『旅の終わり』
おめでとう
君はものすごい数の競争者の中の一番だ
これからすばらしい世界が待っているよ
ヒトの女の子として、宇宙に誕生するのです
そして、色々な体験を回収してくるのです
ホントに?
うれしいな、うれしいな
どんな素晴らしい世界なのかな
待ち遠しいよぅ
神様
お母さんのお腹の中に来たんだけどね
私、今いるここがすっごく居心地がいいの
守られているの
これほどの安らぎは、あり得ないの
カミサマ
ずっとずっとここにいちゃ、ダメ?
お前は旅をしなきゃいけない
そこは確かに一番落ち着く場所だろう
しかしもうすぐそこから出なきゃいけない
私はお前に試練を与える
それは決して難しいことじゃない
乗り越えられないほどのものではない
お前が探すなら、求めるなら
きっと乗り越えられる
出口は見つかる
だから行っておいで
世界を旅して、学んできなさい
そして旅の終わりにはまたお帰りなさい
お前にひとつ言っておく
お前がこれから出ていく世界を
お前が今心地よい、と言っているその場所のようになるように
お前に与えたその愛の種を咲かせて
よい場所にするんだよ
皆に愛を配るんだよ
ここは、一体何?
今まで私を守ってくれていた柔らかい肉のひだはもうない
寒い
周囲は、空気でスカスカ
たったひとり、とてつもなく広い世界に放り出された
不安で不安で、私は泣く
広い世界に出てからの私は泣くことが仕事のようになった
でも、そのたびに私を抱き上げてくれる者がいる
胸と胸が合わさり、二人のドッキンドッキンが重なると
私はうれしさの余り叫びたくなる
ああ 私はこの人の中にいたんだ
あそこにはもう戻れないけど、これから守ってくれるんだよね
だったら、安心だよね
私は、おっぱいをもらってからまたスヤスヤ眠りにつく
ずいぶん後に、言葉を覚えてから私は知った
私の命のふるさと、私のこの世界での守り人
……おかあさん。
うれしいな
たのしいな
お母さん、お父さん以外にも人がたくさんいるんだね
みんな、ニコニコ
私は、愛されてるんだなぁ
カミサマ、私は元気です
外に出て、不安だらけでしたけど
なんとかやっていけそうです
お母さんも、みなも大事にしてくれます
世界って、ずいぶん広いみたいですね
そのうち、もっと遠くまで探検できるのかなぁ
そこも、同じように心地いい世界かなぁ
カミサマ
私は少しづつ色んな世界と関わりだしました
あれだけ離れることすら考えられなかったお母さん
今では、自分だけで行動することも多くなりました
でも
私はちょっと不安です
知る世界が広がれば広がるほど
私が一番最初にいた居心地のいい世界ばかりではないこと
それが痛いほど分かります
トモダチとケンカもします
学校では、いじめもあります
カミサマ
どうしてなんですか
人は皆命を与えられて
お母さんから大事に育てられて生まれてきて——
人って自分の愛する身近な人間とだったらうまくやるのに
どうして触れ合う人が多くなればなるほど、世界が広がるほど
うまくいかないことが多くなるんだろう……
多感な学生時代
何とか、楽しい思い出を作りましたよ
想いが暴走しかけて、危なっかしい時期もありました
反抗期で、お母さんとケンカもしたりしました
お腹の中にいた時代では、考えられなかった
赤ちゃんの時は、目に見える形で現れたカミサマっていうくらいに
お母さんに絶対的な信頼を置いていたのにね……
でもカミサマ
私には、何とか分かりましたよ
あなたが親を、環境を通して私を愛してくださっていることを
この頃が一番充実していました
何でもかんでも見て、そして知ってやる
世界をこの手につかんでやる
若さとエネルギーを武器に思いっきり冒険をした大学時代
カミサマ
そして私は大事なことを学びました
この世に三つ目の大事な愛があることを
親への感謝とも違う 親友への友情とも違うそれを——
カミサマ
私は死んでもいいくらい幸せです
言い方がまずかったら、ゴメンナサイ
要するにそれくらい幸せだ、ってことです
親の愛が、優しく静かにともり続ける青白い落ち着いた炎なら
男女の愛は、激しく燃え盛ってすべてを焼き尽くす真っ赤な炎
この宇宙の、新しい愛の形を知りました
私は、この人を信じました
だから、この人に私の一番大事なものを捧げました
尊い命の宿る聖なる部分の中に、あの人を受け入れました
あの人の、命の種を受けました
あの人とひとつになった瞬間
私は泣きました
幼い子供のように、わけもわからず
でもうれしくてうれしくて
私がおめでとうと言われて生まれてきたように
また新しい祝福された命が生まれるんだなぁって
そして今度は私がお母さんになる番なんだなぁって
私は、命をかけて守ろう
私の血の血、そして肉の肉
私の血と魂を分けた分身
大事なわが子よ——
カミサマ
どうしてこの世界は悲しみに満ちているのですか
愛する者を失わなければならないのですか
憎しみを抱かなければならないのですか
人はなぜこのような険しい道を行かねばならないのでしょう?
夫が病気で死にました
長女が交通事故で死にました
塾帰りに、居眠り運転のトラックにはねとばされました
むちゃくちゃで、きれいな死体ではなかったんです
対面したとき、吐きました
でも、わが子の最後をしっかりと目に焼き付けました
まだ14歳の若さです
やりたいことだってあったろうに
死ぬ瞬間、あの子は一体何を思って死んだのでしょう
守ってやれなかった
あの子が生まれた時、私は守ると誓った
あの子が一人で世界を背負って立てるようになるまでは、と
私はうそつきだ
カミサマ
よっぽど、私も死のうと思いました
でも思いとどまりました
残された小学生の次女が、エンエンと泣いています
お姉ちゃんがぁ お姉ちゃんがぁ
もういないの?
もう遊べないの?
夏休みもクリスマス正月も、楽しみ事のときにも
お姉ちゃんはそばにいないんだね——
私は、命を捨てて生きる道を選びました
もはや、生きるのは自分自身の楽しみのためなんかじゃない
本当は死んでしまいたい
長女や夫の後を追いたい
でも
目の前のこの子のため
この子のためにも、私は死なない
生きて、育て上げる
そして、私のすべてを懸ける
そう
そしていつの日にか
夫や長女を失った悲しみが、次女を育てる喜びに変わる日が来る
その日の来ることを信じて
私は最後に残った力を振り絞って生きる
……カミサマ。
わが子よ ここにいる
……いよいよ、私の旅も終りみたいです。
よくやった
……これで、よかったんでしょうか?
ああ
……次女の結婚式も見届けたし。
旦那さんもいい人そうでよかった。
孫の顔が見れないのだけは残念ですけど、これでよかったんでしょうね。きっと
このことは、私に重ねて言ってはならない
……分かってます。
なぜ、私にこのような運命が襲うのですか? という人間の問いの度に、あなたが悲しい顔をされるのを知っています。あなたが、いちいち人間の間違いに干渉されないのは、きっと愛のゆえなんでしょうね。
……
……しっかり学べました。
この世界であなたが私に望まれたことは、私としてはクリアしたつもりです。
どうやら、お迎えのようです
じゃあ、今から帰りますね
おかえり
ただいま
もう、苦しまなくていいんですよね
もう、泣かなくていいんですよね
旅はもう、これまでですよね——
苦労をかけたね
とりあえずのお前の旅は終わった
お疲れだった
お前の母も夫も長女も向こうで待っている
旅の疲れが癒えたら、いつでも会いに行きなさい
そしていつか
また旅に出たいと思える時が来るまで
今はただ
ゆっくりお休み
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