廊下 其二

@do9

第1話 前編

 妙なキャラクターだった。所謂アメリカのカートゥーン調と形容すれば良いのだろうか。完全な白黒で構成されたキャラクターで、どこかで見た事があるような、でもどこのキャラクターとも一致しないように見えた。貌は白っぽくて、楕円形の目が二つ付いただけの極めて簡単な造作で、頭からは水牛のような黒い角が生えている。身体の線も丸っこくて、いかにもキャラクター然とした感じだった。何故かネクタイを着用しており、白い手袋と、白いズボンを着用している。こうなると、なんだか西洋の悪魔のように思える。しっぽも付いているのだが、しっぽの先には丸い球体が付いている。


「何ですこれ」


僕がそう聞くと、目の前に居る波布なふ女史は、言った。

「何だか、ここ最近噂になってるキャラクターらしいのよ。誰が描いたのかも分からない。公式にこういうキャラクターが存在しない事は確かね。私も見た事がない」

 そうすると、インターネットか何かにアップロードされた誰かのキャラクターが一人歩きして、特に許可も無くコピーされまくっていたりするのだろうか。僕がそう言うと、女史はそうではないと言った。

「だってそれ、私の友達の使ってる手帳の一番後ろのページに描いてあったキャラクターらしいから」


 そもそも、何故僕が目の前の波布さんにこんなものを見せられているかというと、些細な事がきっかけだった。彼女とは大学の同じゼミナールの一つ先輩で、まあ偶に呑みに誘われる程度には仲が良いのだが、普段は表だって話す事も無く、言ってしまえばちょっと仲の良い顔見知り、という程度だった。向こうがどう思っているかは正直分からないが。その波布さんから、突然電話がかかってきたのである。曰く、友達が途中で帰ったからちょっと付き合わないか、という事で呼び出されたのである。僕の方は、特に手が離せないという事がある訳ではなかったし、久しぶりに酒を呑むという事で、夜半ながらも彼女の待つバーへ行く事になったのである。郊外にある小さなバーで、路地の壁に埋め込まれたような外観が特徴的な小さなバーである。お洒落と言って良いのかなんなのか、まあ内装はわりと好きだった。中央に短いカウンターがあって、テーブル席が二席ある。テーブルが小さいのもあって、まるでコーヒーショップのようでもあった。彼女は、白っぽいセーターにジーンズといった格好で座っていた。酔いが回っているのか、若干馴れ馴れしい様子で僕を席へと案内した。僕はモスコミュールを注文して、彼女はウィスキーか何かを呑んでいた。結構飛ばしている。お互いにちまちまグラスを傾けながら、まあ益体の無い話をしていた訳だけれども、彼女が唐突に、そうだ面白い話を聞かせてあげよう、と言ったのだった。


「友達の手帳のページ、ですか」

「そう。そこにマジックか何かのインキで描かれてたんだって。それは百円ショップで買った普通の手帳で、他に誰も使ってないから、そういうキャラクターが描かれている筈がないのね。でも、その手帳には何故かキャラクターが描かれていた」

 まあ、普通なら多少おかしいとは思うだろうが、それにしても可能性がゼロという訳ではないだろう。店頭に並んでいる最中に、誰かが悪戯で描き込んだという事もあるのだろうし。

「うん。でも、それだけじゃなかったの」

「と言うと?」

「その私の友達の、そのまた友達がそのキャラクターを知っていたらしいのね。その人は、家の側の電信柱の広告欄に、このキャラクターのステッカーが貼ってあるのを見たんだって。その手帳の絵を見せられる前までは完全に忘れてたらしいから、少なくともテレビだとか雑誌だとか、そういう媒体に登場するオフィシャルなキャラクターじゃない事は明らかなんじゃないかと思う」

 それはつまり、このキャラクターを考えた何者かが、このキャラクターを各所に描き込む悪戯をしていると言う事なのではないだろうか。僕はそんな事ぐらいしか思いつかない。確率は確かに低いかも知れないが、無いという訳ではないんじゃないだろうか。しかも、個人が考えたキャラクターだというのなら、益々落書きである可能性は高まる。そう言うと、波布女史は、赤いフレームの眼鏡を直して、また話し出した。

「うん。そこまでは確かにそうでもおかしくないんだけど、本番はここから先。彼女———その私の友達の友達ね———には、長崎に住んでるお爺ちゃんがいるんだけど、彼女が帰省した時に、お爺ちゃんがこのキャラクターを見たんだって。そしたらお爺ちゃんは、大層驚いたみたい」


 なんでお前がこれを知っとるんだ、ってね。


どういうことなんです、と僕が聞くと、

「うん、そのお爺ちゃんは、若い頃に———と言ってももう不惑は越してたらしいけど———アメリカに行った事があるらしくて。それで、おばあちゃんと一緒に、白黒のアニメ映画を見た事があるらしいの。それで、お爺ちゃんは、日本のあの犬の一等兵が活躍する漫画になんだか似てるなあ、と思ったそうよ。それで、彼はそういう漫画も結構好きだったらしいから、そこで触発されて、自分でもなにかキャラクターを考えてみようと思ったらしいわ。それで、ホテルで20分ぐらいで作ったのが———」

「ちょっと待ってください。まさか」

 まさか。

「そのキャラクターだったみたい。お爺ちゃんがそれを描いた手帳を今でも持ってたらしくて、彼女に見せてくれたんだけど、キャラクターの細部の造作や、顔の比率まで同じだったそうよ」

 あるのか、そんな事が。偶然似ていると言うならまだしも、そこまで似ているというのは考えにくい。一瞬お爺ちゃんが描き込んだのかとも思ったらしいが、お爺ちゃんは誓ってそんな事はしていないそうだ。この話の人物全ての言動に嘘がないとすると、そのお爺ちゃんのキャラクターを第三者となる誰かが知って、落書きとして描いた事になる。そんな事があるものだろうか。

「どう? 面白くなってきた?」

 波布女史は、そんな事を言う。やっと澄まし顔が崩れた、ととても楽しそうである。

「まあとにかく、中々不思議な話でしょ?」

 彼女はそう言って、グラスを煽った。

 その夜は、それで解散となった。波布女史は、その日はミュールを履いてきており、足下が若干覚束なかったため、彼女を送ってから、僕も帰路に就いた。

 

 その日、夢を見た。僕の住んでいる集合住宅は、玄関とリビングの間に廊下がある。廊下とリビングを隔てる窓には磨りガラスの窓のようなものがあって、ぼんやりと部屋の中から廊下が見えるのである。僕は部屋の真ん中に寝ていて、視線を僅かに下げてドアの方を見ると、玄関の明かりが付いているのである。そして、ドアの向こうになにかが立っているのだ。

 何だろうか、何だかとても———としたものだった。

 黒い、何というかとしたものが立っているのである。玄関の明かりが逆光になって細かいところまでは見えないが、そいつは盛んに身じろぎして部屋の中を覗こうとしているかのようだった。何だか気味が悪いなあ、と思ったところで目が覚めた。起きてから、不気味というよりは、状況的には多分明確に怖い夢なのだろうと思った。まあ現実にこんなことが起これば、僕なら飛び上がって驚く。というか物凄く怖がる。ただ、これは単なる夢なのだ。なんと言う事はない筈なのだった。

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