虚々虚無虚

庫三条畝傍(著)

偽計社文庫


 本書は、文学の極地とも呼ぶべき作品です。

 少なくとも著者の庫三条畝傍(こさんじょう・うねび)はそのように信じていました。そもそも文学とは何か。字義通りである、と著者は語ります。地理学が地理を研究する学問であるように、天文学が天を探求する学問であるように、文学とは、「文」を追及する学問なのだと。では、学問には何が必要なのか、分析、調査、そして創造を要するのだと主張した著者は、本作において持論を実践しています。つまり作品の中で言葉を一つ一つ分析し、分析を元に新しい言葉を創り出し、その言葉を使って文章を編み上げて行くのです。


 説明だけでは意味がわからないと思われますので、本作の冒頭を抜き出してみます。


<ここから>


 ある朝、太一は空を眺めていた。


 朝とはなにか。時間帯を表す一形態である。この一文において私が表したいことは、主人公に設定した太一が朝という時間帯に空に視線を移していたという事実の表明に他ならないわけだが、私は実作者として、「朝」という表現に物足りなさを感じる。早朝→朝→午前中と範囲を広げて行く中で、朝と午前中の中間程度の表現を求める私は、「中朝」という言葉を便宜的に設定する道を選んだ。というわけで、本文において「朝」を「中朝」に置き換える。


 ある中朝、太一は空を眺めていた。


<ここまで>


 本文は全てこのような調子で進行します。

 本文を記した後、文中の語句に異議を唱え、新しい単語を創って修正する……この流れが延々と続くのです。


 本作が発表されたのは昭和六年。

 画期的な試みとして一部の文学者から賞賛を浴びはしたものの、残念ながら大衆の支持を得るには至らず、著者の後継者が現われることはありませんでした。


 作者が言うには、あらゆる文学の実作者がこのように言葉を「漂白」することによって、最終的には全ての芸術・文学が目指すべき「偉大なる虚無」に到達するとのことですが、現在でも虚無とやらの片鱗にすら近付くものは現われていません。

 


(このレビューは妄想に基づくものです)

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