第3話 ラビリンス
「イテテテ・・・ここは、教室・・・なのか?」
謎の女性に導かれるまま学校の教室のような場所に出た。ぐにゃぐにゃと空間がゆがんでおり、机やいす、窓などがまるで出来の悪い作家が絵に描いたようないびつな形に歪んでいた。
壁、床、天井の色が絵の具に水を落として薄めたような絵が広がっている。足を踏み入れば、そこは水滴の場となり、水しぶきと波が広がり、より複雑な模様となっていく。
「この先に行けといっているのか?」
廊下はただまっすぐと広がっている。廊下の先は真っ白い光が見えている。出口なのかもしれないし、偽物かもしれない。
魔力をたどるとその先から魔力が薄くなっている。
「誘っている」
意図的にだろうか。ラビリンスのなかには魔物と呼ばれる敵対する存在がいる。そいつらは迷い込んだ者を外へ逃がさないように捉え、食用にするのだと言われている。
魔物が身近にいないときは注意しろ。床から突然穴が開くかもしれない、突然部屋が崩壊するかもしれない。魔力逃れが悪いところは近づくな。
「クソッ・・・道がないし、まっすぐ行くしかないのか・・・」
窓を見やる。外は子供の落書きのような空が描かれている。雲一つ動きもしない。まるで時間が止まってしまっているかのようだ。
「窓から出る・・・いや、ダメだ」
頭を左右に振り却下する。
ラビリンスで不用意な選択肢は命を縮ませる。昔、あんなことがあった。あれを繰り返してはいけない。その記憶を思い出すたびに今の自分でいられる。そう実感する。
「モンッ!」
白い綿あめが服の中から飛び出してきた。
「モン いたのか」
「モンッモオオーン!」
ピトと首に引っ付く。離れたくないとモンから近寄ってきた。
「よしよし、大丈夫だよ。さあ、いこうか」
モンに勇気つけられ、せっせと前へ進む。一人だと不安だった。でもモンがいる。モンのおかげで少しは気がまぎれた。
モン――使い魔。あの女性が言っていたが、魔法士には使い魔がいて、魔法士を影から支えてくれるよき相棒だと。使い魔は魔法士の成長と共に姿を変える。その姿は精霊であったり人間だったりと様々な姿かたちへと変化する。
使い魔は相棒で、よき理解者。離れ離れになることはあってはならない。
ルアはモンをそっと手で撫で、ゆっくりと頭の上に移動させた。
「上を頼むぞ」
「モンッ!!」
モンの勇ましさに救われ、目の前からやってくる不安を少しだけ逸らすことができた。
廊下の先まで歩くと白く光っている扉があった。扉の取っ手に手をかけると石か何かに引きずるかのような車輪の音が鳴る。
扉を開くと真っ白い光が発光し、その先は真っ白い空間がただ広がっている。手を伸ばすとその光に吸い込まれていく。雲だ。煙のような白く光る雲に手が引っ張られ、体すべてを覆いつくすころには、出口へ来ていた。
「ここは」
周りは先ほどの壁紙と同じだが、天井だけシマウマの模様が描かれている。直視すると目に悪い。
「モンッ!!」
目の前に置かれた小さな箱型のカバン。茶色い革製で汚れがないところ、まだ買ったばかりの新品だった。
「どうしてこんなところにカバンが?」
誰かが置いていったのかもしれないし、誰かの置忘れなのかもしれない。
持ち主が不在中にラビリンスへカバンが消えて行ってしまったのかもしれない。持ち主はきっと慌てている。いつも使っているカバンが煙のように消えてしまった。誰かに聞いても知らないと言われているかもしれない。
届けてやろう。
親切心からかルアはそのカバンをとろうと手に取った瞬間。
「モンッ!!」
「どうした、モン!?」
グイッと頭を引っ張るかのようにおびえた。モンはこのカバンに触れるなと懸命に伝えていた。
そして触れずに手を一定の距離まで話した時、そのカバンは正体を現した。
「シャッシャッシャッ!!」
チャックが開き大きな鋭い歯を開く。モンに引っ張られなかったら大方手だけ食われていただろう。カバンは食べられず悔しそうにこっちを見つめている。
口をパクパクと動き、それをよこせと言わんばかりに襲い掛かってきた。
「モン!」
―バトル開始―
モンが自ら壁になるように飛び出した。モンが急に目の前に降りてきたため、一瞬気が緩む。モンのフワフワとした柔らかい毛並みが鼻、頬をなでその気持ちよさについ力が緩めてしまう。
「やわらかい」
大きく口を開いたカバンは口が裂けるほど大きく開き、それは子供一人を丸呑みできるほどの大きさだった。
影が覆いかぶさるように映る。
モンがぎゅっとカバンに睨みつけ、勢いのまま突進する。
「モン!」
ドカーンとカバンに体当たり、宙を舞い後方二メートルほど吹き飛ばされる。大きな音を上げ、転がるようにして床にピタリと立ち止った。
「モモモ・・・ン」
「モン!」
モンがフルフルと震えている。カバンに突っ込んだ時にカバンの大きな刃がモンの身体に噛みつかれていた。真っ赤に滲み出る血の痕。モンを両手で抱きかかえるとわずかだが、血の水がユラユラとしみていくのが感じた。
「無茶するな。ぼくが何とかするから」
腰ポケットに入っていたハンカチを絞り、モンを優しく覆う。多少は痛いかもしれないけど、大きく傷を開かせないためにもこれ以上血を流さないためにも応急措置だけはしておいた。
ぼくは勇気を振り絞り、倒れているカバンに睨みつけた。
殺気に気づいてか、カバンも起き上がる。
大したダメージは受けていない。傷一つ負っていない。あれほどの体当たりでダメージを与えられないなんて、耐久力は高い方なのかもしれない。
「仇はぼくが討つ」
いつものように杖を握りしめ、詠唱する。
「クルクル回る風よ、我が言葉に耳を傾け、敵を吹き飛ばせ”エアウィンド”!」
いつものように決めるように言い放った。
だが、スンとも言わない。呪文を間違えたのだろうか?
もう一度唱える。
結果は同じだ。いくら唱えても略称しても魔法は一切発動しなかった。それどころか自分の魔力は十分にあるはずなのに、魔力が消費されたときの疲労感も感じさせない。
「どういうことだ?」
あれからカバンの攻撃を避けつついろんな魔法を試し打ちした。
どれも発動しない。呪文が間違っているのだろうか? いや、いつも忘れてはいけないとノートを所持している。ノートには覚えた魔法名と詠唱が書かれている。ノートに書かれている通りに呪文を唱えても発動しない。
つまり―――
「この世界は、魔法がないのか!?」
行きついた結論は、魔法世界ではない。
だが、あの女性は魔法があるような仕草をしていた。不思議な綿あめ生物モンの存在もいる。科学では証明できないものがこの空間に存在している。
もし、魔法世界ではないのだとしたら、わざわざ魔法がある世界から魔法がない世界に召喚する必要性もない。どっかのドジで間抜けな神が引き起こさなければ確実にありえない話だ。
「モン!」
ハッと気づき、一歩避ける距離を見間違う。カバンの牙がルアの左腕を噛んだ。すぐにモンが飛びつき体当たりしてくれたおかげで大事にはならなかったが、油断した。
魔法がないと深く考えていた結果、避けるという反射神経を鈍らせてしまった。こんな初歩的なミスしないのに。
「モーン」
左腕から血がにじむ。軽く銜えられただけだ。痛みは多少あるが動けないほどまでの痛みでもない。でも、この状況的に考えて絶望的だ。
道具は杖とノート、リュックサックぐらいしかない。
リュックサックはこの世界で拾ったもので、モンが見つけてくれた。中身は空っぽでなにも入っていなかった。持ち主は知らない言語で書かれており、それ以上調べることができなかった。
持ってきていた学生のカバンはこの世界に来ると同時に見失った。おそらく空間転移に失敗し、どこか別の空間に漂着したのかもしれない。
「あははは、絶望ってこんな感じなんだね」
不安と恐怖が心の隙間から染み出てくる。こんなへなちょこなカバン(敵)にやられるなんて人生最悪な幕の閉じ方だ。
「モモモン!」
あきらめるな。と励ましてくれているのだろうか。必死に袖にしがみつきながら「モンモン」と引っ張ってくる。
「魔法なしでどうすればいいのか、わからなくなっちゃった。某主人公なら持ち前の運や仲間との絆とかで解決するのかもしれない。でも、ぼくはそのどちらでもない。平凡なんだ。結局、魔法学校に転入することなく道は閉ざされる運命だったんだ・・・」
半分諦めつつあるとき、声がした。
その声は最初は小さく、どこから聞こえているのかわからなかったが、今ならわかる。声の持ち主はいま、ぎゅっとしがみつき必死に「あきらめるな」と応援してくれているモン自身の声だった。
『――自分の心に素直になるんだ!――』
自分の心に素直になる? この言葉がキーカードになるなんて思わなかった。
「どういうことだよ、モン?」
ぎゅっと睨みつけ、つかんでいた袖から離れた。
「モン!」
モンはカバンに睨みつけ、襲い掛かる。あの小さな手のひらほどのサイズしかないのに健気なに戦いを挑む姿勢は歴戦の兵士の戦いぶりだ。守りたい仲間のために必死にしがみつき、たとえそれが命を落とそうが、仲間のために自分の命を削ってでも守り抜こうとする背中だった。
小さな使い魔に勇気つけられるなんて、なんという愚かなんだろうか。ルアはかすかに唇を挙げ、にっこりと笑った。
「モン! ぼくもいくよ。二人で勝とう」
モンに加勢する形で戦場へ出向く。一人の人間と小さな生物だけで敵を倒す事なんてできないかもしれない。でも、ひとりぼっちでくじけるのはたくさんだ。この小さな命を失いたくない。心の底から願う。
――この子の命はぼくが助けるんだ!!――
そのとき、某ゲームのチャララというサウンドが鳴った。
『――魔法士ルア。レベルが上がった。レベル2になりました。習得している魔法を表示しますか?』
突然目の前にゲーム画面が表示された。半透明で映るその映像はこの不思議な空間では想像も絶しないほど希望に満ちている風にも見えた。
「頼む」
〈はい〉を指で選択した。
すると、目の前に灰色に染まった文字と白色に染まった文字が表示された。白色に染まった文字は一行だけ、それ以外はすべて灰色に染まっている。
灰色に指で詰っても反応しないことから、まだ習得するに至っていないレベルのようだ。文字は知らない言語で書かれている。読むことは難しい。
けど、すがるしかない。白色に染まった文字を押した。
〈スイッチ〉とわかる言語に書き換えられた。
魔法:スイッチ 属性:時 範囲:遠距離・単体 魔力(MP):現段階で4回まで使用可能。
効果:対象にダメージを与える魔法。対象の耐久力を無視してダメージを与える。
そう書かれていた。
画面をスライドさせると閉じることも気づく、モンをこれ以上傷つきたくない。すがる思いでこの魔法に挑戦した。
「モンを守ってくれ! スイッチ!」
杖を振り下げた。
時計の針のようなものが空間から現れ、カバンに向かって勢いよく針だけが放たれた。時計が弓の役割を果たし、針が矢の役割を果たしていた。
モンが倒れる瞬間、針はカバンを貫通させるほどの一撃を与えた。
カバンが地面に倒れる。パクパクと動いて口はいつしか閉じ、それ以上開くことも動かすこともなくなった。
足で蹴飛ばしてみる。身動きしない。生命線は完全に消えたようだ。
「モン、大丈夫か」
モンのそばに駆けつける。
モンは傷だらけで呼吸しているのかどうか謎だが、息が荒い。
「モン、しっかりしろ。いま、助けてやるからな」
カバンを倒したことによりどこからか現れた白い出口へ駆け出した。倒れていたカバンはルアが通すりるのと同時に光の泡となって天井に向かって消えていった。
ラビリンスから抜け出した時、現実に戻れる。ラビリンスは消滅し、また次どこかで現れるまではその存在は、なにごともなかったかのように元の空間へと修正されるのだ。
『――魔法士ルア。レベルが上がった。レベル3になりました。
初めてモンスターを倒したことにより、追加ボーナスが与えられます。
レベルが上がった。レベル4になりました。
今の戦いで、熟練がランクアップしました。ランク2になりました。
新しく情報が書き換えられました。
スイッチ。使用回数が6回に増えました。
スロウ。使用回数が2回に増えました。
魔法:スロウ 属性:時 範囲:遠距離・単体 魔力(MP):現段階で2回まで使用可能。
効果:対象の動きを遅くさせる弱体効果。魔力の流れを遅くさせ、詠唱時間を延ばします。対人戦・魔法タイプなどに有効です』
――魔法士ルア。レベル4 ランク2 習得魔法:スイッチ、スロウ。
使い魔:モン 得意属性:時 武器:杖
夢だったかのように目の前に映り、そして消え去っていった。
目を覚ました時、保健室にいた。木の香りがかすかにする。先生曰く「木の香りはリラックスの効果がある」と言っていた。ラビリンスに迷い込んでいたことは校長とも知っている。
保健室から出る事には木の香りがする〈ウッドアロマ〉をお土産に、所属する教室へと足を運ばせていた。回復したモンと一緒に。
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