きーちゃんと颯太 ~値段と相応~
七幹一広
第1話
埃っぽく、肺で呼吸するのをためらうほどの汚れた店内の中。貴一と颯太は悩んでいた。
「きーちゃん、絶対これいいって!」
「いや、そりゃ俺だってわかってるよ」
貴一と颯太は、繁盛のしていない骨董屋の店内で、特売の掲げられたゲーム機を見ていた。二人はまだ小学生、遊びたい盛りである。
「俺もこの値段は安いと思う。箱も説明書もない素っ裸で傷だらけだが、5千円ていうのは破格だ。でもな、俺たち二人合わせていくら持ってる?」
「……二千、五百円」
「そうだな、この際お前が端数を飛ばしたのはどうでもいい。大事なのは持ち金だ。俺たちの所持金じゃ足りないんだ」
「でも、今中古でこの値段で売ってるお店なんてどこにも無いよ? 早く買わないと誰かに買われちゃうよ」
颯太の言いたいことは、貴一にはよくわかっていた。目の前のゲーム機が欲しい。こんなチャンスは二度とない。多分、この店のおばあさんも、ゲーム機の価値などわかってはいないと思う。傷だらけとはいえ、まだまだ最新の機種だ。だが、貴一は颯太と比べ、いくぶん世の中の仕組みがわかっていた。
いくら欲しい物があっても、お金が無ければ買えないのだ。世の中は金だとか、そういう大げさな話ではなく、お店にあるものはお金を払わないと持って帰れないということを、貴一はよく理解していた。
だが、颯太のこのうるむ目の意味も、貴一はよく理解していた。
「いくぞ」
「え? あ!」
利口な貴一は、颯太を説得することが無理だと悟って、それでも苦肉の策として、颯太の手を取って店内を出た。
「うー、欲しかったなぁ」
「なに、遊びなら他にも色々あるさ。お前、トランプ好きだろ?」
「あのトランプ傷が出てもうどのカードかわかっちゃってつまらないもん」
「そういうな、ローカルルールだよ。裏の裏をかけば、それも面白いさ」
苦しいいいわけをして、貴一はそのまま家に帰ろうとしていた。
しかし、そんな二人の前に、腰の曲がった、白髪の体調の悪そうな老人が道を塞いだ。
「な、なに?」
貴一は用心する。最近は物騒だ。
「お前さんら、口は堅いか?」
「え?」「んん?」
「さっき見とったで、あの箱ぎょうさん見とったな、欲しいんか?」
箱? 貴一は一瞬疑問に思ったが、すぐにゲーム機のことだと気づいた。
「そうだけど、何?」「おじいさん買ってくれるの!?」
不審がる貴一と対照に、颯太は既に心を開いていた。
「欲しいか、坊主? なら買ってやらんでもない」
「ええ、本当に!?」
食いつく颯太だったが、貴一がそれを手で止めた。
「馬鹿、変な人についていくなって先生に教わっただろ?」
「ついていってないじゃん」「話しててもダメだ」
二人は言い合いになったが、それを老人が大人の威厳で制す。
「まぁまぁ、わしは悪いもんじゃない。わしもあの骨董屋に欲しいものがあるんじゃ」
「欲しい物って?」
颯太が問う。
「虎の掛け軸じゃよ」
虎の掛け軸、そんなものあっただろうか。さらっと店内を見て、すぐゲーム機に目が止まったから、貴一は詳しくは見ていなかった。
「わしはもうずっとあの掛け軸に惚れておってな。どうしても自分のものにしたくてたまらん。坊主よ、あの掛け軸をもらってくることができたら、わしがあのようわからん機械のお金を出しちゃる」
ここで貴一は瞬時に判断した。
「じいさん、あんたやっぱり悪い人だろ、ゲーム機を買うお金が無いのに、虎の掛け軸なんて買えるわけないだろ。どうせ高いんだろ?」
「いやいや、わしは掛け軸を買えとは言っておらん。もらってきてくれと言ったんじゃ」
「は?」
まだ小学生の貴一には、その違いがわからなかった。買うことができないのに、もらうことができるのだろうか?
「いいか、あの骨董屋の店主のばあさん、あれはなかなかの変態じゃ」
「変態?」
颯太は純粋に反応していたが、貴一にとってはじいさんの方が変態に見えた。
なるべくこのじいさんに関わりたくないと貴一は思ったが、颯太がこの場を離れようとしなかった。
「あの骨董屋のばあさん、昔はホステスでブイブイ言わせたんじゃよ。ホステスがわからんか? 男相手に接客して金をもらう仕事じゃよ。でな、その頃からばあさん、美少年が大好きなんじゃよ」
この時点で、貴一の不審は確信に変わった。どうせいい話ではないと貴一は思った。
「でな、そのばあさん、年取って趣味も最終段階に来たようでな。今は美少年と話すことより、美少年の私物を集めることにご執心なんじゃよ」
「うげ~」
今まで興味津々で聞いていた颯太も、これには苦面が隠せなかった。当然、貴一の方も無意識ににがい顔をしていた。
「そこでじゃ、そのばあさんの大好きな、若くてかわいい美少年の私物を渡せば、虎の掛け軸なんてすぐ渡してもらえる。そうしたら、わしがあの機械を買ってやる」
「もういい」
たまらず貴一が手で制した。
「その美少年てのは颯太のことだろ?」「ええ!?」
颯太は驚いたが、貴一は構わず言葉を続けた。
「颯太の私物を渡せっていうわけだ。悪いけど、俺たち貧乏なんでね、渡せる私物なんてないよ。行こう、颯太」
そのまま颯太の手を取り、老人を通り越して帰ろうとした貴一だったが、老人が年寄りとは思えない俊敏さで道を譲ろうとしない。
「家に帰っても遊ぶものはあるのか?」
「大きなお世話だ」
「もう一人はそうは思っておらんようだぞ?」
「え?」
老人の言葉を信じるつもりはなかったが、貴一は颯太の方を振り向き、そして言葉に詰まった。
「……」
颯太は黙って俯いていた。その手は、ぎゅっと強く握られてる。
「お前、そんなにゲーム機が欲しいのか?」
「……だって」
「だって?」
「きーちゃんが帰ったら、いつも僕一人だもん。お母さんもお父さんもいない。いつも僕一人」
それは、確かにそうだった。颯太の家は共働きで、そして両親ともあまり家に帰ってこなかった。一人の時間は寂しく、そして、颯太も貴一も、まだ子供だった。
「悪い話ではないと思うぞ。お前さんら、どうせ機械を買ったら、他にも遊ぶために必要なものがあるんじゃろ? そふと? とか言ったか? そのお金も出してやろう。もしお前さんらが掛け軸をもらったとしても、換金できんじゃろう。だから、虎の掛け軸をもらってくれたら、わしが機械を買う金をやる。それに、恩人には礼を尽くすもんじゃ」
「ふん」
「決まりじゃな」
貴一は気にくわなかったが、彼らは今ゲーム機が欲しかった。お金以外の対価を差し出すことでゲーム機が手に入るなら、仕方ないと判断した。大人との隠れた商談である。
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