狂人日和

渡ノ鳥

狂人日和

  某年月日、休暇を貰う。上司に文書をお送りいたし、許可された。

  脳内クラッシュとか別の原因とか、文書で“精神疾患”の四文字を書けていた。そしてこの四文字は、親はまだ他界しない頃、俺に“他人に教えるごとはいかない”と教えた四文字だ。

  上司は多少人間味あるの奴だ、もし社内の誰かが様々の原因によって欠勤したら、絶対電話をかける相手を慰問するように。

  俺も自然あんな電話を受けた。しかし相手は“ご大事に”以外のあいさつ語以外、まだ何を不意に囁いた−−

  “やれやれ、精神疾患なんので。”

  多少不快を感じるだが--承認すべきのは、あの四文字はまさに悪魔化シンボル化されるように、人々に疫病の神として揃うので。

  て言うか、今回休憩を取るの目的は、病院に行くためではなく、ただ“精神健康を維持する”理由で休憩するので。

  空は青い、匂い良い風も窓からその殺風景の部屋に吹いつづく。一輪の太陽も空に高く懸る、あれは見ったら目は絶対眩すだろうーー

  まるで“小春日和”だ。

  なんでもできないの社内でなんでもしないより、やはり自分の部屋にいるの方は気楽、できるごとはいっぱいいるので。

  だがそうしても、どうしたらいいごとは全くわからん。

  くだらんの極みでも、なんでもやりたくない。

  首は枯れた花の蕾のように下垂して、眼光はそのままスマホスクリーンで止まった。

  生きるに便利なツールであるはずなのに、そして今......

  どこのテレビでみた広告からのやつを思い出した。

  “人生は美しいもの。”

  条件反射のように、思考は一時停止された。

  皮肉の話やね

  そう思ったら、顔は曲がれになった、まるでオカルト雑誌だけで出現した怪物の顔のように。

  “この世界にはなあ、健康的で幸せであるための処方が溢れている、示されとおり模範的な幸福を実感できないものは、まるで不治の病であるように。”

  これはいつであるテレビドラマから見ていたセリフだ--もともと記憶力悪いけど、こんな些細な事について異常に有用やね。

  脳味噌はまだぐるぐるしているーーソファーに置いたスマホは既に何数回ピカピカしちゃった。

  SNSからの様々の通知だ。

  そうしてもスマホを触る気力などない--そのままスマホをおいで、あそこでホタルのようにピカピカして続ける。

  絡んているは大体高雅の趣味を持つやつ--部屋を宮廷のような飾りを付けている;耳でシューベルトとショパンの音楽をながれている;視線で欧米諸国の風景が写している;最高級の牛肉でも、肉の部分を捨てて、油だけでチャーハンを作るごとができる。

  バーチャルの世界で他人との比較より快感を貰う--これもある程度の“幸せの処方”だろう--しかし全然興味ないや。

  やはりずっとなんでもしないはダメだと思うからーーソファーの前のあのゴミの山のような所からある古い本を探して、それを読んで来る。

  小学校の教科書でよく姿が現した偉い作家さんは“書籍は霊薬”という名言を残っているだがーー俺の心はもうそれを考える暇などない、ただもう一人の作家のやり方の様に、“好きのまま読む”ごとだけさあ。

  真っ黒に近いた本一つ。

  いつか本屋からこれを買うごとを忘れていたが、今はもう既に俺の手の平にいるのだ。

  黒い標題紙とふさわしい黄色の書頁、その肌触りは実に素晴らしい。

  上に書けた奴はまったく現実などないーーあるいは幻想、あるいは夢境、順調的に読むごとはまったくできないーーまるで欧米人が定義されたモダニズムの匂い。

  夢と幻。

  まるで童話(フェアリーテイル)で描き出した不思議の国のアリスの様に。

  脳中は条件反射の様に大学の授業で先生が数度強調した知識を思い出したーー

  “幻覚対するの描写そして夢境対するの描写は非正常的な描写であるーー”

  “その原因は毎日異常な物を見るそして白昼夢に溺れる健常者は誰一人でもいないごとーー”

  生徒達の爆笑までも覚える。

  何でもわからんのあの頃の俺は、他人の爆笑を見たら、自分もその雰囲気のおかげで不自然に笑える。

  現在の俺も笑える、まるて何を頓悟した様にーー

  そうよ。

  健常者なら、白昼夢を夢見るはずもないだろう、きっと。

  多分あいつらは“夢”までも見るごとなどないだろうーー毎日“充実の生活”を過ごす広いの一般人諸君は絶対退社以後直接にベッドに入るはずだがーー俺は“家徒四壁”(いえただしへき)の人間や。

  思いのまま頭を上げる、そのまま天井をじっと見詰める。

  紋様付けの、丸型に廻った唐草模様。古代や近代なら絶対金持ちの名門共の専用品だろうーー

  だが丸型は所詮丸型過ぎないーーあれは万華鏡(まんげきょう)などない、動くごともできない。あれを見たら、目眩の感想しかいないだろう。

  身体はどろどろなナメクジの様に、臀は地に粘着してるだが、背中はまだソファーの下部に寄りかかる。

  右手はまだあの本を強く掴まる、だからあの本はそのナメクジの様な身体のせいで地に落ちていないーーでもも二度と読む気力などない。

  他人が夢見るごとを“観察”するより満足感を貰うごとより、やはり自分が夢見る方は気楽だ。

  もう一度ナメクジの様な身体をにょろにょろする、キャビネットからある小さいボトルを取り出しだ。

  薬を使う頃はずっと説明書を見えないタイプなので、医者が提出する意見にも、俺はただあれを無視し、薬を一気に腹に呑み込むだけ。

  一、二、三、四、五、六、七。

  赤、緑、黄、白、青、黒、紫。

  まるでテレビによくそのCMを放送するチョコチップの形の様に。

  ペットボトルの水を箱から野蛮的に取り出し、“チョコチップ”と共に腹に呑み込む。

  ……

  薬のおかげで、頭は少しめまいになった。

  瞼(まぶた)は溶ける様に閉じる、全力で開いたいでも何でもできない。

  溺水した人の様に、水の中に何でも見えない、ただ上の眩し光るが感じるごとだけ。

  大脳は身体に抵抗を放棄するごとと強要し、逆でその抵抗はもっと激しくとなった。

  一気に大量のアルコールを摂取する様に、莫大の快感と刺激感を貰える。

  “今はただ眠りたい”

  脳中はこの文句しか残るだけ。

  意識が消えるまま。

  ……

  太陽の光は窓から射し込む、そのまま顔に止まる。

  この予想外の刺激より、俺は目を覚した。

  頭はまだ鉛物が注入される様に重い痛い、その前に何が発生したごと、もう全然覚えていない。ただしその周りのその狼藉を見たら、前のごとは多分想像できるだろう。

  苦しい微笑むは浮く上げる。

  もう一度そのナメクジの様な身体をにょろにょろして、窓の側にその光が無き両目で外側(そと)の光景を見る。

  あの日と同じ青い空、涼しい風、そして眩し日光。

  何も知らないまま、今日はまだこの日和に生きている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狂人日和 渡ノ鳥 @watanotori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ