜日の夜のことである。

 おおぐま座とこぐま座を、家から一人で見てみた。

 このくらいの観測は誰にでも出来る(と、思う)。当然私だって出来るはずだ。


「まずはおおぐま座を見つけられるようにするといい」と言う月宮先輩のアドバイスに従って、北斗七星から探してみる。するとびっくりするくらいに簡単にみつかった。一月前の私なら「暗いなあ、星があるなあ」くらいにしか思わなかっただろう場所を、意識してみてみたら「見覚えのある形に星がある」のだ。


 これを尻尾に見立てたのがおおぐま座だから……おお。わかる。星座を見つけられる。

「伸ばした先に北極星がある。そこからのびるのがこぐま座」


 月宮先輩のアドバイスどおりに、こぐま座も見つけ出せた。ちょっとは天文部員らしくなってきたのだろうか。……いや、冷静に考えて、このくらい、星好きの幼稚園児だって見つけられるだろうから、全然自慢にならない。


 星座は星空の地図だ。それがわかってきたので、もうちょっと真面目に星座のことを覚えなくてはいけない。


 ただ、どうにも、妙に詩的な名前の羅列が私は苦手で、なかなか頭にはいってこない。てんびん座とかなにがてんびん座なのかわからなくない?

 星座に詳しい水谷さんにスパルタ教育してもらうのが懸命の気がしてきたが、それも情けない。前途多難である。


 しかし五月は木星の見頃が続くというから、これをちゃんと自力で見られるようにしたい。今の目標はゴールデンウィーク最終日に見られるという月、木星、おとめ座のスピカの観測だ。今、木星は、私がもっとも思い入れる天体となっている。


 今日の部活で決まったことだが、いよいよ月宮先輩が水曜日から天体望遠鏡の扱いを教えてくれるという。来年の今頃には使いこなせるようになるだろうか? いや、そんなにはかからないはずだ。


 ところで、一つ、よくわかったことがある。

 天体観測、あまり夢中になると、しまいには風邪を引く。


「熱もないし大丈夫だよ」

 風邪声でそう言ったら、お母さんにすごく怒られたので、病院に行くことになった。

 まだ朝には霜が降りたりするのに、調子に乗って防寒を怠った私が悪い。しかし学校を休むほどではないと思うので、念のため病院でお薬を処方してもらって遅刻して行くことにした。


 自宅のすぐ近く(それはイコールで学校の近くと言う話なんだけど)の病院で診てもらうことにした。鼻の調子は悪くないみたいで、病院の匂いはきちんとわかる。

 待合室にはいると一人、うちの制服がいることに気がついた。


 印象的な栗毛のショートカットで、スポーツ向けの眼鏡をしている。おかげで知的と言うよりは活発な印象だ。金城先生程ではないと思うけど、たぶん背も高い。水谷さんとはタイプの違う美人だ。


 同じ学校の人がいるとなんとなくちょっぴり気まずい。一つ離れて座る。しかしそれが逆に気になったのか、彼女はこっちを振り向いた。……席をわざわざ詰めてくる。距離感が近い人なんだろうなと思ったら。


「一年生?」

 それどころか話しかけてきた。ちょっと面倒くさいと言うのが本音なのだが……それが声に出ないようにしないと。

「はい。二年の先輩ですよね」

「うっわ、ハスキーボイス」

 ……言わないで欲しい。月宮先輩みたいな声だと自分でも思っていた。

「どうも夜更しして、風邪を引いてしまったみたいで」

「あたしも調子悪くて。今日はランニングもサボっちゃったよ」

「えっ、朝からランニングですか? すごいですね」

 私にはとても真似できない文化である。こんな人間、実在したんだ……みたいな気持ちがちょっとある。いや……だいぶある。

「あたしは陸上部だから。走るの好きなんだ。あなたは? なにか部活やっている?」

「えーとですね」


 天文部と素直に答えるとやっぱり面倒な気がする。だって本来、月宮先輩しかいないはずの部活なわけだから、聞かれると面倒くさい。ここは帰宅部員ということにしてしまおうか……?

 私が答えあぐねているその時、ちょうど待合室に看護師さんの声が響いた。


「あさひさん、診察室にどうぞー」

「はーい」

 それに答えて彼女が立ち上がる。


 旭さん? それとも朝日さんだろうか。いずれにせよ「早朝ランニングの人」の名字としては完璧にイメージどおりだ。一発で覚えたしもう忘れないと思う。そして会話が中断して助かった。

「じゃあ、またね」軽く手を振って歩いていくので、私もニコニコしながら手を振った。

「はい。また今度です」

 また、か。

 しかしまた会って話す事なんて、別にないんだろうな。……と、この時は思っていた。


 高校に入ってから授業の質が中学とははっきりと変わったので、授業はなるべくなら出席したい。扱う内容が高度なものになったというのはもちろんだけど、解法なども扱う比率が増えたため、「あとでちゃんと教科書読めばわかるよね」と言う気分ではいられなくなってしまった。

 幸い声の調子は、処方してもらったトローチ舐めたら、あっという間に回復したので、予定通りそのまま登校することにした。


 通学路は一つ季節を進めた。残念ながら桜の花はだいたい散ってしまった。しかし気の早い木は葉桜へと姿を変えつつある。空に見える雲の姿も、こころなしか変わって来ているようだ――雲が厚くなると、星が見えないとわかってから、雲が気にかかるようになってしまった。

 それと落ち着いた色彩の我が校は、新緑で飾られると、小さな花のような可憐さがあると、この頃気がついた。春らしい発見である。


「どうしたの、風邪?」

「うん。実はね……」

 そう言って教室で話すのは水谷さん。天文部に入ってもらって以来、すっかり話しやすくなった。

「じゃあ、二人して同じ時間に空を見あげてたのね。私も見たわよ、おおぐま座。ただしちゃんとコートは着てたけどね」

 詳しい事情を話すと、水谷さんがそんな事を言う。

「水谷さんも昨日、みたの?」

「こと座流星群が忘れられなくて、ね。でも私は二回目よ」

「じゃあ一回目はいつ?」

「小日向さんに勧誘された日の夜にね」

 ……そこのところ、詳しくお聞きしたい気もする。

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