イフとセカイ

郁崎有空

イフとセカイ

 生徒の秩序が少しだけ無秩序に変わる、とある休み時間。

 

 二人の少女が、ノートを挟んでひとつの机に向き合う。髪をヘアゴムでふたつに縛った片方の少女イフがシャーペンで文章を書き綴り、もう片方の赤いヘアバンドを着けたショートヘアの少女セカイはそれをぼうっと眺める。


「それでイフちゃん、交換小説ってなにすればいいの?」


「簡単よ。一日の間に、適当な量で適当なことを書いたら渡す。たったこれだけでいいの」


 言ってからイフは少し考えて、それからシャーペンの尻でびしりとセカイを指す。


 セカイは不意を突かれて小さくのけぞった。


「もちろん、ある程度のルールは用意するけどね。まず、主役はあたしとセカイの二人で固定。もうひとつは、それぞれがそれぞれの視点で書くこと。これさえ守れば、あとはなにしてもOKだから」


「え、そんなのでいいの?」


「……セカイ、あんたなにする気?」


「だからその……それさえ守れば、わたしやイフちゃんが殺されたり、世界が滅亡したりしても大丈夫なのかなって……」


「怖っ……まあいいわ。その代わり、もしそっちがそんなことをやったら、こっちもそれなりのことを仕返すからね。やるんなら、そこんとこ覚悟して」


 ため息をつきながらシャーペンの尻を押して、執筆の方に戻る。セカイが興味津々でこちらを覗き、逆さの文字をどうにか読もうとする。


 イフはセカイのぴょこぴょこ動く髪を少し鬱陶しく感じ、忙しない頭をそっと左手で押し返した。


「集中できないでしょ。完成するまで待ってなさいよ」


「だって、イフちゃんがわたしたちを主役になにを書くのか気になるじゃん!」


「どうせある程度書いたら渡すんだし、わざわざいま見なくてもいいでしょ」


「そうだけどさー……」


 ごねるようにイフの左手にすがるセカイに、かすかにため息をつく。


 イフは左手からセカイの手を振りほどき、自分の椅子を机半分ほど窓側に寄せると、セカイに向けて手を招くようにする。


「ほら。こっち来たら読めるでしょ?」


「いいの?」


「どうせ後々読まれるしね。書いてる間に邪魔しないなら、別に読んでてもいいから」


「……うん。ありがと」


 セカイが椅子ごと向かい側に移り、机のもう半分の空白を埋める。イフは机の端で少し狭そうに執筆しながら、熱っぽい顔に平静を装わせることにも努めていた。



*IF・WORLD:IF*



 寒空の下、あたしは彼女と手を繋ぎ、少しだけ背が高く胸の大きな彼女の手を引く。


 その手は白樺の小枝のように白くしなやかで、折れたり砕けたりしないように大事に取り扱う。


 赤いヘアバンドが特徴的のセカイは、あたしの恋人だ。


 この世界のいわゆる人間という種には「女性」しか存在しない。そしてもちろん、他の生物のように交尾などしない。


 古来より「血の交わり」と呼ばれる生殖行為は、一定量の二人以上の血を「生命の門」と呼ばれる規定された魔法陣に捧げて行われる。二人以上ということは、三人でも四人でもそれ以上でも可能ということになる。


 しかし、近い血縁同士だったりあまりに人数が多すぎると、障害児が生まれやすく、せいぜい三、四人が限界らしい。


 それは言い換えれば、「それぞれの了承さえ得られれば三角関係や四角関係といったものは障害ではなくなる」ということ。


 だけどあたしは、セカイと二人で交わりたい。他の誰かとセカイを共有したくない。


 あたしとセカイが二人だけで築いた証が欲しい。


 もちろん、いま未成年同士のあたしたちは、生命の門の形成を禁止されている。大人になって自立してからでなければ、決して難しくない方法で生まれゆくひとつの生命に対しての責任が取れないからだ。


 そして、生命の門の形成無しでも行える血の交わりは、やり方ひとつ間違えれば命に関わるものであり、本来気軽にやっていいものじゃない。しかし、あたしたち人間は、思春期とともに、交わりへの欲望を抱えることになる。


 セカイの手の感触に、どこか身体がうずいている。いますぐにでも刃で彼女のしなやかな腕に傷をつけて、同じ刃で傷つけられて、白いベッドシーツの上を二人の赤い鮮血で汚したいと感じてしまっている。


 そんな性衝動に振り払うようにかぶりを振っていると、セカイが隣に並んでこちらを見る。


「どうしたの?」


「あ……ううん、なんでもない」


「なんかあるなら、気軽に言ってね。わたしたち、恋人なんだからさ」


「……うん」


 恋人だからこそ、ためらわれてしまう。


 たとえ正しいやり方だったとして、生命の門でもない時に安易に血の交わりを行うということは、彼女の綺麗な腕を必要以上に穢すということだ。


 彼女の綺麗な細腕に惹かれたから。だからこそ、それを簡単に傷つけたくない。綺麗なままの彼女と、生命の門を二人の血で濡らしたい。


 ブレザーの胸ポケットに入った、殺菌消毒して小袋に密封されている「交わりの刃」を空いた指で撫でる。


 他の友達の何人かは、魔法陣のない交わりで初めてを卒業した。だけど、あたしは彼女に血の交わりのことをいまだ言い出せずにいる。


 彼女は優しいから、言えばすぐにでもしてくれるのだと思う。だからあたしは、絶対に口にしたくない。


 同時に、彼女のほうがどう思っているのかを先に知りたい。


 あたしは、彼女が血の交わりについてどう思っているか、そんな言葉を待っている。わたしから言い出したら、きっとセカイは裏腹なことを言いそうだから。


「ねえ、セカイ」


「なに?」


「近く、寄っていい?」


「いいよ」


 セカイの少し背の高い身体に、そっともたれかかる。冷えた身体が、どこか暖かくなる。




 とめどないシャワーの温かい雨を頭から浴びる。


 下ろした髪からシャンプーの泡が流れ落ち、排水口へと流れていく。


 シャワーを止めて、今度はボディソープを泡立てたタオルで、見下ろした先の右脇腹の古傷をなぞる。少しだけ、くすぐったい。


 小学生の頃、図工の時間にセカイが彫刻刀を提げて走っていたところ、椅子に蹴つまづいてあたしの脇腹を切ったことがある。その時は別に恋人関係でもなかったし、別に仲良くもなく、他人同士でしかなかった。


 当時、セカイはいっぱい謝ってくれたけど、幼いあたしはあまりに許せなくてしばらく怒って口を利かなかった。


 正直、あの時は死ぬかと思った。ドラマで刃物に刺された人は、大体死ぬものだと思っていたからだ。


 それでも、一ヶ月経ってもセカイは精一杯謝ってくれた。結局こちらが押し負ける形で和解して、その日からなんやかんやあって、あたしたちは親友同士になった。


 中学生に上がり、たまたま性描写の過激な小説を読んでいて、血の交わりについて知った。そして、セカイとのあの始まりは運命だったのだと感じた。


 それから、あたしは少ししてセカイに告白して、セカイはなんてことのない顔で「いいよ」と言ってくれた。いま思えば、それは過去の償いの延長でしかないのかもしれないけれど、それでもその時はとても嬉しかった。


 いわゆるただの下心で告白したのに、いざ血の交わりの話をしようとすると、あの時のことが思い出される。お風呂に入る時に、嫌でも体感させられる。


 もしかしたら、セカイみずからは血の交わりなんか望んでいないのかもしれない。あたしの肌に刃で傷を入れることを、自分で許してくれないのかもしれない。


 彼女の優しさに触れるたびに、それを体感させられる。


 それでも、あたしの身体は刃を求めている。今度は彼女自身の愛をもって、その身を傷つけてほしい。


 もしセカイが交わりの刃で肌を傷つけてくれるなら、こっちも自信を持って彼女の肌を傷つけられるだろうか。


 そうできるほどに彼女のことを知れたなら、彼女を傷つけることもいとわなくなれるだろうか。


 シャワーのツマミをひねる。


 身体に沿ったお湯のシャワーが、泡を巻き込み流れていく。


 身体が火照っているのは、シャワーのせいか、考えていることのせいか。


 どちらにしても。


 セカイの冷たい手と刃がこの肌を撫でるのを、あたしは待ち望んでいた。



*IF・WORLD:WORLD*



 次の日の朝、わたしがイフと登校していると、近くの森でなにかが爆発するのを聞いた。


 ちゅどーん。


セカイ「爆発!?」


イフ「まさか……宇宙人!」


 イフは確信して走り、わたしもそれについていく。


 ダダダダダダダダ。


 森の道なき道を駆け抜けて、その先へ。


 しばらく走ったその先にあったのは、なんと円盤型の宇宙船。こんなステレオタイプなものがこの時代にあっていいのかってくらい、膨らみすぎたどら焼きみたいな見た目をしている。


イフ「やはりね。まさかもう来てたとはね……」


セカイ「なにが!?」


イフ「ルナ帝国軍騎士団長、ツキノ=ワグマ!」


 うぃーん。


 宇宙船の横の部分の扉が自動で開いて、中からドライアイスみたいなものがモクモクと出てくる。


 それをかき分けるように、中から金魚鉢を逆さにしたような頭と中華鍋みたいな甲冑を着た人間が出てきた。性別はわかんない。


ワグマ「我はルナ帝国騎士団長、ツキノ=ワグマ!」


 どうやら本当にそうだったらしい。地球人の常識で考えるなら、少し高めの声から推測しておそらく女性だ。


 わたしはあまりの非現実っぷりにドン引きし、とりあえず友好の証に右手を差し伸べた。


 宇宙人とのファーストコンタクトは大体こうやっておけばいい気がする。根拠はない。


セカイ「は、ハロー……」


イフ「セカイ、駄目!」


 ワグマのガントレットから月のように白いビームソードが突出。わたしの腕をすとんとたやすく切断した。


 わたしは一瞬状況が分からず、切断面から血を滴らせている腕を確かめた。


 視覚も痛覚も紛れもなく、それが現実であることをあらわしている。


セカイ「う、うわあああぁぁぁ!」


 わたしがショックで倒れていたよそで、ワグマがイフの前に歩み寄る。


ワグマ「すまないな、下民。これが我の下民に対する挨拶なんだ」


イフ「ワグマ、あなた……!」


ワグマ「さあ帰ろう、ルナ帝国王女カグヤ=イフ」


 イフは鞄からカッターナイフを取り出し、小さくなにかを唱える。途端、キラキラとした粒子とともに、光の刃がそこに伸びる。


イフ「帰るわけないでしょう!」


ワグマ「なぜです! こんな、人と人との血を滴らせて子供を作るテラの下民に付き合う義理はないでしょう! このままでは、イフ様の魂までもが下民に堕してしまう!」


 そんなシリアスな話が交わされるなかで、わたしは痛いなーと思った。


セカイ「あのー、切られたとこめっちゃ痛いのですが……」


 イフはわたしに気づいて、左手を右腕に向ける。腕はみるみるうちに再生し、あっという間に元通りになった。


 なんかよくわからないけど、ルナ帝国のテクノロジーってすごい。


イフ「この人は……セカイは、わたしの恋人です! あたしの大事な人で、あなたはその人を傷つけた!」


ワグマ「ルナの人間は皆、不老不死のはずです! だから生殖のための恋人もいらないし、下民の嗜むような恋心もいらないはず!」


イフ「違います。生殖のためなんかじゃありません。ただ同じ時のなかで同じ景色を、同じ感情を共有したい。それも、命の限りまで。セカイとは、そういう関係です」


ワグマ「それだけなら、ルナでも体験できるではありませんか!」


イフ「だけど、ルナにはセカイはいない! それに……」


 ふいに、イフがこちらを一瞬だけ見て、顔を赤らめて戻す。理由はよく分からない。


 それを見たワグマは右腕のビームソードを震わせて、それから振り上げる。


ワグマ「イフ様……あなたはテラに堕ちて変わってしまわれた……せめて我が、この責任を果たさねば!」


 剣と剣、光り輝く得物同士がぶつかり合う。


 ちゅいいぃぃぃぃん!


 ちゅいん! ちゅいん! ちゅいいぃん!


 なんかすごい火花が散る。わたしは距離を置いて、呆然と見ることしか出来なかった。


セカイ「うわー、やば。人間の感じていい非現実ラインを超えている」


ワグマ「大体、この方のどこがいいのです? ただのアホではありませんか!」


セカイ「アホって!」


イフ「確かにアホだよ……だけど!」


 イフのビームソードが、なんかいい具合に繊細な動きで、ガントレットの射出機構を斬り飛ばす。


 ワグマのビームソードが消えて、丸腰のまま首に剣を突きつけられる。


イフ「あたしの勝ちです」


ワグマ「グッ――」


イフ「あなたのとっては、あたしにふさわしくないただの下民なのかもしれません。ですが、あたしにとっては、あなたを殺してでも守りたい相手なんです」


 逆さの金魚鉢みたいなフェイスメットを、ビームソードの先で丁重に持ち上げる。ビームソードの熱に耐えられなかったワグマが、観念してフェイスメットを脱ぐ。


 中からは、金髪ロングの碧眼少女が現れる。なんか見た感じが同い年に見えた。


 とても顔立ちが綺麗で見とれていると、横から肘で脇腹を小突かれた。


 ワグマはフェイスメットを投げて、悲痛そうに頭を抱えた。


ワグマ「もうだめです……イフ様を連れ帰ることもできず、私の身体はテラの空気で穢れてしまい、これではもうルナに帰ることなんか……」


イフ「言っとくけど、こいつ肉体年齢約四六〇歳だからね。テラじゃ、ババアなんてとっくに越してるんだから」


セカイ「あれ……じゃあ、イフちゃんの肉体年齢は……」


イフ「あたしはここに来る前にダミーの身体に入れ替えたから。だから普通に十六歳」


ワグマ「イフ様のルナに残した肉体の実年齢は一〇八二歳ですよ」


イフ「よしわかった。本当に二度とルナに帰れないようにしてあげるから覚悟なさい」


 宇宙船の外壁をビームソードで斬り飛ばして、中に入る。ワグマが何事かと後を追うが、船内の警告音とともにすぐにイフが笑顔で出てくる。


イフ「爆発するぞー!!!!」


セカイ「え……」


 わたしをとっさに抱き上げて、宇宙船から距離を取る。少ししてから背後で耳をつんざくほどの爆発音がして、あたりの樹木を燃やしていく。


 わたしは、あまりの急展開にドン引きした。


セカイ「いいの? さっき、騎士団長さん入っていったけど……」


イフ「いいのよ、あいつ死なないし。わたしの身体はテラ用だから、危なかったけど……って!」


 イフが急になにかを思い出し、その場でくずおれる。


イフ「鞄を置いてきちゃった……」


 言われて、わたしも手元を見る。そういえばわたしも、鞄を忘れてた。


 イフとわたしの鞄は、いまごろ宇宙船や周囲の樹木とともに炭となっているのだろう。容易に想像がついて、同時にそれが悲しくもあった。


セカイ「どうしよ……」


イフ「……よし! サボるか!」


 イフはわたしの手を引いて、森の外へ連れていく。少し丸みを帯びたような手は、先ほどまでの非現実を現実に戻していく。


 イフがそう言うんだから、まあいいか。


 ふと、そんなことを考えていた。



*TRUE WORLD*



 イフとセカイが、向かい合って座っている。


 イフは三日目に帰ってきた交換小説の内容を読み終える。それから閉じたノートをその場に置いて、頭を抱え始める。


「ど、どうしたの?」


「なにが、まあいいか、よ。なにもよくないでしょ、これ」


「でも、人殺してないよ!」


「殺してないけども。それ以前の問題でしょ……」


 セカイがノートを取って、パラパラと再び書いたページを開く。イフが書いたあたりを開いて、それを向こう側につきつける。


「だって、イフちゃんのやつ、お話にあまりに起伏がないから……」


「感情の起伏があるでしょうが。ていうか、人をいきなり宇宙人ということにするのってどうなの?」


「だって、面白いと思ったし……だいたい、それ言ったらわたしもイフちゃんの恋人じゃないし……」


「そこは上手くやりなさいよ。それが交換小説でしょ」


 びしり、とセカイに向けて指をさす。あまりにも理不尽な言い分に、セカイの顔も曇っていく。


 セカイが文の末尾のページを開き、シャーペンの芯を出してさらさらと書き加えて、ページを開いたままのノートをイフに押し付けた。


 ノートには、このようなものが書き加えられていた。


『イフ王女の乱心を聞いたルナ帝国はテラに増援を寄越し、テラは一年も経たず滅亡した。』


 イフはわなわなと震えながらノートを下ろし、セカイを見つめる。セカイはしてやったりといったような顔をしていた。


「次はイフちゃんの番でしょ。どうするのか見たいなー?」


「セカイ、あんたッ……」怒りを発露させかけたところでとどまり、「まあ、いいか。おおまかなルールにしたのはあたしだし。じゃあ、続き書くから」


 イフがため息をつきながら、青のペンケースからシャーペンを出して渋々書き始める。


 セカイがそれを見ながら、椅子から腰を浮かしてそわそわしていると、イフがすぐに横に退いた。


「横で見るんじゃないの?」


 セカイは目を丸くして、それからゆっくりうなずく。イフがノートと向かい合ってるところで、誰ともなく小さくつぶやいた。


「……まあ、わりと悪い気はしないんだけどね」


「ん? なにか言った?」


「ううん、なんでもなーい」


 椅子をイフの隣に置いて座る。一回座ってから、セカイは椅子の位置を少しだけ近くに直した。




 交換小説という形で生み出される異可能性世界は、これからもずっと続いていく。


 この世界のイフとセカイが一緒にいる限り、ずっと、ずっと。


 たとえいつか、この世界の二人が遠く離れても、異可能性世界で築かれた二人は永遠に一緒にいられる。


 ノートが残っている限り、ずっと、ずっと。


 彼女たちはこれから、彼女たちのそんな世界を書き記していく。

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イフとセカイ 郁崎有空 @monotan_001

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