第5話 復讐冥利
「殺したかったんだ、本当にそれしか考えていなかったんだ。なあなんで死ぬんだお前は、何で生きているんだ、何よりなんで死ぬ事が出来るんだ」
ああそれさえ憎い、何をしていても憎くてならない。
何故怯えるのだろう、何故命を惜しむのだろう、ましてや何故その全てができるのだろうか。分からない、何一つ理解できないほど、アレは生きていた。なのに死ねるという不愉快さ加減、生きていても死んでいてもどうしようもなく殺したかった。
「何でそもそも私はお前を殺さなくてはいけないんだ。だが殺さなくては終わらない、何をしてもそれしか終わらせることが出来ない」
だがその殺すという事実が何より不愉快だった。
「だからその無様な敗北の証を処分させてもらおう。まずは達磨だ、その次は目でも抉るか」
苦悶のような歓喜のような、どうとも仕様のない言葉に、自分と言う人間が解体されていく恐怖を彼は感じて、咽喉から悲鳴を上げそうになるが途中で止まった。
ただ指が咽喉に一つ突き刺されただけだ、呼吸を途中で止められたのだろう。目を白く剥いて痙攣でもするように体を震わせた。
「喋るな、ただ殺しそうになる」
淡々とした言葉に、空洞で成る風の音が恐怖と言う返答を返した。
喋れば殺される、喋らなければ蹂躙される、ただまだ所為に執着のあった魔王は、最もしてはいけない選択を取ってしまったのだろう。ここで殺されていれば、絶望と伽を重ねる必要も無かったと言うのに、だが今はまだ死の方が恐ろしかったのだ。
義手や義足を、足で踏み砕き完全に行動をねじ伏せて薄く笑う祭儀は、頬を赤くして花の様な可憐ささえ感じさせる。だがそれは冬虫夏草のようなもの、死体を餌に花開く可憐な徒花にすぎない。
その咲き誇る価値など何の意味もない、その程度の花。
墓場に咲く彼岸の花のような魅力をそれは持っていた。死体に根をはり、それを養分として開くような代物。復讐とはそう言う代物でなくてはならない。
「そう怯えるな、間違い無く殺すが、どうあっても簡単には死ねないから」
手が目に這いより、眼球をこじ開けられる。途中で魔王の異眼を使われても厄介だったのだろう、祭の解いた眼帯を巻き強制的に力を封じられる、その上での絶望が目の前に襲い掛かっていた。
限界以上にこじ開けられた目は、瞼などの筋肉ごと捲れ上がり、視神経に繋がったままの球体状の眼球をあらわにした。
目の周りに血が溢れ窪みの様になった、部分に血がたまっていく。
「大丈夫だ、死ねないから。痛みでは絶対に死なせない」
だがそのショックだけで死ぬかもしれない、口をだらしなくあけたまま、咽喉の奥から唾液と共に、呼吸が零れだしている。
はぁ、はぁと、涙をこぼしてみるが、それ以上に世界の外気が彼の眼球を枯れさせようと風が吹き、容赦なくその目を殺そうとする。彼がここまでされて生きている理由は、目の前の魔神の所為に過ぎない。
彼女は痛覚を破壊してしまったのだ、本来こんな荒業千眼王だって出来やしない。
しかし彼女は復讐のためだけに、痛覚の破壊のみであるが行えるようになっていた。それも全て当代寒椿のお陰であるのだが、一度偶然とは言え掴んだこつを彼女はそのまま復讐に代用した。
「だから取り敢えず、お前の希望はねじ伏せてやる。例えばその真眼、たかがその程度の異眼で千眼王にでも成り代わるつもりだったのか分からないが、処分させてもらうぞ」
たとえ真眼であろうと、本来の目の機能である見るという事実を消すことは出来ない。
視界にしろなんにしろだが、人の目は自分を見ることだけは出来ないのだ。故に自分を対象にすることなど出来るはずもない、だからこそ彼の目に襲い掛かる魔神の手がなにをするのか嫌でも理解させられる。
ずるりと、視神経ごとかつての千眼王と呼ばれた物の異眼は抉り出された。
それを強引に手で引きちぎり、視界が消えうせる。眼帯で封じられた目は光を映すことも無く暗黒を引きずり出してしまう。
抉り出された目をあきれた様に、祭儀は引きずり出した眼球を、そのまま嫌がらせのように元の位置に眼球をねじ込み。
「自慢の真眼だ大事にしろ」
耳元で哂う様に呟く。
その一言だけで、恐怖が限界を超越する。最早自分はこうやって殺されるのだと、そう思った瞬間何もかもが恐怖で垂れ流れる。涙に鼻水、汗に涎、まだくわえてやるのなら股の辺りが濡れだした事位だろう。
それを優越に笑う、喜悦に歪む、盛大に狂う。
「大の男が恐怖で漏らすか、それが魔王の様か。傑作だなぁ、お前そうやって逃げたんだろう昔も、そう考える時様の種であんな娘が出来るのも至極当然の理由か。けどまあ、お前の血脈はもう要らないだろう」
濡れた股間に足を添える、そしてゆっくりと体重が押し込まれていく。痛みが無くても、それは恐ろしいなんていうものじゃないだろう、ゆっくりと育成で痛みも無く押しつぶされるかと思ったがそれほどの損傷は無かった。ただ恐怖だけが浮ぶだけだろう、痛みがないからこその心の恐怖だ。
だがそれも面倒になったのだろう、ただ一度本気で彼女は蹴り潰した。咽喉の奥から痛みではない絶望が放たれる、それは彼にとってある意味一番ちめいてきだったかもしれない。
高潔宣言を作り上げるほど自分の血統に自信を持っていた男だ。
自分の血の流れがたたれる絶望はいかほどだろうか、本来であれば痛みで絶命していた事さえ忘れている。祭儀は容赦なく股間を蹴りつけ、このまま生きていても切り落とす以外の選択肢を与えなかった。
その間に溢れた血と尿の異臭で、表情をゆがめてはいたが、それ以上の絶望と言う名の酒を飲む彼女は復讐に酔い。それ以上の歓喜を持って人体の殺戮を容認させた。
祭は母親のこんな姿を見たくなかっただろう。彼女も見せたくなかった、これはどちらもがこうなる事を知っていたからこその結論だ。
二人してどちらかが復讐でこうなる確信があったのだ。
理性が引き剥がされながら、獣のように殺戮を求める祭儀、ただ嗚咽をこぼすだけの魔王の姿は最早ただの生ゴミとでもいうべきだろう。
「こ、こ、ろして、くれ」
ついには彼はそう願ってしまう。もう生きている理由も見出せないのだろう、それともこれ以上の自分への殺戮をやめて欲しいと願っているのだろうか。
濁音のついたような悲鳴は壊れたレコードのように同じ言葉ばかりを連呼させる。殺してくれと言う、殺人への懇願だ。生きていることをやめてしまうような恐怖が既にそこにはあった。
舌でも噛み切れば生きることをやめる事もできるだろうが、そう言う思考を恐怖で一切合切奪われているのだろう。
「気にするな、いつでも死ねるからな。それにこのまま放置してもお前は死ぬだろう、だからさ、頑張って生き延びてくれ、殺してやるから生き残ってくれよ」
そういって最早肉だまにでもなっていそうな股間を完全に彼女は蹴りつぶした。
「殺したかったんだ、あとなんかいお前を殺せばこの感情は収まる。生きて生きて生き続けてくれ、何度でも殺してやるんだ、お願いだ」
「やめてくれ、もう謝る。殺気までの事を謝罪するから、許してください、もう、ゆるし」
靴が途中で口にねじ込まれそのままあごが外れるほどにねじ込まれた。同時に気管も詰まったのだろ、悶絶し体を激しく動かし始めた。
それでもう彼女の目は終わったものを見る目だった。感情の全てがまるで物を見るような目に変っていた。
「おい、お前なぁ。許すわけないだろう、ああ冷めた、まだ惨めに殺されるような態度を取っていれば殺しつくしてやったのに」
狂った衝動さえも消えうせたのか、何もかも元の祭儀のままだった。
彼女の背中を押し続けた感情は霧散していた。多分本当はそんなつもりもなかったのだろうが、許してくれなんていわれれば、激昂してもいいはずだというのに、一週回って冷めてしまった。
だったら、あとは死ねばいいだけだ。
「もういい、お前に何も望まないから死ね。達磨で今の醜態だ、もう死んでも後悔しないだろう、お前の望みどおりの結末だ喜べ」
顔色が変わっていく様さえ彼女はうっとうしくなってきていた。
早く死ねと言う祈りだろうか、だが悶えるにつれて靴は口から吐き出される。ふさがる事のない口はだらしなく揺れ、必死になって身悶えるようにして逃げようとするが、前の前の魔神から逃げられるはずも無く。
祭儀によって首を骨をへし折られて死亡する事になった。
そしてその終幕、あまりにあっけない仇の死に様に、何もかもが一瞬で静寂に満ちて、自然の声だけが響いていた。
「これで私の復讐はお仕舞いか。本当にどこの物語でも言われているように陳腐だよ、何も生まないし誰も救わない、あるのは空しさだけ」
ぼんやりと死体の前で立ち尽くす祭儀だが、祭の様子が気になったのかゆらりと歩き出す。
己が異眼を使ってすぐに居場所を見つけるが、祭の変調は凄まじく彼女ですら表情をしかめてしまうほどだ。もっと苦しめて殺すべきだったと反省してみるが、当然のように祭は苦しむだけだ。
「眼帯もあの通りだ、どうする、いっそ目を抉るか。いや結局何も変わらないそれでも」
対策など浮ぶはずもない。武力一辺倒な彼女が分かるはずもないのだ。
誰もがさじを投げた祭の症状だ。それでも彼女はいつの間にか走り出していた、口で冷静になっても自分の息子の異常な苦しみように、少しの焦りがあったのだろう。完全な隙が彼女にはあったのだ。
本来であればすることもないようなそんな隙が、だがそもそも人間が常に意識を張り詰めておく事など奇跡としか言えない。
そんな事を考えていた所為もあるのだろう、気が抜け彼女は人にぶつかった。
なにより復讐を遂げた虚無感などが重なっていたのもあるのだろう。
祭の姿を視認した時、彼女の気は完全に抜けていた。だが後悔しても何もかも遅い、全部は終わったのだ。
「あれ、ああ、ミスった」
その瞬間は誰もがあっけないと思うほど容易く起きる。それは祭の眼前だ、祭儀が地面に膝をついて倒れたのも。ただ一人の人間が彼女を横切っただけ、それ以外の変化は無かったはずなのに、彼女はその場で倒れた。
ただ倒れた体を見れば、心臓にナイフが突き刺されていた。確実にもう生きていないことだけは理解できる。
そして祭りに絶望の刃が突き刺さり、現実さえ切り裂いた悪夢が浮かび上がる。
それは世界でも有数の異眼使いが死んだ瞬間であり、祭にとっては、肉親の死んだ二度目の場面だった。そしてそれこそが祭儀と言う人間が積み重ねてきた業の代償、復讐者が復讐をされない謂れが無いのと同じものだ。復讐に狂っていた彼女は、復讐によって殺された。
「か、え、おふくろさん」
痛みさえ超越して眼前の光景に絶望の声が灯る。
だが生贄はなされた、彼はここで否応無しに目の本質を掴んでしまう。目と言うのは焦点を合わせずに、物を見ることは出来ない。つまり視点を定めずに、物を見ることなど出来るはずもないのだ。
眼前にいる彼は母親を見た。その心の本質にいたる全てを除き見てしまう。
まだ辛うじてあった意識の残滓が、自分が息子より先に死ぬことを喜んでいた。同時にこれから先息子を守れなくなったことに涙を流していた。
自分さえ知らない愛情を彼は与えられながら生きていたことを理解し、二度と手に入らないものを失った事を認識させられる。
今まだ押さえていた莫大な情報量の焦点を母親を見ることによって彼は、異眼の統御を成し遂げた。一つのものを見る為に他の情報を遮断したのだ。
だからこそ彼はその力の全てを使って彼女の遺言を見ようとする。始めて彼が自身で異眼を制御したのだ、だがその代償は大きく、彼の心自体をねじ伏せかねない代物だ。だが唯一つの覗く、彼の目は見ることを許される権限だ。
ルーデはその眼から血が涙のように流れだしたのを始めてみた。
祭がその異眼を開いた時、血の涙を流すという真実とも分からない噂が、事実であったと言う証明だろう。
これ以上は命の危険さあることをルーデでなくても理解は出来ていただろう。その力を抑えようと、目を閉じさせようとするが、それより早く彼女の両目を潰そうと伸びてきた。
「邪魔すんなよ、今しかないんだぞ。あの人の言葉の最後を見るのは」
どろりとした粘性の声は、まるで彼女の行動を阻むように、体を重くさせた。
まるで彼の母親のような、不条理染みた恐怖を声に纏っているようにさえ思わせる。なにより異眼使いの目を簡単に潰すような行為を彼が行なえるほどの力を持つというのが更にその感情を引き立たせた。
「だから邪魔すんなよ」
慟哭のように見ろ見ろと、叫び声をあげる。
悲鳴のように流れ出す。見ることの出来る彼だからこその決着だろう。ここで見なければ生涯を通じて、後悔だけをこの場に残すのだ、それは母親とて同じ事なのだろう。だが彼女はそれを信頼しているからこそ、死ぬその間際で笑顔を残したのだ。
そして彼はその最後の言葉を聞き届けた。
生きていて欲しいと言う、ただその漠然とした願いをその目に刻み嗚咽を、ようやくただの涙を流せた。
異眼を完全に開いていると言うのに、痛みさえなく彼は孤独を感じ、絶望を嘆き、最後の言葉を刻み付ける。
「頑張れって、諦めるなって、そりゃ難しすぎるってもんだろう。しかも当然のように俺が、願いを守るって、生きていて欲しいって、それでいいのかよ」
「同情と同時にざまーみろしか言えませんよ。仮にも父の敵ですよ」
「はっはっは、適当な軽口に惚れそうだよ。突き放すぐらいの方が俺は成長するのかもしれないな、なにしろなんだ、俺の母親は過保護だったっぽいしな」
泣いて、泣いて、伝う涙が、地面に零れてもどこか楽しそうな彼の姿。
だがルーデはそんな姿を見て、少々あきれたような様子だった。
「過保護なんてものじゃないでしょう。だだ甘です、今からはそんな甘さを持っては生きていけないですよ」
あんな過保護な親を見たこと無いと、軽口を叩く。だがそれに彼も賛同するように頷いた。
彼にとって母親ほど優しい人はいなかったし、あれほど厳しい人もいなかったと、だがその心の中にあるのは母の優しさと言う暖かさだけだった。
「分かってるさ、分かったさ、だが取り敢えずは眠らせてくれ。それぐらいいいだろう少し疲れた。悩むのも泣くのもそれで終わらせる」
「少しですむはずないでしょう。仮にも貴方は死に掛けたばかりですよ、眠りたければ眠ってください。その程度の護衛はしてあげます」
無条件に信頼されていた。父親の仇の息子は、いつでも殺してくれと言わんばかりに彼女の前で穏やかに眠っている。
別に彼女は父親の仇を討つつもりもない。アレだけ自分を子宮呼ばわりしたような人間をそもそも父親としてみるのは難しいだろう。それよりもこの軽いくせに、裏切るなんて信じない彼の信頼を受けて少し心地よい気分になって鼻歌でも歌いそうな気分になる。
だがそのまま眠らせるわけにも行かず、祭りを担ぐと彼の家に向けて歩き出す。病院でもいいと思ったが、どうにも寝ているだけだし、意識のある彼を見ていて何と無く眠らせるだけでいいと感じてしまった。
最もそのときに見た父親の死体に少しばかりやり過ぎだろうと言う、血の惨劇が広がっていて警察などが捜査をしていた。彼女達も呼び止められるが、纏坂の筆頭分家やシュヴァルツヴァルドの名家に一般権力がなにが出来るというわけでもない。国家権力に軽く喧嘩を売って、家の中に入っていく、最早近所づきあいは壊滅的になってしまった事だろう。
ようやく彼を寝床に置くと、ルーデはふと思い出したように呟く。
「そういえば、関係ないですが別にほれてもらっても構いませんよ千眼王、だって貴方は十二分に私の夫になる程度の素質を持っていますから」
彼女とて見識の王の力を見て、それを嫌がるわけもない。名家における恋愛など、血統が優れているか優れていないかぐらいのものである。
優秀な種を生みそうな存在からそんな事を言われてまんざらでもないのはしょうがない。そう言う教育を受け続けてきたのだから、無残に殺された父親の死体を見ても湧き上がらない復讐の感情に、酷く彼女は楽しげな感情を抱いた。
もしかすると強情な男が、涙を流し泣き言を言ったのが、彼女の母性本能でもくすぐったのかも知れない。
そんな自分の乙女らしさに酷く滑稽な、それまでの光景。死体が二つに悪夢のような馬鹿らしさ、釣り橋効果もここまでくれば、一大喜劇にでもなってくれるだろう。
だがそんな状況にあっても、そのまま死体を放置するわけにも行かないので、彼女は異端狩りに連絡して死体の回収を頼んでおいた。
「まぁ、あの人が私に惚れる事自体ありえない話ですけど」
こんな状況でする恋愛話にロマンもへったくれもありはしないが、その状況が楽しいのか鼻歌交じりに雑務を彼女はこなしていった。
血なまぐさい男女間の関係、どこのハリウッドの映画だと笑いそうにもなりそうだ。だが映画と違ってハッピーエンドは程遠い、何もかもまだ始まってさえいない。その証明は彼女が眠った跡に消え去った彼の姿と破壊された家の姿を見たときに明らかになる。
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