第2話 貪食
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その男は、貪食の限りを尽くした。
若かりし頃の男は、整った顔立ちにスリムなシルエットで世の女性を惹きつける魅力を持っていた。しかし、現在のその男はと言えば見るも無残な肉袋と化している。だが、それも無理からぬこと。男は、自身の食欲にひたすらに従順であったからだ。それがいつ何時であろうと、腹が減れば食べる。深夜であろうが早朝であろうが、分け隔てなく食欲を解き放つ。いつからか、それが男の日常となっていた。
男は、特にあんこをこよなく愛していた。その力強く頭を穿つような甘さはもちろんのこと、舌に馴染む柔らかさ、黒く艶やかな色彩、その全てをただひたすらに慈しみながら日毎食した。時に、自身であんこを作ってみたりもした。しかし、あまりに大量に作ってしまったが故に一人では消費しきれず、残されたあんこは男の管理する墓園に在する全ての墓に供されることとなった。
もちろん、男はあんこだけを口にして生きていたわけでは無い。しかし、そのほとんどは冷凍食品や缶詰、乾きもの、漬物といった保存食ばかりでとてもバランスの良い食生活とは言えないものであった。当然、男の内臓は既にずたぼろとなっており、時折襲い掛かる苦痛に声も出せず、地面をのたうち回ることとなった。だが、それでも男は貪食を止めなかった。
ある朝、男は墓園の中にある実家の墓に向かった。墓石には、祖父母と両親、それと若くして亡くなった兄の名が刻まれている。男は、手を合わせながら、いつか自身もこの墓に入るであろうということに思いを馳せた。決して、仲の良い家族とは言えなかったが、それでも在りし日の思い出は男に幸せを与えてくれる。再び、死んだ家族と相まみえ食卓に並ぶことが男の夢であった。
祖母のサバずしは絶品だった、母の作るカレーは謎の苦みを有していた。父が連れて行ってくれた、こってりが売りのラーメン屋。祖父が買ってくれたソフトクリーム。兄と奪い合った、自生のアケビの種。思い出すだけで、男の腹はぐううと音をあげる。だが、どれも今の男には再現しようのないものばかりだ。だから男は、思い出の料理に思いを馳せ、せめてもの慰みに今日もお気に入りのあんこに手を付けるのだった。
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