第6話 怒り




 その男は、怒りに燃えていた。




 世界は、その男一人を残して滅んでしまった。どういうわけだか、その男にだけ「眠り病」の救いは訪れなかったのだ。幸いなことに、急激な人口減少のせいもあり、ソーラーパーネルによって半永久的に稼働し続ける政府の冷凍庫にはありとあらゆる物資が、今なお大量に残っており、生きていくうえで男が困ることはなかった。しかし、男は世界でたった一人の生き残りとして余生を過ごすことになってしまった。




 男は、自分にだけ救いを与えてくれなかった病原菌に強い憤りを感じた。しかし、世界が滅んだ今、その怒りの矛先を向ける相手が見つからなかった。手近なものに、それは道路標識であったり、郵便ポストといった、いまや世界において何の意味もなさなくなった無機物に対して当たり散らしてみるものも、残るのは虚しさと、赤く腫れあがた拳ぐらいなものであった。




 カラオケだ。男は、ある日唐突に思いついた。かつて世界が繁栄を極めていた時代、男はたまったストレスをカラオケで発散するのが好きだった。誰に気兼ねもなく、のどを痛めることを恐れず、ビールとから揚げとポテトを片手に、懐かしのアニメソングや、最新のロックンロールをあらんかぎりの声で歌いあげるのだ。世界が滅びようと、ビールも、から揚げもポテトだって手に入る。ならば、カラオケボックスに向かうしかないではないか。




 残念なことに、男の目論見は大きく外れてしまった。カラオケボックスに設置されていた通信カラオケは、たとえ発電機から電気を回しても正常に稼働させることができなかったのだ。男は、店に残されたカラオケ機器の説明書を斜め読みにしてみたがよく理解することができなかった。わかったことと言えば、電気を通すだけでは通信カラオケは使えないということ程度だ。しかし、男は諦めなかった。男には、既に予備のプランがあったのだ。通信カラオケがダメなら、LDカラオケだ。




 男の父は、とにかく新しいものが好きだった。まだパソコンが一般家庭に普及していないころに、何の用途も考えずパソコンを買って母に怒られたり、ベータや3DOといったメーカー戦争の敗北者たちも軒並み家の棚に揃えられていた。LDカラオケデッキも、そんな父の最新機器収集癖の遺産のひとつであった。近所の迷惑になると、当時はあまり使わなかったものだが、世界が滅びた今、誰に気兼ねすることない。問題があるとすれば、実家に置いてあるLDの収録曲は父の趣味の演歌ばかりであったということぐらいだった。




 男の歌声には、あらんかぎりの怒りが籠っていた。だが、その歌に乗せられた感情がうまく演歌とマッチしたのか、もしオーディエンスがいたならば、彼らをあまねく感動させるだけの力があっただろう。だが、この世界にはもう鐘をならしてくれる公共放送


も沸き上がる観衆もいない。男のたった一人の演歌フェスは、男の喉がつぶれるまで続けられた。




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