高校一年生の夏休み、僕は芥川龍之介に出会った

西田彩花

第1話

 閉塞感。

 今の僕を表すのに、ぴったりだと思う。


 高校一年生の夏休み。ワクワクと期待しながら入学した。中学生の頃、いわゆる”ぼっち”だった僕。陽キャに憧れながら、隠キャを貫いた3年間だった。高校デビュー…するはずだった。


 母の言いなりだったダサい髪型は卒業。制服も少しだけ着崩してみた。メガネはコンタクトに変えた。一番迷ったのは部活だ。どう考えても文化系が向いているのだけど、陽キャになりたいなら体育会系…。キツすぎるのは嫌だけど、黄色い声援を浴びて彼女も作りたい。そんな理由で選んだのが、テニス部だった。爽やかでカッコいいイメージが強かったのだ。


 だけど、テニス部も十二分にキツかった。そりゃそうだ。僕が舐めていただけだ。夏休みの合宿とやらの通知で音を上げて、部活はサボり気味に。実質帰宅部に近い状態だ。


 カッコいいスマッシュを決めてキャーキャー言われる僕を想像すると、なんだか虚しくなる。


 勉強は相変わらずパッとしない。中の中、まさに平凡。僕ほど平凡な人間がいるのだろうかと思うほど。平凡な人間には、陽キャは向いていないのかもしれない。


 高校一年生の夏休みって、初恋なんかも期待していた。だけど、そんな気配は全くない。可愛い女の子、クラスにもいるんだけどなぁ。僕に見向きもしない。


 手詰まりだ。華やかな高校デビューをするにしては、失敗しすぎた。妄想と現実は、やっぱり違うんだなぁと、まざまざと思い知らされる。


 夏休みが1週間経った頃だ。1人でフラッと外出した。それ自体はそんなに珍しいことではない。”ぼっち”行動にも慣れているんだ。散歩がてら飯を食って、電気量販店で暇を潰す。そして、コンビニでお菓子を買って帰る。いつもの行動パターンだ。


 その日は、いつもとは違った道を歩いてみた。普段は大通りを歩くのだが、裏道に入ってみた。なんとなく、だ。そんな気分だったのだ。


 その道は、古い一軒家が多かった。野良猫がやけに多く、一匹一匹が僕を見ているようだった。古びたブランコがある公園には、人っ子一人いなかった。夏休みだというのに、近所の子どもたちはどう過ごしているのだろう。この辺りに子どもは住んでいないのか。


 …ふと目に入った看板。”ミカゲ書房”。色褪せた赤に白抜きの看板。月日を感じるけれど、一軒家が並ぶ中では目を引いた。フラッとその中に入ってみる。店主らしき人は、こちらを見もせずレジで本を読んでいる。客は僕1人か。ぐるっと一回りしたら、出てしまおう。


 なんだか堅苦しい本が並んでいた。普段読書をしないので、気圧される感覚が…。文豪というのだろうか、昔活躍したのであろう作家の本がたくさんあった。


「お兄ちゃん」


 突然、本当に突然、店主らしき人が声を出した。僕は驚いて振り向いた。


「堅苦しく感じるかもしれないがね、こういう偉い人たちも、みーんな人生に迷っていたんだよ。閉塞感を覚えながら、執筆を続けていた作家もいるだろうね。一見近寄りがたいけど、読んでみると自分と同じなんだって、そう思えるんだよ」


 この人は僕のことを知っているのだろうか…。と、一瞬思ったが、内容はよく分からなかった。押し売りされているわけではないんだろうけど、ちょっと気まずさを感じ、目の前にあった本を手に取りレジに行った。


「芥川龍之介ね…。この本だったら、『河童』を読んでみな。教科書の中の人が、身近に感じるはずだから。彼の代表作だ。河童の世界を通して、人間社会への疑問を投げかけているんだよ。教科書の中の偉い人も、悩んでいたんだ」


 店主はそう言いながらレジを打ち、本を袋に入れた。手渡された袋を受け取り、お辞儀して店を出た。


 帰宅しても相変わらず暇だ。宿題は山ほどあるけど、時間も山ほどある。読書する機会なんて滅多にないしと、さっきの本を手に取る。ううん、やっぱり堅いイメージだ。


 店主が言っていた『河童』のページを開く。その時、今までに感じたことがないような感覚が襲ってきた。僕は主人公になりきっているようだった。主人公の厭世観が、嫌というほど伝わってきた。


 主人公は河童の世界に迷い込む。河童の世界は、人間社会とは全く違った社会が出来上がっている。人間世界の”普通”は河童社会の”普通ではない”し、河童社会の”普通”は人間社会の”普通ではない”。違った社会を通して、人間社会への疑問を浮き彫りにしていた。


 河童の社会では、子どもが生まれるかどうかを選択できる。両親の都合だけで生むのは身勝手だからだ。

 悪い遺伝子を撲滅するため、健全な遺伝子を持った河童は不健全な遺伝子の河童と結婚するよう呼びかけている。

 大量に解雇された河童は、安楽死させられる。だからストライキも起こらない。

 親だった河童が子どものために犯罪を犯しても、その子どもが死んだら親ではなくなるので罪に問われない。


 人間社会の”普通”が、”普通ではない”のかもしれないと思った。僕の思っている”普通”は、なんなんだろう。


−阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じている。

−自己を弁護することは他人を弁護するよりも困難である。

−もし理性に始終するとすれば、我々は当然我々自身の存在を否定しなければならぬ。


 こうした文が列挙してあった。僕は周りを”阿呆”だと思っているのかもしれない。自己弁護が難しいから、周りが”阿呆”だという結論で片付けているのかもしれない。それは自分含めた人間を肯定しているからであり、ほとんど感情だけで動いているのかもしれない。自分が理性的だと思いたいだけで。


 堅苦しい印象だった文豪が、身近に思えた。


 僕が隠キャであることを嫌い、高校デビューできなかったことに拗ね、失敗したといじけていた。開き直ったつもりで”ぼっち”行動を続けていたが、陽キャへの憧れは捨て切れなかった。


 だけど、それは自分を守りたかっただけなのではないか。隠キャでも陽キャでも、どちらでも構わない。僕は僕だ。開き直ったフリをしていても、きっとしんどいだけだ。いや、本当はしんどかった。自分は”阿呆”だし、自分は自分なんだと認めてあげないと。そう思った。


 自分らしく生きる。簡単に言うけれど、それは容易なことではない。自分らしさを、自分ですら認められないのだから。まずは自分を受け入れ、認めることから始めてみようと思った。


 『河童』は決して明るい話ではなかったけれど、自分を見つめ直すための一種の扉になったような気がする。教科書の中の偉い人も、すごく悩んでいたんだ。僕が悩んでいるのも、当然なんだ。


 当たり前のことが見えた気がした。あの店主にお礼を言おう。そう思って外に出たけれど、あの店は見当たらなかった。


 古い一軒家はたくさんあったし、人っ子一人いない公園には、古びたブランコが揺れていた。だけど、”ミカゲ書房”の看板だけは見つからない。色褪せた赤に白抜きの看板。今日行った店は、幻だったのか。だけど今、芥川龍之介の本を握りしめている。この本は、確かに僕の手の中にある。


 僕は、本を握りしめたまま帰路に就いた。ふと思い立って、途中で公園に入ってみた。誰もいない公園で、ブランコに乗ってみる。しばらく乗っていないと、ブランコの漕ぎ方すら忘れてしまうんだな。幼い頃のように上手く漕げていない気がした。ブランコで楽しく遊んでいた時が、僕らしかったのだろうか。


 高校一年生の夏休み、期待はしていた。だけど、閉塞感に襲われていた。自分自身と自分自身が持つ憧れと、その乖離に悩んでいたのかもしれない。


 ブランコに揺られながら、ぼんやりと自分らしさを考えた。自分らしさって、なんだろう。それを教えてくれた店が幻だったとしても、僕自身は幻じゃない。だから、自分らしさを問い続けてみようと思う。その先に、自分らしく生きる道が見えてくるのかもしれない。


 …なんだか夏風が心地よかった。


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『河童』芥川龍之介

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