幻景の剣と海の化け物

 勝手こそ違うものの、宙に浮いているような感覚は似ている。空気中に浮くことと、水中に浮くことの違いについて詳しく知らないことが功を奏し、彼の思惑は実を結ぶこととなった。


 ツクヨの思い描いた通り、彼の身体は水中にあれど瞼の裏の景色、雲の合間から薄っすらと何処かの大地を覗かせる雲海の中にあり、彼の意識が優先され、例え水中であろうと空気中に浮いているように行動が出来る。


 クトゥルプスが瀕死のツクヨに、更に追い討ちの一撃をたたみ掛けようとした時、彼は息を吹き返し、まるで古くから水中で生息してきた魚人か何かかと見まごう程の身のこなしで、彼女の触手攻撃を避けてみせた。


 「何ッ!?何故突然息を吹き返した・・・?確かに虫の息だった筈・・・」


 彼女が驚くのも無理もない。目の前の獲物は確かに酸欠を起こし、呼吸すらさせてもらえぬ状況に絶望し、完全に希望をへし折っていた筈。そんな死に損ないのような獲物が、突然目の前で息を吹き返しただけではなく、水中で自在に動ける自分と同等かそれ以上に水中で動き始めたのだ。


 初手を躱され、驚きのあまり一瞬思考と動きが止まるクトゥルプスだが、直ぐに我に帰り追撃を続ける。無数の触手でたたみ掛ける彼女の攻撃は、水棲生物ではない者が水中で避けることなど不可能な程に素早く鋭い。


 だが、ツクヨはそれを空中で弾丸を避けるように軽やかな動きで躱していく。次々に迫る触手を紙一重で躱し、僅かに訪れた反撃のチャンスを見逃さず、布都御魂剣を腰に構え、鋭い一閃を放つ。


 触手も含め、体積の広いクトゥルプスにツクヨの放った一閃を無傷で避けることは出来ない。数本の触手を犠牲にし、これを躱すクトゥルプス。しかし、彼女にとって触手の損失など、髪の毛が一・二本抜けるようなもの。


 それでも、見下している生物にくれてやるには彼女の気に触ることのようだ。斬り落とされた身体の一部を尻目に、彼女は歯を食いしばり怒りを露わにした。


 「突然貴方の動きが俊敏になり、別人のように強くなろうが。海の中や上でどうして自在に動けるのかなんて、私にはどうでも良いことだわ。ただ・・・私は貴方より上ッ!それを証明しなければならないッ・・・!」


 切れた断面図に力を込めると、直ぐに触手は再生した。今度はまとめて触手を失わぬよう、攻撃のパターンを変えて攻め立てる。しかし、それでもツクヨは彼女の攻撃に臨機応変に対応し、その尽くを躱し動作だけでは避け切れないものを斬り刻んでいく。


 強度を一本の触手に集約することで、ツクヨの斬撃に耐え得ることが出来ると気がついた彼女は、別の触手をお取りにして戦い、要所で強度を高めた触手で彼の布都御魂剣を弾こうとする。


 ここまでの戦闘でクトゥルプス自身も理解したのだ。単純に武器を奪えば攻撃手段を失い、防戦一方にすることが出来ることは勿論、彼の異様な変化の原因はあの妙な剣にあるのだと。


 それさえ彼の元から剥がしてしまえば勝敗は期する。彼の息の根を止めるのはその後でも充分だと。激しい鍔迫り合いの後、二人は後方へ弾け飛びその間には距離が空いた。


 ツクヨには海水を斬り裂いて進む飛ぶ斬撃が、クトゥルプスには海上にいた彼を狙い撃った水を圧縮して作る水球がある。互いの遠距離攻撃の間合い。間髪入れずに、これで仕留めんと言わんばかりに、目にも止まらぬ速さで剣を振るい無数の斬撃を飛ばす。


 クトゥルプスもそれに負けじと、海中に無数の水球を作り撃ち放つ。海上の時とは違い、水中であることが功を奏し、切断された水球は拡散することなく勢いを失い海に溶けていった。


 先に動き出したのはツクヨだった。距離を空けての一撃では避けられてしまう。彼がデストロイヤーのクラスに覚醒した時、一度はクトゥルプスの身体を両断することが出来た。


 至近距離からの一撃であれば、奴を捉えることが出来る。彼はそれを知ってか知らずか導き出し、水球による大砲の数々を掻い潜り彼女の懐を目指す。


 しかし、中距離から近距離はクトゥルプスの十八番である触手の領域。そう簡単には近づけさせないと、嫌らしく彼の接近を拒む。切っても切っても生えてくる触手に、新たに加わった強度を増す触手。


 終わりのないようだが、相手が生物である以上再生には限りがある。仮に無かったとしても、必ず遅延は訪れる筈と信じ、何度弾かれようと飛び込んでいく。


 だが、そんなツクヨを襲ったのは、全く感知していなかったところからの攻撃。突然走る痛みに足元へ視線を送るが、反応が弱く感知出来ない。かと言ってツクヨは瞼を開けることも出来ない。


 今、この状況を生み出せているのは、瞼の裏で彼が景色を作り出しているからこそだ。目を開ければ立ち待ち呼吸が出来なくなり、身体は重くなる。一体何が彼の身体に攻撃を与えたのか。


 それは彼女が海賊船の中で見せた、もう一つの脅威だった。

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