『復活の樹』
おやすみなさい
風は止んだ
枝に集う鳥たちも眠った
私も眠りにつこう
春は新たな命の輝き踊る季節
明日も葉を広げよう
この世界を生きる命のために
また明日
星に月に太陽に
この世界が命の喜びであふれますように
私の願いが届くといいな
おはよう
何者かが私の根元に座り込んだ
ああ確か全ての生き物の最後にこの世界に現れた人間とかいう……
お前はなぜそんなにも悲しい顔をしているのか
戦(いくさ)が起こったのでござります
許婚(いいなずけ)は兵に取られ討ち死にいたしました
家は略奪に合い
家族とは生き別れになりました
私の操も踏みにじられ
死んだあの人に顔向けできない汚い体になりました
明日食べる穀物もありません
そして 私にはもうこれ以上歩く力もありません
女はうつろな目で仰向けにひっくり返った
私には分からない
世界の生き物たちは
草も木も花も
魚も鳥も虫も獣も
みな命の喜びに生きているのに
なぜこの最近現れた不思議な知恵ある生き物は
知恵があるくせにこんなに苦しんで生きることを強いられるのか
樹の精である私には理解できない
私はこの女に何もしてやれない
ただ木陰を提供して強い太陽の日差しを和らげてやるくらい
やがて女は目を閉じた
数日間食べ物も水も満足にとってない女のカサカサでやせた体は
最後の力を振り絞って涙を流した
彼女の悲哀は私にも伝わった
まったく動かなくなった
死んだ
最後に見えたよ
彼女の心の中の 大好きだったという男の姿が
私と枝に宿りに来た鳥と虫たちで歌を歌った
それは弔いの歌
私は悲しい
どうして悲しんで死んでいく命があるのだ
人間とは何だ
それから何百年もの間
それを考えることが宿題になった
私の体は女の血を受けた
その体は土に返り 彼女は私と一体となった
おやすみなさい
風は全地を行きめぐり
そして休むために地に伏した
私も眠りにつこう
夏は全ての命が鮮やかに躍動する季節
明日も葉を広げよう
この世界に生きる命のために
夜明けに近い頃
一人の娘が私の根元に座り込んだ
また人間か
全ての命が喜びの季節に生きているというのに
お前は一体どうしたのか
聞いてくださいますか
私は取るに足らないある商家の娘にござります
あるこの地の有力なお武家様が
私をどこかで見かけて気に入られたのだそうでござります
心に決めたお方がおりますのに
親はこれからもこの地で商売を続けていくためにはこらえてくれと
後生だからそこへ嫁に行ってくれと申すのです
ああ私には耐えられません
あの人のそばにいたい
かなうことなら死ぬまでおそばにいたいのです
そしていつまでも肌を離さずあの方を感じていたい
私にとっては それこそがこの世に生きる全てなのです
でもこの世はお上に逆ろうてはとうてい生きていくことのできない所
だから私はもう生きる望みがなくなりました——
夕日の傾く頃
一人の娘が私の腕で首を吊って死んだ
樹の精でしかない私には止められなかった
人間ではない私には その事情を深く理解してやれない
男と女の愛というのも何となくしか理解できなかった
その上数百年前からの宿題すら回答が出ていない
そんな私の言葉など説得力はなかった
私と夕日と風は歌を歌った
それは弔いの歌
絶望に消え行く命への慰め 鎮魂歌
どうかゆっくりお休み
深く 深くお眠り
二度と目覚めないくらいに
悲しみを思い出さずに済むように
夢の世界の中で お遊び
私の体は女の血を受けた
その体は土に返り 彼女は私と一体となった
おやすみなさい
風は全地を吹き荒れ雨雲を呼び寄せる
恵みのにわか雨を降らした後、体を横たえた
全ての生き物は命の滴りに満ち
ますますその輝きを増す
来るべき冬に備え
最後の命の炎を真っ赤に燃やす秋
明日も葉を広げよう
この世界の命のために
山火事だろうか
最近、やたら遠くで火の燃え盛るのが見える
その火が私のところまで迫ってこないだろうか
心配しているところへ顔中すすだらけの少女が這いずってきた
どうしたの
やけどで水ぶくれだらけじゃないか
昨日なぁ
アメリカが襲うてきたん
B29っていう飛行機がお空を埋め尽くしてなぁ
雨みたいにバラバラ爆弾を落としよったん
お母ちゃんあかんかった
体に付いた火ぃ 消せんかった
見てられんで 私おかあちゃん置いて逃げてきてしもうた
姉ちゃんとははぐれた
またか
どうして人は鳥のように生きれない
草木のように生きれない
それぞれに自分の命の歌を歌えない
ますます分からなくなった
私は虫の息の少女に何もしてやれなかった
私、もう眠いわ お休み
少女はそう言ってゆっくりと目を閉じた
お休み
私は声をかけてやった
そして少女は永遠の眠りについた
私と鈴虫と秋風は歌を歌った
それは弔いの歌
どうか ゆっくりとお休み
そしてもう悲しいことを思い出すのはおやめ
ここには二人のお姉ちゃんがいるからね
きっと仲良く遊んでくれるよ
私の体は少女の血を受けた
その体は土に返り 少女は私と一体となった
おやすみなさい
風は凍てついた空気を掃き寄せ
ちっちゃなかわいい きれいな結晶を作る
全ての命は再び立ち上がる時を夢見て
今はゆっくりと休む
だから私も休もう
そしていつかまた起きた時には
全ての命のために葉を広げよう
白い息を弾ませて 一人の男と一人の女が樹の下に来た
なぁに話って
オレ君のことが好きだ
エッ 嘘でしょ
嘘なもんか本当だよ
うれしい——
二人は唇を合わせた
いいなぁ
私は何だか温かい気分になった
また来た
さっきの二人より若い
オッ オレ……
何よ ハッキリしなよ
三田のことが好きなんだ
エッ マジで? じゃあ杏子とは何でもなかったの?
当たり前じゃん オレにはお前だけ——
全部言わさずに 若さにはちきれんばかりの少女は少年に飛びつく
若い命からほとばしる愛のきらめき
二人の唇を通して互いの全てが相手と入れ替わる
それぞれの器にもはや自分はなく相手が息づいている
あなたこそ私の命
あなたの悲しみは私の悲しみ
あなたの喜びは私の喜び
千年の時を経てやっと分かってきたこと
人間は知恵という宝物を得た分 自然のように調和しては生きれない
しかし人間って素晴らしい
私には分からないが
自分よりも相手が大切だと言い切れるその激情が
全てを焼き尽くすような愛の炎を持てる人間が
私にはちょっとうらやましかった
私と北風と粉雪は歌を歌った
それは喜びの歌
どうかたくさんの愛が芽生えますように
そしてたくさんの喜びの命が息づきますように
自然と人とが共に喜び生きれますように
やぁうれしいなぁ
楽しいなぁ
かつてたくさんの悲劇を見てきた私は
いい時代になったと喜んだ
私の死が近付いてきた
別に寿命なのではない
人間の作った機械の車が今私に迫ってきている
前から近くには天を突くような高い建物がひしめくようになってきていた
あれと同じものをここにも作る気なのだろう
人間よ
やはり私とお前たちが共に生きるのは難しいのか
お前たちが生きるのに我々が必要な場合もあろう
しかしこれが本当にそれなのか
生きていくのに真実に必要だったのか
それならもう私は何も言うまい
もう千年も生きた
私の役目は終わりなのだろう
大きな音と共に 私は根元から掘り起こされた
周囲の土と一緒に 私は瓦礫にまみれて端に寄せられた
車に乗せられ 焼かれるために運ばれた
生まれて初めて 自分が生えている場所以外の風景を見た
そして これが私の見る最後の風景だろう
思ったことはただひとつ
人間は この世界を何と異様に作り変えてしまったことか——
私は燃えた
メラメラと私の体に火が踊る
おやすみなさい
風は私を忘れてしまった
風は死んでしまった
私の木陰に小鳥が宿ることは二度とない
私の木陰で恋人たちが愛をささやくことは二度とない
私が歌を歌うことは二度とない
……今まで ありがとうね
ああ、お前たち
……泣かないで 私たちはいつまでもあなたと一緒
私の根元で餓死した娘
私の腕で首を吊った娘
やけどのせいで私の根元で眠るように死んだ少女
三人は私を優しく迎えてくれた
ああ
そうか
お前たちがいたな
私は寂しいことなんかなかったな
これからはお前たちと歌おう
地上のために
地の愛が冷えませんように
なくなりませんように
命のともし火が消えませんように
でも
今はただ ゆっくり寝かせておくれ
おやすみなさい
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