ようこそダンジョンの救命救急病院へ 4
白銀髪の頭を軽く下げ、再び顔を持ち上げたときにそこでようやくブルーはシルヴィの瞳を見た。
「蒼い瞳……」
ブルーの持つ緑がかった青眼ではなく、混ざり気のなく純粋な蒼を重ねた、深い海を落とし込んだような紺碧の眼。
「キミとお揃いだね」
多分、少し違う。
ブルーはその名前の通り「青」と大枠で括った瞳の色だがその実態は淡く
「じゃあ、アナタも……」
「ああ、精霊が視える」
「やっぱり、あのゴーレムの中身は……」
「そう地の精霊達だ。よくああして手伝ってくれている。まあ、それよりもだ、ブルー、キミの今の状態と今後のことについて担当医として話をさせてもらうよ」
そう言うとシルヴィは指をパチンと軽くならし、さっきまでそこにいたのと同じようなゴーレムを一体床から作り出し、先程まで寝床にしていた椅子を持ってこさせた。
「ありがとう。それじゃあ朝ごはんでも食べながらゆっくり話そう。まだ、ダンジョンが開放される時間でもないしね」
シルヴィがシスイの真横に置かれた椅子に腰掛けるとタイミングを見計らったように部屋から出ていたゴーレムたちが朝食の乗ったお盆を運んできた。
シルヴィはまた一言ゴーレムたちに「ありがとう」と告げ、膝の上にお盆を載せる。
「シスイ、彼女の食事の補助を、咀嚼は問題ないと思うけど、飲み込むのは少し辛いだろうからね」
「了解、本当はスープとかお粥とかの方が食べやすいだろうけど、もう少し目覚めるのに時間が掛かると思ってたから用意してないの。その代わりよく噛んで喉に負担を掛けないようにしてね」
「わかりました……」
いつぶりだろうか。誰かと一緒に食事を摂るのは。そう、ブルーは思っていた。
兄姉と離れてから教会でも隅の卓で一人で毎回の食事を過ごしていた。
教会を出て傭兵になってからは、そもそも食事の場に誰かが同席することもなくなった。
一緒に食事をするのは決まって兄と姉だったからか、久しぶりの誰かとの食事は二人を思い出さざるをえなかった。
「それじゃ、いただきます」
「……あ、はい。いただかせてもらいます……」
いつものクセで主に祈りを捧げようとしたブルーだったが、片方の手はまるで動かないため、片手だけ布団の中で祈りの形を作った。
「祈りの言葉はいいの?」
「えっと……私、あまり頭良くないから。ちゃんと覚えてなくて……ただ、神様に感謝刷る気持ちが大切だって……。神父様には教わったので、合掌をして、ちゃんとありがとうの気持ちを込めて『いただきます』が言えたら、神様にも届くし、食材の動物たちの魂も報われると……」
「うん、その姿勢はとても素晴らしいと思うよ。それじゃあせっかくの料理が冷めてしまわないうちに食べてしまおうか。シスイの作る料理は怪我にもよく効くんだ」
シルヴィはさっそくロールパンを口にしながらブルーに微笑み掛けた。
「ブルー、何から食べる?」
「え……」
シスイがブルーに問い掛けた言葉に、一瞬ブルーは反応に困った。
そうか、食事の補助というのは、シスイに食べさせて貰うと言うことなのか。
たしかに起き上がるのも困難な上に片方の腕が使えない状態で一人で食事を取るのは難題だが、誰かの手から食べさせて貰うなんて、それこそ幼い頃以来で少し恥ずかしさを感じる。
「えっと……おまかせ……します」
二人の方がおそらく年上だし、無論二人から見ればブルーは子供のようなものだろうし気にしないだろうが、一応、独り立ちしているブルーからすれば少し毛恥ずかしさを感じずにはいられない。
無意識のうちにブルーは片方の腕で掛け布団を手繰り寄せ顔を半分だけ覗かせて、自分の食事を持つシスイ見つめていた。
「…………はっ!? 分かりました。それじゃ、口を開けて下さい」
一瞬、シスイの動きが止まったが、すぐに我を取り戻し、シルヴィに倣ってまずは小さく千切ったパンをブルーの口に運ぶ。
ブルーが開けた口は、怪我で大きく開かないのか、はたまた、それが彼女の精一杯の大口なのかわからないが、とても小さく、差し出されたパンも一口で全部は含みきれず、二口で口の中に収め、シルヴィに言われた通り一生懸命もぐもぐと噛んでいる。
「シルヴィ……」
そんなブルーから目を逸らさず、器用に隣にいるシルヴィにのみ聞こえる声量でシスイは話しかける。
「なんだい? そろそろ、話をしたいんだけど」
「この子、めっちゃ可愛いです。飼育したいです」
「…………そうかい。楽しそうでなによりだよ」
シルヴィがなんとも言えない表情をしていることなど露知らず、シスイは目の前にいる小動物のような少女に胸踊らせていた。
「んじゃ、そろそろ話をしようか。まずはブルー、キミの怪我の状態から」
そう言ってシルヴィは懐からカルテを取り出した。
「重症な箇所から順に、首、腹部にかなり大きめの損傷、動脈が切れてて出血が一番多かったのがその二つね。今は手術をして傷口を縫ってるけど、しばらくは首も腹筋も動かさず、癒着するのを待ってね。それと今はまだ昨晩注射した鎮痛剤が効いてるから痛みは引いてるだろうけど、これからは食後に鎮痛剤を飲むこと」
シルヴィが指摘した部分を意識する。
地上でなら、遅れを取るような相手じゃなかったはず。
そんなことを訝しむ、自分の未熟さに少し嫌気がさす。
「次に骨折。左前腕、右大腿骨、これも怪我の度合いからすればさっきのに比べれば大差ないけど、シスイが手早く応急処置を施してくれたから命に関わるほどの大事には至ってないよ。まあ、けど、完治するまでの期間はこっちの方が長い。骨が完全に繋がるまで、僕が治癒術を毎日掛け続けても二ヶ月は必要だ」
二ヶ月、そう告げられた期間はブルーに言いようのない不安に陥れた。
貯金も無ければ資本もない、唯一、金を生み出せるのは己の体のみ。
その肉体が二ヶ月も動けないとなれば、その間、一体どのようにして日々の生活をしなくてはならないのか。
ダンジョンに潜ったのは、単純に地上での魔物狩りよりも実入りがいいと聞いてきたからだ、それなのに、これでは本末転倒だ。
「うん、確かに不安ね」
そんな心の内が顔に出ていたのか、優しい声音でブルーにシスイが話しかける。
「少し前まで、このダンジョンでは生きる物種を持って帰るか、そのまま中で死を迎えるかの二択からしか選ぶことが出来なかったの、今のあなたみたいに重傷で辛くも生き残ったとしても、満足に動かせない体じゃ、待っているのは貧困と飢餓しかない、だから、多くの探索者はその場で命を断っていた」
シスイは少量のスープを匙で掬い、小さく息を吹きかけ冷ましたものをブルーの口にゆっくりと運ぶ。
「貧しい民を救ってくれるほどこの国は優しくない。だから、探索者たちが協力して少しでも生きる希望を持とうとしたの。一人が持っている物は少なくても、団結すれば大きな力になる」
「ダンジョンに潜る前、受付でお金を渡したよね」
「はい、銅貨20枚だけ。けど、パン二個分くらいにしか……」
「ああ、それでもギルドは一日に二百人ほどの探索者が潜る。それだけあれば、自分やシスイを含めたギルドの職員の賃金、キミたちへの援助に十分足りる」
シルヴィはロールパンの一片を口に運びながら「要するに」と結論に入る。
「キミが受付でお金を渡した時点でダンジョンで起きたありとあらゆる事柄はギルドが面倒を見る。キミはこれから掛かるお金の問題に心配なんてしなくていい。探索者が安心して働けるようにする。それがギルドの存在意義だからね」
その白衣を羽織った小柄な医者は、患者の心の不安をも取り除こうと小さく微笑んだ。
その笑顔に、やはりブルーは、自身の姉の面影を重ねずにはいられなかった。
「さて、意識も戻って峠は越えたわけだし、ベッドの場所を移そうか。いつまでもこんな風通しの悪い場所にいちゃ良くなるものも良くならない」
ゆっくりと時間を掛けて朝食を終え、シルヴィもゆったりと腰を上げる。
「場所を……移す? ここは……病院ですよね……?」
「まあ、その通りなんだけど、ここはあくまでも、救急医療施設なのよね。救急の探索者に最も近いのはいいんだけど、長期の入院患者を休ませておくには看護衛生の面から見てもあまりよろしくないのよね……」
シスイがヤレヤレと首を振りながら答えるが、いまいちブルーには二人が言わんとすることが分からなかった。
「んじゃまあ、少し揺れるけど安全には配慮はするし我慢してね。ここから地上のギルドまで一本道だしすぐだから」
「もしかして……ここって……」
『地上まで』その言葉と、朝食を摂っているような時間だというのに暗い窓の外、その二つの要素がブルーに「まさか……」と思わせた。
「あれ、シスイ、話してなかったの?」
「別段、
何も、こんな場所にこの施設がある、ということに不満があるというわけではない。ただ、こんな場所に建てる、という発想はブルーにとってあまりにも前を走りすぎていた。
患者を移動させるときに使うアレ(ストレッチャーという)に乗せられブルーは初めて、病院の外の光景を目の当たりにした。
「ここは、およそ地下100m、階層にしてB二五階――」
そこには、高い天井とそこで淡く星々のよう瞬く石の数々、そして地面には石の輝きに照らされる背の低い芝が生い茂り視界には入ってないがどこからか流れる水の音が壁や天井にぶつかり反響している。
そして、この場のブルーとシルヴィのみが持ち得る蒼い瞳の視界には、四色のの個性を持った輝きが無数に宙を躍り、鮮やかな色を纏わせていた。
「上層と中層の境目、死の危険漂うこのダンジョンで唯一の憩いの場『精霊庭園』」
幻想的な風景に目を奪われながらシルヴィとシスイの声に耳を傾ける。
「「ようこそ、ダンジョンの救命救急病院へ」」
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