第12章 霧の中の魔王

 また一つ、“ギュゥン”という独特の発砲音が響いた。

 キースのライフルが不可視のエネルギー弾を射出し、向かってくる怪物を射抜く。

 胴体に大穴を開けられたヴォイドが、ちりとなって消えた。


 それを追うように、隊員達の弾丸が次々に発射される。

 互いの背を守るように陣形を組み、襲い来る“黒”を迎撃していった。


 群れの中にはライフルを携えたハル、そしてハンドガンを構えたリノアもいる。

 素早くリロードし、ハルは再び照準を合わせた。

 左右から飛びかかってくるヴォイドを、鮮やかに射撃してみせる。


「お見事、すごいわね! あなた、かなり優秀な軍人だったのかも」

「そうかもな。けど、戦場で人殺しまくってたりしたら、気持ちの良いもんじゃあねえぜ」


 銃口を持ち上げ、今度は空中の一匹を叩き落とす。

 相変わらず、銃を撃つ際のタイミングや呼吸は体が覚えている。


 深夜11時きっかりに、ハル達は再び色持たぬ街・モノクロームの中へと侵入していた。

 以前の突入から、丸二日が経っている。

 随分と念入りな準備をしたものだ。


 それもそのはずで、今回は“外郭エリア”よりさらに先へと進軍することを決意したのである。

 ハル、リノア、そしてDEUSデウス特殊部隊の面々。

 加えて基地から招集した数名を加えての、大所帯となっていた。


 隊員の一人が焦り、弾倉を落としてしまう。

 群がるヴォイドに怖気付いてしまい、指先が震えてしまっていた。

 情けない声を上げる彼の元に、ヴォイドの一匹――細長い手脚を持った“猿”のような姿の怪物が飛びかかった。


 悲鳴すら上げることのできない彼の目の前を、“風”が吹き抜ける。

 真横から飛来したミオが横回転しながら、たっぷり威力を乗せた斧をヴォイドに叩き込んだ。

 頭が砕け散り、一撃で怪物が消えてしまう。


「冷静に冷静に、あっせんなよ~。戦場じゃいつもクールな奴が勝つ! んでも、時に熱く! その調整がむっずかしいの」


 マイペースにけらけらと笑う姿は、やはり異常だ。

 左右から同時に襲いかかる猿に対し、彼女は開脚してしゃがみこみ、回避してみせる。

 そのまま跳ね起きながら、まるで竜巻のように回転し、二匹をズタズタに切り裂いてしまった。


 四方から群がってくる黒い猿の群れ。

 そして頭上からは、巨大な翼を持つ“鳥”のような個体も襲いくる。

 巨大なカラスのように見えるが、翼は四つあり、くちばしには牙も生えていた。


 弾丸で迎撃しようとしても、高速で飛来するそれになかなか命中しない。

 一匹が隊員目掛けて降下し、襲いかかる。

 圧倒的速度で落ちてくる黒い塊に、身動きが取れない。


 そんなカラスの真横から、あの光る球体――「ウィスプ」と名付けられた、脳波感知システム搭載の鉄球が突き刺さる。

 緑の光がヴォイドの肉体を分解し、粉々に砕き割った。


 キースの「パルス・アンチ・ライフル」同様、ヴォイドという怪物が持つ肉体の構造を打ち消す、いわば抗体配列を利用した特殊なエネルギーを鉄球は纏っている。

 人間には無害だが、ことヴォイドに対しては目覚しい特攻効果を発揮していた。


 二つの鉄球は続けて、空中に飛び交うヴォイド達を叩きのめしていった。

 胴体を的確に狙い、貫くことで無に帰していく。

 その真下で腕組みをしたまま、鉄球の操作者・ナッシュが気だるそうな表情を浮かべていた。


「やれやれ。今日のは随分と、やかましいじゃあないか。猿と鳥……この前の犬も揃えば、どこかで聞いたお伽話とぎばなしのできあがりだな」


 ナッシュの耳に取り付けられた装置が、彼の脳波を増幅して鉄球とリンクさせる。

 指一つ動かしていないにも関わらず、特殊鉄球・ウィスプは空中戦を制していた。


 相変わらずの“精鋭っぷり”に、補充要員として参加しているDEUS隊員達はたじたじだ。

 こうして見ると、彼らとの戦力差はあまりにも大きい。

 たずさえた兵装がというよりも、戦い慣れしているという一点があまりにも違いすぎる。


 ハルはリロードしながら、思わず視線を走らせた。

 これだけの精鋭のその最前線で活躍する、“彼”に注目してしまう。

 中でも彼の実力は、明らかに“異質”なのだ。


 ミオと同じく、集団から一歩外に出たエリア――近接戦闘のために彼は身構え、向かってくるヴォイドを見据えている。

 スキンヘッドの黒人隊長・ゼノは静かに、動じることなどまるでなく、自身に向けられた殺意の群れを受け止めていた。


 彼は武器を携えていない。

 握りしめた拳を高い位置に構え、徒手空拳にて向かってくる怪物達に対峙する。


 飛びかかってくる猿の一撃を、上半身のみ動かしスレスレで避けるゼノ。

 すれ違いざま、握りしめた拳が怪物の胴体を、文字通り貫く。

 穿うがたれ絶命したそれを放り投げ、もう一匹跳びかかってきた猿を掴みとり、地面に叩き付けて破壊した。


 飛来する鳥にも容赦はしない。

 嘴や鉤爪で襲いかかるそれらを、今度は力強く、しなやかな蹴撃で迎え撃った。

 一匹を真横から、なたのように薙ぎ払う。

 乾いた音と共にヴォイドの体が歪み、真っ二つに分断された。


 すぐさま体重移動し、爪先が石畳を擦る“ギュッ”という音が響く。

 跳ね上がった蹴りが槍が如く天を貫き、黒い凶鳥を見事に捉えて見せた。


 強い――近接戦闘の実力であれば、今まで二つの斧を用いたミオが圧倒的だった。

 しかし、隊長・ゼノのそれは根本的に、ミオの戦闘スタイルとは方向性が異なる。


 獰猛どうもうに、野獣のように襲いかかるミオを“動”とするならば、ゼノのそれは“静”だ。

 相手の出方を見極め、そのスレスレを攻めることで的確に急所をえぐる。


 ハルはかつて、彼に制圧された時の記憶を呼び覚ましていた。

 腕力、膂力りょりょくだけで言えば、ハルの肉体が持つ素質は圧倒的である。

 だが、そんなステータスの有利が無に帰してしまうほど、ゼノの体捌たいさばきは卓越し、洗練されていた。


 加えて、ゼノの武器が格闘技のみではないということを、ハルはこの戦場で理解する。

 彼の両手両足には、他の隊員とは異なる奇妙な武装が見受けられる。

 一見、肌を覆うインナースーツかと思ったが、黒地になにやら光り輝く“葉脈”のようなラインが無数に走っていた。


 ゼノが体を動かすたびにそれが明滅し、彼の肉体に力を与える。

 それはかつて技術長・ドクトルが使っていた「パワードアーム」の応用品だった。

 肌に吸着して神経と連動する“人工筋肉”であり、ゼノの肉体が持つポテンシャルを何倍、何十倍にも飛躍させている。


 空中二段蹴りで猿、そして鳥をまとめて砕くゼノ。

 スキンヘッドには汗一粒たりとも浮かんでおらず、まだまだ彼が余裕だということが見て取れた。


「駆逐しながら進軍するぞ。負傷者は直ちに陣形の中央へ退避。輪を崩さないまま、このまま北を目指す」


 隊員達が「イェッサー」と返事をする。

 群がる怪物を着実に対処しながら、一同は町の奥へと歩みを進めた。


 怪物の勢いが弱まったところで、ハルはたまらず隣にいるリノアに問いかけた。


「すげえもんだな。テクノロジー使ってるとは言え、武器なしであそこまで戦えるなんてよ」

「ゼノのことね。私も初めて見たときは驚いたものよ。あれでいて、格闘技自体はDEUSに所属してから始めたんですって。かっこいいわよね、私もあんなキックが打てるようになりたいわ。痴漢とか一撃でしょうね」

「のんきなもんだな、あんた。けどそれにしても、とんでもねえ体捌きだ。隊長だってのも、なんだか納得だぜ」


 続いてハルの目線は、先頭を行くゼノではなく、周囲の町並みに向けられた。


「しっかし、本当におかしな街だな、ここは。今日の気分は“中華”ってことか」

「私達も初めて入るエリアね。一応、区分けでは“内郭”と呼んでいる場所で、多くの隊員が消息を絶ったのもこの辺りからよ」


 二人が歩く街並みは、かつて怪物に襲われたあの中世の古民家を模したものではない。

 一転、今度は実に派手な家々が姿を現し、ハル達を出迎えた。

 柱や瓦屋根にはいたるところに彫刻が施され、竜やら虎やらが見る者を威嚇いかくしている。

 窓から覗く室内には丸テーブルや細い足の椅子、壁際には陶器製の瓶や壺が並んでいた。


 レンガはあまり使われておらず、泥を固めたどこか丸みを帯びた壁が特徴だ。

 通りには荷車や自転車などが立てかけられているが、やはりここに人の気配はない。


 ハルの記憶では、かつて「中国」と呼ばれた大陸エリアの風景に酷似している。

 色こそモノクロだが、本来は原色をふんだんに使った派手な建築物が多かった。

 もっとも、それは観光地のような場面が大半なのだろうが。


 様変わりした町を歩きつつ、狂犬・ミオは斧をくるくる回し、笑う。


「面白い街だねえ。もしかして、世界中の観光スポットが集められてるんじゃないかな。そうしたら、すっごいお得じゃんか! 世界旅行ができる街って言えば、皆、来たがるよ」


 その隣を歩くナッシュは、「やれやれ」とため息をついてみせる。

 彼の頭の横に、二つの脳波連動兵器「ウィスプ」が光を帯びて浮遊し、ついてきていた。


「こんな化け物だらけの、それも色もない街に客なんて来ないさ。そんなんで集客した日には、ただの詐欺だよ」

「でも色がないなら、上から塗っちゃえばいいんじゃないの? 派手にしちゃえば、目立つでしょ」

「色がないのが問題じゃないんだ、危険だってのが問題なんだよ」


 相も変わらずの噛み合わない会話である。

  戦場に身を置いているというのに、このでこぼこコンビのペースはまるで変わらない。


 ハル達を挟んで反対側では、キースが建物めがけてライフルを数発、発射していた。

 エネルギー弾は壁や柱を貫通し、建物の反対側に群がっていたヴォイド達を貫く。


 予想外の事態に怪物といえど混乱しているようで、路地の裏から悲鳴がこだました。

 愛用のバイザーから敵影が消えたことを確認し、ようやくキースがライフルを担ぎ直す。


「どこもヴォイドの反応ばかりですね。その他の生命反応や、端末が放つシグナルなどは確認できません」

「ってなると、行方不明の隊員も近くにはいないってことか」

「ええ。それにあの少女も、ですね」


 今回の突入には、大きく分けて三つのミッションが課せられていた。


 一つは言わずもがな、モノクロームという街を紐解くための“調査”である。

 そして二つ目が、消息を絶った隊員達の“救出”であった。


 そして最後に課せられたのは、エリシオという少女を見つけ出し、連れて帰ること――正直、ハルにとってはこれこそが、街に戻ってきた最たる理由でもあった。


 屋根の上に群がっていた猿型のヴォイド数匹を、ライフルで撃ち抜くハル。

 キースがかすかに笑い、「お見事」と告げた。


 リノアはハンドガンを携えたまま、真剣な眼差しで考える。


「キースの言葉が本当なら、あの女の子の反応はこちらでは感知できないはず。そうなると、どうやって探し出すべきなのかしらね。それこそ、しらみつぶしに歩き回るしかないのかしら」

「あまり現実的ではないですが、実はそれが最善かもしれません。なにせ、かつてハルさんが少女を見つけた時だって、レーダーは正常に機能していたのです。ハルさんが目視で確認できる距離ならば、間違いなく僕が真っ先に気付いているはずですから」


 あの時、誰よりも早くエリシオを見つけたのはハルだ。

 おそらく隊員の誰もが、彼女の存在を感知できていなかったはずである。


 あの少女は、どこからやってきたのだろう。

 それとも、あの黒い怪物達と同様に、何もない場所から沸いて出てきたのだろうか。


 悩んでも答えが出るわけではない。

 一同は向かってくる怪物達を迎撃しつつ、色を失った中華街の中をひたすら進む。


 歩き続けて10分ほどで、広い庭園へとたどり着いた。

 庭師によって手入れされているのか、様々な草木が形を整えられ、いたるところに群生している。

 もっとも、葉っぱも花も茎も、全て等しく“色”は失っているわけだが。


 ゼノは周囲を見渡し、部隊を停止させた。


「しばし、ここで小休止をとる。各員すみやかに補充を行い、引き続きの進行に備えろ」


 そこら中から「イェッサー」と声が上がった。

 隊列を崩さないようにしつつも、DEUS隊員達は各々の武器の手入れを行なったり、傷の手当てをしている。

 ミオ達精鋭はさすがなもので、ここに至るまでにかすり傷すら負っていない。


 ふぅ、とため息をつき、ハルも芝生の上に腰を下ろす。

 背負っていたライフルを置き、空を見上げた。


 鈍い灰色の太陽が、まるで位置を変えることなく君臨している。

 雲一つない架空の空を見ていると、頭が混乱してならない。


 一体自分たちは今、どこを歩いているのだろう。

 物体は有限であり、必ず終わりがある。

 だというのに、歩けども歩けども、この街の最深部に近付いているという感覚が、まるで湧いてこないのだ。


 はたしてこの行軍に意味はあるのか。


 そんな疑問を抱くハルの横に座るのは、あの女史だ。

 緋色の髪がふわりと揺れると、シャンプーのかすかな香りが伝わってくる。


 慌てて顔を上げると、女史が小さなボトルを差し出してきた。

 キョトンとして見つめるハルに、リノアはいつもどおり笑顔を投げかける。


「はい、お水。補給班からもらってきたの。飲めるときに飲んでおかないと」

「ああ、ありがとう」


 思わぬ気遣いに戸惑いつつも、それを受け取った。

 キャップを開けて口にすると、刺すような冷たさが肉体に滑り込んでくる。


「この保温ボトルも、ドクが開発したものなのよ。DEUSが使っているもののほとんどが彼の発明品ってわけね」

「すげえ爺さんだな。あんたもそうだけど、あの基地には怪物級の脳味噌持ったやつばかりだ」

「私なんて、ドクには及ばないわよ。彼と私は思考するジャンルが違うしね。どれだけ勉強してても、あんなふうに何かを生み出すためのロジックは出てこないわ」


 ふぅん、と肩の力を抜くハル。

 ふと気が付き、少し慎重なトーンで問いかけてみた。


「そういや、あんたの親父さんとドクは知り合いだったんだってな。本人が言ってたよ」

「昔話が好きよねぇ、ドクは。ドクと父は昔、街のバーで出会ったの。ドクったら、酩酊めいていしては自分の開発した装置や兵器のノウハウを、一方的に喋るのが好きでね。所構わず絡んでは、知り合いだろうが初対面だろうが、延々と話に付き合わせてたのよ」

「厄介な爺さんだな、そいつは。んで、あんたの親父さんも巻き込まれたわけか」

「いいえ、そうじゃないの。むしろその噂を聞きつけて、父の方からコンタクトをとったんですって」


 目を丸くし「なんでまた」と、間抜けな反応をしてしまう。

 リノアは思わず苦笑した。


「ドクが話した内容に、興味があったんでしょうね。バーで絡まれた連中からしたら、全部老人の戯言ざれごとだとバカにしてたらしいんだけど、父だけはそれが本物の“理論”に根付いたものだって見抜いたのよ」

「そんで興味があって自ら、ってことか。あんたの親父さんも、なかなかだな。そんなタチの悪い酔っ払いに、自分から突っ込んでいくなんて」

「父もそういう意味では、ちょっとずれてたのよねぇ。でもそれ以来、意気投合しちゃって、毎週のように暇さえあればそこで飲んで話をしてたとか。私の母と出会う、まだずっと前の話ね」


 また少し喉をうるおし、ため息をつくハル。

 なんとなくその行動力は、この目の前の女史に引き継がれているのだと理解できてしまう。


「親父さんはまだ研究者とか、学者とかをやってんのかい?」

「いいえ。父は数年前から、行方不明でね。もう随分会ってないの」


 思わず「えっ」と息をのんでしまう。

 リノアの表情はなおも変わらない。

 ハルはとっさに、謝ってしまう。


「すまない、嫌なことを聞いたな……」

「良いのよ、そんな。気にしないで。もう随分前の話だし、慣れちゃった自分もいるしね」


 笑ってはいるが、それでもどこか彼女の放つ光に陰りが見えた。


 たまらず、ハルは視線を手元のボトルに戻す。


「最後に会ったのは、私がまだ学生だった頃よ。元々父は、研究に没頭すると長く家も空けていたから、最初は実感がなくてね。いきなり行方不明って告げられても、ピンとこないのよ。もちろん、母は随分と悲しんだけれど」

「なんでまた……その、手がかりとか、何かないのか?」

「最後に残っていたのは、父が没頭していた研究結果だけだからね。それも『高次元存在』なんていう、半分オカルトみたいな超理論だから、手がかりとは言いづらいかも」


 苦笑するリノアを見て、ハルはふと思い出す。

 そう言えば、かつてこの街を探索していた時、どこかでその単語を耳にした気がする。

 確かあれは、リノアとキースの会話の中だったろうか。


 明るく振る舞うリノアのその奥に、ほんの少しだけ影が覗いていた。

 どうして良いか分からず、ハルは言葉を飲んでしまう。


 そんな二人に、スキンヘッドの黒人が歩み寄った。


「リノア博士。お怪我などされていませんか?」

「あら、隊長。お気遣いどうも。でも平気よ。ちゃんと皆さんが、守ってくれてるからね。感謝してるわ」


 精鋭部隊をまとめる隊長・ゼノは「ふむ」と頷いた。


「それはなにより。やはり“外郭エリア”に比べて、ここは敵の攻勢が激しい。くれぐれも、我々から離れないようにお願いします」


 忠告を素直に受け入れ、笑うリノア。

 ゼノのぶれない視線が、続いてハルを捉えた。


「以前のように、たとえ少女を発見したとしても単独行動は謹んでもらう。良いな?」


 感情の起伏の見えない、どこか事務的な言い回しだ。

 ハルは少しむすっとしつつも、逆らわずに頷く。


「分かってるって、この間は悪かったよ。勝手な行動すれば、あんたらに迷惑がかかるからな」

「理解、感謝する。我々は身をていして任務を遂行するが、かといえ命を投げ出す気は無い。隊長として、この部隊を生還させることも一つの任務なのだ」


 ここでゼノは、広場で休息をとっている隊員達を流し見た。

 キースは負傷した隊員の治療を手伝い、ナッシュは縁石に腰掛けて水を飲んでいる。

 ミオはというと、草を刈り込んで作られたオブジェが気になるのか、様々な角度から眺めては声を上げていた。


 思わず皮肉混じりに、ハルは言葉を投げる。

 なにより、リノアとの間に感じる微妙な空気を払拭ふっしょくしたかった。


「前々から分かってたけど、あんた強ぇんだな。さすが、濃い連中のトップに立つ人間だ」

「この程度の芸当は、誰でもできるものだ。私だってドクトルが提供してくれたテクノロジーがなければ、怪物と戦うなどとてもとても」


 謙遜けんそんするゼノの表情は、まるで揺らがない。

 感情をあらわにしないまま、淡々と会話を処理しているように見える。


 個性が尖っている隊員達とは対照的に、この隊長の心はまるで読めない。

 その無機質な態度が、ハルにはどうにも心地が悪いのだ。


 そんな張り詰めた空気を察したのか、リノアがゼノに明るい調子で問いかける。


「かつて突入した隊員達は、皆、この辺りから反応が途絶えたってことだけど。周囲に生体反応は?」

「今のところ、まるでダメですね。群がってくるヴォイドの数は、明らかに“外郭”よりも多いようですが」

「良くない知らせね、それは……最後に突入したチームは、どれくらい前に?」

「もう、2週間ほど経ちます。仮に生存していたとして、携帯食料程度では食いつなぐのがやっとでしょう。早く探し当てないと、どんどん生存確率が低くなっていく」


 そう語るゼノの横顔に、やはり苛立ちや戸惑いはない。

 冷静に――否、冷徹に言い放った彼に、ハルはたまらず声を掛ける。


「怪物まみれの中華街に数週間、か。考えたくもないね。俺だったら、どうにかなっちまうよ」

「戦場においても精神の覚醒が維持され続けると、いずれ心は壊れる。たとえ帰ってこれたとして、正常な状態ではないだろう」

「とはいえ、今まで一人も見つかっていないわけだろう? それはつまり――」

「もちろん、生存率が微々たるものであることは理解している。だが、だからといって諦めるという道はない。この街を解明することは、ここに迷い込んだ者達の足取りを追うことにも繋がる」


 はっきりと言い放ったゼノの顔に、やはり迷いはない。


 解明、か――なんだか、ひどくはてしない道のりに感じてしまう。


 この街全体を把握するのに、あと一体どれくらいの日時がかかるのか。

 そして、それだけの時間を“遭難者達”が耐えきることができるのか。


 ため息をつき、どうしてもハルはネガティブな意見を述べてしまう。


「もうちょっと、はっきりとした手がかりが欲しいところだよな。俺の記憶か、あの女の子の記憶か――それか、この街の主と話すか」


 少なくとも「魔王」を含めた三者は、核心に近い何かを持ってはいるはずだ。

 そこにある事実が出揃えば、もう少し明確に街の全体像が見えてくるのだろう。


 額に浮かんでいた汗を手で拭う。

 じっとりとした嫌な湿気が、ぬらりと手のひらを濡らした。


 湿気を感じているのは、リノアも同様だったのだろう。

 たまらずポーチから小さなタオルを取り出し、顔を拭いていた。


 だが、彼女の手がはっと止まる。


「湿気……妙ね。モノクロームに入ってすぐは、暑さも寒さも、それこそ風一つ吹いてなかったっていうのに」


 ハルとゼノも、遅れて異変に気付く。


 このモノクロームという街に、こと天候という概念は存在していないはずだった。

 常に仮初かりそめの太陽が浮かんでいるが、そこから差し込む日差しになんの熱量も、眩しさも込められていない。


 中華街で抗戦していた時とは、明らかに違う。

 いつの間にか広場全体を妙な“湿気”が包み込み、隊員達の肉体をじわりと濡らしていた。


 即座に吠えたのは、隊長・ゼノである。


「キース、周囲にヴォイドの反応は?」


 その一声に、隊員達の視線が一斉に集まる。

 キースはバイザーを覗き、真剣な眼差しで答えた。


「特に変化はありません。少なくとも、この広場付近に反応はゼロです」


 となれば、敵が近付いているということではないのだろう。

 ゼノは口元に手を当て、考える。


「湿度の変化など、通常の世界では取るに足らないことだ。だが、ここはモノクローム――本来の“ことわり”を逸脱した空間で、変化があるというのは怪しいな」


 ハルはふと思い出す。

 かつて、銀髪の少女・エリシオに出会った時のことを。


 確かあの時も、急に“風”が吹いたのだ。

 なぎのような静寂を、突如として追い風がかき乱したのを覚えている。


 妙な緊張感が一同を包む。

 そんな中、誰よりも先に声をあげたのは、少し離れた位置にいたあの狂犬のような女性だった。


「うっはー、なんじゃありゃあ! 皆、見て見て。“津波”がくるぞぉ!」


 目を丸くし、誰しもがミオの指差す先を見つめた。

 そして、その奇妙な光景に絶句する。


 津波ではない。

 しかし、なにか白いもやのようなものが、こちらに向けて街の中を進んでくる。

 四方八方から、ハル達を取り囲むかのようにじわりじわりと。


 警戒しつつ、ナッシュが眉をひそめる。


「なんだあれは、霧か? だが、奇妙な動きだな。まるで意思を持った生き物のような――」


 彼の言う通り、なんだかその白い“霧”の動きは、自然現象のそれとはかけ離れている。

 それこそ、ミオが言う津波のような速度で迫り、しかしそれでいて足取りもまばらなのだ。

 まるで建物の間を縫うように、こちらへと近付いてくる。


 ゼノが前線に立ち、吠えた。


「総員、警戒態勢! 散開せず、固まって動け!」


 隊員達が「イエッサー」と呼応した、次の瞬間であった。


 まるで機を見計らったかのように、白い霧の波が加速する。

 慌てふためき、うろたえる隊員達目掛けて、瞬く間に距離を詰めてきた。


 ハルとリノアも立ち上がり、ライフル、ハンドガンを引き抜く。

 しかし顔を上げた時には、すぐ目の前まで霧が迫ってきていた。


 隊員数名が飲み込まれ、姿を消す。

 続いてナッシュやミオ、キース、ゼノも白い海に姿を隠されてしまった。


 慌てて顔を覆うハルとリノア。

 景色が白一色に染まり、空中に浮かぶ細かな水滴が、無数に肌を撫でた。


 音が消えていく。

 あれほど騒いでいた隊員達の声が、一つたりとも聞こえなくなった。


「お、おい……何が起こったんだよ。おい、誰か?」


 ハルもたまらず問いかけたが、返事はない。

 それどころか、自身の放った音が反響しているかのようにも聞こえる。


 おかしい――熱を帯びた汗が、頬を伝っていた。


 すぐ隣には、すくなくともリノアがいたはずである。

 だが一歩を踏み出そうとも、彼女の姿は見えてこない。

 これだけの大声を出せば、そもそも彼女からも何か返答があっても良いはずだ。


「リノア、聞こえるか? おい、リノア!」


 無音だけが存在する霧の中で、ハルはひたすらに叫ぶ。

 恐ろしいほどの静寂に、ライフルを構え直した。


 何かが起こっている。

 しかし、別段ヴォイドが襲いかかってくる様子もない。


 しばらく白一色の世界の中で、武器を携えたまま大きく呼吸を繰り返していた。

 どくっ、どくっ、と肉体の中央で鼓動が響く。

 異常事態に全身の神経が過敏になり、これから襲いくるであろう怪物に備えていた。


 しんと静まり返った世界に響いたのは、獣のうめき声ではない。


 遠くから笑い声が響く。

 右から、左から、後ろから――それらは次第に大きさを増していき、白い霧の世界を取り囲んでいく。


 あまりにも奇妙な事態に、視線を走らせる。

 だが、人影は見えない。

 笑い声が近付いたかと思えば、今度は一気に遠のき、数もぶれていく。


 先程までここにいた、隊員達のものではない。


 狼狽ろうばいするハルの目の前に、ふっといくつもの人影が浮かび上がった。

 一人はこちらに背を向け、なにやら手をせわしなく動かしている。


 身にまとっている衣服は、DEUSのものとは少し形状の異なった戦闘服だ。

 骨格から、それが男性だと読み取れる。

 黒髪の男が奇怪な身振りをするたび、その向こうからあの笑い声が響いた。


 さらに視界が開ける。

 霧の中、前方に見えてきた景色に絶句してしまった。


 小さな部屋の中で、数名の男女がたむろっている。

 先程まで確かに開け放たれた広場だったはずなのに、その光景は霧の海の中ではっきりと浮かび上がっていた。


 散らかった部屋だ。


 壁に立てかけられた銃や防弾ベスト。

 投げ捨てられるように置かれた雑誌や灰皿。

 お菓子の袋がはみ出したゴミ箱。


 汚され、整頓されていないその劣悪な環境に、それでもハルはどこか見覚えがある。


 また一つ、背を向けた男性が大げさに動いた。

 パイプ椅子に座って彼を見ていた、女性隊員が笑う。


「ほんっと、何度見ても似てるわ。そっくり! その声、どうやって出してんの?」


 反対側に座る大柄な男性隊員も、笑顔で頷く。


「いやぁ、鬼教官は得意じゃねえけど、お前がやると笑えてくるんだよな。なんでだろ。その“絶対に言わないシリーズ”が、マジでツボに入っちゃってさ」


 その言葉を受け、また大きく手を動かして何かを返す男。

 ドッと二人が声を上げて笑う。


 背を向けた“彼”は終始部屋の中をなごませ、二人の隊員を笑わせている。

 暖かいムードを見せつけられ、それでもハルは霧の中に立ち尽くすことしかできない。


 なんなんだ、これは――霧を使った幻覚作用か、はたまたトリックを使ったものなのか。

 目の前で起こっている状況を、いまだに理解しきれない。


 そんなハルを前に、部屋の中の隊員達は笑顔で言葉を交わす。


「ここ最近、任務続きで帰れてないから、バラエティ番組なんてとんと見れてないんだよ。そういう意味では、お前がいてくれて助かるぜ。マジで飽きない」

「そうそう。ほんっと、芸達者だよね。『ハル』ってさ」


 どくん、と鼓動が高鳴った。


 ライフルを下ろし、唖然あぜんとしたまま前を見る。

 隊員達が呼んだその名に、身動きが取れない。


「マジで、お前みたいなタイプって珍しいよな。俺らみたいな“暗部”の人間って、こう根暗だったり、馴れ合いを嫌う奴らが多いけど、その点『ハル』は真逆だぜ」

「最初会った時から、っぽくないなぁ~って思ってたんだよね。でも『ハル』がいたからこそ、こうしてこの部隊でやってるのかもって思うよ。任務任務で張り詰めた毎日なんて、多分ギブアップしてたかも」


 背を向けた“彼”は、どこか照れ臭そうに後ろ頭をかいた。

 その姿を見て、またも隊員達が笑う。


 一歩、恐る恐る霧の中へ踏み出した。

 まるで足の先の感覚がない。

 それこそ、重さのない雲の上を踏みしめているようだ。


 何度歩みを進めても、“彼”に近付かない。

 自身が進んでいないのか、はたまた彼らが遠ざかっているのか。


 決して縮まらないその距離に、たまらず手を伸ばす。

 口の中がカラカラだ。

 言葉を吐き出そうにも、まるで音が形をなしてくれない。


 汗だくになりながら、それでも必死に進むハル。


 背を向けた“彼”を知っている。

 あの部屋を、あの隊員達を、あの場面をハルは知っている。


 大きく息を吸い込み、ありったけの声で彼に――光の中にいる「ハル」を呼ぼうとした。


 声が発せられる寸前で、目の前の光景が消える。

 再び白い霧の海が視界を多い、静寂が戻ってきた。


 唖然とするハル。


 だが、歩みを止めた彼の背後で、“彼”はささやく。


「そうか。覚えてはいるんだな」


 汗が引いた。


 静寂がさらに濃度を増し、神経を鋭敏に研ぎ澄まさせる。

 どんどん熱を帯びていくハルのその背中に、なおも“彼”は言う。


「“別物”になったと思ったのだがな。やはりまだ、少しはお前の中に残っているらしい」


 鼓動が胸を打つ音が、痛々しいほどに大きい。

 慎重に、冷静に呼吸しようとしても、どうしても吐息の音は加速していってしまう。

 たとえ乾いた眼がびりびりと痛みを放っても、決して瞬きはしない。


 背中に叩きつけられる男の声に――覚えはある。


「逃げおおせた“罪人”が、よくもまあ堂々と戻ってきたものだ。だが馬鹿というわけではない。お前は昔から――奇妙な勇猛さがあった」


 ついに意を決し、歯を食いしばって振り返る。

 ライフルを握りしめ、声の主めがけて突きつけた。


 目の前には、白い霧の海。

 虚空に向けられたライフルの銃口が、ガクガクと上下に震えている。


「安心しろ、いずれ元に戻るさ。人の持つ記憶の価値など、そうたいしたものではないからな」


 再び振り向く。

 やはり睨みつけた先にあるのは、無限とも錯覚する白の連続だ。


「しかし、少し期待外れだ。その様子だと、“やつ”の居場所は知り得ないんだろう? せっかくこうして出向いてやったが、がっかりだ」


 おそらく、再度振り向いても“彼”はいない。

 ハルはおびただしい汗を流しながら、必死に考える。


 何が目的だ。

 攻撃もせず、こうして語りかけてくるのは何故だ。


 急激な速度で、脳細胞が活性化していくのが分かる。


「進むも戻るもお前次第だ、好きにすれば良い。お前が会いたいというなら、会ってやるさ。だが、もうこちらから出向きはしない。なにせ――『魔王』には玉座がふさわしいからな」


 呼吸をすることを、忘れてしまった。


 静寂の海のその中心で、テクノロジーの牙を携えたまま立ち尽くす。

 図らずも知り得てしまったその存在に、ただ、ただ戦慄する。


 魔王が、いる――ついにハルは雄叫びをあげ、振り返った。

 ライフルを持ち上げ、すぐさま引き金を引くべく、激突の時を覚悟する。


 何故だか理解できない。

 顔も見ていない、声しか聞いたことのない存在に、何故ここまで敵意を抱くのかが分からない。


 まるであの時と同じだ。

 少女・エリシオをあの巨大なヴォイドが襲おうとした、あの時と。

 否、むしろ自身の肉体に怪物の拳が叩き込まれ、反撃したあの時と。


 本能が咆哮ほうこうを生み出し、理性の鎖がちぎれ砕ける。

 振り返ったハルの目に映ったのは――廃墟だった。


 霧が消えている。


 視界は白ではなく、むしろ真逆の色濃い黒に染まっていた。

 いつの間にか太陽が消え去り、モノクロームという街を夜が支配している。


 ざぁ、という音と共に降り注ぐ雨が、瞬く間に体を濡らしていく。

 瓦礫まみれになった建物の隙間に、めらめらと燃え盛る残り火が見えた。

 放り出された色無き廃墟で、雨の冷たさを浴びながら拳を握りしめる。


 目の前にあれこれをちらつかされ、それでもやはりハルには何もできなかった。

 思わず目をぎゅっとつぶり、湧き上がる苛立ちを噛み殺す。


 俺に、何をさせたい――真っ暗になった視界のその奥に焼き付いているのは、霧の海に浮かんだ“彼”の後ろ姿だった。


 変わらず翻弄され、世界に一人取り残されたハル。

 立ちすくむ彼に、雨音をかき分けながら近づく“小さな影”があった。

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