第4話 復讐楽土

 あの日に祭と祭儀は狂った。

 何気なく遊びに出た神社で起きたあまりにも悲劇的な話。彼の妹である奉が、彼女の娘である奉が、その日を境に彼らの視界から消え去ったのだ。だがこの時だろう、未だに両眼使いでありながら千里眼を開眼させることも出来ずに暴走させていた祭が、その眼帯を剥ぎ取ったのも、そのまま寿命を燃やし尽くすように荒れ狂ったのも、全てこの日を境としていた。

 ただその千里眼がなにを出来るのか誰も分かりはしない。


 ただ見るだけならこれほどの目はないだろう。人の心のうちすらすかして見せる事も、だがそれが攻撃に関してなら最強クラスの魔王や、他の上位異眼使いを皆殺しにできる理由にはなりはしない。

 それを眼前で見たものは、犬と妹だけなのだろうが、片方は口を閉ざし姿を見せず、もう片方はいまや墓の下にいるのだ。


「また覗きでもするかね」


 そして最後の一人は本人だが、実は彼はそのときの記憶を失っていた。

 何せ寿命がつきかねないほどの過負荷だ、脳に障害が一つや二つ残らない方が不思議と言えば不思議なのだ。そんな彼はまた無駄に異眼の力を使おうとするが、目が真っ赤に充血してなんか変な迫力のある少女の視線が険悪なものに変わっていくのを理解して冗談だと呟く。

 母親は苛立ちを感じながらもルーデがいることを許すが、彼女ほうが母親にトラウマを植え付けられた所為で、会うのが怖いと彼の部屋から出るのを嫌がったりしてまた一騒動起きてしまうのだが、尻拭いは結局祭がすべてやる事となった。


 そんなストレスもあったからだろう、八つ当たりにまた誰かに迷惑をかけてやろうと企んだのだが、なんか目の前の美人さんの鋭い視線は、そんな気持ちさえ萎えさせ始めていた。


「仮にも千眼王候補がなにを馬鹿なことをほざいているんですか」

「おい、こっちは寿命がもう少しで尽きるんだぞ、それぐらいの事、許してくれてもいいだろう」

「寿命が尽きるからこそ綺麗に生きようと考えればいいだけです」


 だがそんな綺麗な生き方が出来る性格をしていない祭は、彼女がいるからこそ魔王を探す事が出来ないでいたりする。

 仮にも父親を殺されれば、目の前の少女が泣くのではないかと言う、ただそれだけの理由でしり込みしているのだ。最もそれは彼にとって重大な理由であり彼女にとっては、父親なんて死んでもどうでもいいと、いう感じではあるのだが、そこは日本人らしく介入していいところか悩んでしまうのだ。


 不用意に纏坂の兄のところに行けば、母親同様トラウマを植え付けられるのは間違いない。あそこにいる春樹もまた、自分の妹を殺されたと言う理由で王帝眼を開眼させたような激情家だ。奉の死はいろんな所でいろんな影響を人々に与えていた、実際その影響を少なからず受けているのは実はルーデも一緒だ。

 最もこれ以上ライバルを作るのも彼にとっては好ましくない為に、最初から本家と言う選択肢は消しているのだが。

 

「じゃあ響のところにも出いくか、いやあいつはお前の事が好きなはずもないし」

「構いません、護衛ですから何を言われても我慢が」

「そう言う事を言ってるんじゃない、お前はここをどこだと思ってる。お前はここでは狩りの標的に過ぎない、誰一人お前を狙わないものはいないし、狙われる理由も抱えている、お前達シュバルツバルドの魔王は、纏坂と言う国家に常に命を狙われているんだ。こっちの我慢が聞かないんだよ、特に一乃坂と纏坂はな」


 彼女は本来日本に来るべき存在ではなかったのだ、だが異端狩りの試験としては相応なものでもある。

 最も難易度的には千眼王が行なうクラスの試験だろうが、自分に与えられた私権の悲惨さ加減に彼女は眩暈がした。秀麗な造詣が崩れる様に、少々彼女に冷たさから人間味を感じるが、それは彼にとって復讐の重みにしかならない。


 泣かれるのもいや、彼女だろうがなんだろうが殺されるのもいや、結局手元においておく以外の選択肢はないくせに、それは彼にとっての重しとなってどうしようもない。


「これなら千里眼で未来でも見とけば良かった、けど使うとおふくろさんが怒るし面倒だな」

「両眼使いと言うのはそこまで脳に障害を与えるものなんですか」

「さあ、千里眼限定かもしれない。一応は原初異眼における階梯第一位だぞ、始まりの異眼とまで言われてるぐらいだ、見ると言う限定の能力なら誰にも負けやしない。その情報量が脳の処理を上回るどころかパンクさせる様を送り込まれりゃ死ぬな」


 あまり気にした様子を見せない祭に、少々彼女は驚いていた。

 だがその疑問を口に出すのは流石に憚られた。死ぬのが怖くないのですかなんて聞けるはずもない、人にとってはそれは鬼門だし、何より自分の寿命を知るという感覚を彼女が共有できるわけもない。


 しかし彼女のそんな疑問を察知したのか、祭は少しばかり穏やかな表情を作り柔らかく笑った。


「怖いぞそりゃ、笑えるぐらい怖くて忘れる事に必死になって、結局忘れられなくて、そんな事をしてたら、忘れる事に必死になってて、死ぬことを忘れるんだよ」

「本末転倒のような、と言うか私は別に聞きたくありません」

「よく言うよ、見識の千眼王に嘘は聞かない。覚えておけよ、と言うか分かりやす過ぎ、隠すならもう少し隠せよ。ただそんな感じになるさ、少なくとも今は生きてるから余計にな」


 実際忘れられるものじゃないはずなのに、そういえばそうだったと言う事実を時々思い出すだけだった。

 死ぬことが恐ろしくないのかどうか自分さえ分からないのだ、どれだけその事実を知ったとしても予兆も何もないのだ。時間が沸かないせいもあるのだろう。時折襲い来る、激しい頭の痛みだけがその事実を突きつけるが、実感と言う実感を彼は感じる事が出来なかった。


「だがそれでも死ぬんだろうな、その日を知っている。これから三年後の九月十三日三時五十二分、それが俺の寿命の尽きる日だ」


 誰もが知っていることだと軽く告げる。

 その日見識の千眼王は息絶えるのだと、実はかなりの機密のはずなのだが、彼は誰にでも教えるし偽る事はない。そうやって周りに知られることによって、自分の恐怖心を自尊心て覆い隠しているのかもしれない。


 その明確な死亡日時を告げられ、あまり気分が良くないのは周りのほうだが、まだ生きていく奴らなのだからそれぐらい許して欲しいのだろう。

 ちょっとした彼の嫌がらせなのかもしれないが、悪辣すぎるジョークではある。


「怖くないじゃないくて、実感がわかないの。けどそれなら私のほうが早く死ぬのかもしれないわね、異端狩りに入れば命を賭けなくては生きていけない、結局変わらないのかしら」

「知るかよ」


 彼女の言葉に彼はぶっきらぼうに答えた。

 自分と同世代から、悲劇に酔うなとでもいわれたような気がしたのだろう。彼だって両眼の千里眼を持っている以外、他の人間同様に時間と言う存在から殺される事は変わりない事実なのだ。

 無自覚とは言え、自分も同じようなものだという言葉に、自分の生き汚さを感じたのかもしれない。


 どこかで自分を悲劇のヒロイン扱いでもしていたと思うと、自分が無様に見えてならなくなって。恥ずかしくてルーデの顔さえまともに見れなくなるが、表情を変えずにできるだけ必死の対応をしていた。今までの自分の対応があまりにも滑稽に見えてしまう、それこそ格好の悪いドンキーホーテと同じだ。


「ああ、自分で自爆してシリアスを台無しとかどんなバカだよ俺は」

「今さっきからずっとシリアスか空気が流れていたと思いますけど、マツリとしては全ったようですね。どういう思考回路しているのか疑問ですよ」


 自己嫌悪のあまり顔から火が出そうだが、実際彼女の一言で彼は何気に救われていた。

 何しろ目の前の少女の前で死を取り繕う必要はないのだ、見えている死と見えていない死の恐ろしさ差は、きっと誰にも分からない。もしかしたら彼より先にルーデは死ぬ可能性さえある、マツリが救わなければ既に母親によって抹消されていたのは間違いない話だ。

 至近にあった死の恐怖に怯え続けたルーデ、本来であるなら祭の正しい姿だったのかもしれない。


 けれど彼の姿は、どうみても死の恐怖に怯えるものの姿ではなかった。


「多分だけどな、俺もやっぱり一乃坂の人間だからなんだろうな」

「意味が分かりませんね、と言うか殺気から自分の思考に埋もれて私の話し聞いていないでしょう」

「悪い悪い、結構おまえのことどうでもいいから無視してた」


 不機嫌そうに頬を膨らませてみせる、ただ怒りを我慢しているだけだろうが元がいいと、こう言う事をしても絵になると、少々彼は感心した。

 だがすぐに冷たいような、幼いような表情をして彼をのぞき見るようにして、視線を合わせる。


「それでどういう意味なんです、一乃坂と言うのはどういうものなんでしょうか」

「気にする事はないんだけどな、単純だよ。死に怯える姿がない理由を考えてたらそれで決着できただけだ」

「どういうことか本当に理解が出来なくなってきましたよ。説明も出来ない馬鹿なんですかあなたは」


 そりゃそうだと頭をかいて見せるが、反省したそぶりは一切見せない。

 彼は悪いと思っていないし、説明不足も仕方ない。何しろそう言うものなんだと納得させるしかないのだ。


「そう言うなよ、一乃坂だからなんだよ。いやあの母親の息子だからでもいいかもしれない、たった一人を殺すまでそんな事を考えていられないんだよ、どういう顔で死んでくれるか考えるだけで、心が躍るそんな相手がいるんだよ」


 何より本当のことを言えば、今の彼女のような顔になる事は明々白々だった。

 純粋なまでに突き詰めたものは何でも美しくなる、だがその美しさは恐怖にひきつけられる代物で、触れてはいけない代物なのかもしれないのだ。崩れかけたルーデの表情を鼻歌交じりに見せる。


 これが一乃坂だった。純粋なまでの激情家、一つの事しか考えられない愚か者達。

 だからこそ慈悲があったのだろう、しかしこれが結局の末路だ。敵にした者に対してどうあっても同情しか抱かせない、そんな暴力を漂わせる存在。彼女は目の前で彼の執着を見ていたはずだが、母親と同じくこの激情振りには心胆を凍えさせてしまう事だろう。

 眼帯を通しても分かる怒りに染まった視線は、ほとほとろくでも相手を父親が敵にしたことを告げているのだ。


「ですが貴方はどうやって父に勝つつもりです。その見識の千眼王といわれる由縁は、そこにあるのでしょうが本当に父が殺せるのですか」

「ああ、殺せないわけないだろう。眼帯を外さなくても殺す、生きているから殺すんだ」

「返り討ちにあうということは考えないんですか、仮にも私達の異眼は破壊力における最強の一角であると言われているんですが」

「異眼使いだって力量がある、お前の父親はただ強い力を持った劣等感の塊だろう。最もそれが弱いことと関係はない事だって知ってるけどな、それでもやらなくちゃいけないんだよ俺が」


 娘の前で堂々と父親を殺すことを断言する祭、複雑な心境だろうとルーデだが、もうすでに父親の寿命は尽きたものと諦めつつあった。

 彼女に祭儀を殺すことは出来ない、確実に返り討ちにあって殺されるのがオチだ。それだけの恐怖を既に刻み付けられているのだろう、本当に哀れな事である。自分にさえ勝てない父親が、あの魔神を倒す事が出来るわけがないそう言う確信が既にあった。


「生きてることが、許せないなら殺す以外の選択肢を俺はもってないからな。それ以外の生きがいを、もう俺はもてないでいるんだよ、お袋さんも俺も。それが呼吸をするほど当たり前で、大切なものだと感じている」


 それはまるで当たり前のことのようだと、相手を思い、相手を乞い、相手を願う、ただ純粋に復讐を。

 彼らが違うのは、それが自分のエゴから来るものだと、理解している事ぐらいだろう。ただそれゆえにより苛烈で、醜悪なものへと感情と意思は変わってしまう。理解してなお自分からそうなろうとするのだ、そこに穢れが産み出されないはずがない。


「そんなんだから一乃坂の人間なんだよ。昔から馬鹿みたいに愚直に一つの事しかできない馬鹿、視野狭窄もいいところな異眼使いなんだよ」

「家風と言うんですかそれは、遺伝子にまで刻まれた愚直差なんて聞いた事ありませんよ」

「だがそんな人間ばかりが生まれてきたんだよ、この家からは何人も何人も当たり前のように、つまりはそんな駄目人間ばかりが生まれる家系なんだろう。お前ら名家が支配する器として存在するように、俺達は愚直にしか生きる事が出来ないようになってるっていう話だ」


 だが一度動き始めたその愚直な存在は、二度と動きをやめることはないといっていた。

 一乃坂はあまり歴史上に現れることのない家柄だ。彼らが歴史に現れた場面なんて極僅か、そもそも彼らと敵対して生きて帰ったものなどいないのだ。その殺戮の全てが本家から言われた事でもなく、ただ感情が動いた末のものである事からも一乃坂の愚直と言うか直情的な思考が分かるだろう。


 おろかなほど自分の感情に真っ直ぐに生きていくことしか出来ない。

 彼はそう言う人間達の中で生まれて育ってきたのだ、必然的にそう言う正確になっていくのも仕方のないことなのだろう。


「傍迷惑と言うんですそれは」

「けどそう言う生き方しか出来ない人間もいるし、実は結構こういう生き方が気に入っているんだよ。少なくとも自分に偽る事だけは絶対しないからな」

「それで人殺しに心血注ぐんのでは、笑い話にもなりませんよ」


 違いない、だがそれでもやめられない物もある。いいわけじみた言葉しかでそうに無くて彼は口を塞ぐ、先ほどから彼女に言う言葉が心に刺さってくるが、それはきっと第三者から見た客観的な視線なのだろう。

 冷静になおかつ客観的に、感情を配したところでみえるからこそ、その言葉は真理をついて心を抉る。


「そりゃそうだ笑い話にするつもりは一切ない」


 しかしこれは主観的な話だった。

 やらなければ生きていけない、そのためだけに生きていくことに成る。彼にとってその決意は既に出来てしまっている、エゴをエゴで押し通しその命の断片さえも消し去り、目的を成し遂げようと言う盲目さが育ってしまった。

 薄らぼんやりとした表情の陰りさえも、所詮命を奪う事を願い続ける獣の証左に過ぎないのだろう。


「酷く最低な理論です。最低すぎて、もう止めようがないことしか分かりませんよ」

「そりゃそうだ。復讐ってのはそう言う代物でなくてはならないんだ」

「ただ自分に自制が聞かないだけの癖に、いちいち上げ足を取って言う必要のある言葉ですか」


 酷く深いそうな視線を彼に突き刺す。

 祭と話すに連れて彼女自身も、遠慮が無くなっていっているが、どうにも彼女の思考に父親が入ることがない。既に死ぬものとして彼女は扱っているからなのだろう、どうあってもあの母親に父親が敵う事がないと言うことも、何らかの理由で目の前の青年に勝つことが出来ない事も感じていた。


 彼女の攻めるような言葉に、祭も痛いところを突かれたと困ったような仕草を見せる。


「けどさ、それ以外に俺って生きていく意味があるのか」


 そして途方にくれたような言葉を紡ぐ。


「それこそ自分で見つけてください。生きていくのは貴方の自由、死ぬことも自由でしょう、ただ復讐を逃げの代償にしているようにしか聞こえませんよ」

「酷いな、全く辛辣極まりない。けど逃げの代償では絶対にない、それだけは否定させてもらう。俺があいつを殺したいのは俺のためだ、それだけは誰にもやらない、人殺しの理由を死者にすることだけは絶対にない」

「成るほどそれは失礼しました。貴方はそこだけは譲らないんですね、いっそ死者の所為にすればまだ心も晴れると言うのに」


 変に意固地な護衛対象に少々の飽きれを感じるが、この強情さが無ければ名家に匹敵する異眼使いを生み出す事ができないのだろうと、勝手な納得を彼女はしてしまう。

 と言うよりそう言う存在でなければ既に名家になっているのだろうと、変な納得をしてしまう。


「不器用と言うか道化と言うか」

「それなら間違い無く道化だよ。道化以外こんな三文芝居を観客に見せるはずもないだろう」

「自虐まで混ぜてなに自己憐憫にでも浸るつもりですか、復讐だけ考えて復讐に死ねばいいだけじゃないですかそれなら」


 先ほどの自虐を今更言い当てられたようで、逃げ出したくなった。

 出来るだけ表情を変えないようにしてみるが、強張った自分の顔の筋肉が思うように動いてくれずに、酷い表情に変わってしまう。奇妙奇天烈な祭の表情に、ルーデは驚き目を丸くしてしまった。


「なんですかマツリ、いきなり顔面神経痛と言う奴ですか」

「違う、気にするな、気にしないでお願いだから。世の中で過去の自分を、殴り飛ばしたくてならない時が、あるって事に過ぎないだけだから」

「理解不能ですよ、復讐に狂っていたと思ったら過去の自分ってどういう理論展開ですか」

「ああ強いて言うなら超展開でいいじゃないか」


 重い空気が一瞬で霧散する。元々祭は名前と同じような性格の人物だ、一度馬鹿をやり始めると止まらなくなる。

 そう言う意味では話をそらせてかなり有難かったのかも知れない。その所為で一転して辺りが騒がしくなったり、また近所に迷惑をかけて頭を下げたりといいところは無かったのだが、そんな絞まらないところも復讐者としての彼を薄れさせる原因だろう。


 だからこそ先ほどまでの狂ったような、執着にどうしてもルーデは疑問を抱いてしまうのだ。


 この執着を生きることに使っていたのなら、彼は死ぬことさえなかったんじゃないのだろうかと。だがそういった思考は全て潰えるものである、絶望的な現実がある以上それを塗り替えることはそうやすやすと変えることの出来る現実ではない。

 どういう理論にせよ、彼が死ぬことだけは塗り替えられない事だけは、千里眼と言う名の目を持つ彼自身そして何より、ルーデもその力を知るが故に代えようのない事実と言う事をいやと言うほど刻み付けられている。


 どうあってもこの道化芝居を続ける彼は、その幕が下りるまで踊り続ける運命なのだろうが。

 しかしそんな二人の馬鹿な演技を見るものもいた。少し老けてはいるが、年は五十の中ごろと言ったところだろうか、日本人の離れした外見とやけにガチャガチャとした金属音を響かせている男がいた。

 口には無精に伸ばされた髭が蓄えられ、目からは黒と紫の燐光を放っている。


「娘は王の妾にでもなったか。それはいいが、あちらが復讐とは道理に反するのではないか」


 ただその男はゆったりと歩いてくるだけだ。路上で馬鹿をやっている二人の前で止まるが、まだ彼らが気付く事はない。

 その平穏のなかにさえ、一つの波紋が浮びそれが世界に伝播するように伝わった。あふれ出し異眼の燐光と視界の掌握が、一応は原初の異眼使いである彼らには肌で感じ取れたのだろう。いっせいに男の方向に臨戦態勢のままに振り向いた。


 だがそれ以上に彼ら自身に警戒を抱かせたのは、その裂帛たる怒気だった。温厚な紳士のような表情が一転して、獣のような激しい感情がそのまま表情に名って表れていた。そしてその感情を全て叩きつけるように、狼の咆哮は放たれる。


「部下を殺したのも、私を嬲り者にしたのも、全てがすべて貴様の妹であろうが一乃坂祭」


 その男こそ高潔宣言初代盟主であり、ルーデの父親であるシュヴァルツバルドの魔王フローズヴィトニルであった。

 吐き出された怒りと共に、重力が彼らのいた場所をねじ伏せる。マイクロブラックホールと言う奴だろうか、その場所を根こそぎ削り取る黒点が、祭の身長ほどの球体を作りアスファルトを噛み砕いた。


 だが祭にしても、ルーデにしても殆ど反射的にその場から離脱している。祭の千里眼は封じてなお未来視じみた行為が切るのもあるだろうし。ルーデははっきり言って父親以上の異眼使いでもある。だがその心胆を寒くさせる問答無用の破壊力は、間違い無く人間であるなら容赦なく命を奪える代物であるのは確定だ。

 元々の身体能力の高くない祭は、避けると言うよりは転がってに、その場から逃げ出すと言う感じだった。しかしそれ以上に三度目となる魔王の異眼の力を見て、どうしようもないほどの喜びと、疑問が湧き上がらずにいられなかった。


「どういうことだよ、何でそこで奉が出てくる。お前らが殺したくせに」

「何を言っている、貴様が殺したんだろう。狂って我らを虐殺したあの一乃坂奉を、仮にも真実を見通す千里眼を持つお前が何故そんな当たり前の事実を曇らせる」


 あまりにも常識からずれたあり得ない一言を、妹の仇が口から吐き出していたのだ。

 確かに祭はあの時の事を一切覚えていない、だからこそ一人その場所で現実を見据えた男の言葉に、その心と土台を破壊されそうになるのだろう。だが同様にルーデもまた動揺していた。


「貴様が殺したではないか、いとも容易く心臓を貫いて。忘れないぞ千眼王、お前のその眼の力を」

「ふざけるなおれが奉を殺すはずがないだろう。兄妹だぞ、家族なんだぞ、何より俺はあいつの為にこの眼帯を解いたんだぞ」

「何を言う、アレほど見事に貴様は妹を殺して見せたではないか」


 祭りはどうしても動揺が隠せない、妹を殺したのが自分と言われても否定できないのだ。

 その記憶は無く、相手も嘘を言っているようには見えない、ただ彼の精神状態が一瞬にして不安定になる。殺せばいいだけだったはずの存在から、自分が妹を殺した存在だと告げられたのだ、今まで彼のと言う人間を支えた復習と言うが根幹が崩れてしまう。


 恐慌一歩手前まで追い込まれる。先ほどまでの頑強なまでの精神力が一瞬で消えうせていた。

 これに驚いたのはルーデだっただろう。何しろいままでの彼の行為は全て偽りには見えず、実際それを実行するだけの意思もあったのだ。だが本来の彼であれば、この父の言葉など一切受け入れる事は無かったはずなのに、実際思考にさえ支障をきたしている。つまり祭にはそれを受け入れるだけの理由があるということなのである。


「父よいくらなんでも嘘を言いすぎでしょう」

「戯け、王の正妻面をして何をやっている。貴様は魔王を異眼を孕む子宮に過ぎん、何より私は嘘などついていない。この男が自分の妹を殺したのは事実だ。復讐だとその見当違いな思考、流石の私でも寛大で済ませる理由にならん」

「ですが私が護衛で、マツリを殺せると本気で思っているのですか」


 心外そうな物言いだ。実際彼女は魔王の後継者として鍛えられた経歴もある、何より父親と違い異眼使いとしての才能が極めて高い。

 千眼王や祭の母親や王者の春斗といった例外中の例外を除けば彼女は間違い無く、世界でも有数の異眼使いの一人であるのは間違いないのだ。彼女にはその自負もあるし、それだけの能力もある。


「しかしそれはお前が二目の異眼使いだからだろう。こちらもな、化け物に殺される時に嫌でも開眼したのだよ。死の淵からの覚醒は、開眼の条件としては比較的ポピュラーだろう娘」

「ですが異眼使いとしてもわたしのほうが上なのは貴方も認めるところでしょう」

「まて、俺の質問に答えろ犬。何で俺が奉を殺す必要がある、訳の分からんドイツ語でいわれてもこっちは理解も出来ないんだよ」


 しかし返答は極めて簡単なものだ。極少の重力球が雨のように彼に降り注ぐ、それでも千里眼が安全地帯を発見し、どうにか回避していた。

 だが彼の頭痛は激しくなり、眼帯をせずとも頭に掛かる不可は尋常なものではなくなっていく。この行為そのものが彼の寿命を縮める結果になるが、ここで死ぬよりはマシだろう。何より彼はその事実を知らなくてはならなかった。


 頭を押さえながら、荒い息を吐く。

 ただ眼前の仇であるはずの男に、何かしらの真実でも見出しているのかもしれない。現実が分からなくなって、思考さえも歪む、彼の千里眼が偽りを偽りと認識しないのだ。その男の言葉はまるで事実であると、酷い頭痛の中で認識させられつつある。


「認識障害の異眼ですかそれは、だがあの千里眼相手にそんなことが出来るはずもないのに」

「不可能に決まっているだろう。見識の至高の目とさえ呼ばれる千里眼にそのようなこと、ただ言っている事は全て事実だ。聖女としての役割を果たす前に、化け物へとアレは変貌した。言っても馬鹿な話だろう、我らはたかが十代そこらの子供に虐殺され尽くしたのだよ。高潔宣言と言う存在がだ」


 そんな口論さえも彼は何を言っているのか理解できない。自分だけが蚊帳の外で、ふざけた事実だけを認識していく、言っている言葉が分からなくても、彼の目がそれを認識していくのだ。あいまいながら言っている事が頭に刻み付けられ、それが不愉快なほどに事実であると言っている。

 もどかしい感情に駆られ、必死に眼帯を剥ぎ取ろうともがくが、手順を踏まなければ流石にこの眼帯はがれないようになっている。そもそもが行為の異眼能力者の拘束や能力を操りきれないものが使う代物であるが為に、そう言うセキュリティーがされてあるのだ。


 祭はそんなことは知っていると言うのに、焦る感情が眼帯の基本的な扱いさえ忘れさせていた。

 現実が崩壊していく様に彼は耐え切れなかった。復讐と言うそれだけを支えに生きてきたのだ、それが狂えばどうしようもないほどに彼は壊れてしまう。母親のように壊れてもなお立ち上がるだけの力は彼にはなく、それほどまでに強い精神をもてるほどに成熟などしてはいない。


 ただそれだけを支えにしているに過ぎない。


 立ち上がれなくなるのだ、ここで全てが事実であると納得してしまえば。それだけはいやだった、そんな事実を彼は認めてはいけない、その足掻きさえも無駄になるような重力干渉が彼の行動を苛む。

 必死になって回避しながら、眼帯を取り外そうと足掻くが、目を開いても閉ざされるような痛みが、彼を押しつぶしてゆく。力を使おうと足掻いている所為だ、そもそも力の行使だけで彼の脳はダメージを負う。


「しかし惨めな異眼だ、人の限界以上の能力を持ったが故に使う事すら間々ならないとは」


 憐憫の視線さえ感じる。激痛のあまり立つことさえできず、地べたを転がりながら逃げ続ける彼の姿は、惨め以外の言葉で表現する事も難しいだろう。

 だが彼が今見たいのは過去だった。未来視同様に過去視は、相当の過負荷を持って使用する異眼である。未来視の異眼の持ち主達は総じて短命である事からも分かる事だろう。ましてや祭の異眼はそれらの異眼さえ上回る、使う為にはその痛みを御する必要さえあるのだ。


 本来の祭であれば、その程度のことどうにか出来たかもしれないが、冷酷なほど冷静にもなれずにこの異眼を使えば、使う事すらままならないまま死に絶える事だってありえることを彼は知っているはずなのだ。


「だが過去は見えないだろう。貴様はその部分だけは、封印しただろうどんな事があっても開かないように、貴様自身がその異眼を使って」


 なんとも嬉しそうに笑うのだろうか。

 彼もまた祭の事が憎くてならないのだろう。祭儀がルーデを殺そうとしたように、彼は祭を恨んでいるだけだ。まったくもって巡る因果と堂々巡り。

 だが力と意思の伴わない復讐など諸刃どころがただの自爆である。


 必死になって漆黒の球体から逃れるが、そのたびに彼の頭は酷く痛み回避する事すらできなくなってゆく。そうやって惨めに逃げ続ける彼の姿を見て、酷く仇である男は楽しげな笑みを作っていた。じわじわと抉られていく体の痛みより、頭を苛む激痛が酷く何が起きているのかもわからない。

 ただ必死の力を絞り出して、命を伸ばし続けている。


 ルーデも彼を助けようとするのだが、この彼女の父親が開眼した異眼は、


「最強の真眼ですか。貴方如きがその異眼を開眼するとは、どう考えても理不尽でしょう」


 と言う。原初異眼第二階梯 真眼 、千眼王の名を始めて得たものが、持っていた異眼であり世界最強の異眼の一つであるのは間違いない。その能力は知られていなかったが、簡単に言えば視界操作である。故に不用意な能力使用を行なえば彼女攻撃さえ祭に当たってしまう、浄眼とは違った意味の異眼殺しの魔眼なのだ。

 後天的とは言えこの異眼を発現させるものは、初代をおいて他にはいない。それをになう事のできたフローズトヴィトニルは、実際それだけの意思を持っていたのだろう、死に際の発言だたった一つの意思が純粋に願われても仕方のないことなのだ。


「それだけの死を潜ったと言う事だ。あの場所にいて生きたいと願わないものはいない、そしてこの目のお陰で私は生きていけた、なにより才能では及ばぬ娘さえも超越した。全てあの時のおかげであり、アレの所為で私は破滅したのだ」


 ゆっくりと祭に近寄る男は、彼の前に立つと容赦なく腕を踏みつけた。

 未だに激痛に悶える彼の腕が異音と共にありえない方向へと曲がる。しかしそれでも頭の痛みの方が凄まじいのか、その場で頭を抑え続けていた。嗚咽のような声が響き意識すら危ういほどのレベルにまで脳に負担がかかっているのだろう。

 痙攣のよう体を悶えさせながら祭りは動く事すらできずにいた。


「だからこの程度の復讐許されるだろう」


 だがそんな事を気にする事も無く次ぎは足をへし折られる。死体を甚振るようなさまにルーデは無力さを感じて涙が出そうになった。日本に来て以来自分のプライドと言うプライドがへし折られ続けている所為もあるだろう。これでも世界有数の異眼使いの一人であったはずなのにだ。


「凄まじいなその異眼は、持ち主を食いつぶすつもりか。折れた腕よりも酷い生命危機を自分の能力から感じさせるとは、全くどうやって私の勝つつもりだったんだこの俗物は」


 だがそんな事を喋りながら面白い趣向でも思いついたように、彼は眼帯を外し始めた。

 封印している段階でこの程度の状況なのだ、さぞかし狂った症状に陥る事は明白だ。ルーデも能力さえつかえればどうにかなるだろうが、目の前の父親の真眼ばかりはどうあっても対抗できない。

 かといって素手で戦うには体格が違いすぎる、何よりそちらの経験では明らかに父親の方が上だ。


 異眼使いとしての能力が低かったからこその技術であったが、間違い無く一番の力をこの場面で持つものはフローズトヴィトニルである。なにより異眼使いに対して無類の力を発揮する真眼は、持つだけで他人を上回る力を誇る。千眼王でさえ多少の苦戦は仕方ない代物だ、視界操作の異眼はだからこそ厄介な代物である。

 それが力が強いものであればあるほど、厄介な代物になるのだからろくでもない代物なのだ。


「最も私もこの真眼が惨めな私の代償だ。憎くてならない全ての感情がここに詰まっている、願ってしまったさ化け物から逃げたいと、あの視線に晒されたくないと、結果がこれだ真眼なんていう伝説の代物」

「俗物、俗物と思っていましたが、そういえばそうですねそのありえない矜持がなければ、高潔宣言など言う戯けた組織を作る事もないはずですから」

「だからこそここで私は、その過去をねじ伏せる。どけ子宮、いまのお前では優れた子を孕む価値しかない」


 結局この場で力を持たないことが、全て悪い祭であろうと誰であろうと、いまこの場に力を持たないのならそれは罪で以外ないのだ。

 解かれていく眼帯に、一層の悲鳴が響き渡る。解かれていく帯のような代物は、その長さによって封印の力を強める代物だが、祭のそれは年に一回だけ解かれより長い物へと変えられていっていた。


 そうやって封印を強めていった所為もあるが、解くまでに結構な時間が掛かる。

 大体二十メートル近い長さがあるのだが、結構複雑な縛り方をしている。それを面倒くさそうにフローズトヴィトニルは解いてゆく。引きちぎってもいいのだが、そうすれば手順を踏んで結んでいるこの封印を強制的に解放する事になり、行き場のない力が暴走してしまうこともある。

 そう言う痛い思いをしたくないのだろう。彼は小胆が故に用心深い性格をしているだけだ、なにより見識の王である彼の力の余波など考えるだけ無粋すぎる。


「全く持ってこの程度の人間を私は復讐の対象にするなど、本当に狭い人間だがそれでも心が躍ってしまう。苦しんでくれ、お願いだもっと苦しめ、貴様の妹の代償を全部貴様が払ってくれ、じゃないと私が喜べないだろう」


 それはまるで祭の願いであり、祭儀の願い、復讐と言う存在の象徴のような代物。

 見るもの全てが醜悪に移るだろう、だがそれがその言葉の実質であり真理、そして同様に個人にしか分からない、感情の言葉だ。


 いまから起こるであろう悪夢の様な祭の悲鳴は、その感情を持ってしまった人間の代償であり権利だ。

 なにをどうしようと逃れられない痛みが、頭から浮き上がってくる。それはナユタの様に膨大で清浄の様に細緻な代物、まるでどこぞの御伽噺でも語って聞かせるような代物だ。


 だが悲鳴は響かない、一瞬で死んでしまいそうな情報が脳を駆け巡る。

 それを完全に処理するだけの脳が彼にはない、ただ感じる痛みが苦しみに変わり、狂気への要因と変わっても何も自己を見据える異眼が狂うことすら許さない。あらゆる物を見るが故に、その持ち主である個を一番最初に見据えてしまう。

 彼はその苦痛を払おうと必死になっていた、過去を覗こうとしたはずなのに、その感情さえ忘れるほど、痛みは想像を絶した。


 しかし、自己を見据えてしまう。

 つまりは自分の刺した一つの楔をどうしても思い出してしまう。痛みで狂う前にその現実が彼を殺そうとする。


 どれだけ視線をそらしてもそこに行き着いてしまう。理由と言う柱が折れてもなお、結果を彼は求めてしまう。

 どこまで言っても結局そこが終着点だった。過去、未来と問わず。


 祭は復讐だけを請い願い、それしか望めず死んでしまうのだ。


「あ、うぅ、あえ、いいぃぃああ」


 のどの奥から出る言葉はただの嗚咽、それとも吐き出せなかった悲鳴かもしれない。

 変化は別にそれだけじゃなかった、どこからか視線を感じるようなる、ただどこからか全く分からない。視線と言う視線がどこからか突き刺さる。


 見るだけ、ただそれだけだと言うのに、その重圧は凄まじいものだった。

 一つ二つじゃない、千と万さらには億、兆、いや数えるのすら馬鹿らしいほどの視線があふれ出す。それが祭が千眼王と呼ばれた理由でもあった、本来であればここまでの能力の暴走はありえない。

 だが三年の間に封じられた彼の力は最早遮断に近く、本来の異眼使いなら来るっても仕方ないレベルの封印だ。適当に本人は外したりしていたようだが、それは異眼の力を絞っての事、今回のように過去視を行なおうと力を制限もなしに使えば、今まで累積されていた異眼の力がそのまま溢れてしまう。


 決壊したダムの様に、無差別な蹂躙が行なわれても仕方のないことだ。


 だがどこまで言ってもそれは見るだけの代物だ。千眼王のように攻撃が出来る代物ではない、それにただ見るという力が暴走していまの状況になっているだけに過ぎない。


「籠目か、千眼王と呼ばれるだけの理由はあるのだな。だがアレでお仕舞いだな後は能力に押しつぶされる」


 つまらぬ事だと今更復讐のむなしさに気付いてみるが、終末はそこまで近くによっている。

 祭の能力に今更ながら戦闘能力があるとは誰も思ってはいない、ただその莫大な情報量で潰れるのが関の山と言うのが、先ほどまでの彼の崩壊を見る者の事実なのだろう。実際それで間違っていないし、それゆえに彼は短命であるのだ。


 だが一つの事実を彼は忘れている。

 一つの靴音が鳴り響いた。それはゆっくりとした歩みながら、その威圧感たるは今いる世界全てを滅ぼしそうですらあった。


「おい、お前うちの息子になに舐めた真似してくれてる」


 鬼さえ滅ぼす、異眼使いの最悪の一人が現れる。

 戦歴を挙げるだけで殺戮の歴史を紐解き、発展させたような殺戮鬼、高潔宣言において最大の敵の一人であり。名前も知られないくせに、一目見るだけのその存在を敵とした自分の愚かさを気づかされるような感情がこみ上げる。


「しかしまぁ、祭がこんなことになってなければ気付かなかった私も私だ。まあ取り敢えずなんだが、死ぬかお前等」


 ただの一睨みで視界ごと全てを破壊した。

 重力などと馬鹿なことを言えるレベルではない、視界操作を丸まる破壊して自分の視界を押し付けた。世界ごと破壊したような空虚感がその場に残り、ルーデごと皆殺しにしようとした、祭儀の攻撃はその場を支配するのに何の理由も必要なかった。


 確かに千眼王なら多少は苦戦するだろう。所詮多少である、視界操作は確かに厄介ではあるが、ここに存在するは眼はその類に及ばない。

 視界の操作如き破壊すればいい、何もかもを蹂躙して破滅させて抹消させればいい。その目は前を向き歩む事をやめないものたちの異眼、あらゆる障害をねじ伏せ、ひたすらに前を向き続ける象徴だ。


「っとまぁ、おいそこの阿婆擦れ。祭との約束だった、殺さないからさっさと祭を抱えて逃げろ、これからはあいつの嫌いな殺戮を始めるからな」


 嬉しそうに笑う、ゆらゆらと陽炎のように表情がゆがみ、それが伝播するように視界の破壊へと繋がって行く。

 復讐の華美なる味に囚われた中毒者が、その感情に飲まれていく姿があった。しかしだ同時に彼女はそれでも母親だった、まだ意識のない祭をルーデが抱え挙げると、とたんに大きな声を上げる。


「追い阿婆擦れ、祭にこう伝えておけ。あんたが奉を殺したかなんてのは、問題じゃないんだってね。間違い無くあんたは殺してないし、殺したとしてもそれは奉の願いに過ぎない、あんたは感情で殺戮するような私とは全く違うんだって。伝えときな、この程度のことで潰れるような息子はあたしの息子じゃないとね」


 だからこその事実と優しさがあった。

 ただ息子の為にと優しさがあった、同時に厳しさも感じたが、それは祭に対してだけでそれ以外は全て例外だった。そこにいるのは鬼を殺すような鬼、あらゆる幻想を打ち捨てた先に存在する神々しいばかりの殺戮の象徴だ。


「分かりました、無理だとは思いますが、殺戮のご自重を」


 そしてルーデもまた殺されそうになっておきながら、それでも父親の赦免を願ってみる。彼女にとってはどこまで言っても肉親だ殺されて欲しいほどは憎んでいない。

 同時にそれが無理な事も彼女は理解していた。

 首が振られる事も何もない、結果など分かっていながら、それでも言葉をつむいで見ただけ。せめて人としての形を保たせるぐらいの慈悲を彼女は期待したが、それすら許されないのだろう。


 重力を視界で弄くり、彼女は宙を舞う。実はこんな事出来る異眼使いは、魔王の名家であっても二十四代にわたって続く名家であっても彼女だけなのだが、周りが例外すぎてあまりに凄いように思えない。

 つまりは今からの戦いはそう言うものになると言う事なのだ、未だに感じる視線に、それ以上に傲慢に襲う殺戮と言う名の復讐の意思が押しつぶされつつある事も理解していた。


 子供二人がその場から立ち去る頃、魔王は一人怯えていた。

 その前から恐怖は感じていた、だがそれとは別種だ。完全に二人の気配が消えたところでその変貌は起きたのだ。


「長かったな、今までいつ殺しに行こうかと思っていたが、餌が着てくれるとなってからの時間はとてつもなく長かったぞ」


 ああ本当に、全く、なんと長かった事だろうか。

 ポツリと呟く言葉が、あらゆる論理を超越して復讐の題目を掲げる演技を始める。


「ああ、なんて長かったんだ。本当に長くて、長くて気が狂うところだった」


 大仰な身振り手振りで、まるでその時間を味わいつくすように、その感情を表現しつくす。

 たった一人の観客は、役者の演技に飲まれたように、うちからわきあがる恐怖に目をそらす事も出来ず、その演目を見させられ続ける。役者の腕がいいのか、脚本がいいのかは一目瞭然、全て役者の力だ。

 三流芝居の三流脚本の陳腐な展開の尽くを覆す役者の力だ。


「こんな感情、祭り達が生まれたとき以来だ。そう言う意味では貴様に感謝してやろう犬」


 それは恋愛映画の一幕、もしかするとアクション映画の一幕、それとも青春映画の一幕だろうか。

 評論家たちはこぞって否定するかもしれない、しかしその実質はパニックホラーに過ぎない。怯える人間と追いかける化け物、捕まれば最後の鬼ごっこ、今は最初の犠牲者の一幕だ。

 つまりは絶対に死ぬ役者が今いると言うだけだ。


「本当に長かった、長くて長くて、こんな感情を抱いたまま生活するのは祭がいなければどうにもならなかった」


 本当に、本当に、何度も長かったと彼女は言う。


「まさに乞い願うとはこのこと、ようやくだ本当に長かった」


 今、自分の切り札中の切り札であった真眼が、この女に対して無力だと言う事を刻み付けられた。

 そして何より天威の破眼の力を知っている。山ごと自分の精鋭を皆殺しにするような女に、名家とは言え魔王の異眼では分が悪いにも程がある。彼は異眼使いとしての才能は二流どまりに過ぎない、視界操作の効かない異眼使い一流どころか、本来であれば新たな名家の宗家となりえるような開祖クラスの人間を相手取る事など出来るはずもない。

 彼には自覚がある、自分は娘にさえ劣る異眼使いであると言う確証が、劣等感に苛まれてきた男だからこそある。


 それは時として強みにもなった、敵の油断も誘えるし、深追いする事も考えずにすむから、しかし今は絶望を教える事実でしかない。


「お前はどうかわからないが、長かったよ」


 その感情の全てを吐き出すように表情が歪んでゆく。彼女にとってそれが、最も今相応しい表情だったのだろう。

 咽喉からさえ水分を吐き出される、一瞬にして干上がる咽喉に空洞のような空気の動きが、その恐怖を教えている。鬼さえ殺す女は、ここに来て起こりえる全ての感情を表情に刻み付ける。

 まだ、用件さえ伝えず、ただ自分の感情を朗々と語る。


 相手の言葉も風で動く木の葉の音程度にしか感じていないのだろう。つまりはただの音、興味も無ければ意識もしない。


「そして今日と言うこの良き日が訪れた。しかもだ、しかも、私の全てを奪おうとしたな、なんて優しいやつだ」


 ただ感情を押し付ける、目的はもう目の前にいる。

 理性など剥ぎ取り、感情だけで動く権利を彼女は与えられた。最早何もかもが殺戮の要因になる。


「殺したかったんだ、本当に殺したかった、息をしていたから許せなかった、目を開いているから許せなかった、男だから許せなかった、瞬きするから、思考するから、異眼を持っているから、私の視界に入っているから、入っていないから、生きているから、眠るから、髪が肌が骨が脳が内臓があることが、笑うから、恐怖するから、泣くから、生きると言う行為を行ない続けるから、許せなかった。家族がいることも、祭を憎んでいる事も、私達に恨まれている事も、全部、全部が許せなかった」


 これはただの言いがかりである。

 ただ許せないのだ、何をしていてもなにをしなくても、今ここにこの魔王と言う男が存在している全ての理由と行動を祭儀は認めるつもりは無かった。

 歪む、表情がここに来て完全に狂いつくす。こんなの息子に見せるわけにはいかない、だからこそ彼女はルーデを使って、せめて祭には肉眼だけでも自分の姿を見て欲しくなかった。


「だから嬉しい、凄く嬉しいぞ、この日の為に生きてきて、この日お前が生きていない事を憎み始めることになっても」


 最早止まらない、その言葉を口にしたくて、したくて、それを押し留めて感情を溜める結論をゆっくりと咀嚼しながら口を開く。

 まるでハロウィンのジャックオランタンの様な、相手を小馬鹿にしたような笑顔、だがその奥に明け透けと見える感情は、殺意と言う代物で、そこから出る言葉などただ一つであった。


 ただの一つの意見のように、満面の花が咲き誇り、反対意見は首ごと落ちてしまいそうな彼岸の花のような。



「ただ、私はお前を殺したかった」



 人間と言う名の憎悪の全てを篭めた感情だった。

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