記憶の中の誰か

 薄れ行く意識の中、シンの見ていた視界は下から真っ黒な海の中に落ちていくように光を奪われる。代わりに見えてきたのは、アズールの中にある幾つかの記憶の場面だった。


 額縁に飾られた絵画のように描かれる獣人、アズールの過去と思われるシーンが、沈んでいくシンの意識とは反対に、次々に浮上していく。すれ違っていくシーンからは当時の会話と思われるものがあちらこちらから聞こえてきては、シンの耳へと入り込んでくる。


 《いつも五月蝿いんだよ、父さんも母さんも・・・》


 その中でシンの興味を引いた過去のシーンの中に、森の辺でうずくまる獣人の子供ともう一人、そのうずくまる獣人とは少し格好の異なる子供が歩み寄っていた。


 アズールの精神の中へ入り込んでいるのだから、一人はアズールと見て間違いないだろう。だがシンにはもう一人が誰なのかは分からなかった。ガレウスやケツァルかとも思ったが、それにしては華奢な身体付きをしている。


 《それだけ貴方に期待してるのよ。無下にしては駄目よ》


 歩み寄る獣人の声色から、それが女性であることがわかった。人間であるシンには見た目だけでは獣人の性別を見分けることができなかった。尻尾や耳の形、体格などで見分ける方法もあるのだろうが、それほどの知識を持っていなかった故に、声を聞くまで分からなかった。


 《ミルネには分からないよ・・・。毎日毎日、やりたくもない事をさせられて。俺だったみんなみたいに自由に外を駆け回りたいのにさ・・・》


 《仕方がないわ、貴方は特別なんだもの。それだけ皆は貴方に期待し、大切にしてるのよ》


 《そんなの・・・俺は望んでない・・・》


 目を奪われたそのアズールの記憶は次第に見えなくなっていく。次にシンの視界に入ってきたものの中には、厳しい稽古を受けるアズールと思われる獣人と師範のシーンが流れてくる。


 《アズール様、貴方ならこれくらいの事、乗り越えられる筈だ。他の者達にはない才能を、眠ったままにしていてはいけない!》


 《勝手なことばかり・・・。そんなの俺は望んじゃいない・・・》


 肉体強化のトレーニングなのだろうか。一息ついた後に、少年時代のアズールは力を込めるとその身体は、小さくも大人の獣人顔負けの肉体へと変貌していた。


 《お前が隊長を務める初の任務だ。皆、お前の力に期待している。心して書かれよ》


 《・・・はい、父上》


 今度の場面は、アズールとその父親と言われる獣人との会話から始まる。その内容からも、アズールが成長し部隊の隊長に赴任した時の内容であると思われる。父親から激励を受けるも、アズールの表情は暗い。


 彼にとっては喜ばしい事ではなかったのだろう。それとも不安だったのだろうか。シーンのその後には、数名の獣人達を連れたアズールが森の中を駆け抜けて行くのが見えた。


 《アズール!ミルネがいない!》


 《なッ!?何処で逸れた!!》


 《わっ分からねぇよ。みんな逃げるのに必死で・・・》


 緊迫した状況の中、任務で不足の事態が起きたのだろうか。慌てるアズールの部隊が森の中で何かから逃げるように行動をしていた。


 《おい!どこへ行く気だ!?アズール!》


 《ミルネを・・・皆を探しに行く》


 《無茶だ!何処で逸れたかも分からないんだぞ!?それに奴らも追ってきてる。このままじゃ全滅しちまうッ!》


 《全滅・・・?まだ死んだと決まった訳じゃないだろ!?口を慎め!》


 逸れてしまった仲間を助けに行くかどうかで、言い争いを始める獣人達。しかし、会話の中でもあるように、彼らは何かに追われているようだった。他の者が言うように、何処で逸れたのかも分からない中、追われる身でありながら来た道を戻るなど、自殺行為と言われるのも無理もない。


 《自分の立場を忘れるなよ、アズール。全員やられちまったら、誰がこの事をボス達に知らせるんだ?お前は生きて帰らなくちゃならねぇ》


 《時には仲間を見捨てるのも、隊長が下すべき決断だと・・・?》


 拳を握りしめるアズールに睨まれる獣人は、大粒の汗を流しながら無言で若き隊長を務めるアズールにその責務の重さを伝えると、彼の煮え切らない思いを引き受けるかのように、自分が殿として追手を引き受けながら来た道を戻ると言い残し、その場で彼と別れ別行動する。


 アズールは彼や仲間達、そしてミルネを残して獣人族のいる里へと逃げ帰った。自分の抱く感情を押し殺し、一族の事を最優先に考えるのが今の彼が取るべき選択である。


 理屈では分かっていても、大切な者達を天秤にかけられた当時のアズールには、苦渋の決断だっただろう。ましてやミルネという獣人は、彼にとってかけがえの無いない存在であり、幼少期に彼の歩むべき道を踏み外さぬよう正してくれた恩人でもあった。


 その後に浮かんでくるアズールの記憶の中には、ケツァルやガレウスのいるものが殆どで、既にアズールは族長となっていた。その立場になってからも、彼は幾つも選択を迫られる場面を経験したようで、時には責め立てられるようなシーンもあった。


 他人には理解されない族長という立場の中、彼の中にあった葛藤や苦悩が幾つも垣間見える。大抵の権力者は下の者達に理解されぬ決断や命令をする事が多い。しかし、それを迫られる上の者にも、どうしても切り捨てなければならない犠牲があることを知ったシンは、アズールの心境に同情し共感すると、他人から恨まれるというその余の辛さに、自然と涙が溢れていた。


 だが、そんなアズールの体験してきた辛い記憶の中に、彼のものとは思えない別物の記憶が混じっていた。その中では、白衣の男がこちらに向かって何か話しかけていた。


 《ほう・・・。面白い進化を遂げたものだ。是非とも生き物に“寄生“させてみたいものだ。容器の中で飼われるだけでなく、実地でどのように生き、進化していくのか。私に見せておくれ・・・》


 謎の光景を映し出したシーンと似た物の中に、今のシンが見ているアズールの記憶の中と同じように、真っ暗な中で幾つもの光景を眺めるシーンが混じっていた。


 《ここは・・・?誰かの記憶の中か?それとも精神の中・・・?俺は誰でここは何処なんだ?・・・分からない。どうしたらいいのか、分からない・・・》


 また別の場面では、記憶の絵画が浮き上がる中を下へ下へと潜っていく何者かの見ている景色が流れてくる。


 《なるほど・・・。この先でこの者の意識を乗っ取ることが出来るのか・・・。俺の・・・身体・・・俺の・・・》


 すると、アズールの記憶や意識の中に入っている筈のシンが見ている光景の中に、別の何者かの光景が次々に浮かんで来る。それこそ、ここが誰の意識の中なのか分からなくなってしまうほど、それまで見ていたアズールの記憶ではなく誰かの記憶ばかりになる。


 《何だ・・・?誰かが俺と同じ事を・・・。同じものを見てる奴が・・・》


 シンがアズールの中で見ている光景と同じものが、その何者かの記憶の中に映し出されるようになり、まるでテレビの中に映る映像が今自分の見ている光景かのように見えていた。


 その映像の中の光景が徐々にシンの方へと振り返ろうとした時、シンはその光景の中に手を伸ばし、未知の何者かの存在を掴み、引き摺り出した。

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