グレイスとシルヴィ

 風穴を開けられたロッシュ軍の船は舵が切れなくなり、陣形を崩して横へ逸れていく。慌てふためく自軍の船の行く末を尻目にロッシュは黙って腕を組みながら仁王立ちで立ち尽くしている。


 「せッ・・・船長ッ!味方船が一隻、操縦を失い陣形を外れていきます!」


 船員の一人が沈黙に耐え切れず、何も言わぬロッシュに報告を入れる。だが、自軍の目立った功績現状に呆れたのか、分かりきった船員の報告に苛立ったのか彼は鋭い眼差しで睨み付けると、蛇に睨まれた蛙の様に震え上がる船員の男は、恐怖のあまりロッシュの方を振り返ることも出来なかった。


 「それがどうした・・・」


 「えっ・・・?」


 ロッシュの返答に一瞬、頭の中が真白になる船員。レース直前まで必死に物資や準備を整えてきた内の一隻を失うのは、それだけ物資も人員も失うということ。それをまるで、捨てられたゴミでも見るかのように興味を示すことなく言い放った冷酷な言葉に、自身の耳を疑ったのだ。


 「お前は言われたことを忠実にやっていればいい。余計なことはするな、思うな、考えるな。・・・いいな?」


 「はッ・・・!はい!」


二人のやり取りは、彼らを乗せた船に乗り合わせた者達に、二度同じことを言わせるなという警鐘のように広まると、一気にピリピリとした雰囲気に包まれる。


 グレイス軍の盛り上がりとは対照的に、念入りに練られた作戦をただ忠実に冷静にこなしていくロッシュ軍の士気は上がることも下がることもなく、ただ水平を保つ。ただその異様な雰囲気は、攻める側としては非常に攻めづらいものとなる。


 敵軍の砲撃に晒され、自軍への合流も危ぶまれるグレイスは、乗り込もうと目指す船に乗船しているシルヴィに手助けを乞うような通信を入れる。


 「シルヴィ!今、手は空いているかい?ちょっと手伝ってもらいたいんだが・・・」


 「何だい姉さん!アンタの頼みなら最優先で向かうぜぇ!!」


 グレイスの要請に一瞬の迷いもなく答えるシルヴィは、すぐに持ち場を離れ通信機から聞こえてくるグレイスの声ではなく、彼女が直に向かってくる方向、船尾の方へと走って向かっていき、手摺りに身を乗り出す。


 シルヴィがグレイスを探すと、彼女は船の中で何やらゴソゴソとして工作をした後、甲板へと出てくる。その手には銃と呼ぶには些か大きい物が握られており、ワイヤーのような物を引き摺り出しながら、これからする事とシルヴィに手伝ってもらいたい事の説明を始める。


 「これからそっちの船にアンカーを撃ち込むから、アンタの力でアタシを引っ張ってくれ!もうこの船は長く保たない・・・。敵軍に優秀な射手でもいるのか知らないが、とんでもない腕前だよ。このままじゃ合流する前にやられちまう・・・」


 「そ・・・それは構わないが、姉さんはどうやって来るんだ?引き寄せるボートとか浮具なんて積んであったかい?」


 アンカーを撃ち込んでも、流石に船ごと引き寄せるのは人力では不可能。グレイスの発言から、元より船は乗り捨てるつもりらしい。だが、それなら海面に浮くための何かが必要になるだろう。しかし、シルヴィがいくら目を凝らして探そうと、グレイスの船にそのような物は見当たらない。グレイスは一体どうやってシルヴィ達のいる船まで辿り着こうというのか。


 「そんな物ないさ・・・。それにあれだけ正確な砲撃をして来るんだ、この船から出てくる物を見逃すような奴らじゃない。ボートや浮具なんかで海面に出ればすぐに見つかるよ」


 敵軍の厳しい監視下にあるグレイスの船は、簡単に脱出出来るほど簡単なものではなかった。姿を見られないようにし、グレイスが撃沈したように見せかけるのが彼女の作戦のようだった。


 「じゃ・・・じゃぁどうやって・・・」


 心配そうに尋ねるシルヴィに、迷いなく覚悟を決めた様子のグレイスが彼女を不安にさせまいと口角を上げて明るく話すが、その額からは玉のような汗が流れ落ちる。


 「このまま海に飛び込むしかないだろうよ・・・。海面へは必要以上に顔を出さないようにするから・・・」


 「なッ・・・何言ってんだッ!?姉さん!海中にはモンスターだっているんだ。匂いで集られたりでもしたら・・・!」


 「ひとたまりもないだろうね・・・。だが、このままふねに乗っていてもどっち道海に落とされちまうよ。人の姿で落ちるか、肉片になってばら撒かれるかの違いだ。生き残るならやるしかないんだよ!・・・アンタが手を貸してくれるってんなら望みはあるんだ・・・、後は頼んだよ」


 通信機から伝わるグレイスの声が徐々に小さくなる。彼女の決意や覚悟が薄れていってしまうように感じてしまい、すぐにでも自分が飛び込んで近くに行きたいと思う衝動を必死に抑え、震える拳をグッと握りしめ船長の覚悟を受け入れるシルヴィは、憧れのグレイスと同じように不安な気持ちを吹き飛ばし、自らをも奮い立たせるために言い放つ。


 「まッッッかせとけぇええッ!!ぜってぇに姉さんを手繰り寄せてみせるぜぇッ!!」


 握り締めた拳を空高く掲げ、辛気臭い空気を吹き飛ばしシルヴィは満面の笑みで答える。グレイスは彼女の豪快で明るい性格と姿によく励まされている。彼女のように慕う者がいるからこそ、弱気になる時も迷う時も奮い立たされる。


 彼女の雄叫びを最後に通信は途絶え、覚悟を決めたグレイスはシルヴィ達の乗る船にアンカーを撃ち込み、敵軍の砲撃に合わせて海に飛び込んだ。


 「敵船に命中しました!深刻なダメージだと思われます!」


 グレイスの船に砲撃を命中させたロッシュ軍の船員が声を上げる。その報告を耳にしたロッシュが珍しく笑みを浮かべるが、何とも不気味で不敵なものだった。


 「よし・・・グレイスさえ殺しちまえば、大した事のねぇ烏合の衆だ。後は煮るなり焼くなり好きに出来るってもんだぜぇ」


 そこで何かに気付いたかのように、突然表情を変えたロッシュがグレイスの危惧していた通り、周辺の海面を警戒し始めたのだ。複数の角度から隈なく観察するよう指示を出したが、船員からは船から脱出するような痕跡や様子は伺えなかったようだ。


 「この様子じゃぁ近づくまでもねぇな。奴らの攻撃も勢いを失いつつあるようだ。まさか本当に死んじまったか?・・・まぁ、用心するに越したこたぁねぇか。フェリクス、つまんねぇ戦になっちまったな・・・。後はお前に任せる」


 ロッシュの勝利宣言とも取れる通信に、後始末を任されたフェリクスと呼ばれる男が、機嫌の戻ったロッシュの声色を聞きホッとした様子で答える。


 「了解です、後は我々にお任せ下さい・・・」


 彼からのプレッシャーをものともせず男は、それまでと依然変わりない様子で砲撃の準備を再開する。任せると言われ、何処か楽しそうなその男はロッシュの元で狙撃手を務め、グレイス軍の風術士エリクの妨害を掻い潜る砲撃をしていた者だった。

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