第二章 最初の恋愛イベント④

 幼少期のオスカーは子どもらしくない子どもだった。

 彼は生まれ落ちた瞬間からいつか国を背負う人間だと教え込まれており、目に映る人間はすべて国を動かすための道具だと刷り込まれていた。その小さな肩には考えられないほどのプレッシャーがのしかかっており、それ故に彼はだれにも甘えられない子供に育っていた。

 実の母であるおうにも、育ててくれたにも、周りにいる大人たちにも、彼は何かを強請ねだることはしなかったし、願うこともしなかった。あるのはただ、命令だけ。

 そんなオスカーの大人びた態度を周りの大人たちは『しっかりしている』と評しながらも、『生意気』と言ってはばからなかった。

 たけだかで生意気なガキ。

 それが幼少期のオスカーを指す言葉だった。

 そういった事情から、王宮で彼はいつもどくに過ごしていた。

 王妃も乳母もしっかりとした彼の態度に口は出さなかったし、いつも命令口調の居丈高な子供に寄りつく人間もいない。また彼自身も自分の何が悪いのか少しもわからなかったので、年々孤独を深めていた。

 そんな時、彼は生まれてから何度目かの社交界で、彼女に出会った。

 こうしやくれいじよう、セシリア・シルビィ。オスカー六歳。セシリア五歳の時である。

 彼女はシルビィ公爵家の息女で、見目は相当にれいだが、うわさでは両親にずいぶんと甘やかされている我がままむすめだという。オスカーが半年ほど早く生まれただけで生まれ年は一緒、貴族の格の観点から見てもこんやく者は彼女になるのではないかと、まことしやかにささやかれていた。


 大人たちがだんしようしている間、彼女は一心不乱に食事を口に運んでいた。

 川魚のポワレにわかどりのコンフィ。ぶたにくのルーローにいろあざやかな野菜が入ったテリーヌ。牛肉のブレゼに山羊やぎのグリエ。ラタトゥイユにサラダ、スープ……

 立食形式の食事なのにもかかわらず、セシリアはそんなことなどお構いなしといった感じで、次々と食事を選んではすみのテーブルで食べていた。まるで何日も食事をとっていなかったかのような食べっぷりである。

 しかし、それでも公爵令嬢といったところか、彼女の食べ方はとても綺麗で洗練されていた。

 社交場は食事を楽しむ場ではなく、貴族同士の交友を深め、持っている情報をこうかんする場だ。なのになぜ、誰かと話すことなく一心不乱に食事をとっているのだろう。

 彼女に声をかけたのは、そんな疑問からだった。

「おい」

「ふぁい?」

 フォークを口に入れたままセシリアはり返る。

 そのけな表情に、あまり動かない表情筋がピクリと動いた気がした。

「なんでしょうか?」

 口に入っていたものをみ込み、彼女は首をかたむけた。

「何をしてるんだ?」

「何って、食事ですが」

「食事をしているのは見ればわかる。なんでそんなにがっついているのかと聞いてるんだ」

 疑問に思ったことをそのまま聞けば、セシリアは自分の皿に視線を落とし、ふっと表情をかげらせた。

「これは、やけ食いというやつです」

「やけ食い?」

「最近、自分が死ぬ夢を何度も見るんです。夢だって思うし、思いたいんですけど、どうにもこうにも生々しくて……」

 深いため息を吐く顔は心なしか青白い。そのまま独り言のように彼女はぼやく。

「いやもう、これがマジだったら人生の終わりというか。終わりに向かってき進んでいるというか。認めたくないけど、認めざるを得ないほどいろいろはっきりし過ぎているので、もうそろそろ腹をくくらないといけないかなぁと思ってはいるのですが、いかんせん、『認めたくない私』が頭の中で大暴れを起こしておりまして……」

「何を言ってるのかわからないぞ」

「簡単に言うと、将来がお先真っ暗かもしれなくて、やけ食いをしてたんです」

「おい。夢の話はどこ行った」

「夢だったらいいなぁって話です」

 会話をしているのに、全く話の内容が読み取れない。

 セシリアはそんなオスカーを気にすることなく、ニコリと微笑んだ。

「でも、美味おいしい食事をいただいてたらだいぶ気がまぎれてきました! このテリーヌなんて、最高でしたわ!」

「そんなに美味しかったのか?」

「はい! あ、もしかして、まだ食べておられませんでしたか?」

「食べてはないが……」

「それはもったいないです! 今日は王家しゆさいのパーティなんですから、この機会にたらふく食べておかないと! タダですよ! こんなおいしい食事が、タダ!」

「……公爵家ではあまり食べさせてもらえてないのか?」

 公爵家のれいじようがあまりにもびんぼうしようなことを言うので、育児ほうでもされているのではないかと心配になり、そう聞いた。しかし、彼女はがおで首を振る。

「そんなことありませんわ。けれど、お金をはらわずにこんなに美味しい食事を食べられる機会があるんですから、これを利用しない手はありません! 個人的にはカップラーメンなどもあれば最高ですが、この世界にはないようなので仕方がないですし」

「かっぷ、らーめん?」

「……今の言葉は忘れてくださいませ」

 セシリアは急に青い顔になる。『カップラーメン』だったり『この世界にはない』だったり、彼女の言っていることはいまいち理解ができないが、話してみた印象は想像していた我が儘娘とずいぶんとちがう。むしろ、明るくてんしんらんまんな印象を受けた。

「とりあえず、食べないと損ですわ。……ということで。はい、どうぞ」

「は?」

 とつぜんフォークが差し出され、オスカーは固まった。そのフォークの上には先ほど彼女が絶賛していたテリーヌがっている。もしかしてこれを口で受け取れということなのだろうか。

 乳母にもそんな風に甘えたことがないオスカーは、顔を赤らめながら一歩引く。

「し、失礼だぞ! 俺は──」

「美味しいですよ? ほら」

「むぐっ……」

 無理やり口に入れられる。そのままき出すのもどうかと思い、そのまましやくして飲み込む。確かにテリーヌは美味しかったが、いつも食べてるそれと何ら変わりない。けれど……

「美味しいでしょう?」

 そう微笑ほほえむ彼女に顔の筋肉がほぐれた。

 彼女はオスカーを王太子としてにんしきしていない。きっとどこかの貴族のちやくぐらいに思っているだろう。だからこその言動なのかもしれないが、気さくなれ合いに胸が温かくなった。

「まぁな」

 くつたくのない笑顔にほおが熱くなる。今まで友人と呼べる人間が周りにいなかった彼にとってセシリアとの触れ合いは、初めて知る子供同士の交流だった。

「ふふふ」

「……どうかしたのか?」

「ソースがついてますわ」

 セシリアは彼の頰についたソースをハンカチでぬぐう。

「おっちょこちょいですわね。なんだか、ギルみたい」

「お前がつけたんだろう?」

 セシリアからハンカチを受け取り、自分で頰をいた。

 彼女はなおもにやにやとオスカーの方を見ていた。

「なんだ。まだ何かついてるか?」

「いいえ。なんだかさっきから調子が悪そうな顔をしていたので心配してたのですけれど、元気になったようでよかったです。やっぱり美味しいものは人を元気にしてくれますよね!」

「……さっきまでの俺は調子が悪そうだったか?」

「はい。なんだかずっとおなかが痛いのをまんされているような顔をしていたので、最初はちょっとこわかったです」

「腹が痛いのを我慢って……」

 オスカーは別に顔をしかめていたわけではない。いたってつうに彼女に接していただけだ。なのに、それを『お腹が痛いのを我慢されているような顔』と言われ、なんだか立つがなくなってくる。

「今のそのお顔の方が、怖くなくて私は好きですわ」

 好きという言葉が脳内をはんすうして、急に体温が上がった。彼女の顔を見ていられなくて、彼はとっさに彼女から借り受けたハンカチへと視線を移す。そこには不格好なクローバーのしゆうがあった。

「これはなんだ?」

「あはは。私がしたんです。初めてなので、失敗してしまいました」

「……ヘタだな」

「うぐ……」

「でもまぁ、びしろがあると思えば、そんなに悪くない」

 思った以上にやさしい声が出て、オスカー自身が一番びっくりした。

 セシリアもおどろいたように目を見張っている。

「えっと、さっきのは──」

「オスカー様、こんなところに!」

 言い訳を口にしようとしたしゆんかん、大臣に呼ばれた。彼は丸い身体からだまりのようにねさせながら、こちらに走ってくる。

「どうかしたか?」

「国王様がお呼びです」

「わかった」

「オ、オスカー……?」

 セシリアのふるえる声が耳に届き、オスカーは彼女を見る。

 彼女は青い顔をしていた。くちびるは小刻みに震えており、大きなひとみはこれでもかと見開かれている。

貴方あなたが、オスカー・アベル・プロスペレ……?」

「そうだが?」

 やっと気づいたかというような表情でオスカーがうなずけば、セシリアは白目をき、あわいてその場にたおれてしまった。

 オスカーがセシリアに会ったのはそれが最後だった。

 借りたままになっていたハンカチを返そうとしきに直接行ったことがあったが、体調が悪いからという理由で会わせてはもらえなかった。その後も何度か理由をつけて屋敷をおとずれたが反応は同じ。その後、病弱といううわさが流れ、社交界にも全く現れなくなった。


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