第14話 走れ、走れ、走れ
電話口で事情を聞いたお母さん、冷静で、すぐに提案しくれた。
「じゃあ、駅まで車で迎えに行ってあげるわ。それからうちでみんなで着替えだけしていけば、すぐに学校でしょ」
「ほんと? いいの?」
「ちゃんと学校観測にはいけるわよ。安心しなさい。夜食用におにぎりも握っておいてあげるから、学校でみんなで食べて」
「――ごめん、お母さん。お世話になります」
お母さんにお礼を言って、その通りにすることにした。お母さんは本当にちゃんと、私が部活をするのを応援してくれるつもりだとわかって、これがすごく嬉しかった。
しかしそれでも、悪いことはとことん重なる。
バスも道が渋滞していて、思ったよりも時間がかかってしまった。気持ちばかり焦る。一番後ろのシートに三人で横に並んで、黙って座っていた。一日歩き回った後なので、二人とも疲れているのが伝わってくる。さすがにちょっと気まずい。
こんなことなら、神社でお祈りでもしておけばよかったと、変な後悔をした。
なんとか地元駅前のバス停で降りて、三人して走って駅のコインロッカーに向かった。
「これは約束の二十時にはギリギリだね。少し遅れるかもしれない」
「仕方ないですよ。運が悪かったと思うしかない……っていうか、運が悪かったですよ」
そんな事を言い合いながらコインロッカーを開けた。
すると、水谷さんが自分のリュックを取り出して、そして――さーっと青ざめたのを、私は目撃してしまった。ここまでわかりやすく青ざめる人を、私は始めてみた。
どうしたんだろうと思うと、コインロッカーから取り出したリュックを開き、言う。
「生徒手帳、ありました」
……。あー。なるほど。なるほどね。さがしても出てこなかったわけだ。
水谷さん、恥ずかしくなってしまったのか、今度は耳の先が真っ赤になっていく。頬も桜色というには赤すぎる。
「出かけるときに、その、生徒手帳を入れる鞄を間違えていたみたいです」
「見つかってよかったじゃない」
明るく言ってくれたのは、もちろん月宮先輩だ。
「これで堂々と学校にいけるよ、元気だしてっ」
「はい」
苦々しい表情でだけど、水谷さんが頷いてくれたので、私は彼女の手を引いて歩き出した。
「わっ」
水谷さんは真っ赤なまま小さく悲鳴をあげたけれども、ちゃんとついてきてくれた。
とりあえず三人で鞄を担いで、お母さんが待つロータリーに向かった。我が家の車が止まっていて、お母さんが窓から声をかけてくれた。
「三人とも、お疲れ様。大変だったでしょ?」
「お母さんありがとう」
「はじめまして、お世話になります」
先輩も水谷さんも礼儀正しく頭を下げる。
みんなで車に乗り込んで、すぐに我が家に移動した。
「じゃあお母さん、みんなと一緒に着替えてくるね」
玄関で靴をちゃんと揃えてぬいで、そのまま二階の私の部屋で着替える。
部屋は部室式に片づけておいてよかった。押し入れの中だけは見せられない。まあ、そんなに物がある部屋でもないんだけどね。
三人揃ってセーラー服にコートを着てリビングに移動する。お母さんはもうおにぎりをくるんで鞄に入れておいてくれた。
「歩いていく? それとも私が車で送ったほうがいい?」
そう言われて、無意識にスマートフォンで時間を確認した。
時刻は十九時五十四分――あ、五十五分になった。
あと五分でアラームが鳴ってしまう。
その時、ふと思いついてしまった。
――走れば間に合うんじゃない? 走る必要はどこにもない気がするけど、走れば間に合うんじゃない?
だから次の瞬間、おにぎりの入った鞄を背負って、私はこう叫んだ。
「お母さん、私、走って行くね!」
自分で何をやっているのか、わかるけどわからない。
「ちょっと!」と、止めるお母さんの声がしたけど、そのまま玄関でスニーカーに足を突っこんだ。
「小日向さん、どうしたの?」追いついてきたのは水谷さんだ。
「学校まで走っちゃうおうと思って。たぶん、それで間に合う」
「なんで? さすがに数分程度遅刻したって先生、怒らないよ」
そう言いながら月宮先輩も靴を履き始めた――そういう先輩こそ、走る気満々じゃないですか。
「いやあ……正直そこまですることはないかなって、私も思うんですけど」
大丈夫。二人ならわかってくれると思う。私がどうしてこうしたいのか、自分でも説明できないんだけど、それでも二人はわかってくれる。
二人とも、あの地学準備室で、私と魔法の契約をかわした仲だ。
私の中にある、胸の熱を、この二人は、わかってくれる。
「なんだか居ても立っても居られなくて?」
「……わかった。小日向さん」
水谷さんは完全にやけくその顔だった。楽しそうにも見える。
「私も走る」
「幸い、今日はみんなスニーカーだしね!」
ドアを開けて三人で表に出た。せーの、で走りだす。よーいどんだ。
ちょっと走って、すぐに桜の並木道。
もちろん、ここの桜も咲いている。
満開の夜桜の下を私たちは、肩を並べて走っている。
学校まで徒歩五分。長い距離ではない。
この並木道はたったの三百メートルだ。
それでもまともにスポーツしたことがなくて、フォームだってメチャクチャな私たちには辛い。あっという間にアゴが上がって呼吸がぜえぜえ激しくなって、額からどんどん汗が吹いてきた。おまけに心臓がドキドキうるさい。
足も腕も重たい。明日筋肉痛だ。
桜並木は山の上の公園の桜より、ちょっと散っていた。
だから私たちは降り積もったピンクの花びらを上を走っている。
いつもは灰色に見える夜の景色が、いやに色鮮やかだった。
セーラー服の上にピーコート。
ポケットに手袋と使い捨てカイロ。
夜桜のトンネル、花びらのカーペット。
花びらの降る中、流星を見るために、カスタードクリーム色した校舎に向かって、まっすぐ走る。
聞こえてくるのは自分の鼓動だけ。
今日はそんな、人生でただ一度だけの日だ。
校門の前に先生と守衛さんが立っているのが見える。マラソンで一着のランナーがテープカットするみたいに、そこに手を開いて駆けこんだ。
「どうしたんだ。なんで走ってきたんだ」
金城先生が心配してくれる。当たり前だよね。
そこで私のスマートフォンにセットされていた二十時のアラームが鳴り響いた。でもアラームより、鼓動がうるさい。
――時間ぴったり。やってやった。
三人で顔を見合わせて、私たちは声を出して笑いあった。
「それで、走ってきたのか?」
金城先生は完全に呆れていた。電車の遅延から、一通り事情は話した。
「遅刻しても別にかまわなかったのにな。それに、そこまでして来たお前たちには言いづらいが、今日のコンディションはいいとは言えないぞ」
先輩が危惧していたとおり、空には雲がかかっている。快晴とは言えない。
「ずっと待っていても流星は見えないかもしれない。覚悟はしておいたほうがいい」
「でも、それでも見ないのはもったいないですよ」
「せっかく走ってきたんだしな」
先生が言った。それを聞いて、私は自分の行動にようやく納得した。
昼間の写真についての会話を思い出す。
木星のことを調べたときみたいに、自分が見たものについては知りたい。お母さんあてのレポートを書くのも案外楽しかった。感情も、先輩たちとは分かち合えればよりよいだろう。
だけど、それを、人に見せたりするというのは、なにか違う。
なぜなら私にとって神聖な秘密は、人に語る事ではない。
悪い言い方だけど、自分が楽しければそれでいいと思う。
私は本質的にわがままなのだ。
わがままだからこそ、やれることは全部やっておきたい。
やりたいことは全部やりたい。
やれることをやらないと、後悔する。
やっても後悔するかもしれないけど、やったら笑い話にできるかもしれない。
だから私は二人をお花見に誘ったし、走ったのだ。
少なくても、三人で汗臭くなるだけの価値は、確かにあった。
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