ミウ

須藤

約束

その姫は、西の森にいるらしい。


 嘘か本当か、姫が流す涙は万病を癒やし、澄んだ歌声は荒れた心を静めるという。真相は誰も知らなかったが、町をおとずれた1人の戦士が、うわさを聞くなり西の森へと走った。


 木々や枝の隙間から、ときおり小さな赤目が様子をうかがい、どこかで獣がのどを鳴らす。雑草が生い茂る道には、苔むした石細工や朽ちた刃が残され、遠い昔この地に文明があったことを物語っている。

 最初は薄暗かった森も、奥へと進むにつれて影が深まっていき、枯れ枝を踏むたびに戦士の心も跳ねあがった。


 しばらく歩いて、ひらけた場所に出た。太陽のあたたかな光が、樹齢幾百はあろうかという1本の大樹へ降りそそいでいる。その大樹の太い幹に、1人の女が眠っていた。

「きみがうわさの姫だな。……生きている、のか?」

 戦士の指が女の顔に触れると、かたく閉ざされていた瞼がかすかに動き、海よりも深く色づいた瞳に戦士の驚く顔が映る。

「誰」

 唇から発せられたのは、鈴のような透き通った声だった。

 今できる精一杯の笑顔で、戦士は胸に秘めていた想いを姫に伝えようとする。

「万病を癒やすという姫。どうか、あなたの涙を分けてはくれないか?」

「女に泣けとは、乱暴な戦士様でいらっしゃる。お渡しできるものはありません」

「母が!友が!病に倒れて苦しんでいるんだ!力を貸してほしい。……す、少しくらい、いいだろう?」

 動揺を抑えられない戦士に、姫は首を左右にふった。

「どうしてできないんだ?きみは何でも癒やせるんだろう?世界中でたくさんの人々が苦しんでいるんだ。きみの力は、そんな人々のために使うべきだと思わないか?」

「私は、ここから動いてはいけないんです。もっと別の方法を探したほうが……」

「探したよ!薬草だって医者だって探したし、試したさ!それでも治らなかったんだ!もうきみしかいないんだよ……!」

「どうか、ご家族のもとにお帰りください。あなたが欲している物は、ここにはありません」

「ケッ!もういいよ!ご自慢のかわいい顔でも、必死に守りやがれ!」

 ジリジリと後ずさりしながら醜い捨て台詞をぶつけて、戦士は今しがた歩いてきた道を駆ける。姫はただ静かに、遠ざかっていく戦士の背中を見つめていた。


 やがて、姫は森を出ることになる。

 それは冷たい雨の晩のことだった。


  *


 ひときわ強い風が吹き、花の茎が折れんばかりにしなる。黄色い花びらが2、3枚ちぎれて青空へ舞った。

 門前であくびをしていた衛兵は、岩肌のような大地の中に土煙を見た。どうやらそれは軍馬のようで、懐にしのばせていた望遠鏡で先頭にいる男を見るなり、門番は街の鐘係へ声をあげる。

「戦士長がお帰りになられたぞ!」

 軋みながら木製の門が上がり、戦士長を出迎えるべく多くの人々が門へつめかけた。


「拾った」

 と、戦士長は淡々と告げて、1人の娘をメイドに押しつけた。


 戦士長いわくその娘は、戦場で倒れていたという。故郷を聞いても、わからない。家族についてたずねても、首を横にふるばかり。記憶喪失ではないかと娘を不憫に思ったメイドたちは、自分がぜひ彼女の世話係にと名乗りをあげた。


「大変だったでしょう。どうぞお召し上がりください。たくさん用意しましたから、遠慮はいりません」

「このドレスが似合うと思うわ。あなたもそう思わない?」

 何人ものメイドに囲まれて娘はどうしようかと悩んでいると、扉が開いて戦士長が部屋に入ってきた。

「足の調子はどうだ」

「もうすっかり痛みはひいたわ。ごめんなさい。私のせいでたくさん死なせてしまって」

 うつむく女の服の内側からは、足ではなく、大樹のような太い根が伸びている。

「お前の部屋が決まった。『太陽の塔』の個室だ」

「戦士長!それはあんまりではありませんか?だって、あの部屋は…」

「こんなみすぼらしい女ひとり、干からびたところで誰も悲しまん」

 戦士長に気圧されたメイドたちは、それ以上言い返せなかった。


「マンドレイクだろうね」

 戦士長から娘のことを問われて、大魔女はしわがれた声で答えた。

 人型の根をもつ奇怪な植物。引き抜く際に悲鳴をあげ、それをまともに聞いた者は命を落とすという伝説がある。

 女を連れて街へ戻るまでに、戦士長率いる部隊は何度か敵兵と刃を交えることがあった。そのたびに娘が叫んでしまい、兵たちが次々倒れていった。

「私も長く生きてるけど、あんなの初めて見たよ。もう人間そのものじゃないか。とんでもないものを拾ってきたね」

「ひと目見て、あれを放置するのは危険だと思っただけのことだ」

「まあでもここにいたんじゃ、あの子はすぐに枯れてしまうよ」


 翌朝、戦士長は娘を連れて街へ向かった。

「ここ、見て。かわいいでしょう?」

 娘がしきりに自分の頭を指さすので、げんなりした顔で戦士長が彼女の指先を追うと、そこには紫の花弁が揺れていた。昨日まで蕾だったはずなのに、もう開いているなんて。花弁からただよう香りに、植物にうとい戦士長ですら本物の花だと思うしかなかった。

「まあ、綺麗な石細工!初めて見たわ」

 娘の歓声を聞くたびに、戦士長は自身の内蔵をかき回されているような気分だった。本当は1人で用事を済ませるだけのはずが、街を見たいという娘の願いを断りきれなかった。しかも、半身が植物のこの娘は、自分の足で出歩けない。

「ここに用はない。行くぞ」

 店主の話に夢中になっている娘を抱えて、戦士長は本来の目的地を目指した。


 この女には、人と同じ食事ではなく、たくさんの水が必要らしい。戦士長はどうしようもない苛立ちを抱えたまま、水車の管理者をたずねた。

「これで全部だよ。この量なら、代金はこれくらいだな」

「ま、待ってくれ。高くないか?」

「偉そうなこと言うんじゃねえよ。あんたらは他の国と戦い始めて、かわいそうな民から軍資金とやらをたんまり集めてんだろ?こっちは協力してやってるんだから、ちょっとくらい我慢しろよ」

「すまないが、法で決められていることだ。違反は見過ごせないな」

「は、はなしやがれ!」

「どうしたの?…ひっ!戦士長さま、な、何をして……!」

 今にも悲鳴をあげそうになった娘の口をふさぎ、戦士長は代金を払ってその場を離れた。


 昼間は、太陽の熱線が大地を焼き、素肌を隠さなければ出歩くことさえままならない。真夏になれば雨も降らず、底が見えるほど川が枯れることもある。

 わずかな果実や穀物を育てて暮らすこの街では、農作物にも、物を洗うにも、飲み水としても水は貴重品だった。

「わかったか。お前がどれほどお荷物になっているか。私の怒りがわかるか!」

 腹が煮えるようなこの苛立ちもこの娘には無関係なことくらい彼もわかっていたが、娘を前にすると何も言わずにはいられなかった。

「それはあなたもわかっていたはず。どうして助けてくれたの?」

「お前が敵国の姫なら、人質にしてやろうと思っただけだ」

 戦士長は剣を引き抜き、娘の喉元に切っ先を突きつける。

「お前の存在は、いずれ破滅を呼ぶだろう。その首、ここで切り落としてくれる!」

「それで、あなたが満足するなら」

 刃を微塵も恐れない娘に、戦士長は剣を鞘におさめて重々しいため息を吐いた。こんなに身を焦がすような想いを抱くのも、きっと暑いせいだ。あの太陽のせいだ。


 娘が拾われて、3年が経とうとしていた。蝋燭の火が揺れる薄暗い一室で、戦士長は娘に告げた。

「姫様。護衛のため、しばし国を離れることになりました」

 姫は戦士長に見向きもせず、ただ窓から星空を見上げて「そう」と小さく答えただけ。しばらく沈黙が続いていたが、先に口を開いたのは姫のほうだった。

「あなたのお話、いつも楽しみにしているのよ。必ず帰ってくると約束して」


 肌を焦がすような熱い夏も枯れ葉が舞う冷たい冬も、姫は窓のそばを通るたびに見慣れたあの姿を探す。そんな日々を続けて同じ季節が5回ほど過ぎた頃、塔の個室に暗い顔の世話係が入ってきた。

「……あの、姫様!……その……」

「大丈夫よ。彼は帰ってきてくれるわ。約束したもの」

 そう言った姫の顔は、笑っていなかった。

 窓の向こうでは、喪服に身を包んだ人々が、涙を流しながら列を成している。その中を、大きな棺が運ばれていった。


 国が滅びた今でも、姫は彼の帰りを待ち続けているという。

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