八月二十八日 奥澄
奥澄まで車で送る、という術師の申し出を丁重に断って旗崖を出た。浅はかな自分が恥ずかしくて、一刻も早く一人になりたかった。術師は「そう」と言うと、私を抱きしめて、よくわからない言葉を囁いた。この地方の言葉で「あなたの後ろを歩く神様をみつけられますように」という意味で「良い旅を」に相当する挨拶だそうだ。神様が導いてくれるならともかく、後ろを歩いている、なんて変わった表現だ。
奥澄までのバスは想像以上に酷かった。昨晩の飛蝗の死骸が無数に散らばっていて、その体液なのか草と堆肥を混ぜ合わせたような臭いが常に漂っていた。
荒地に広がっていたあの美しい波紋を窓から見ようとしたけれど、もう昨晩のような色はなかったし、その上、飛蝗もいて、同じ場所であることも疑わしくなるような状態だった。
奥澄で百容堂に電信をかけると、夜にかけ直せ、と即座に切られた。
それで、夜まで奥澄の古燈屋をのぞくことにした。
小さな耐熱ガラスの箱の中で燃焼と再燃料化を繰り返す黄土古燈がとても美しかった。
芯にちりちりと黄土が集まり、先から花火のように火花を散らしながら燃焼すると、底板の急冷装置で気体化した黄土が再び固体になって芯に集まってくる。そして、また花火になって燃焼する。これをぐるぐるともう百五十年も繰り返しているらしい。急冷装置の板は波のように加工されていて、作品名は『青夏』とつけられていた。
とても欲しかったけれど、値段もさることながら、湿度・温度が一定の部屋で水平に保管しなければならないと聞いて断念した。百容堂も古燈は扱わないだろうし。
夜になって、再度電信をかけた。
百容堂の主人は直接電信をかけられたことがたいそう嫌だったらしく、次にどこに行くつもりか執拗に聞いた後、唐突にその周囲にある百容堂連携店の電信番号を唱え始めた。
「こっちも大変なんだ、電磁放送の番組を持ってるような美術商なんざ儂ぐらいのもんだろう? 取材が毎日来てんだよ」
と百容堂の主人が言うので、母と私のことで迷惑をかけていることを素直に謝った。
すると、
「大丈夫だ、あんたは儂が守ってやるよ」
と百容堂の主人が少々意外なことを言った。もっとも、すぐ後に
「あんたがずっと旅してくれていたほうが『あの絵』の値段も上がるからな」
と付け加えはしたけれど。
話題は旗崖の新人作家のことになった。
「噂じゃ空から見ないとわからないほど巨大な作品ってことなんだが」
と百容堂の主人が言うのを聞いて、私は声を上げた。
旗崖の荒地にできていた色とりどりの「波紋」。あれが術師の子供の特殊な声で作り上げたものだとしたら……。
「見つけたのか!?」と活気づく百容堂の主人に、私はとても買い付けたり、運べるような作品ではない上に、蝗害で修復不可能なほどの損傷を受けている旨を伝えた。
百容堂の主人は残念そうな声を出したが、番組のネタとしてはおもしろい、とまんざらではなさそうだった。こういう「買付」もありということか。
最後に礼を言い、無理をしないで身体に気を付けて、と言って電信を切った。
百容堂の主人の声は十日ほど前に聞いたときよりも明らかに擦り減っていた。
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